街歩きして船橋の残酷さを味わった話、まあまあ共感してくれたか。
gyakutorajiro.comよかったよかった。
反出生主義と絡めたコメントもあった。
街づくりとは暴力性を含む行為であり「金が無いやつは来るな」という強欲さによってデザインされた街は排除建築にあふれ公共空間は排他的経済地域に変貌する - 逆寅次郎のルサンチマンの呼吸
- [社会]
出生とは暴力性を含む行為であり、「金も金を稼ぐ能力もないやつは生まれてくるな」という排他性をそもそも含んでいる。この世は地獄だ。人類は滅んでもよい。
2023/01/30 21:14
b.hatena.ne.jp
心理学者ブレネー・ブラウンがいう「自分はありのままで愛される価値がある、と信じている」自尊心、があれば、反出生思想は想像にも上がらないかもしれない。
沖縄から貧困がなくならない、本当の、本当の理由(樋口耕太郎)|ポリタス 『沖縄県知事選2018』から考える
心理学者ブレネー・ブラウン「自分はありのままで愛される価値がある、と信じている」自尊心が大事なのか。ウチナーンチュ気質、頑張る人(ディキヤーフージー)に対するほぼ無意識の「いじめ」かぁ。
2022/10/11 05:13
しかしgoldheadさんが言うように、この日本という資本主義社会に出生された人間においては、金を稼ぐために最適化された身体がデザインされていくだろうな。
それは小学校で、岡本真夜の「Tomorrow」が流されることで示されている。
またアルチュセールは、国家のイデオロギー諸装置の中に「学校」を含めている。
学校では主に上部構造を、国家を担う国民として、労働者として相応しい教育が施される。
例えば岡本真夜の「TOMORROW」が流れ、涙の数だけ強くなろうよそしてアスファルトに咲く花のように強くなれ勉強しろそして働けと、子どもだちに発破をかける。
スガシカオの「労働なんかしないで 光合成だけで生きたい」が流れることはない。
つまり建造物と同様、人間も画一的な価値観(学び、富を生む人間になれ、働けよ)によってデザインされている側面はある。
しかしそれだと非人間的で人権を問われるので。
多様な価値観の尊重、ダイバーシティという美辞麗句を並べ立てるが、現実には支配的な価値観が立ちはだかっている。
まあそんな話はこのサイトで何度もしてきたけどね。
相変わらず異性愛が尊重される。
子どもを産まない・育てない独身者も、労働力の再生産に貢献しないがゆえに、やんわりと、場合によっては直接的に、差別される。
支配的なロールモデルが存在している。
ロールモデル通りに生きられない人間に「落ちこぼれ」のレッテル等を貼る。
もちろん、この社会は優しさと多様性に溢れていると思わせるために、そんな残酷な言葉を口にしたりしないケースもあるが。
だけど反出生主義の話はあまりしてないな。
自分はこの辺は詳しくないので、現代思想を読んでみようかな。
goldhead.hatenablog.com関内関外、怪しいぞ~山下公園、象の鼻テラス…船橋市同様に、排除建築が沢山ありそうだな。
また行ってみるか。
そして反出生主義だが。
インド人の男性が両親を告訴したのか。
この前提に基づくと、ある人が存在する(生まれる)場合には、1) 苦の存在(悪い)と2) 快の存在(良い)、ある人が存在しない(生まれない)場合には、3) 苦の不在(良い)と4) 快の不在(悪くはない)となり、比較した場合に存在しないほうが「正味の利益(net benefit)」がある、といえる、というのがベネターの主張です。
しかし、当然ですが、「苦痛と快楽の非対称性」はあくまで論理的な思考実験に過ぎず、個々人の思想や情緒はかならずしもこれに追従する必要はありません。
まあ確かに総量として、一切皆苦、艱難辛苦が続いた場合、「苦の存在(悪い)」がどんどん増えていくだろうな。
だがその苦しみを人間は誤魔化そうとする。
それゆえに文化が生まれた。
これはジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリが、「アンチ・オイディプス」で語った分裂症的負荷に抗う行為だ。
分裂症とは私たちの病気であり、私たちの時代の病気であるといわれるとき、単に現代の生活が狂気を生むということを意味しているはずはない。
確かに、コードの破綻という観点から見れば、たとえば、分裂者における意味の横滑りという現象と、産業社会のすべての段階で不調和が増大するメカニズムとの間には、平行関係が存在していることは確かであっても、実は私たちが言いたいのは、資本主義は、その生産のプロセスにおいて恐るべき分裂症的負荷を生み出すものであり、そのため資本主義は、抑制の全力をこれに向けるが、この負荷は資本主義的過程の極限としてたえず再生産される、ということである。
なぜなら、資本主義は、自分自身の傾向においてつき進むと同時に、みずからこの傾向に逆らい、これを抑止することをやめないからである。
それはみずから極限に向かうと同時に、この極限を拒絶することをやめない。
(ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス 資本主義と分裂症』p70)
私が「死にたい」と言うとき、私は死にたいわけではない。 心臓の運動を止..
