以前、ジル・ドゥルーズの著書「差異と反復」に、異次元の少子化対策がうまくいかない理由を見出したので、それを紹介したが。
gyakutorajiro.com「結婚をした後に、その人を好きになりたかったんではない」という感情の根底には。
結婚相談所や婚活アプリが紹介する機械的な現実的対象では満足できないということ。
自分の記憶に体内化されている、潜在的対象とのドラマチックな恋愛を経た上で結婚したいという欲望が、存在する。だからこそ、ハイスペだろうか弱者男性だろうが、キャリアウーマンだろうが弱者女性だろうが、潜在的対象の影響を被る。
それは経済的要因とは違った精神的要因、記憶や自己意識といった精神に蓄積されている情報から生み出された潜在的対象による、現実的対象に対する、逃れることができない侵犯であり、両者が天秤にかけられてしまう無意識的な比較行為でもある。
その記事の中で、恋愛コンサルタント?なのかよく知らねえが「中星一番」という人も紹介した。
その人の苦言、というかもはや罵倒だが、結婚もせず子孫繁栄できない人間を、このように表現した。
30にもなって子供1人もいない非モテへ pic.twitter.com/nqo1N1CIFm
— 【恋愛】中星一番/根本りょうすけ (@nakaboshisama) 2023年1月19日
はい。30にもなって子どももろくに産めない非モテの皆さんこんにちは。
あのね、我々のミッションというのは子孫繁栄なんですよ。
子どもを産んで、しっかり育てるということが、我々人類に課されたミッションなわけですね。
我々の脳味噌というのは、子孫を反映するために、プログラムされています。
かわいい彼女を作って、子どもを作って、育てていくと。
そのために俺らは「モテたい」という欲求があるし、ね、カッコよくなりたいといった欲求があったりするわけですよね。
そういう脳の、元々プログラムされていることに従えずにですね、いつまで経ってもAVでオ○ニーしているようなね、非モテがね、最近多すぎるんですよね。
だから日本、少子化になってるし、国力が弱くなってるわけでね。
で、国力が弱くなることによってどんどんどんどん、景気が悪化していって、自分らの首を絞めてるわけだよね。
お前らが、モテるための活動をしないことによってどんどん、国は弱くなっていく、景気は悪くなっていって、結局お前らの給料が下がる。
ね、そういう悪循環になってるわけね。
自分の身を守るためにも、お前らモテろ。
モテるための努力をしろ。
さっさと子どもを産め。
俺らはね子ども10人作る予定だけれども、そのぐらいの気概を持ってね、どんどんどんどん、我々のミッションである子孫繁栄をね、しっかりやっていけ。
お前30にもなって子ども産めないってね、お前、終わってるぞ。
子どもを育てていくだけの経済力もなければ、彼女を作ることもできない。そんな状態で30歳を迎えたそこのお前、終わってるから。
マジ、死ぬかモテるか、どっちか選べ。
そのレべルだからな、よろしく
これを聞いて「ズキューン!」ってなった未婚男性は多いだろうよ。
女性はどう思うのかはさておいて。
中身的には非モテ男性に向けた非難だからね。
そして最近、新たに、身長170cm以下人権なし発言で一世を風靡した「たぬかな」という女性が、こんなことを言っていた。
lgbtch.blog.jpこう一年もさ、ネットで私に付きまとう男って可哀想やなとつくづく思うねん
虚勢やなくて、ガチでその立場を案じた時に可哀想と思うねん。
やってさ弱者男性ってホンマに社会的な人権ないからね
男の弱者男性ってほんまの弱者やから生きてるだけでキツイやろ?
やってさ、他に勝てる競技がないねんもん 金すら稼げてない弱者男性の人生ってホンマに。キツいで
そら自分より金もルックスもある、周りからチヤホヤされてる女がたまたま問題起こしたらさ、
おうワイらの出番や!いうて我先にちっちゃい洞穴からわらわらと出てきてさ、徒党組んで生き生きと悪口並べ立てるよな
弱者男性が唯一輝けるのがネットで女をこきおろして叩く、それだけなんですよ
これもエグいよな…ちっちゃい洞穴…身長の低いホビット族の家に喩えてるんだな、また低身長の男性のことを揶揄してる。
しかも、しかもだよ。
こんなことも言ってる。
これ男やって。結婚してださい言うたらな、結婚してくれる女おらんやん?やろ?
