逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

独身弱者男性が全集中して編み出した、人間の無意識にあるもの全てを顕在化する技を伝授します。

稗田一穂やデ・キリコやクリスチャン・ラッセン等の画家もなろう系を消費する現代人も異次元世界を希求する欲望を抱き続ける

転生したい。
この退屈な日々を抜け出して、異次元の世界で過ごしてみたい。
誰しもそのような欲望を抱いたことがあるだろう。

anond.hatelabo.jpなんでこの世界はファンタジーじゃないのか?俺は屁理屈をこねたコメントしたけどよ。

なんで俺らの世界ってファンタジーじゃないの?

ファンタジーだよ。街灯、ネオン、花火、パチンコ屋の台の明滅…これらは全て「人工的な光」だ。天然じゃない。だから夜、自分が見ている物体全ては光に反射した虚像、ファンタジー。現実は暗闇で真っ暗なはずだよ。

2023/01/30 01:45

b.hatena.ne.jpそういうことじゃないよな…この現実とは全く違う現実を、求めてる。
その欲望を擬似的に叶えてくれるのが「なろう系」というジャンルだろう。

自分も「転生したらスライムだった件」を、アマプラで観た。
これは有名らしいから。

ioritorei.com無職転生も、面白そうだけど。

closetothewall.hatenablog.com転スラにした。

で実際、面白かった。3話ぐらいまで観た。
だが、観るのを辞めた。

たぶん途中で気付いてしまうというか、既に気付いているからだろうな。

なろう系を消費する喜びの奥底には、自らの、この現実の世界から逃げ出すためにフィクションを利用しようとするルサンチマン(奴隷道徳)があるのだということを。
別にそういったルサンチマンは精神の安定に悪いことではないし、大切だが。
冷めてしまった。
やはり自分は「笑ゥせぇるすまん」や「闇金ウシジマくん」のような、現実世界で人間の欲望が色濃く表現された作品の方が好きなんだろう。

日々、プレッシャーを受けながら生きている。
お金を稼がないと生活できないプレッシャー、勉強しないと、仕事しないと、結婚しないと、子どもを作らないと…資本主義社会は、ありとあらゆる形でプレッシャーを人間に与え続ける。人間を苦しめる。

つまりライフ・イズ・プレッシャーライフってことだよ。
Life is Beautiful、ではなく、Life is Pressure Life、名言じゃない?
自分がよく聴いているハウスミュージックにもそんな感じの曲があった。

www.youtube.comThe Little Big BandのPressure、「Pressure Life~!」ってね。

マイケル・ジャクソンもそうだ。
ジャネット・ジャクソンも参加する「Scream」という曲で「Stop pressuring me」(僕にプレッシャーを与えないでくれ!)と、唄ってる。

www.youtube.comだから常に人間は、星飛雄馬が装着していた大リーガー養成ギブスの、見えないバージョンのようなギブスで縛られている。
身体に作用するそのギブスによって、意識は常に不快感に晒される。
「はぁ、もう日曜日、明日から仕事だよ…」「はあ面倒くさい」「リスキリング…勉強する暇なんてねえよ…」と。

そんな不安定な意識の中、日々を過ごす中で。
一枚の絵に、異常に惹かれた。

画像引用元:稗田一穗展 | 和歌山県立近代美術館

www.momaw.jp

稗田一穂という人の「幻想那智」という絵だった。
最初、パソコンの画面越しに見た時は「ここはどこだ?日本なのか?でもなんか変だぞ」という不思議な感じがあった。

しかし他の画像も見ると、どんどん興味が湧いてきて「この画家の絵を観たい」という衝動が湧いてきた。
そしてわざわざ、大阪で仕事をした後に「くろしお」に乗って、和歌山の紀伊田辺市、田辺市立美術館まで行った。

iine-y.com

iine-y.com展覧会は最高だった。
絵を観ている時は、心は穏やかになり、自分の惨めな日々を忘却できたような気がした。

例えば、稗田一穂の「天宇」という絵だ。
画像は、ベンチで撮った時の絵葉書だけどね。

iine-y.com

53|pp.99

天宇 1989(平成元) 田辺市立美術館

天宇は天空、大空を示す漢語。空に繰り返される不変の天体の周期が月に象徴され、太古より地上に積み重ねられてきた人の営みが社殿によって表される。天上と地上に流れる悠久の時間が、画面でひとつに重なって静止している。永遠というものの形象化ともいえる作品である。本作の着想は那智で得たものであり、画面左下に描かれる一条の滝が、この社が熊野那智大社であることを示している。稗田は「表現したかったのは一種の那智曼荼羅の世界かもしれない」*という言葉を残している。(三)

稗田一穂「天宇」『紀伊民報』第14028号、1990年1月1日、9面。

(図録p174より引用)

この絵は稗田が「永遠というものの形象化」を表現しようとしたものだ。
永遠、くるりの曲にもあるように。

www.youtube.comこれはニーチェ永遠回帰の思想にも通じるものがあるだろう。

だがこれは、ツァラトゥストゥラが言う「一瞬一瞬に存在は始まる。それぞれの『こころ』を中心として『かなた』の球は回っている。中心は至る所にある。永遠の歩む道は曲線である」といった、永遠とは違う。

gyakutorajiro.com侏儒およびヘビとワシは、現状を打破しようとしない永遠回帰に従属している。手回しオルガンのような画一化されたメロディの中に没落してしまっている。

そうではないと。ニーチェ永遠回帰が訪れ続けるこの現実においても、それに従属するのではなく、その中で力を発揮して生き続けることができる人間こそが、ツァラトゥストラであり、超人に至る道だと語っている。

ドゥルーズも「差異と反復」において、ニーチェ永遠回帰を同一性への回帰ではなく、差異化する力として捉えている。

中心は自分なんだと。
つまり、円弧が描く軌道が終わらずに永遠に続くとしても、自分の力への意志によって、その円環に影響を与えることができる。

ツァラトゥストラが「あらゆる心理は曲線である。時も円環をなしている」とした侏儒に怒りを示したのは、その意志薄弱な受動的な態度だろう。

そう、つまりラストマン(末人)が抱くルサンチマンとしての永遠回帰だ。
永遠回帰を望む欲望、ルサンチマン
それはこの記事でも語ったように。

gyakutorajiro.com直線的時間に疲弊した人間は、永遠に幸せな時間が続く永遠回帰を音楽として表現する。
だが音楽だけじゃなかった。
絵画もそうだ。

この稗田一穂が永遠を表現しようとしたように。
流れる時間、プレッシャーにあふれた直線的時間を破壊し、永遠の円環的時間に変化させようとする。
いや、本当にルサンチマンだろうか?
それとも力への意志か?