その感覚は「器官なき身体」(器官の組織化が行われる際に生じるそれに抵抗するパワー)だ。資本主義社会はあらゆる評価尺度で増田を組織化してくる。仕事、年収、学歴、配偶者や子どもの有無等。分裂症的負荷が襲う
2022/11/30 18:21
音楽、芸術、小説…あらゆる文化に、ルサンチマンが存在する。
スポーツもそう。祝祭空間の中で忘却する。
カタールワールドカップに対してどういう態度を取れば良いのか - あままこのブログ
文化相対主義と普遍主義の違いがわかった。人権万歳。祝祭空間の渦中にいる時は自分のクソ人生を忘却できる。バタイユがいう宗教の内奥性だ。ワールドカップも宗教同様、心理的不満を解消する防衛機制の役割を担う。
2022/11/26 05:40
特に音楽については、散々、そのルサンチマンの存在をこのサイトで語ってきた。
玉置浩二は「毎日何かを頑張っていりゃ 生きていくんだ それでいいんだ」と言ってるが、んなわけねー!
動物じゃないんだぞ。人間だ。
生きてりゃいいなんてのは動物の話よ。
人間は、動物と違う・・・!
決定的に違う・・・!
生きてりゃいい・・・生きてりゃ十分なんて・・・
誰が思うかよ・・・!
理想があるんだよ・・・・・・!
みな・・・!
みんなそれぞれ理想の男像・・・・・
人間像ってのがあって・・・
そういうものを・・・
目指すから人間だっ・・・!
だから、明石家さんまがいう「生きてるだけで丸儲け」という価値観も、何も築けず生きることしかできない人間を肯定するための、慰めのルサンチマンでもある。
村上龍からすれば「美人は三日で飽きる」という慣用句もルサンチマンだ。
美人は三日で飽きるというのは言うまでもなくブスを自決に追い込まないための嘘であって、ブスは飽きられることさえないのである。
(村上龍『すべての男は消耗品である』)
また、小説にもそういうルサンチマンが潜んでいる。
例えば又吉直樹の「火花」とかな。
特に最後、主演の桐谷健太が演じる神谷、菅田将暉が演じる徳永の、ダイアローグが素晴らしい。漫才は二人でもできない…のくだり。
「この壮大な大会には勝ち負けがある。だからおもろいねん。でもな、淘汰されたやつらの存在って、絶対無駄じゃないねん。まあ”やらんほうがよかった”って思ってるやつもいてるかもしれへんけど。じゃあ、例えば優勝したコンビ以外はやらん方がよかったかっていうと、絶対そんなわけないやん。1組だけしかおらんかったら、絶対そんなおもろくなってないと思うで」「だから1回でも舞台に立ったやつは、絶対、必要やったんや。絶対に、全員必要やったんや」「だからこれからの全ての漫才に俺らは関わってんねん」「つまり何をやってても、芸人に引退はないねん」
このセリフのシーン、これは響いた。
と、俺は褒めたけどよ。
よくよく考えたら、これもルサンチマンでもある。
結局は芸人にはなれたものの、テレビで活躍して稼ぎまくる芸人、資本主義社会の支配的価値観の土俵では成功を収めることはできなかった。
それを納得させるために「俺らの存在は必要だった」と、神谷が語るのは、ルサンチマンではないだろうか?
成功しなかったのに、正当化したよな!?