そんだけ男の弱者って社会的信用も存在価値も皆無やから。
そこは「ま○こ割引」ってある、ま○この恩恵あるよなって感じるねん
やから、弱者男性がすぐムキになって女のこと叩くのもある意味理解できるねん
人生の中でそれしか楽しみないねんもん、それ取り上げたら可哀想や、さすがにね
女ってさ、基本的に自分が女であることでどんなけ恵まれてるか、自覚が足りひん気ぃすんねやんか
その上で私は女に生まれてさ、ま○こ割チケットで人生タダ乗り出来たことには感謝しとるから
弱男にはお疲れー、オカンにはありがとうーと言いたい。
なんだよま○こ割ってw
痛快ではあるが、関西人の悪い部分が出てる感もある。
こういうことかな?
瑠璃は美人とかじゃないけどすごく可愛いよ。
一緒にいるととても安心するんだ…
(闇金ウシジマくん(29)[ 真鍋昌平 ])
女性は多少、容姿が優れていなくてもま○こ割で、男性を誘惑でき、それをカバーできるってこと?
昔のAVで、ゲオとかツタヤの暖簾くぐって、物色している際に顔面にモザイクかかった作品でも「まあいいや裸見れたら誰でもいいや」ってレンタルする感じ?
けど、このたぬかなの発言、弱者男性が女を叩くという話は、前に俺が転移性ミソジニーの話をしたのと、似たような内容でもある。
gyakutorajiro.com自分の性的に恵まれない不遇な境遇、過去の欲望の未達によって、ネガティブな感情が醸成され、その嫉妬・怒り・恨み・辛みが、関係のない女性へと転移する。
しかし、その感情を正当化するルサンチマンに一定の品性を纏わせるために「公金不正利用疑惑」という正義の仮面を被る。
だが、その仮面の下には「お前ら女達は俺を愛さなかったからお前らに金をびた一文も出したくない」という、醜い私怨に満ちた感情が蠢いている。俺を苦しめた女性が苦しむ姿に喜びを見出してしまうというシャーデンフロイデだ。
フロイトがいう「置き換え」という防衛機制でもある。
自分のクソ人生の責任を、他人に押し付ける。
嫉妬・恨み・辛み・怒りが、関係ない第三者に転移する。
また、自分の所属する集団や自民族が他の集団や他民族よりも優れていると思い込みたいという気持ち(自民族中心主義)は、レベルの差こそあれ誰もが持つ普遍的心情でもある。先に述べたように、普段は抑制されているこうした不合理な心情も社会不安によって顕在化しやすくなる。そう考えるとコロナ禍で見られたさまざまな攻撃性は特殊なものというよりむしろ普遍性があり、「人ごと」ではないものだ。
また、大渕名誉教授によると、感染症という天災を理由に誰かを攻撃する行為は基本的にすべて、心理学で言うところの「置き換え」に当たるという。自分の不快感情の元凶を攻撃できない場合に別の対象に向ける行為で、簡単に言えば八つ当たりだ。欲求不満から来る不快感を発散したいという思いをもともと持っている人は、ささいな刺激に誘発されて自分の不満とは関係のない対象を攻撃することがある。例えば米国では不況になると白人の黒人に対する差別的な暴力が増える傾向にあるが、大渕名誉教授によると、こうした攻撃は典型的な置き換えだという。その意味では、誰にでも起こりうる暴力のタイプといえる。
また置き換えをする場合、攻撃者は社会を分断させるばかりでなく、政治指導者にも悪用されかねない。「人々の不快感情や不安に火をつけて、攻撃性を燃え上がらせるのは簡単で、実際、政治家の中には国民をたきつけるような発言を繰り返して人気取りをする者も少なくない」(大渕名誉教授)
しかし八つ当たりをしなければ不快感情を解消できないのかといえばそんなことはない。「楽しい経験をすればネガティブな感情は消えてしまう。その意味では、負の情動への対処としては、個人レベルでは家族や友人など親しい人たちとの交流を図ったり、趣味に打ち込んだりすることが有効だ。社会レベルでは、人間に対する信頼や協力を促し、社会に希望を与えるようなメッセージの発信が政府にもメディアにも期待される」(大渕名誉教授)。「信頼」や「希望」を持つことは社会的な差別や排斥を食い止めることにもつながるのだ。(「歪んだ正義 「普通の人」がなぜ過激化するのか [ 大治朋子 ]」p253-254)