おそらくルサンチマンだろう。
実際、稗田は語っている。

「傷ついた気持ち」なんていうこと[昔に]書いたけどね。(29)一日終わってね、僕なんか駅の近くの商店街とか歩いていてね、サラリーマンなんかね、その日一日行くときの姿と、終わって駅からバラバラと出てくる、随分心境違うと思う。僕はね、一日終わって楽しいこととかね、ウキウキするようなそういう人もいるかもしらんけど、僕はそういう人は興味ないんです。縁が無い。やっぱりその日に自分が傷められたとか、失望したとか、そういう人には僕興味を持つけども。おめでたい人はいいんです。だからそういうことで、そういう人相手に、表現したいと思ってね。帰り道に歩いている人が傷ついたんじゃなくてね。何か色々複雑な気持ちを持ってね。そういう気持ちで描いたんでね。平和だとか、楽しい人は僕は興味ない(笑)。


29 稗田がかつて新聞に寄せた談話のことと思われ、次のように掲載されている。「数年前の個展を機に、いつまでも花鳥風家では同じことの繰り返しだと思いましてね。といって、なまなましい人物ではなくて、クールで冷たい絵。夕暮れどき、傷ついて帰路につく人とか…」(松村寿推・稗田一穂談)「秋 制作ざんまい2 稗田一穂(日本画家)」『サンケイ新聞』(夕)、1983年10月13日。
(図録p167)

おめでたい人には興味が無い。
つまり、直線的時間のストレスに耐えられることができ、人生を普通に謳歌できる人間。
資本主義社会の要求に応じ、普通に結婚でき、子どもを作り、過ごしている人間ではなく、以下のような人間に稗田は興味を持つ。

オレの人生がもし…平均的というか…
ごくまともに推移していたならば…
今頃は…

(画像引用元:最強伝説 黒沢 1 [ 福本伸行 ]

稗田一穂が寄り添ったのは、この直線的時間で管理される資本主義社会において、性的にも経済的にも欲望を満たすことができる人間ではない。

最強伝説黒沢」における黒沢であり、島耕作シリーズにおける今野輝常の方なんだ。

今野さん
あなたは今まで
人から好かれたことがありますか?
たとえば一番身近にいる
ご家族はどうですか?

おそらく
誰からも好かれて
いないでしょう
あなた自身も
それはわかっているから
遂にひらきなおって
人に好かれる努力を
しなかった……

これから
年をとってゆくと
孤独になるのが
いちばんの敵です
人に好かれる努力を
しないと
本当に孤立した
老後を迎え
淋しいまま人生を
終えることに なりますよ

(画像引用元:部長 島耕作(12)[ 弘兼憲史 ]

だから楽しい人からほど遠い自分も、「稗田一穂」の絵に惹かれたんだろうな。

この現実とは違う世界を、今でいう「なろう系」のような異次元を、リアリティを保った形で稗田は表現しようとした。

デ・キリコというイタリアの画家も、「イタリア広場」という絵画で、この世界ではない形而上の世界を描こうとした。

一般に、キリコの形而上的絵画は、「イタリアの広場」シリーズに本来の源泉があるといわれる。17歳のとき、父を亡くしたキリコは、母、弟と共に幼少時代を過ごしたギリシア、イタリアを一時的に離れて、ヨーロッパ各地に暮らすことを余儀なくされた。そのゆえにか、キリコのギリシアとイタリア、なかんずくイタリアへの憧憬と郷愁はことのほか強い。事実1945年以後イタリアのローマを定住の地と定める以前から、キリコのイタリアへの思いは、病的なほどであった。

だが、本図からわかるように、キリコのイタリアは現実のイタリアではない。これは偉大なルネサンス期のイタリアであり、あるいはニーチェショーペンハウエルから啓示を受けた形而上的絵画の画家としてキリコが生みだした仮象のイタリアである。光と影のコントラストが鮮やかな前景のアーケードのある広場の真ん中に、アリアネドの像が横たわっている。道景に配された旗のはためく巨大な塔が、白日夢のごとき不思議な憂愁と不安をかもしだす。また、キリコには珍しくヨットが描かれている。キリコの形而上的絵画のなかでも奇妙に心ひかれる作品である。

シュルレアリストたちは、キリコのアーケードと塔のある絵について、「海(ラ・メール)はどこか?」というアンケートを出した。フランス語で、ラ・メールは母(ラ・メール)でもあるから、この問いは「母はどこか?」の問いととれなくもない。これに対し、アンドレ・ブルトンは「塔のうしろ」と答え、ポール・エリュアールは「アーケードの中」と答えた。塔を男性の象徴とみたて、アーケードを女性とみたてたシュルレアリスト特有のフロイト的解釈である。キリコが怒りを通りこして、彼らとの差を如実に感じたのも当然だろう。


(引用元:ヴィヴァン 新装版・25人の画家 (第25巻) デ・キリコ

そう、形而上的絵画には、プレッシャーに溢れたこの世界から脱出したいという欲望が潜んでいる。

その欲望とは、永遠回帰の欲望であり、現実という直線的時間を変化させたいという衝動だ。
変化というと力への意志を感じるが、しかし変化させず滞留する場合もあるだろう。
だからこそ形而上的絵画には、ルサンチマン力への意志が同居している。

このルサンチマン力への意志が同居しているという話は、ニーチェの解説本にもそれに類する話があった。

だがツァラトゥストラは人々の様子を見て不思議に思った。そしてこう語った。
 人間は、動物と超人とのあいだに渡された一本の綱である――深淵の上にかかる綱である。
 渡り行くのも危険、途上も危険、振り向いても危険、戦慄するのも危険、立ち止まるのも危険。
 人間の偉大なところは、人間は橋であって目的ではないことだ。人間の愛すべきところは、人間が過渡にあるものであって、没落であることだ。
 
 (『ツァラトゥストラ』「序説」4)
 
「人間」から「超人」への変容は、「没落」あるいは人間の反応的な信仰の破壊なしにはありえない。
われわれが経験できる「もっとも大いなる事柄」は、幸福、理性、徳、正義、同情といった考え方が、われわれが自分自身の意志を肯定するのに邪魔だと思えてくる「大いなる軽蔑の時」である(『ツァラトゥストラ』「序説」3)。

これらの考え方が反応的だというのは、それらが生から切り離され、われわれの行為や態度を制限する道徳的拘束と化してしまった力の現れだからである。ツァラトゥストラは、能動的な力を変容させて、生に審判を下し、生を否定する固定観念へと変えてしまうことに対して一貫して罵りの言葉を浴びせている。
「私はきみたちに懇願する、わが兄弟たちよ、大地に忠実であれ、そして超地上的な希望を語る者たちを信ずるな!」(同)。

ここで言われている「超地上的」という表現は、「神」ばかりでなく、その他の、人間の能動的力を人間の自己実現から切り離してしまうようなすべての超越的な理念でもありうる。「信ずるな」という言葉は、なぜ「人間」が橋であり、目標ではないのかを説明している。

しかし超人を、人間が次第に発展して到達する最終的な段階、あるいは発展の目標とみなしてしまうような解釈は、すべての「人間」一般に当てはまる図式に個々人を適応させることになり、反応的な形で上昇を抑制する生の理念をふたたび作り出して、その理念によって生に審判を下すことになってしまう。このような想定をツァラトゥストラは「最後の人間」を描くなかで揶揄している。存在の意味をすでに見つけてしまったと主張する「最後の人間」は、生きることに疲れ、能動的な感動や挑戦を経験することができない。これとは違って、超人は人間の到達する「目標」ではなく、反動的な価値を力の能動的な肯定へと変えるプロセスなのである。

フリードリヒ・ニーチェ (シリーズ現代思想ガイドブック) [ リー・スピンクス ]p210-211)

そう、人間とは目標ではなく橋であり、超人とは目標の到達点ではなく能動的な力への意志を肯定して現実に立ち向かい続けるプロセスであると。
すなわち、人間と超人は橋で繋がる同一線上にあり、ルサンチマン力への意志の同居もあり得る話だろう。


稗田一穂やデ・キリコの絵は、時間や空間を変えようとする能動性、力への意志が見受けられる。
そして決して、現実ではない超地上的なユートピア(理想郷)を生み出すという営みには留まらない。

一方、クリスチャン・ラッセンの絵に描かれている、光輝く海や、美しいイルカや鮮やかな魚は、分かりやすい理想郷であり、それはヤンキー性とも言われたりもしている。

aniram-czech.hatenablog.comヤンキー性とは、例えばスシローペロぺロ事件にもあったように。

b.hatena.ne.jp本当は警察や軍隊や国家の司法制度といった強大な力に刃向かうことが出来ない。

news.livedoor.comが、ついこのような度胸試し(チキンレース)をやってしまう。
また、ルイ・ヴィトンや改造車、ジャニーズやEXILEといった人気があり強大な力を持つカリスマ的存在、派手な彩色で理想郷を描くラッセンを消費する。