おっ、韻を踏めたよ。
成功しなかった♪だけど正当化した♪
ってね。
「せい」で韻を踏んでる。
HIPHOPもそうだよ。
jassmazさんは力への意志だと言ったが。
「No music No life」とは何か。それは重力に支配された人間が束の間それに抵抗するために生み出したルサンチマン - 逆寅次郎のルサンチマンの呼吸
人間が重力から抗いたい欲望があるというのは事実と思うがJ-POPに限った話であり、例えばヒップホップにおいては個人と仲間(そして地域)が生存するための武器として機能するので力への意志だと思いますよ。
2023/01/19 15:42
b.hatena.ne.jpまあそういう曲もあるだろうけどな。
薬物問題や人種差別をテーマにしたしラップミュージックもあるように、社会に対して刃向かっていく、エクスキューズを提示していく力への意志を持ったヒップホップもあるかもしれないが。
wordonthestreet.jpそういうのではないヒップホップもあるとは思うよ。
最近では、チル系ラップってやつもそうだ。
ルサンチマンを含むラップミュージックもある。
それは「NO MUSIC NO LIFEは直線的時間を希薄化するルサンチマン」という話で、前にしたけどな。
STUTS - 夜を使いはたして feat. PUNPEE
フィルムみたいな朝もやが デジタル化された記憶を浄化していく。
映像のセピア化は、時代からの逆行だ。
「フィルムみたいな朝もや」のような質感によって、デジタル化された記憶、早さを求められる現代の時間軸に抗い、浄化し、過去に意識を馳せる。
また「太極拳のじじいがむくり起きる」ように、ゆったりとした時間の渇望、先に紹介した時間を停止・滞留させたいルサンチマンも含まれている。
ライブバージョンのアレンジは、小鳥のさえずりなども含まれ、都会的な直線的時間からの逃走を促すプリミティブな雰囲気が演出されている。
俺が好きなハードコアな、現実を抉るようなラップはあまりヒットしない。
田我流のヒットした方、EVISBEATS feat. 田我流の「夢の続き」も悪くないが。
www.youtube.com
「得意のご都合主義と音とユーモアで 心を満たして」「音を止めずに 流れてく日々の上を 泳いでいたい」と。
この曲も、以前紹介した「固体から流体になりたいというルサンチマン」でもある。
資本主義社会に生きる人間、重力に支配されている人間は、常に固体として主体性を持ち、意志を持って勉強や仕事をして生きることを要求される。
それがしんどくなる。
だから流体になることが、救済であり、魂のルフランだった。
エヴァンゲリオンの旧劇場版はまさに、人類補完計画によって人間は固体から流体になっていった。重力の支配から解放された。
結局はチルくなれる曲を聴いて、現実の責任や他人との比較から来る艱難辛苦を希薄化するルサンチマンに浸ってる。
このように、ルサンチマンはありとあらゆるところに存在する。
決して妄想なんかじゃない。
それはドゥルーズ&ガタリが語る、人間がその内面で生み出し、備え持っている抑圧機構でもある。
俺をルサンチマンを抱き続けてる末人(ラストマン)だと馬鹿にするか?
そうじゃねえんだよ。
あんたもだよ。
あなたは直視していない。
俺は直視している。
だが直視すると、危険だから、無意識に避けてる。
自分のつまらない現実を、冴えない日々を、ルサンチマンで隠蔽しているという現実に遭遇したくないからだ!
だってそうだろ?