それは物質に転移する場合もある。
西新井で、体がぶつかったイライラが、「非常用ドアコックの操作」に転移するように。
列車ドアコック勝手に操作 理由は花粉症「イライラが...」
西新井駅か。花粉症のイライラ、肩か胸だかがぶつかったイライラ、そのイライラを解消するために非常用ドアコックを操作してイライラ解消。これは転移だな。ウシジマくんで小堀とか板橋が大声で叫ぶシーンみたいな。
2023/02/15 21:33
b.hatena.ne.jp八潮で、牙狼で惨敗して「わしの金が消えて店長のフェラーリに変わっとるんや」と激昂し、パチンコ台を叩き割ったり(牙狼ハンマー事件)と。
www.youtube.comこのようにストレスは何らかの形を変えて発散されることになる。
それは誰かを傷つける場合もあるので、できれば法律に抵触しない形で、倫理的にも許される方法で解消するべきだ。
そう、だから人間は生み出した。
ルサンチマン(奴隷道徳)によって、そのストレスを宗教を信仰することで慰めたり、消費活動によって一時的に脱日常感を得たり等、だれかを傷つけない置き換え(ルサンチマン)もある。
しかしミソジニーやヘイトといった、誰かに危害が加わる「置き換え」は危険だ。
だからColaboの件もちょっと待てと。
ファクトではなく、自分の中のミソジニーに比重が偏って叩いていないか、ミソジニーでは本当にないと、言い切れるのか?と、自問自答を促した。
gyakutorajiro.com「ミソジニーで済ますな」「レッテル貼るな」ってコメントも違う。
誤読している。
ミソジニーが原因でColaboを叩いてる、なんて乱暴な話をしているわけではない。
これらも先述した藁人形論法、ストローマン論法だ。「公金不正利用疑惑において、金額の大きい五輪談合よりもColabo叩きに走ってしまうのは、そこに個人的な私怨やミソジニーがあるんじゃないか?」という話だよ。
そんな中、たぬなかの「弱者男性が唯一輝けるのがネットで女をこきおろして叩く、それだけなんですよ」という発言。
これはColabo叩きだけでなくゲーム実況等の世界においても、ミソジニーが浸透していることを示す一つの事例だ。
Colaboの件が異常に燃える違和感において、自分以外にも、そこにミソジニーがあると考える人がいるように。
anond.hatelabo.jpb.hatena.ne.jpゲーマー、配信者の日常においても、弱者男性からのミソジニーを感じることがあるんだろう。
このようにミソジニーが、ヘイトが、どんどん膨らんでいる。
それは文明の発展、コンテンツカルチャーの伸長によって、仕方のないことなのかもしれない。
男性も女性も、ルッキズムに即して人間を判断するという価値基準が、無意識的かつ受動的に上がっていってまう。
「なんとなく良い人が現れればいいな」(略)を書いた者なのでもう1回だけマジレスさせてほしい
インドアオタク趣味で、漫画とかアニメとかBLに触れて、男に求める要求水準が上がっちゃったんだろうな…つまり日本のコンテンツカルチャーというハイパーリアルが、非婚や少子化を招いてる要因になってるね。
2023/02/02 13:01
もちろん日本だけでなく海外でも、弱者男性がミソジニーによって女をこきおろして叩く事例があるようだ。
…何が起きても心の準備はできている」と投稿したところ、ほかのユーザーは「成功を祈る。日の出を見て、好きなバンドの音楽を聴くといい」、「同胞よ、インセルハラで会おう」〔Incellhallaはインセルのヴァルハラ(Incel Valhalla)の意味する造語。ヴァルハラとは北欧神話のオーディンの宮殿で、勇敢に戦って死んだ戦士たちが迎え入れられる場所〕、「あの世の友達と楽しくやってくれ」