おそらくその行為によって、疑似的に自分が強くなれたような気分に浸り続けているメンタリティではないだろうか。

しかしそれは結局は、反応的な態度だ。
自分の弱さを、誰かが生み出した強大な神的な存在に寄りすがり、その信仰によって自尊心を維持する人間。
ラストマン的であり、超人とはほど遠い。

最近、最もツァラトゥストゥラ、超人に近い人間を誰か一人挙げるとすれば、この星乃ロミという人だろう。

www.youtube.com法律に抵触しないという制限下において、道徳や正義といった価値観を脇におき、リバースプロキシという技術等を能動的に作り出し、力(マネー)を手にしようと意志を持って行動した。
別にこの人が行った行為を肯定するわけではないが、ニーチェがいうツァラトゥストゥラに近いような気がする。
そうなると「超人」には道徳性や倫理はないのか?という疑問も湧く。だからヒトラーに利用されたというのもある。
もう少しこの「超人」概念における道徳性や倫理について、ニーチェが語っているのであれば文献から探さないと判らないが。

稗田一穂やデ・キリコに戻ると、どうだろうか。
彼らの形而上的絵画は、自分の無意識や無意識の願望の投影という点で、ラッセンの絵画と共通点もあるような気がする。

しかし稗田一穂の絵は、決して楽しそうな図柄ではない。
陰鬱な雰囲気、怪しい異世界のような雰囲気すらまとっている。
実際、稗田の絵画をこう評する意見もある。

 

この「補陀洛那智」(ふだらくなち)という絵画だ。

※画像は稗田一穂展の図録より。

まだ在庫があるかは不明。在庫の有無は「田辺市立美術館ミュージアムショップ」に確認が必要

www.city.tanabe.lg.jp

■補陀洛那智 1987(昭和62) 個人蔵

大滝を山中に擁する那智は、古くから補陀落(観世音菩薩の住む西方の浄土)への船出の地として、信仰の対象となってきた。この一帯の印象を、稗田は「妖しくも美しい雰囲気は、他に類を見ない鮮烈な私達の魂への振動がある。人の心を瞬時に異次元の世界に持ち去る異様さがある」*と記している。鋭敏な感性がつかみとったこの地からのイメージを、稗田は1970年代の後半から最晩年まで繰り返し表現し続けたが、本作のように那智山を俯瞰して描いた作品は少ない。画面右下に描かれる海は、かつて行われた補陀落渡海 を想起させ、磯馴木、桜とその奥のひっそりとした薄暗い山中は、この世ならぬものが潜んでいることを暗示するのであろう。壮麗な風景画であるが、この地に蓄積されてきた信仰の歴史も巧みに表出されている。

 

*稗田一穂「悠久なる神爆那智」『紀伊民報』第13399号、1998年1月1日、11面。


(図録p174より引用)

妖しさや異様さ、つまり決して、ユートピアを描いているわけではないということ。
もちろん、現実とは異なる熊野を描き、熊野の幻想的世界を描いて現実の辛苦から逃れようとする反動的なルサンチマンもあるかもしれないが。
逆に、現実の景色や対象を受け入れた上で、自らの新たな価値を絵画に込め、その対象を変容させようとする能動性があるような気もする。

その葛藤が見受けられず、誇張した理想郷を提示しているラッセンの絵画は、どこかリアリティがなく、それゆえにヤンキー的だと揶揄されるのだろう。
つまりラッセンを消費する人間は、ニーチェが非難する、現実の艱難辛苦に溢れた世界からの逃走、理想郷の消費という反動的なルサンチマンがある。

しかし結局………自分も、稗田一穂の絵画を、ルサンチマンとして消費した。
疲れ切った現実の日々から逃れようと、稗田が描いた異次元の熊野に没入する。

稗田一穂が、永遠を形象化したという「天宇」。
その絵画を鑑賞し、仮初の永遠に一時的に浸るが。
絵画鑑賞も、映画のように、終わりがある。

「美しい永遠の世界が存在する!」「肉体を放棄してアセンション(次元上昇)できる!」といった奴隷道徳を信仰したころで、結局は自分の身体的衝動によって、それがフィクションであると気付かされる。
自分に飯を食べさせるために仕事をしなければならない。

美術館を出て、帰宅し、また明日から労働をしなければならない。

そのため美術館を出て、紀伊新庄駅からバスに乗った。

iine-y.comそのバスの道中、「なんだあれは!?」という光景を見た。
山の上に巨大建造物がある。

それは自分が生きてきた人生の中でトップ5には入るだろうか、神秘的な光景だった。
あの建造物が忘れられず、旅が終わった後に調べた。

morizin-nfl.hatenablog.com●田辺大塔辺りの311号線で、妙な建物が富田川向こうの山の上に発見。google mapでは、「天爽会(てんそうかい)」の建物らしい。その左側に「宗教法人天爽会御聖地」と看板がある。

鮎川新橋という橋の近くにあった。
youtubeで紹介もされている。

www.youtube.comここに行けば、欲望や煩悩から解放されるだろうか?

ここに行きたい好奇心は湧いたが、唯物論者の自分が行っても「またルサチマンを見つけたぞ」という感想になってしまう気もする。

ハイデガーが言うように、この直線的時間のプレッシャーにあふれた資本主義社会ではない、心の故郷を求めてる。


「漂白とは、諸国をめぐり歩く放浪者のことではなく、ほんとうの心の故郷を求め続ける人間の意志的行為である」という意味のことを、哲学者ハイデッカーは言う。国籍に複雑なところがあったキリコの場合、漂白ないし放浪の旅は、この現世のどこか仮象のものではない現実の故郷を固着させるという物理的欲求のほかに、永遠に心休まる魂の故郷を求め続けるという精神的欲求が重ね合わされていた。

(引用元:ヴィヴァン 新装版・25人の画家 (第25巻) デ・キリコ

心の故郷は、稗田一穂やデ・キリコラッセンが描いたように、絵画の世界にしかないのだろうか。

現実には、ないのか。

「政治の話」が自らの性的不遇や経済的コンプレックスを隠蔽する防衛機制やルサンチマンとして機能している

先日は転移性ミソジニーの存在について、プレゼンしたが。

gyakutorajiro.com中にはその存在はあると共感してくれた人もいただろう。

そしてブコメを読むに、相変わらず「whataboutismだ~」というコメントもあったな。それについては前回、反論を書いたのに。

note.com五輪談合と、Colabo・仁藤夢乃氏の問題を同列に語れる理由は「日本の公金・税金に関わること」という点で、スコープが同じだという主張をした。
同じスコープなのにColaboだけ執拗に取り上げるのは、そこに金銭の大小以外の理由があるんじゃないか?と。
その理由が、自らの無意識にあるミソジニーだと。

でもその、自分のnoteの意見には言及してくれることなく、またwhataboutismか。
まるで、ロールプレイングゲームで同じことしか喋ってくれないキャラクターみたいだ…。
まあでもみんなそんな暇じゃねえか。
読んでくれないわな。

