逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

独身弱者男性が全集中して編み出した、人間の無意識にあるもの全てを顕在化する技を伝授します。

ホリエモンやひろゆきが支持される理由はフロイトがいう「代償」によって疑似的優越感を得られるから

ホリエモン堀江貴文)が、中田敦彦松本人志への提言」とお笑いについて解説してて、それを観たんだ。
この動画よ。

www.youtube.comまあ中田敦彦の話題は散々したからな。
しかし前回の記事も、今日の話題とも少し重なる部分はある。

gyakutorajiro.com踊る大捜査線池井戸潤の作品は、社会的地位が低い者が強者に打ち勝つジャイアントキリングというルサンチマンを供給して支持を集める。

エヴァンゲリオン(旧劇の方)は、自己嫌悪と劣等感が払拭できないオタクや弱者男性等に、皆が死に絶え平等に愛する人と精神的な同一化を果たせる世界(人類補完計画)というルサンチマンを与えて支持を集めた。

自らのコンプレックス、劣等感等、認知的不協和を解消してくれる物語(ルサンチマン)ばかりが流行る。

前回、松本人志の映画と異なり、「踊る大捜査線」や「エヴァンゲリオン」が人気を博したのは、ルサンチマン(嫉妬・恨み・辛み・怒りを解消したり抑圧する物語)が供給され、人間の精神に安定がもたらされるからという話をした。

同様に、ホリエモンの話にも、ルサンチマンがある。
上記の動画の、6分~を過ぎたあたりだ。

ラーメン屋談義と一緒で、誰でも、安く、テレビで、タダで観れるし、なんか短いし話言葉だから、理解できるし。心地よい裏切りが楽しめるし、多くの人たちがお笑い、漫才が好きなのは、理由はわかりました。

ラーメン屋の味に対して、すごいうるさいラーメンおたくとかいるじゃないですか。
なんでそういう人たちがいるかっていうと、日本のラーメンってどこいっても1000円以下で食べれて、味のバリエーションも多いし。
つまり安いし、味のバリエーションも多くて、金持ってなくても、ある意味馬鹿でも好き勝手なこと言える。別に正解があるわけじゃないから。正解があるわけじゃないから。みんなうんちくが言える。

馬鹿なこと言っても、声がでかければ何となく尊敬とかされるみたいな、お笑いの構造、お笑いファンの構造とラーメンおたくの構造は割と似てるなって。

だから僕みたいやつが来るとマジウザいんだろうねってのは、すごいよくわかる。

知能指数下がれば下がるほど、好き嫌いが重要になってくるんで。この人は自分と反対のこと言ってるから嫌い、ってなるんで。

どこにルサンチマンがあるか?
そう、全部だ。
上で引用した話全てに、ルサンチマンが溢れてる。

そもそも何だ、ホリエモンはよ。
ラーメンおたく、俺のことじゃねえか。
高いもの、和牛食ってる方が、和牛マフィアの方が、偉いってか?

www.businessinsider.jp確かに、和牛とか食べたりする方が金かかえるよ。
貧乏人には出来ない趣味だわ。

だがな、「金がかかる趣味=高尚な趣味」だとは、限らねえだろうが?
ラーメンにも奥深さがある。
確かに和牛には、種類やブランドがたくさんあり、サシの入り方、火入れの仕方、調理の仕方等によって、美味しさが変わる場合もあるだろうけどな。

ラーメンにだって、まず麺がどういう麺かという話もある。
例えばそれが能條純一の漫画「ばりごく麺」に出てくる「龍鱗麺」であれば、麺とスープの絡みがよくなるという話もあるし。

solomeshi.net「こね」「湯切り」「糊化」という工程によって、麺とスープの絡み具合、すなわち「美味しさ」が大きく変わってくる、繊細な料理なんだぞ?

solomeshi.net味のバリエーションだけじゃない。
料理人の腕や知性、工程一つ一つによって味が変化してしまう繊細で複雑なアート…それがラーメンだ!

と、ちょっと気持ち悪い神聖化だった。
まあホリエモンの言うことも少しわかる。

ラーメン食べ歩きだとかラーメン談義だとか、安い趣味、金のかからない趣味で、偉そうにしてんじゃねえぞっていうね。

しかし、お笑いやラーメンといった金のかからない趣味を馬鹿にするような態度、決めつけ、思い込み、ラベリングが、差別を生むのではないのだろか?