絶望に打ちひしがれた投稿のあいだには、ミソジニーも見え隠れしていた。強烈なミソジニーが脈打ち、そのあまりの激しさに、パソコンの画面を通しても目がひりひりした。女性に対する極度の憎しみを殺○によって表現し、その後に自らの命を絶ったエリオット・ロジャーを称賛するミームが数えきれないほど投稿されていた。ロジャーの写真をフォトショップで加工し、テレビドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ(Game of Thrones)』のタイトルにも含まれる「鉄の王座」(最終章シーズン8の第6話)に座らせ、これが番組の「もう一つの結末」だとほのめかすユーザーもいた。ロジャーが女性に生まれていたらもっと気楽な人生を生きただろうと言わんばかりに、スナップチャットのフィルターで彼の顔を女性に変えたユーザーもいた。
容姿の醜い女性やふしだらな女性を非難する投稿も多かった(「大勢の男とセックスした女が俺の子を産むなんてごめんだ」「俺の母親はとんでもないあ○ずれ女さ」、「よく覚えておけ。お前が惚れてるあの女は、チャドのペ○スを喜んでしゃぶってるんだぞ」といった具合だ)
太った女性への攻撃も激しかった。女性が犯罪や殺○を起こすと、女性は悪魔という説が証明されたかのように、掲示板で報告されていた。レイシストのブログや掲示板はマイノリティによる犯罪を伝える投稿であふれているため、それと同じと言えるだろう。「女ってのはみんな、だらしなくて薄情な売春婦だ」と誰かが書けば、「化けの皮を剥がせ。女は汚らわしいハグレイブンだ。たまたま性器がついているからって、すべて思い通りにしている」と別のユーザーが送信していた(Hagravensとはビデオゲーム『スカイリム(Skyrim)』に登場するモンスターで、老婆と鳥が融合したような姿をしている。魔力と爪で旅人を襲う)。
(「地獄への潜入 白人至上主義者たちのダーク・ウェブカルチャー [ タリア ラヴィン ]」p161-162)
叩くだけでは留まらない暴力、悲劇にまで至ることもある。
私は、性に関する不満のみが聖戦やアメリカの銃乱射事件の原因だと言いたいわけではない。だが、殉教者に七二人の処女が約束され、クリストファー・ハーパー=マーサーがオレゴンで教授と八人の学生仲間を銃撃する前に、「ぼくは、友だちもガールフレンドもいないまま童貞で死ぬ」と嘆くメモを残したのには理由がある。このことは、六人を殺○し一三人を負傷させた、二十二歳のエリオット・ロジャー(3)にしても同じだ。事件前、彼はユーチューブにビデオをアップロードしていた。その中で、こう話している。拳銃を手にしたとき、「ぼくはこれまでになく力がみなぎるのを感じた。『今、誰がボスだと思う?クソ女どもめ』と思った。ずっとぼくを見下してきた女たちのことだ」。
まったくの偶然だが、ハーバー=マーサーがアンプクア・コミュニティ・カレッジで童貞のまま死んだとき、私はオレゴン州ローズバーグの現場付近を友人と車でドライブしていた。あらゆる方向から集まってきた何十台ものパトカーが私たちを追い越していったとき、車の中にはドアーズの曲が流れていた。「自分がはぐれ者のとき、人はよそよそしく見える。孤独なときには他人の顔が醜く見える。自分が望まれていないとき……女は意地悪にしか思えない」。ラジオをつけると、何が起きたのかわかった。銃乱射事件だったと知ったとき、一緒にいた友人のマーティンが「さすがアメリカだね」と言った。もちろん、悲惨な事件はオランダでも起きるが、こんな空恐ろしいことは起きない。こうした不条理な事件を避けるために、オランダでは十代の性衝動にどのように対処しているか、とマーティンに尋ねてみた。…
(3)2018年にトロントの人通りの多い舗道をワゴン車で走って10人殺○したアレック・ミナシアンは、エリオット・ロジャーに送ったメッセージで俗に言うインセル運動〔インセル(involuntary celibate)は本人の意志にもとづかない禁欲者。フェミニズムや近年のMeToo運動に対抗する形で過激な運動に発展しつつある〕に言及し、自分たち2人には不本意な禁欲を強いられているという共通点があると述べた。
だからミソジニーは恐ろしい、頭を冷やせ、対処しろと。
じゃあどう対処しろってか?