あままこさんのこの、そっちこそどうなんだ主義の記事にあるように。

note.comこのwhataboutismの行く果ては「この世のすべての社会問題に声を上げてからしか何も言えなくなる」と思うけどな。

そして俺の意見は「AするならBもしろ論法」だとリンクを貼ってくれた方もいた。

幸色のワンルームを批判したポリコレマンはこのドラマも批判しろよ

自分の観測範囲だとすでに批判されてるよ。ただこれだけは言わせてくれ。「AするならBもしろ論法使う奴は、世界中の飢饉がなくなるまで飯食うな」

2018/07/16 20:04

b.hatena.ne.jp
使ってない。俺はそんなこと言ってない。
「なぜ、私達の公金・税金の使用使途の不適切使用という社会問題において、A(Colabo)よりもB(五輪談合)の方が断然、規模も金額も大きいのに、Aばかり取り上げるのはなぜか。そこにはミソジニーがあるのではないか」といった趣旨の話はしけどな。

話なんて逸らしてないぞ。
逸らしてなんかないし、Colaboも注目してくれたらいい。

Colabo叩きの背後に存在する「お前ら女達は俺を愛さなかったからお前らに金をびた一文も出したくない」という転移性ミソジニーについて - 逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

この手のやつ、五輪談合とColaboが「同種の問題」と認識してるってことだよね。その上で、同じ種類の問題を批判する声を応援するでなく「そっちに注目するな!!」って話逸らそうとするのなんでだろうね

2023/02/04 08:25

b.hatena.ne.jp好奇心だ。なぜ公金チューチュー問題において叩く対象としてColaboを選ぶ人が多いのか?それを問うている。

暇空茜氏はわかる。もちろん、公金不正使用疑惑という金の話(下部構造)をしているはずなのに、なんか「共産党と強いつながりがあるColabo代表仁藤夢乃さん」という口上、そういった党派性やイデオロギー(上部構造)を混ぜこぜにする点は共感できないが。


温泉むすめなど自分が愛するコンテンツを非難されたことについて、個人的な私怨を潔く表面していたと思う。だからColaboを追求する、その動機については共感できる余地がある。


ただ、関係のない第三者が暇空茜氏に共感し、Colabo叩きという祭りのようなものに参加し、一緒に叩く人がなぜ多いのか。
そこに興味があるので、問うているんだよ。

ちなみに上記で紹介したブコメにあるような、人の主義主張を歪めて叩く論法を「ストローマン手法」と言うらしい。

ja.wikipedia.org宇多田ヒカル「有名無名問わず、誰かがメディアでした話から別の誰かが一言だけ抜き取って、文脈から切り離してネットで持ち出して、そこから少数派を除いた多くの人がソースの文脈を参照しようとしないまま自己投影に基づいた批判や擁護(つまり妄想)のたたき台にして論争が繰り広げられる現象」と定義した。

dailynewsonline.jpだから藁人形論法のコメントをしてた人もいたけど、どっちなんだよ使ってるのは。
俺は首尾一貫して、同じ主張をしている。
藁人形なんて設けてない。
金の話、税金・公金の使用用途についての話をしてるんだよ。
去年からしている。

gyakutorajiro.comトップブコメもそうだ。

Colabo叩きの背後に存在する「お前ら女達は俺を愛さなかったからお前らに金をびた一文も出したくない」という転移性ミソジニーについて - 逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

もはやColaboに関して追求するのはミソジニーで格好悪い、しか言うことが無くなってしまうと言うところまで後退してしまっていてしんどそう。

2023/02/04 02:36

b.hatena.ne.jpこれもストローマンだよ。
「Colaboに関して追求するのはミソジニーで格好悪い」なんて言ってないし、誤解も誤解だ。
かかし論法によって俺の意見は印象論にまで捻じ曲げられ、説得力のないものとして貶めたつもりなんだろう。

なぜColaboなのか、そこを俺にではなく自分に追求していき、その結果を俺に教えてほしいというお願いだよ。
ミソジニーなんかではないのか?
女性を嫌悪する記憶や出来事や思想等ではなく、客観的なファクトだけで怒っているんだと、言い切れるか?
怖いんだろう?
自分の無意識に迫っていくのが、自分の中の苦い記憶やコンプレックスやミソジニーと遭遇するのが。

人は誰しもトーテムを持ってる。
その話は前にもした。

gyakutorajiro.com帰省先の母・すみれ(工藤夕貴)との対峙、母からの言葉、
「くるみはこうして投稿してくれるから 私も島のみんなも元気を貰えてる」
「東京で頑張ってほしい。応援したいんだ。」
「そりゃあさあ、若いんだもん、失敗だってあるよ。でも年を取って思い出すのは、何を失敗したかじゃなくてその時にまた立ち上がれたか くじけるもんかまだまだやれるこんちくしょう!ってね」
「だから・・・何度でも立ち上がってほしい」
といった言葉によって、それはトーテムとなり、活力として再び立ち上がる燃料となる。

トーテムとは、自分の自尊心を維持したり精神を安定させるための言葉、お守り、記憶、思想、などなど。

映画「インセプション」を観たか。
この映画ではトーテムは、「ここが現実だ」という楔として機能する。

自分のトーテムを見失うと、自分が夢にいるのか現実にいるのか、わからなくなるみたいな描写があっただろうよ。


そう、心地よい夢の中に居続けるために、トーテムを消した。
「現金」というトーテムを、無いものにしていないだろうか。

なぜ自分は、中抜きブルシット業務で公金チューチューしている広告代理店や人材派遣会社の人間よりも、Colaboや仁藤夢乃氏の方を問題視し、怒りを覚えているのか。
もう1度自分に問うてみろ。
インセプションでディカプリオ演じるコブが第三、第四階層に降りていったように、自分の無意識に迫ってみるんだよ。

でも好意的なコメントもあった。

Colabo叩きの背後に存在する「お前ら女達は俺を愛さなかったからお前らに金をびた一文も出したくない」という転移性ミソジニーについて - 逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

利害関係で態度を取る変えるべきではないというのは、まさしくそうだと思いますよ。

2023/02/03 23:45

b.hatena.ne.jpそうだよね?
やっぱり正義を振りかざすんだったら、個人の経済的利害から完全に逃れるのは難しいかもだけど、そこは踏ん張ってほしいと思うよ。

三浦瑠麗氏のような、自分の私的な利害から、旧統一教会への献金や宗教虐待等のファクトを無視して、十把一からげに「競馬でスったって同じじゃないですか」という国際政治学者に、正義を感じるか?

gendai.media普段は歯切れのいい語りがウリの瑠麗氏だが、旧統一教会問題については安倍晋三元首相への思慕の念からか、その献金問題を《競馬でスったって同じじゃないですか》などと擁護するような発言を繰り返してきた。

俺は感じないけどね。

Colabo叩きの背後に存在する「お前ら女達は俺を愛さなかったからお前らに金をびた一文も出したくない」という転移性ミソジニーについて - 逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

素晴らしいブログでした。筆者もミソジニーになりかかる厳しい瞬間が書いてありますが、苦痛を自分の血肉として、乗り越えてきたのだと思います。私はこのブログからミソジニーの人に対する優しさを感じます。

2023/02/04 05:56

b.hatena.ne.jpありがとう、そうよ。わざわざ自分の実体験まで出してね。
「Colaboを叩いている自分、もしかしてミソジニーじゃないのか?」とね。
それをわかりやすく、自問自答する方法を、こちらは実例をもって提示してあげたんだけどね。

Colabo叩きの背後に存在する「お前ら女達は俺を愛さなかったからお前らに金をびた一文も出したくない」という転移性ミソジニーについて - 逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

「政府を批判している奴は全員反日」ぐらいに雑なことを言っているという認識ができなくなってしまうのが怖いところ。

2023/02/04 11:33

b.hatena.ne.jpそうなんだよ。
雑なストローマン論法で、問いを無視するんじゃないってね。

また、俺の意見への反論として生産的なコメントもあった。

Colabo叩きの背後に存在する「お前ら女達は俺を愛さなかったからお前らに金をびた一文も出したくない」という転移性ミソジニーについて - 逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