まあ差別してるけどな、既にしてるんだ。
ホリエモンは「知能指数」だとか「境界知能」とかいう言葉を使う。

そう、実はラーメンおたくとホリエモンおよびホリエモンファンには共通点がある。
それはどちらも「マウンティングによって優越感を得ている」という点だ。

ラーメンおたくは、安い金でラーメンを食い、評論家や先生にでもなった気分でそのラーメンを批評し、自尊心を得る。

ホリエモンの動画を観ている視聴者は、過激なホリエモンの発言に共感し、自分とホリエモンを同一視し、さも自分がホリエモンのような頭がよく社会的地位が高い存在になったかのように錯覚して自尊心を得る。

ラーメン批評が、ホリエモンの話が、ルサンチマン(自尊心を得る手段)として機能している。

八木保樹さんという人の「脅威への対処」という、面白い論文を見つけた。

cir.nii.ac.jpこの論文は、人間の自尊心について、人間が自尊心を得る方法について、深い洞察がされている。

他者との比較や他者からの賞賛が絡んでいる自尊心について、昔から、肯定・否定の両面の評価がある。
マンデヴィル(Bernard de Mandeville)は、恥辱を回避し、他者によく思われたいという欲望、すなわち自尊心こそが、公益と繁栄の国家をつくる、という現実的な評価をしている。

一方で、シェーラー(Max Scheler)は、自他を比較し、優劣によって、自他の価値を判断しようとするのは、「下賎な者」である、と断言している。

ベテルハイム(Bruno Bettelheim)は、ナチス支配下において強制収容所に送られた人びとの記録を残しているが、ショックに耐えることが最も困難だったのは、自尊心を支えるものが社会的地位からくる優越性である人たちであった。この事実は、人間が、信念のような自己の内にあるもので支えられているか、優越性のような外にあるもので支えられているかによって、突然の脅威に対する耐性に違いが生じることを示している。

ストー(Anthony Storr)は、他者に愛され尊重されることによって心理的健康になれると断言する態度に強い危惧を感じている。人生の意味は常に対人関係と結びついていると思うこと、親密な人間関係の中で自尊心を高揚させようとすることが、幸福の鍵であると信じて疑わない傾向に対して異議を述べている。

https://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/641/641PDF/yagi.pdf(p19 ※読みやすくするため改行)

そう、ベテルハイムの研究にあるように、この資本主義社会で生きる人間は、マネーゲームという競争に強制参加させられ、勉強をさせられ、いい大学に行かなければ入れない企業が存在し、そういう企業ではないと高年収を得るのが難しかったりと。

社会構造として、社会的地位や優越性といった差別的要素を多分に含んでいるのがこの社会だ。

では、社会的地位や優越性を獲得できなかった者は、どうやって自尊心を維持するのだろうか?
論文にその一例が紹介されてある。

“No!”  脅威に直面したとき、「私じゃない!」「これは事故だ」など、脅威を否定し拒絶しようとする方法。

①抑圧は、意識にのぼらせない、忘れようとすること。
②自己強化は、ある領域で失敗した後も、その領域の自己の価値を高く評価すること。
価値減損は、失敗した試験、試験の実施者、ライバル、他者一般など、脅威場面に関連する自分以外の対象の価値を低めること。
④合理化は、②や③を使用せずに、もっともらしい理由によって脅威を認めまいとすること。例えば、大きな別の価値からすれば「大したことではない。いい経験だった」とすること。


“Yes, But...”  脅威を認めざるを得なくなったとき、その脅威が自己の重要な領域に関与することを、あるいは自己の全体的な価値に波及することを阻止しようとする方法。

①一致性増大は、「失敗したのは私だけじゃない」という発言に代表される戦略。例えば、課題の困難度や強制されたと主張する。
②一貫性減少は、ある失敗がその人の「真の自己」の反映ではないことを示すための方法。例えば、「努力しなかった」。
③弁別性増大は、今回の場面とは別の場面における自己を「真の自己」とすること。


“Before and After” 以上は、脅威と出会った後で駆使するものとして記述したが、脅威に出会う前に行うこともできる。例えば、脅威に出会ったときのことを想定してセルフ・ハンディキャッピングを行うこと。

https://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/641/641PDF/yagi.pdf(p19 ※読みやすくするために改行)

ここで出てきたな。
ホリエモンによるお笑いファンやラーメンおたくへの態度は「価値減損」だ。

「自分以外の対象の価値を低める」ことによって、自分の優位性をアピールするんだ。
松本人志を面白くないと言ったり、お笑いファンを小馬鹿にする価値減損によって、同じYouTuberとして、同じ経済圏やビジネス領域で活動する者として、中田敦彦中田敦彦の活動を間接的に肯定し、自分自身の価値も高め、ファンを増やそうとする。

ではラーメンおたくの方は?