手っ取り早い方法は「折り合いをつける」ってことだ。
もう誰にも愛されないだろう、このまま孤独に朽ち果ててゆく。
その運命を受け入れて心臓が止まるまでとりあえず生きろよという話だ。
また、そのような意識的な折り合いをつけなくても、無意識的にミソジニー以外の形で、自らの性的不遇とそれに伴う嫉妬・怒り・恨み・辛みを、発散させる行為がある。
それが「マゾヒズム」だ。
たぬかなの発言の中に、自分を弱者だとする自虐があるように。
この人が賢いのは、いわゆる自分を弱者女性として、弱者男性と同じ目線に貶めることで、一種のSMプレイのような象徴的秩序を作っている点だ。
それを見抜いている人間もいる。
たぬかなのこの弱者男性批判に対して、このような書き込むがあったように。
私も弱者やけど~って予防線張って女割引を当てにしてる姿勢がダサすぎる
炎上芸に徹するならお前らと違って勝ち組なんですーって盛大に煽れよ
この予防線が実は重要だ。
同様の「それがな、私がこれ男やって。結婚してださい言うたらな、結婚してくれる女おらんやん?やろ?」等の女王様の自己卑下。
それは、金にならないちっぽけなプライドを捨て、自分から弱者男性と同じ立場まで降りていくことで、男性側はより女王様とのプレイにリアリティや親近感やグルーヴ感を得ることができる。
それによってスラヴォイ・ジジャクが言うように、マゾヒストが欲望するもの、「女王様(たぬかな)からの罵倒」という、濃密なコミュニケーションを得られる喜びを供給することになる。
似たような話は以前もした。
gyakutorajiro.comマゾヒズムってのは、単に「肉体的・精神的苦痛や責め苦に快楽を見出す者」という単純な欲望ではないって話だ。
マゾヒズムにも多様なレベルがあるってか。
そのマゾヒズムのレベルの1つとして、ジジェクはラカンを引用しながら「ナルシシズム」があると語る。
その理由は、主導権を握っているのが、マゾヒストの側だからだ。この否認の論理こそが、マゾヒスティックな態度における根本的な逆説を理解する手助けとなる。たとえば、典型的なマゾ行為の現場はどのようなものだろうか。男-家来が落ち着いた事務的な態度で、女-主人と契約の条件を取り決める。女が男にすること、どういうシーンを際限なく繰り返すのか、女はどんな衣装をつけるのか、実際にどこまで肉体的な痛みを与えるのか(鞭を打つ強さ、鎖でしばる方法、ハイヒールのかかとで踏む場所、等)について。
双方がマゾ行為のゲームの項目に目を通し終わっても、マゾヒストは常にある種の落ち着いた距離を保ってる。実際に感情に溺れたり、ゲームに没頭しきることは決してない。ゲームの最中に突如として、演出家の立場になって、細かい指示を出すこともある(そこをもっと強く、その動きを繰り返して……)。
それでいて「幻想をぶちこわす」ことは決してない。いったんゲームが終われば、マゾヒストの男はふたたび尊敬に値するブルジョワジーらしい態度に戻り、事務的な口調で「色々とありがとうございました。来週またこの時間でよろしいですか」などとご主人様と話をする。最も内奥にある欲望は、契約や冷静な交渉といったものの対象物とされる。よって、マゾヒズムの舞台の性質は完全に「非心理学的」である。超現実的で情熱的なマゾヒスティックなゲームは、社会的な現実を中断しながらも日常的な現実と簡単に合致するのだ。(9)