五輪はもう立件されてるけどColaboは無実を嘯いて叩く側を攻撃してるから腹が立つし、もし共産党や都、国が絡んでるならもう金額の問題じゃないんだよ。金の話は氷山の一角と見てるわけ

2023/02/04 09:28

b.hatena.ne.jp確かにこれは少し納得した。金額の問題ではないと。
なるほど、Colaboは罪を認めない、潔さが無いと。


まあ別に俺もColabo擁護してるわけじゃないしな。
仁藤夢乃氏にもなぜかツイッター、ブロックされてたし。
rlightさんが言っていることが概ね、自分が話したいことだから。

Colabo叩きの背後に存在する「お前ら女達は俺を愛さなかったからお前らに金をびた一文も出したくない」という転移性ミソジニーについて - 逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

別にColaboを擁護しているのではなく、Colaboを熱心に追求したり叩いたりするのはミソジニーを根底とした感情がありそこに自己欺瞞があるのでは、といった指摘、と読み取った。

2023/02/04 12:44

b.hatena.ne.jpこのhalfneetさんの意見も生産的だった。

Colabo叩きの背後に存在する「お前ら女達は俺を愛さなかったからお前らに金をびた一文も出したくない」という転移性ミソジニーについて - 逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

&quot;同様にColaboは、100億円いくのか?ちゃんと説明してみろ。&quot; はい364億(7p) <a href="https://www.mhlw.go.jp/content/11920000/000855183.pdf" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://www.mhlw.go.jp/content/11920000/000855183.pdf

2023/02/04 13:21

b.hatena.ne.jpちゃんとpdfの資料を貼ってくれてね。
どれどれ、拝見。
7pに書いてる、「R3予算:213億円の内数→R4概算要求:364億円の内数」と。

いや違うやん。
これColabo以外の女性支援団体とかも含まれてるし。
364億円の1/3が不正利用された場合は、100億円いくかもだけど。
支援された団体の全てが、支援金額の3分の1も不正に利用できるなんて、自治体の審査や監査はそんなにザルなのか?
そんなザル審査が通り得ると考える根拠や分析は?
それを聞かないと、3分の1も不正利用が通るなんてのは信じ難い。

まあでもこういう意見の方が発展性もある。
逆に「反日左翼だ~」とか、ひたすら罵詈雑言してるだけのコメントはダメだ。
感情的で話し合うことができない。

ミソジニーで済ますな」「レッテル貼るな」ってコメントも違う。
誤読している。
ミソジニーが原因でColaboを叩いてる、なんて乱暴な話をしているわけではない。
これらも先述した藁人形論法、ストローマン論法だ。

「公金不正利用疑惑において、金額の大きい五輪談合よりもColabo叩きに走ってしまうのは、そこに個人的な私怨やミソジニーがあるんじゃないか?」という話だよ。

皆は腹が、立たないのか?
Colaboで支援されている女性は、恵まれない女性だし貧しい。
そんな女性よりも、五輪談合に群がる広告代理店とか人材派遣会社の社員の方が金を持ってる。
俺たちがオリンピックの会場で資材を運び、設営業務で汗を流している時に。

日払いの人材派遣は、毎日違う現場で疲れる。

毎日違う仕事仲間で心底疲れる。

自分のコトを知っている人間がいない職場はとても辛い。

まるでモノ扱いされてるみたいだ。

闇金ウシジマくん(9) [ 真鍋昌平 ]

クーラーの効いた部屋で仕事をし、夏や冬にはたっぷり中抜きした公金も原資としてるであろうボーナスを、何百万も得ているんだぞ。
生臭くて安いサバの塩焼きを食べているエッセンシャルワーカーがいる一方で、高級なイタリアンでアクアパッツァを食べている中抜きブルシットワーカーがいる。
俺たちの税金を中抜きして、高給取って、いいマンションに住んだり美味いもの食ってるやつの方に腹立たないのか?なぜ貧しい女性に腹が立つ?

なぜ、金持ちサラリーマンに金が流れることより、貧しい女性に金が流れることに怒りを覚える?

自問自答してみるんだ。

まあはてなブックマークは頭いいビジネスエリートとかも中にはいるかもだから、自分のステークホルダーにはやんや言わないのかもだけどね。

「AするならBもしろ」じゃない。
「公金不正利用もしくは疑惑は、Bも、Cも、Dもあるのに、なぜA(Colabo)が叩かれ、炎上するのか」だよ。
そこが謎、ミステリーなんだよ。
だからそのミステリーの回答として、転移性ミソジニーを提示したわけだ。

Colabo叩きの背後に存在する「お前ら女達は俺を愛さなかったからお前らに金をびた一文も出したくない」という転移性ミソジニーについて - 逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

サブタイトルがいい味出してる。

2023/02/04 18:45

b.hatena.ne.jp気付いてくれたか。
このブログのサブタイトルは「独身弱者男性が全集中して編み出した、人間の無意識にあるもの全てを顕在化する技を伝授します。」だ。

そう、このサイトは、決して政治的イデオロギーを垂れ流すものでも、どこかの政党を支持する言説を流すサイトでもない。
右翼だとか左翼だとか、そんなのはあまり興味ない。
そのような政治的イデオロギーよりも、真実が眠ってるであろう無意識をテーマにしている。

俺はジル・ドゥルーズの経験論やニーチェの哲学を好むので、下部構造(身体、性、金、仕事など)の方に真実があるとする唯物論的な考えを持っているし。
上部構造(イデオロギー、宗教、思想など)は、下部構造の副産物であったり、下部構造の不具合を調整するための二次的な代物と考えている。

このサイトでも、人間がいかにルサンチマン(奴隷道徳)という上部構造を利用して、自分の下部構造のストレスを抑圧しているかを語り尽くしてきた。

だから政治の話なんかしていない。
興味あるのは人間の無意識と、そして、無意識の内で機能しているルサンチマン(奴隷道徳)だ。


半沢直樹を観たか、ファーストシーズンの方だ。


ネタバレになるが、近藤直弼(滝藤賢一)は、半沢直樹堺雅人)を裏切った。
あれは「過去から築き上げてきた友人との友情」よりも、「現在の婚姻関係にある家族との豊かな生活、すなわちマネー、欲望」を優先したんだ。
上部構造(友人との思い出、記憶、価値観や善悪など)よりも、下部構造(マネー、生活)が勝った。

翻って自分はどうだろう?
自分の、もやがかってる下部構造、みようとしない無意識。

Colaboが不正にチューチューしたマネー、それは下部構造、現実の問題だ。
同時に、五輪談合に関係した会社たちが不正にチューチューしたマネー、それも下部構造で、現実の問題だ。
同じスコープの問題だが、前者を優先する理由はなぜだろう。
自分の中の正義や思想や価値観といった上部構造が関わっている。

が、その上部構造を築くことに至った、下部構造の方だ。
誰かの言葉や思想ではなくて、自分が歩んできた人生という下部構造だ。
欲望とは下部構造にある、とドゥルーズガタリが言うように。
そっちに真実がある。そっちを見るんだよ。

確かに「五輪談合の方は既に東京地検特捜部等が動いている」という理由は納得できる。
具体的に捜査が進展しているという情報だからな。

だが反日だの左翼だの、イデオロギーの話、すなわち上部構造の話を持ち出す。
そこに自己欺瞞を感じる。
俺は政治の話なんかしてない。
俺は金の話をしている。
Colaboより五輪談合の方が金額的にチューチューしてるやん、と。
なんでColaboばかり叩くんですか?あなたは?と。
問えばすぐ、政治や党派性の話に持ち込もうとする。なぜだ?