これも論文に記載されており、同様にこのサイトで幾度か出ている防衛機制「抑圧」や「置き換え」(代償)だ。

抑圧(repression) 脅威(をもたらす対象)を意識しないことによって無意識に留めようとすること。ちなみに学習理論では、「考えない」という反応によって不安が低減されるので、この反応が強化され習慣となったものが抑圧と見なされる。



置き換え(displacement) 特に性や攻撃の衝動を、本来の対象とは別の対象を使って解消したり、代理的な満足を得ようとすること。代償(substitution)とも言う。また、衝動を自己へ向け換えることもある。

https://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/641/641PDF/yagi.pdf(p23 ※読みやすくするために改行)

例えば俺のような低所得、結婚できずモテない弱者男性は、自尊心を維持する方法として、ラーメン趣味などの遊びによって現実逃避することでコンプレックスを抑圧したり、満たされない性欲を食欲(ラーメン)によって代理的な満足を得ようとしているとも言えよう。

「骨董品を収集する」とかもそうだ。

gyakutorajiro.comだからラーメン批評も、ホリエモンのコンテンツ消費も、結局は「代償」行為なんだよ。満たされない欲望を満たすための手段、行動だ。

この「代償」というのは、フロイトが「文化への不満」でも示しているように、多くの人間が行っている。

 
 文化の理想から生まれるナルシシズム的な満足は、文化圏の内部で、文化への敵対的な姿勢を効果的に抑える力ともなりうる。この文化から大きな恩恵をうけている特権的な階級だけでなく、抑圧された階級も、こうしたナルシシズム的な満足を享受することができるのである。それによって抑圧された階級は、文化圏の外部にある人々を軽蔑する権利があると考えるのであり、みずからの文化圏において抑圧されていることの代償とするからである。
 人間はいわば、ローマ帝国において負債と兵役に苦しめられる哀れな下層民(プレプス)なのだが、他の国の人々にたいしてはローマ市民としてふるまうのであり、他の国を征服し、他の諸国にローマの法律を強制する任務に参加するのである。このようにして抑圧された階級は、みずからを支配し、搾取する階級と自己を同一視するのであるが、これはもっと大きな状況の一つの例にすぎない。
 抑圧された階級が情緒の面で搾取する階級と結びつけられ、敵対関係にあるにもかかわらず、支配する階級のうちにみずからの理想をみいだしたりすることもあるのである。このような関係が満足をもたらすものでなかったならば、これほどに多くの文化が、多数の人々の敵愾心にもかかわらず(その敵愾心には十分な根拠があるのである)、これほど長いあいだ維持されてきたことを理解することができないのである。

幻想の未来/文化への不満 (光文社古典新訳文庫) [ ジークムント・フロイト ]

抑圧されている階級、わかりやすい言葉を使うといわば「負け組」だ。
モテない、金がない等、人間は誰しも性的コンプレックスや経済的コンプレックスを持っている。

その劣等感や満たされない欲望を解消する手段として、抑圧された階級は、ホリエモンに寄りすがる。
ホリエモンは「馬鹿にする対象」(ラーメンおたく、お笑いファン等)を用意してくれるからだ。
いわば、上記フロイトにおける他国民であり、ラカン的に言えば「対象a」でもある。

先回私は、対象aは、欲望に対して、つねに原因と関連して現れること、そして対象aはおそらく我々――皆さんも私に従うとすれば――にとって主体の中に原因の機能が作り出される根源の点であるということをお示ししました。原因の原初的な形式は欲望の原因なのです。

ジャック・ラカン 不安 下 [ ジャック=アラン・ミレール ]]p217)

例えば、知能指数だとか境界知能とか学歴の話を持ち出すやつは、自分の学歴等に自信があるが、満たされない性的不遇や経済的劣等感なども同時に備えている可能性がある。
だからその自尊心を補強するための存在(対象a)を求める。
そこで、ホリエモンが提供してくれる「知能指数が低い馬鹿」「境界知能」「ラーメンおたく」といった存在を馬鹿にするような話が心地良いし、無意識的に求めてしまうんだ。

対象a(馬鹿にする対象)なしには自尊心が維持できない。
自分が惨めな思いをしているからこそ、原因(対象a)が供給されることを欲望する。

性的不遇を持つ人間が、ミソジニーミサンドリーを語る論客に共感してしまうのは、理想の男性や女性が手に入れられないがゆえに、その存在を「ネガティブな対象」(対象a)という原因に無意識に置き換えてるからだ。

アンチマンがミソジニー活動に勤しむのも。

b.hatena.ne.jpanond.hatelabo.jp自らの性的不遇を解消するために、性的対象である現実の女性を、馬鹿にしてもいいネガティブな対象(対象a)に貶めることで、手に入れることが出来ない自分自身を正当化して自尊心を保つ必要があるからだ。
アンチ(軽蔑すべき女性)が必要なマン(男)で、アンチマンなのかもしれない。

一人客としてよく通っていたスープストックが、離乳食の無料提供を表明したことに不快感を覚えた。

gyakutorajiro.comスープストックが子ども連れ、家族連れの方に目を向けている。
どうして?独身の私を尊重しないの?