(9)これは『ツイン・ピークス』の「非心理学的」世界の論理と同じものである。『ツイン・ピークス』の登場人物は大きく二つのタイプに分けられる。「ノーマル」で平凡な人物(基本はソープオペラの典型的なキャラクター)と、「クレージー」でエキセントリックな人物(「丸太を抱く女」等)である。この二つのグループの人物たちが「ノーマル」なコミュニケーションのルールにのっとって関わり合っている点こそが、『ツイン・ピークス』の世界を不気味なものにしている。「ノーマル」な人物はエクセントリックな人物の奇妙な行動に対して驚いたり怒ったりはせず、日常的な出来事の一つとして受け入れている。
(引用元:スラヴォイ・ジジェク 著,松浦俊輔, 小野木明恵 訳「快楽の転移」p150-151,p385)
たぬかなから罵倒された弱者男性は、それをまるで恋人とのじゃれ合いやカップルの喧嘩のような、濃厚なコミュニケーションだと無意識的に罵倒を快楽に置き換え、錯覚し、その幻想の秩序に同一化して性的な満足や心理的な心地よさを得る。
女王様の言葉で、打線を組んでみたり。
inutomo11.com正常な性的関係、性的充足を満たすことができない弱者男性は、女性からの罵倒や嫌悪感の表明すら、愛情表現に変える欲望の回路を形成し、それによって自己愛を失うことなく自分自身の生存を長引かせることが可能となる。
すなわち、マゾヒズムとは生存政略であり、愛を得るための手段であり、ある種のルサンチマン(奴隷道徳)の内面化だ。相手の嫌悪感情を、無理矢理に愛情表現に置き換えている。
まあ、この件についてはドゥルーズの「ザッヘル=マゾッホ紹介」や、感傷マゾ研究会が発刊している会誌等を読んでからまた掘り下げるか。
kansyomazo.booth.pmだがこの幻想空間は、いつの日か終わりが来るだろう。
たぬかなが強者男性との交際や結婚が報じられた時、この高度なSM的コミュニケーションは虚構だったということ。
愛情表現に変換していたのは自分自身であって、たぬかなは冷静に男性の物理的スペックを無意識的にも意識的にも判断し、パートナーを選んだこと。
さながら、AKB48の岡田奈々が、ライブに来るファン等の男性と一線を画す、魅力を備えた俳優(強者男性)と付き合った時のように。
gyakutorajiro.com岡田奈々は「事物の秩序」から外れた内奥性、神秘的魅力を備えていると。
それゆえに、自分を苦しめる「事物の秩序」を破壊し、解放に導いてくれる存在だと信じていたし、信じていたからこそ供犠を続けていた。
しかし内奥性は失われた。
岡田奈々も、オタク達や、普通の女性、普通の男性と同じ、事物(個体)だった。
俳優とのスキャンダルにより、事物のように見なさざるを得ない現実が現れた。
たぬかなとのそういうった擬似的SMプレイという象徴界の空間も、いずれ壊され、現実界が立ち現れる残酷な契機が訪れる。
すなわち、ミソジニーに勤しんでも、虚構のマゾヒズムに浸っても、幸せになれるとは思えない。
下部構造(性的不遇)を、上部構造(ミソジニー、マゾヒズム)で隠蔽しているんだ。
その話は何度もした。
だから折り合いをつけて生きるか。
せめてKKO(キモくて金のないオッサン)から、KKO(キモいが金はあるオッサン)に生まれ変わって、金や国籍等が目当ての女性と結ばれるか。
その選択ぐらいしか、弱者男性が救われる道はない気もする。
また「弱者男性」という概念、この概念に同一化し、セルフスティグマを強化すると、どうなるか。
斉藤環は、社会的に不利になると言ってるが、その通りだろうな。