一例を出そう。
例えば「日本すごい」というテレビ番組だの、そういう言説があるけどよ。
日本版 pic.twitter.com/oa47QDMqBr
— しろ (@seshiro) 2023年1月17日
「東京はインドネシア、大阪はアラブ首長国連邦に匹敵」みたいな。
こういうの見て、安堵する。
ああ、日本人でよかったと。
自分自身で自尊心を傷き上げることができないから、誰でも備えることが出来る「日本人である」という、ちっぽけな民族主義、選民思想、国粋主義で自分を正当化したり自己愛を保つ。
統一教会、安倍国葬について他 - 内田樹の研究室
大日本帝国に漠然とした郷愁を感じているレイシスト、か。ネトウヨはそうかもな。「日本国民」っていうデカい主語に依存しないと自尊心を満たせないんだよな。個人で勝負しても欲望を満たせない日々を過ごしてる。
2022/09/12 18:08
「反撃できない者を徹底的にいたぶる『集団リンチ』と同じ」皇族の結婚問題、生活保護受給者バッシングに“共通するもの” | 文春オンライン
貧しくなり経済的優越感を失ってしまった日本人は、嫌韓・反中の排外主義やナショナリズム等の観念的な優越感にすがる。まさに下部構造を上部構造に置き換えるルサンチマン。<a href="https://gyakutorajiro.com/entry/2022/11/27/175231" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://gyakutorajiro.com/entry/2022/11/27/175231
2022/11/30 21:19
幸福感を感じる。
ヒミズに出てくるパチンコ屋のバイト先にいた内田のような、ただ国ガチャに成功したという事実により自己肯定する。
品性が欠如したシャーデンフロイデ(他人の不幸によって相対的に幸福感を得る)というルサンチマンに満ちた行為を無意識に行う。
(引用元:ヒミズ(3)[ 古谷実 ])いや~~~~~ お互い日本に生れてよかったねぇ~~~~~
日本 先進国だよ 世界に国が何コある?
そのうち先進国が何コある?
その中の一つに生まれて来るなんてまさに奇跡!
ラッキーーーーーーー極まりないね!
なんてカッコ悪い、情けねえんだほんと。
自分自身で築き上げられないから、他人が作ったものや既にある環境を自尊心の拠り所にしちゃうんだ。
金属バットとは大違いだ。
「今年のM-1はおでん屋でタバコ吸って観よか!」金属バットに聞いた、芸人人生のこれまでとこれから
発言が素敵だ。「初手でつまずいてる時点で、張り合うのは無理や。」「芸人のほうがラクやから続けてる」とか。自分を美化せず笑いに徹する、芸人のカッコつけてないのに実は一番カッコいい、を体現してる
2022/12/18 15:27
b.hatena.ne.jp自分ら自身、自分の仕事を全く美化しないこの生き様。
これでいい、というサッパリ感。
これこそ、執着しない境地、無我の境地っていうんじゃないの。
自分の人生に折り合いをつける。
一生懸命が報われない社会でも、サラリーマンは粛々と仕事をすればそれでイイ。
(闇金ウシジマくん(12)[ 真鍋昌平 ])
だから私は一生会社にしがみつきます!何があっても絶対に!!
(闇金ウシジマくん(29)[ 真鍋昌平 ])
それができないと希死念慮が高まり、反出生主義の方に傾いていく。
だから通常は、自分を正当する価値観やイデオロギー、すなわち、ルサンチマンの内面化によって安定的な精神状態を獲得したり維持する。自尊心を守る。
浜田省吾の「MONEY」の主人公の未来予想図は、純白のメルセデス、プール付きのマンションに、最高の女とベットでドン・ペリニヨンだ。
しかしブラウン管の中から、それを現実に、自らの身体に、生活に、回帰させることはできるのか?
「パラサイト 半地下の家族」で、長男のキム・ギウ(チェ・ウシク)があの豪邸を購入し、半地下から出れなくなっている父親を救い出す未来を、現実に回帰させることはできるのか?
できない可能性が高いだろうよ。
永遠回帰を望むが、実際にはそれは果たせない夢として終わるのがほとんどだ。
だから人間はルサンチマンを抱いて、自尊心が引き裂かれないようにする。不満が生じればルサンチマンによって一時的に解消し、自分を正当化する価値観やイデオロギーを内面化し、現状に満足して力への意志を諦めてしまう。ニーチェがいう「末人」のようになってしまう人間も出てくる。
gyakutorajiro.comゆいにしおのルサンチマンがある。
www.youtube.com「息を吸う ここで吸う 生きてく」という単純な生理現象を肯定する。
すばらしい、いい曲だと一瞬、思ったが。
よく聞くと、独身の自分に作用するルサンチマンではなかった。
だって「思い出の中にいつも あなたがい~て~」って唄ってるからね。
つまり愛する対象とか、Dear My friend等がいないとダメってことだよね?
菅原紗由理の「君がいるから」みたいな。
www.youtube.comそれが不在の人間には、どうやってネガティブな感情を抑圧すればいいのだろか?
このゆいにしおの曲は、「真の仲間じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました」というアニメのOPらしいけどな。
辺境でスローライフをすれば、心は安定するのか?