だからこそ、そのスープストックへの嫉妬・怒り・恨み・辛みを解消するべきルサンチマンとして、愛し利用していた対象であるスープストックに文句をつけ、蔑み、貶め、「ネガティブな対象」という原因にすることで、スープストックが自分ではなく別の人間(子連れ、家族連れ)を尊重している現実を抑圧し、自らの自尊心を維持した。

そしてホリエモン同様、ひろゆきも「馬鹿にする対象」を設けるような話の展開をする。

「それってあなたの感想ですよね?」「はいかいいえで答えてください」と、他者を貶める、冷笑するかのような語りをする。
ひろゆきは議論を振りかける。
例えば竹中平蔵や沖縄辺野古で座り込み講義をする人々など。
その時、視聴者は、舌戦鋭く相手を言葉で打ち負かすひろゆきを無意識的に英雄視し、ひろゆきに同一化する。
それは、ローマ帝国の下層民のように、日常生活では決して搾取する側に回ることが出来ず、議論する権利も持たず、被支配階級である自分のネガティブな劣等感やコンプレックスを払拭するための代償行為だ。

そのため、ひろゆきは大概、先の竹中平蔵辺野古座り込みをする沖縄の人々然り、統一教会中田敦彦など、自説をぶつける原因(対象a)を供給する。
同時に、供給した対象を論破しようとすることで、ひろゆきに同調した視聴者は、疑似的に勝利したかのような快感を覚える。

ひろゆきの動画を視聴し、ひろゆきに同一化し、ひろゆきの論破によって、まるで自分が勝ったかのように錯覚している。

整形やダイエットや脱毛は、金を払わなければコンプレックスは解消されないが。
ひろゆきホリエモンの動画は基本タダで、自分のコンプレックスを抑圧したり、相対的優越感を得ることができる。

マウンティング・マーケティング、藁人形マーケティングヒトラーマーケティング(仮想敵を作り上げそれを叩くことで共感と優越感を大衆に供給する)等といってもいいかもしれないな。
マウンティングできる対象、藁人形を用意することで、消費者に優越感を与えてやる。

心地よいヴァーチャル・マウンティングによって、ディベードによる他者の価値減損によって、相対的に自尊心を得ることができ、疑似的優越感に浸る。

〈特別公開〉ひろゆき論――なぜ支持されるのか、なぜ支持されるべきではないのか

ひろゆきルサンチマンの配達員。マウンティングできる様々な切り口を持ってる。満たされない弱者がそれを自尊心の拠り所にする。プライドは高いが所得は高くない中流下流ひろゆき信者は多い気がする。

2023/03/11 21:13

b.hatena.ne.jp

つまり結論として。
ラーメンおたくも、お笑いファンも、ホリエモン好きも、ひろゆき好きも、同じなんだよ!

お前らが馬鹿にするラーメンファン、お笑いオタク同様に!
ホリエモン信者、ひろゆき信者、信者までいかないライトファンもそうだ。

結局は自尊心を得るための手段(ルサンチマン)として、消費している、機能している側面が、多いにある。

劣等感をラーメンやお笑い消費で、抑圧したり、評論によって疑似的優越感を得る。
同様に、劣等感をホリエモンひろゆきのコンテンツ消費、ホリエモンひろゆきが行うマウンティングへの同一化という代償行為によって疑似的優越感を得ている。

だから見下してんじゃねえぞ、ホリエモンは。
あんたらのコンテンツを消費している層も、知能指数が高いは限らないんだ。
なぜなら、満たされない自尊心を満たすため、「馬鹿にする対象」を設け、直接的にも間接的にも自分の人生がうまくいかない原因等に仕立てあげ、優越感を得ている品性のない行為を行ってることに気付いてないからだ。自分を客観視できてねえからだ。

人を見下すEQ(心の知能指数)が低い人間が、どうしてIQ(知能指数)が高いと言える?「EQの高い学生は、IQが高く、より良心的」という話もあるんだからな。

gigazine.net研究チームによると、学業成績の差の7%が感情を管理する能力に関係しており、学業成績の差の12%が感情を理解できる能力に関係しているとのこと。研究チームは、IQは学業成績の差の15%に関係しており、「継続的に努力する」などの性格的特性は差の5%に関係しているという研究を挙げて、「『感情を理解できる能力』が学業成績に与える影響は、IQとほとんど同じくらい」だと主張しています。

によると。学業成績にIQが関係してるのは15%って話だ。
だからいい大学を出てて頭が良いって言われる場合でも、IQが高いとは限らないんだよ。

お笑いファンやラーメンおたくを馬鹿にする行為は、シェーラー(Max Scheler)が語ったように、自他を比較し、優劣によって、自他の価値を判断しようとする「下賎な者」の特徴に該当してる。そういう輩のIQが低い可能性だってあるんだ。

無意識的な衝動によって人を見下す哀れな存在だということを、自覚するんだな。