そこで今回の件でまた1つ、新たなルサンチマンを発見した。
これが記事のタイトル「政治の話」だ。
誤魔化している。
自分の下部構造、過去の苦い体験、身体に刻み込まれた現実を、抽象度の高い話や既存のイデオロギーで隠蔽する。

まあ発見といっても、既にそれは、別の人が似たような話を提示しているし、当サイトでも既に述べていた。


gyakutorajiro.comまた、女性にモテない、結婚できない、といった生物としての敗北。
それを忘却するため、下部構造でのストレス、敗北によって喪失した自尊心を、SNSの政治的言論活動、上部構造に置き換える。
ネトウヨとかはてサ、俺含め言論活動とかブコメが好きなやつがやってる行為がそれだ。

(引用元:漫画ルポ 中年童貞 [ 桜壱バーゲン ]p86-87)

桜壱バーゲンが著書「中年童貞」で明らかにしたのは、童貞という性的不遇(下部構造における欲望の未達)を抑圧するために、言論活動(自分の生活にあまり関係が無い政治的活動)という上部構造に没入して、外傷的な現実から目を背けているという事実だ。

ホモ・サピエンス(ヒト)は生殖活動をする欲求を備えた生物でもあるので、遺伝子を次世代に継ぐために生殖活動に発展する活動をしなければならない」というトーテムが消えた。
そして、政治言論活動というルサンチマン(奴隷道徳)が新たなトーテムになった。

このヒステリックな言論活動のようなものをスラヴォイ・ジジェクは「アクティング・アウト」と呼んでいる。

男はつらいよ」の寅さんファンは不愉快になるだろうが、寅さんが好きな人の背後にルサンチマンがあるように。

gyakutorajiro.comメロンが食えない些末な事柄で激昂し、テキ屋として放浪し、トラブルを生み出し続ける。
なんでこんな男を、多くの人が愛し、同一化対象になり得るのか。
その答えとして、ジジェクの「イデオロギーの崇高な対象」で、こんな一節がある。

われわれがごくふつうに抱いている同一化の観念は、モデル、理想、イメージ・メイカーを模倣するというものである。たとえば、よく(たいていは「成熟」した視点から下を見下ろしたような言い方で)、若者は人気ある英雄、ポップ・シンガー、映画スター、スポーツマン等々に同一化する、と言われたりする。この一般的な観念は二重に誤解を招く。第一に、われわれが誰かに同一化するときにその根拠となる特徴は、ふつう隠されている。それはかならずしも魅力的な特徴とはかぎらないのだ。

このパラドックスがわからないと、深刻な政治的誤算を生むことにもなりかねない。一九八六年のオーストリアの大統領選を例にとろう。その中心にいたのはワルトハイムという問題の人物である。左翼陣営はワルトハイムはその偉大な政治家というイメージで有権者を惹きつけるだろうという予想から出発して、次のようなことを大衆に証明することを彼らのキャンペーンの柱とした。すなわち、ワルトハイムは疑わしい(おそらくは戦争犯罪に絡んだ)過去の持ち主であるばかりか、自分の過去を直視しようとせず、そのことに関する重要な問いから逃げてまわる人物だ、要するに、ワルトハイムの基本的特徴は外傷的過去を「洗い直」そうとしない(「徹底捜査」にかけない)ことだ、と。

左翼陣営が見落としていたのは、中道派有権者の大多数はまさにその特徴に同一化したのだということである。戦後のオーストリアは、まさにその存在からして、ナチと関係したというみずからの外傷的な過去を「洗い直す」ことへの拒否の上に成立していたのである。だから、ワルトハイムがみずからの過去との対決を避けていることを証明することは、有権者の多数の同一化の特徴そのもの強調していたのである。

ここから学ぶべき理論的教訓は、他者の失敗とか弱さとか罪悪感といったものもまた同一化の特徴たりうるということだ。したがって、われわれは失敗を指摘することによって、はからずも同一化を強化してしまうのである。とくに右翼イデオロギーは、同一化の特徴として、弱さとか罪悪感を大衆に提供することに長けている。その痕跡はヒトラーにさえ見られる。ヒトラーが大衆の前に姿を見せると、大衆はやり場のない怒りのヒステリックな爆発とでも言うべきものに同一化した。つまり、大衆はこのヒステリックなアクティング・アウトの中に自分自身を「認め」たのである。

(引用元:「イデオロギーの崇高な対象 [ スラヴォイ・ジジェク ]」 汝何を欲するか)

自分の弱さを、同一化によって正当化する必要がある。
この時、ファクトは二の次になる。

自分自身の弱さ(下部構造における失敗)を解消してくれる、Colabo叩きというアクティング・アウト、言論活動との同一化だ。

そうなると、「公金不正利用疑惑において、あなたはなぜ、五輪談合よりもColaboに関心を持ち、怒りを覚えるのですか?」という問いや指摘は一切、聞こえなくなる。
whataboutismという一言で無視する。

まあ確かに、気持ちはわからなくもない。

自分自身の無意識に対峙していくということは、自己愛に亀裂が生じ、自尊心を喪失するリスクも孕んでいるからな。

Colabo叩きの背後に存在する「お前ら女達は俺を愛さなかったからお前らに金をびた一文も出したくない」という転移性ミソジニーについて

今日の朝、何となくはてぶでニュースをチェックしていると。
こんなのがホットエントリーになってた。

b.hatena.ne.jpまだやってんのか、この話。
俺はこの宇佐美典也って人の発言が、どうも好きになれない。
三浦瑠璃氏に抱く印象に似ている。

その話は前にもした。

gyakutorajiro.comColabo問題より五輪談合問題の方が額がデカいだろ?
なんで中抜き企業に、俺たちの都民税、税金を流してんだ!
オリンピックの会計どうなってるんだ、説明しろや。

って、思わないのかな?
なんでColaboの方に固執する?

宇佐美典也氏、まあ元経産省だからステークホルダーには矛先は向けられねえのだろうかね。

Colaboと五輪談合は、公金不正利用疑惑、公金チューチューという点で、同じスコープの問題だ。
その話も前にもした。

note.comにも関わらず五輪談合の方を追求せず、Colaboばかり。

「元経産省だから」ってのは、そう考える理由として弱かったな。
もちろん個人的な推測ではあるが、結局、五輪談合を追求しないのは、別にこの人に限ったわけではなく。
判りやすい理由がある。
それは、

五輪談合を追求するのは金にならないし、金を失うリスクが高まるから。

だろうよ。
例えば、宇佐美典也氏のWikipediaのプロフィールを見ると。

ja.wikipedia.org岡山県立大学の客員准教授になっている。

県立大学は、地方自治体や国家(文部科学省)と繋がりがある。

www.mext.go.jp
また一般社団法人、日本再生可能エネルギー事業者協議会(JSEC)の理事にもなってる。
そして、日本原子力学会にも寄稿しているように。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaesjb/61/6/61_436/_pdf/-char/ja


政権与党とはこの国の支配者だ。
そのため、国家や地方自治体といった行政と深く結びついている五輪の件に触れるのはタブーであり、糾弾しづらい。
国家や行政との繋がりが強い五輪は怖くて何も言えねえ。
なぜなら、先述したように職や金を失うリスクがあり、未来の職にありつける可能性も下がるだろうからな。

一方、Colaboという一つの一般社団法人だったら、全くステークホルダーではない。
この団体から仕事が舞い込むことなんてないし、仮に何か仕事が来たとしても。
団体の予算規模からして、貰える金額もあまり期待できないだろう。

そんな一つの団体に媚びを売るより、国や地方自治体に媚びを売った方が断然、大金を得られる確率は高まる。
だからColaboは、どんだけ追及したって自分の仕事とかリスクにはあまり関係ない。
だけど…

それがカッコ悪いと、思うんですよ!