たった一人じゃねえだろ?
このアニメ見てねえけど。ソロじゃねえぞ絶対。
働くおっさん劇場の野見さんみたいに、大晦日で一人で過ごすような回とか作ってみろや。
www.youtube.comぼっち・ざ・ろっく!のぼっちちゃんも、可愛いだろうが。
その顔面の造形に可愛さを残す、ルッキズムが支配的現実であることの証左。
無意味なんかじゃない。
「無意味」で話を終わらせて、現実を直視したくないからだろうよ。
togetter.comそこにはヒットさせるための意図、同一化対象としてキャラクターを愛させるために、嘘をつく。醜女を主人公にしてぼっちのリアリティを高めようとはしない。写実主義よりロマン主義の方が金儲けになる。
伊藤鬼作とかのオッサンを主人公にして、ベース引かせてみろや。
ぼっちちゃんがコミュ力と成績と身体能力以外は完璧だっていつ気づいた?
ぼっちちゃんが伊頭鬼作 <a href="https://dic.pixiv.net/a/%E4%BC%8A%E9%A0%AD%E9%AC%BC%E4%BD%9C" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://dic.pixiv.net/a/%E4%BC%8A%E9%A0%AD%E9%AC%BC%E4%BD%9C みたいな造形の醜女だったら流行らない。マイナス要素盛っても顔面に愛される余地が残る。商業的成功を考えるとアニメはその呪縛から逃れられない
2022/12/25 21:12
b.hatena.ne.jpオッサンが音楽活動に励むアニメ、誰が観るんだよ。
そもそも企画段階でボツか。
「ぼっちでも充実した人生が送れる」「ぼっちでも楽しい音楽ライフが過ごせる」というルサンチマンを含む物語を提供し、その物語に共感して同一化することで、ぼっちである自分を正当化する。
だがそれは真実じゃない。
本当のぼっちに迫ってる、より真実に近いのは、山田花子の方だろうな。
(引用元:からっぽの世界 [ 山田花子 ])
だが山田花子の漫画は流行らない。
結局は商業的成功やグッズ販売等を考えると、かわいい顔面の造形という要素を捨てきることができず、金は美しい顔面に集まり、資本主義はルッキズムの支配から逃れられない。
だからアニメや漫画等のコンテンツの主人公は若い10代や20代が多いし。
そのため年齢を重ねる毎に、精神を安定させるルサンチマンとして、共感しにくくなってくる。
【続編あり】生涯オタクのつもりが… 漫画『36歳で突然漫画やアニメにはまれなくなった話』が刺さりすぎると話題に
辺境でスローライフもそうだ、美男美女を主人公にするセオリーを捨てることはできない。
shinnonakama.com
その商業的縛りの中で、マネー資本主義に疲弊した現代人に刺さる行為を盛り込む。
このアニメではそれが、スローライフだとか、ロハスだとかいう価値観に根差したものなんだろうな。
しかしそこにルサンチマンはないか?
ロハスやスローライフを内面化することで、自分が資本主義社会で敗北したという現実を直視することを避けているのではないのか?
資本主義的支配的価値観を否定する、それを隠蔽するためのルサンチマン、ダイバーシティ。
だからロハスフェスタが生まれた。
www.msp-office.comいやそれは違う、そういう一端もあるかもしれないが、それは言い過ぎだった。
何年か前に大阪のロハスフェスタに行ったが、金が無かったのであまりグッズも買えず楽しめなかったな。
すなわち、ルサンチマンとはありとあらゆる人間の内面に存在するし、物質として顕在化している場合もある。
以前、ルサンチマンは自分のネガティブな感情を抑圧するためのマインドフルネスでもあると言ったが。
gyakutorajiro.com上記に挙げた例から納得してくれただろうか。
そしてその、ルサンチマンを意図的に使って精神を安定させたり、人のルサンチマンを暴いて一喝するのが、自分の仕事。
北斗の拳で喩えると、前者はトキの優しさであり、後者はラオウのような厳しさだよ。
人間が無意識に抱いているルサンチマンを全部、見える化しようとしているつもりだ。
ルサンチマンの呼吸の柱として…と、このような中二病的発言も、現実の苦しみから逃れるためのルサンチマンかもしれない。
そういえば2月は鬼滅が公開だったか、観に行くか。