彼らを追いつめるのは「働かざるもの食うべからず」とか「権利を主張して義務を果たしていない」とか「親の資産を食い潰したら、今度は福祉財源にたかる寄生虫のような存在」といった価値観です。私はこうした価値観を一貫して否定してきましたが、それはこれらが世間的価値観として極めて強固であるからです。それぞれは一種の「正論」の一面を持っており、ある人たちにとってはまっとうな議論でもあるでしょう。この視点から見ると「ひきこもり」は恥ずべきスティグマになります。
スティグマとはもともと「しるし」の意味ですが、ここでは社会的に個人に押し付けられたネガティブな烙印や負のレッテルを意味しています。精神疾患の診断名のほか、精神病院への通院歴、生活保護や障害者年金の受給歴といったこともスティグマとなって差別の原因となります。
スティグマを内面化したものが「セルフスティグマ」です。自分自身に烙印やレッテルを貼って、自分の存在を恥ずかしく思い、自分で自分を貶めるような意識につながります。こうした意識が強すぎると、みずから社会的に不利な状況を予測してしまい、社会参加を望みながらも、それに向けて踏み出せない状況につながってしまいます。ひきこもりの当事者の多くも、同様です。彼らが自分自身を批判し、貶め、否定してみせるのは、まさにこのセルフスティグマゆえでしょう。言うまでもなくセルフスティグマは、自傷的自己愛の自傷部分を強化してしまいます。
「自分の人生はひきこもることでぜんぶ破壊された」「自分自身には何の価値もない」「生きる価値のない人間」「未来に何の希望も持てない」繰り返しこういった主張を聞いていく中で、気づいたことがあります。
これらの発言のおおもとにあるのは「自分が無価値な人間であるということに関しては、自分がいちばんよく知っているのだから、何人にも否定されたくない」という信念ないし確信です。自分がダメであることについては誰よりも自信がある、という逆説的な確信。だからこそ周囲の励ましは本人の怒りを買うなどして、しばしば逆効果になるのです。
(「「自傷的自己愛」の精神分析 [ 斎藤 環 ]」- 人がひきこもるきっかけ)
「自分は弱者男性だから仕方ない」と。
"弱者男性"という1つの社会集団、そういった人間の特徴を示すスティグマ、概念(ルサンチマン)に同一化することで、仮初の安心感を得ている。
自分で自分自身を概念の檻に縛り付けて「仕方ないよ」と安心する。
いわゆる「折り合いをつける」ってことだが。
それが無意識的に行われている場合は、本当に「折り合いをつけられた」とは言い難い。
そのセルフスティグマに同一化していた幻想(象徴界)が、崩れ去る現実界が訪れる契機が、人生で生きている時に何度も、襲われる羽目になる。
スーパーやショッピングモールで、カップルや家族連れを見た瞬間や。
オレの人生がもし…平均的というか…
ごくまともに推移していたならば…
今頃は…
居酒屋で呑んだ帰り道で一人、急に襲われる孤独感や劣等感。
「弱者男性」なんていう幻想程度で、自分の自己愛や自尊心がキープできるほど甘くはないのが現実だ。
そのため、残酷な話だが。
賭博黙示録カイジの利根川が言うような厳しい言葉は、正論といえば正論だ。
ちなみに正論とは「現実として存在する事実」という意味だ。
翻って言おう
おまえたちは負け続けてきたから
今 誰からも愛されることなく
貧窮し……ウジウジと……人生の底辺を這って
這って這って這っているのだ……!
なぜか……?
それはおまえらが……
ただ負け続けてきたからだ
(「賭博黙示録カイジ 1 [ 福本伸行 ])
遠藤浩次が言うことも正論だ。
どうしておまえが今 そうなのかわかるか……?
教えてやる
金を掴んでないからだ……!