本当の社会正義、評論家、コメンテーターとは。
自分の私利私欲は二の次にして、ファクトに忠実に、そしてファクトを積み上げて「これはおかしい」という問題提起を発信し、「皆さんおかしいと思いませんか?」と、民主主義を推進する役割を担う存在ではないだろうか?

それが、ステークホルダーや自分の経済的合理性等によって、怒りの矛先を変えていいのだろうか!?

それは公正公平な正義だと言えるのか!?

まあでも気持ちはわかるよ。
この21世紀の現代で生まれた人間は、資本主義の奴隷から逃れるのは難しい。
経済的メリットを考えれば、保守系の言説を垂れ流し、国や地方自治体に媚びを売るのが合理的といえば合理的。

政権与党を非難するような話をしたところで、何のメリットがあるんだよ?って話だよ。
まあ野党議員にはあるけどな。
別に政権交代とか起きなくても、年収4桁はキープできるんだから。

gyakutorajiro.com

当選のためには「立憲→自民」の移籍もやる…今井瑠々氏のような"非常識候補者"を選んでしまう根本原因 なり手不足で「候補者を見る目」を養えない

今井瑠々って誰だ、知らんけど。国会議員は金儲けになるんだから所属政党なんてどうでもいいんだよ。<a href="https://gyakutorajiro.com/entry/2022/07/28/231218" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://gyakutorajiro.com/entry/2022/07/28/231218 年収1000万!2000万!ヒャッホーッ!!ってね。金以外の志はあるのか?政治家よ

2023/01/31 13:50

b.hatena.ne.jp

そして、Colaboを追求することにはもう1つ、メリットがある。
それは、

ミソジニーもしくはその予備軍たちの人気を取れるから。

だろうね。

b.hatena.ne.jpこの記事は消されているが、女性を殴った男が称賛されるという事態に警鐘を鳴らすような内容だった。
動画は「男女平等パンチ 渋谷」で検索したら出てくる。

anond.hatelabo.jp気に入らない女を潰すときしか、こんな数千万の寄付金や、はてブのトレンドの半分埋めるような活動にはならない。それが本当に虚しい。

と。そう、ミソジニーは増えている。
それは恋愛離れや少子化問題とも関わってる。

ルッキズムが加速する中で、女たちの要求水準は高まっていく。
軽んじられる、身長170cm以下の男たち。

kai-you.net漫画やYoutubeやアイドル、あらゆるコンテンツにおいて、容姿のいい男女が活躍するルッキズム社会。

「なんとなく良い人が現れればいいな」(略)を書いた者なのでもう1回だけマジレスさせてほしい

インドアオタク趣味で、漫画とかアニメとかBLに触れて、男に求める要求水準が上がっちゃったんだろうな…つまり日本のコンテンツカルチャーというハイパーリアルが、非婚や少子化を招いてる要因になってるね。

2023/02/02 13:01

b.hatena.ne.jp零れ落ちていく男たちは増えていった。

虫けらのように扱われる男たち。眼中から外される男たち。

闇金ウシジマくん(10)[ 真鍋昌平 ]

かくいう俺も、スイーツハラスメント(お土産のお菓子を特定の人だけ配らない)のようなものを女性から受けたことがある。

それは30代前半の頃だった。俺はITエンジニアを派遣する会社に勤めていた。

そこには別会社からの、派遣の先輩女性がいた。
その女は、とにかく正社員のプロパーには媚びへつらい、派遣社員には厳しい感じの人だった。
だから俺はその女が嫌いだった。

決定的だったのは、飲み会だ。
イタリアンバルみたいなとこだった。
プロパーと派遣社員が混ざって行われた、その飲み会で。
その女は、俺にだけ…

アクアパッツァペンネグラタンを取り分けなかった

んだよ。なんだコラよ。

そんなんだから、独身なんだよテメーはよ!

って、言ってやりたくなった。
その女もたぶん独身だったから。

俺は仕方なく、皆が談笑している中で一人、魚とグラタンを取り分けてムシャムシャ食った。

だからグラタンを食べる時には、その時のことを思い出すこともある。
マドレーヌの香りで過去を思い出すプルースト現象ってやつか。
アクアパッツァは高いし食う機会ねえから、あんまないけど。

いや別に「女性が料理を取り分けるべき」といった、そういう偏見に満ちたジェンダーバイアスなんてのは持ってないし。
俺は「品性」について語ることもあるので、モラルとしては高い人間よ。

gyakutorajiro.comだから別にアクアパッツァも、勝手に食いたいやつが取ればいいと思ってるけどよ。

けど、自分から取り分け隊長になったんだよな?
だったら最後まで、派遣社員の俺も含めて、取り分けんかい!

って話だよ。
とんねるずの「どん底」を聴いて、自分を慰めた。

www.youtube.com「泥水飲んでも死なない~♪」「どん底から今はいあ~がれ、自分の腕で♪」「かっこ悪くていい♪汗が身に染みるぜ♪」と、自分を奮い立たせた。
まあそれでも這い上がれず、ダラダラと生きていく今の現実があるんだけどね。

そんでもう1つ、もう1つある。
あれは俺が、20代後半の頃、その時は別の会社にいた。
IT派遣会社よりも家族的な雰囲気の会社で、俺も溶け込んでいたつもりだった。

名古屋で働いていて、出張で東京の人間が来ていた。
世界の山ちゃんだったか風来坊だったか忘れたけどよ。
本社の人間と、名古屋支社の女性二人、合計四人で飲んだ。

まあまあ楽しんでいたと、俺は思ってた。
そんで、本社の人間が新幹線で先に帰るってんで。
「三人はゆっくりしてって」って言ったんだよ。
「いや見送りますよ、逆寅次郎くん会計お願い」って言って、女性二人も席外してよ。

俺は一人で、余った手羽先を、ムシャムシャムシャムシャと、食べたよ・・・まだこんなに料理残ってるじゃん・・・。
てか、普通、見送り終わったらさ、帰ってくるじゃん?
名古屋駅からすぐ近くの居酒屋だよ。

なんで帰ってこないの!?
宴は終わってない!
手羽先チューチューしようよ!!
そして、手羽先を食べて汚れた油がついた指を、お互いチューチューし合って綺麗にしないかい?
なんつって。

そもそも俺と飲みたくないのか?
だから戻ってこなかった。

帰る方向が同じだからか?
俺と一緒に帰りたくなかったのかよ!?
手羽先しかねえ、なんで手羽元がねえんだよ!!