ああ……
金を掴んでないから毎日がリアルじゃねえんだよ
頭にカスミがかかってんだ
バスケットボールのゴールは適当な高さにあるから
みんなシュートの練習をするんだぜ
あれが百メートル上空にあってみろ
誰もボールを投げようともしねえ
今のおまえがそうだ……!
届かないゴールにうんざりしてるんだ
毎日……いろいろな物を「見」はするだろうが
全部ショーウインドーの向こう側だ
おまえには届かない……
その買えないストレスが
おまえから覇気を吸い取る
真っ直ぐな気持ちを殺していく
(「賭博黙示録カイジ 1 [ 福本伸行 ])
金がないから、自分の現実の生活の不満(下部構造)を、上部構造(ルサンチマン)によってカスミ(霞)をかける、誤魔化し続けてる。
中星一番が言うことも正論だ。
死ぬかモテるか、そして後者のモテることを経て手に入れた、配偶者や家族との生活の方が恐らく、自己愛を維持する作用が、"弱者男性"みたいなスティグマ(幻想)に同一化するより、強靭なんだよ。
なぜならそれは、金や性的快楽といった身体性を備えている。
自己愛や自尊心は概念ではなくて、物質的なマネーを使った遊びや、パートナーからの言葉や性行為等によって得られる方が身体に作用する効果が大きい。
翻ってどうだ。
「弱者男性」というルサンチマン、「俺は弱者男性だから~」「私は弱者女性だから~」という、形而上的な概念に同一化したところで、その脆さはもう明らかだろう。
実は気付いているんじゃないのか。
ミソジニーで誰かを攻撃したり、マゾヒズムで一時的な享楽に浸ったり、弱者男性等のルサンチマンを内面化したところで、自分の人生は何も変わらず、QOLも向上していないという残酷な現実に。
「アメリカンヒストリーX」という映画でもあった。
怒りは君を幸せにしたか?
という、デレク・ビンヤード(エドワードノートン)に語る、ボブ・スウィーニー(エイヴリー・ブルックス)の名言が。
少しネタバレだが古い映画だからいいだろう。
まあ怒りは、具体的な加害者がいる場合、発散しなければ甚大なストレスになる場合もあるにはあるが。
gyakutorajiro.com誰なのかわからない、女性や、男性や、ネトウヨや、パヨクや、そういった言葉や概念を使って憎悪を膨らませ、その対象を叩き続けることに、何の意味があるんだ。
金も儲からない、一時的にスッキリするのか?
快楽があったとしても持続性が著しく欠けた、質の悪いものだろうな。
いや、儲かるケースや個人もいるな。
そうやって騙されてる。
自ら燃料となり、そのヘイトを盛り上げるコンテンツの一部となって、ヘイトコンテンツの運営者に金が流れる。
養分となり、搾取され続けるだけの人生。
まるで解けない呪いさ
ずーっとそうなんだからな…
認められず
軽んじられ
疎まれ…
結局はそれに耐えられず落下……
落下に次ぐ落下……
学校でも社会でも……!
落ち続けてゆく落下人生……!
結果……こんな地の底まで堕ちてきて…
なのに……
なのになんだっ……!
ここでもまた負け組かいっ………!
こんな………
こんな地の果てでまた負けるんかいっ………!
なんでいつもこうなんだ……!
なんでオレたちはいつも誰かの「喰い物」なんだっ………!?
ミソジニーも、マゾヒズムも、ルサンチマンも全部、断捨離すべきかもしれない。
いや、ルサンチマンは必要悪でもあるから残るべきかもだが。
ルサンチマンという幻想無しに生きるのは、困難な場合もあるだろう。
また、ミソジニーやマゾヒズムも、一種のルサンチマンでもある。
ロードランナー様の原罪、って人の指摘も正論、1つの現実だ。
b.hatena.ne.jp自分で何も成し遂げられない男たちは、「男はすごい」等のルサンチマンに寄りすがる。
解けない呪いのように、弱者男性は今日も、曖昧で形而上的な奴隷道徳を内面化し、自尊心の拠り所にしながら日々を生きていく。
続き