ウウウ( ;∀;)


ってね。
まあそんな感じで、そういった女性からの仕打ちが、ミソジニーをもたらしていくのではないだろか?
ミソジニーの男、ミソジニー気味になっている男達は、自分の記憶や体験を探ってみろ。
過去のトラウマ的出来事や体験、それによってプチPTSDになったり、女性嫌悪感情が醸成されていく。

個人的なエピソードだったが、これはColaboの話と全く無関係ではない。
つまりこれは「転移」だということだ。

ジャック・ラカン精神分析の情報が豊富な、蚊居肢さんのサイトでPAUL VERHAEGHE(ポール・バーハウ)という方が紹介されている。


ポール・バーハウのプロフィール。

kaie14.blogspot.com

en.wikipedia.org

この方の著作に、興味深い記述がある。

kaie14.blogspot.comラカンの最初のエディプス理論とは次のような形で説明されている。母は子供を、ほとんど致死的な deadly 仕方で享楽する。主体は唯一、父の介入を通してのみ、母による潜在的に命取りのlethal 享楽から救われる。

同じ理屈が、三つの宗教書のなかに漸増する形で見出される。初めにすべての悪の源としてイヴ、次にカトリックの性と女への不安と憎悪、最後にムスリムのベール等への強制。

すなわち女は男を誘惑し破滅させるので、寄せつけないようにしなければならない、ということである。これは次のように読むべきだ。我々自身の享楽、我々の身体から生じる欲動は、享楽的であるだけではなく、我々が統御する必要のある、明らかに脅迫的な何かだ。統御するための最も簡単な方法は、その享楽を他者に帰して、もし必要なら、この他者を破壊することだ、と。

事実、享楽と他者とのあいだの、この発達的に基礎付けられる繋がりは、主体にとって享楽にかんする相克を外部化する道を開く。そうでもしなければ、自身の内部に留まったままになりうる。…

フロイトはくり返し言っている、人は内的な脅威から逃れうるのは、唯一外部の世界にそれを投影することだ、と。問題は享楽の事態に関して、外部の世界はほとんど女と同義だということである…。(PAUL VERHAEGHE,new studies of old villains A Radical Reconsideration of the Oedipus Complex,2009)

そう、つまり「内的な脅威」とは、自分を苦しめる存在である女性のことだ。
女性を求めるが、女性から受け入れられることがない。

身体は女性を欲する欲動の回路(享楽)を備えているがゆえに、その衝動は永続的に続くが。
それが達成されることがく、欲望(リビドーを向ける対象が限定された欲動)は未達となる。

だったらどうする。
その内的な脅威から逃れるために。

例えば、加藤智大は外部の世界に投影した。
「なぜ俺を愛さない?」と。

gyakutorajiro.com当時の彼の日記のメモがある。

「どれだけ金があったら友達になっともらえるんだろ」
「イケメソだったらお金なんかなくても友達できるのに」
「部屋の中に携帯のカチカチ音が虚しく響いてる」
「ぶっちゃけね、後輩に彼女ができたみたい。その幸せ自慢を毎日されてる。いい奴なんだけど、自分の中のどす黒い感情が抑えられない」
「スポーツカーに女乗せてる奴が居た 事故ればいいのに」
「助手席に女乗せてる奴に税金かければ日本の財政難は解決すると思う 女性にとって、彼氏は自分の価値を証明するもの 故に、不細工には彼女ができない」 
「他人に「○○さんの彼女」と認識されるのが嬉しい」

欲望の未達が伺える。
携帯に綴られたこれらの日記は、何の変形や歪曲もない、加藤容疑者の率直な心境が綴られている可能性が高い。

ポール・バーハウが「統御するための最も簡単な方法は、その享楽を他者に帰して、もし必要なら、この他者を破壊すること」と言うように。

リビドーを統御するために、普通の人は、恋人を作ったり結婚したり子どもを作ることでそれを解消できる。

だがそれができない、モテない男達、非モテ、生涯独身者予備軍。

例えばアンデルセンのように、芸術的な方向にそれを発揮する、溢れるリビドーがポジティブな方向に向かうケースもある。

しかしネガティブな方向に向かうと、このような悲劇的な結末になる。
少しマイルドにすると、中西保志の「最後の雨」もそうかもしれない。

www.youtube.com本気で忘れるくらいなら
泣けるほど
愛したりしない
誰かに盗られるくらいなら
強く抱いて 君を壊したい

引用元:中西保志「最後の雨」

まあちょっと違うか。こっちはミソジニーというか独占欲や支配欲の類か。

話を戻すと、以上の実例と転移理論によって、主張したいのは。
Colabo叩きをしている人の中には、バーハウやフロイトがいう転移感情によってミソジニーが醸成されている可能性があるということ。
醸成されたミソジニーと私怨によって、糾弾する対象が無意識的かつ恣意的に選ばれている可能性が高いって話だ。
普通にファクトを優先すれば、五輪談合の方が重大なのに。
なぜ、Colaboなのか。
すなわちそこには、自分の記憶の中にある、女性からの屈辱的な経験や記憶が転移した「転移性ミソジニー」がある。

自分の性的に恵まれない不遇な境遇、過去の欲望の未達によって、ネガティブな感情が醸成され、その嫉妬・怒り・恨み・辛みが、関係のない女性へと転移する。
しかし、その感情を正当化するルサンチマンに一定の品性を纏わせるために「公金不正利用疑惑」という正義の仮面を被る。
だが、その仮面の下には「お前ら女達は俺を愛さなかったからお前らに金をびた一文も出したくない」という、醜い私怨に満ちた感情が蠢いている。俺を苦しめた女性が苦しむ姿に喜びを見出してしまうというシャーデンフロイデだ。

そんなんわけない、純粋に、私達の税金の不適切使用、公金チューチューを非難しているんだ!!

と言うか?
だったらなぜ、五輪談合を問題にしない?

400億円のうち、テスト大会で実際に現場で働くエッセンシャルワーカーに流れた金はどれだけだ?

news.yahoo.co.jp200億円のうち、オリンピック会場で汗を流して資材を運んだり設営業務を行う人々に流れた金はどれだけよ?

www.dailyshincho.jpこの記事を書いた現時点で、宇佐美典也氏や、その発言に共感している人達は、ファクトも、根拠ある仮説も試算も提示してない。

根拠薄弱であるがゆえ、正義は見出せず、単なるColaboや仁藤夢乃氏への私怨や、女性支援団体へのミソジニーを感じてしまう。

宇佐美典也 on Twitter: "一部の人が 「colabo問題は大した話じゃない。騒いでるやつは全体が見えないバカ」 的なこと言ってるけど、オレからすれば 「colabo問題は議員立法を利用して公金の管理に穴を開けて利権を作ろうとしてる大問題で、過小評価も甚だしい」 んだよなー。"

「同じスキームを全国展開できる」というその根拠は?五輪不正がはした金になるほどの大問題なら、談合で吸われた公金の額を上回るという試算の内訳は?仮定の話を事実のように語る。よほどColaboが嫌いなんだろう。

2023/02/03 03:52

b.hatena.ne.jp俺はわかんないな。

仮に上記の五輪談合のうち、非生産的中抜き業務というブルシットジョブをしている公金チューチュー非生産的労働者に、何割かの金が流れたとしよう。

どれぐらいだろうか。情報がないので大雑把な試算しかできないが。
だが100億円ぐらいはあるだろう。

日給35万で計上されている件もあったんだ。

www.youtube.com600億円のうち500億円は有益に使われたとして、100億はブルシットワーカーに流れたと、少なく見積もったとしても。

同様にColaboは、100億円いくのか?
ちゃんと説明してみろ。

コラボの会計報告の21頁だ。

https://colabo-official.net/wp-content/uploads/2022/07/colabo2021.pdf

細かい会計は知らねえが、1億7625万88円という経常収益がある。

仮に、公金不正利用疑惑があったとして、上記の五輪談合の優しい見積もりと同じく6分の1、3000万が不正利用されたとしよう。
そんなバカでかい金額なわけねえけどな。

3000万と100億だ。

この大雑把な試算でも、五輪談合の方が大問題なのは、わかるだろうが?
「Colaboのスキームを全国展開すると大変」と言ってるやつは、何言ってんだ?って話だぞ。

全国展開すると大変だと思うなら、そのスキームの全体像と詳細も提示するべきだし。
それがなぜ、各自治体の審査を突破できるのかについて、根拠ある仮説ぐらいは話すべきだろうが。
印象論しか語ってない。

仮に47都道府県に1団体ずつ、公金チューチューする怪しい団体がいるとしよう。
それでも、3000万円×47=14億1000万。100億円には程遠い。

もちろん、あくまで仮定の雑な試算だけどよ、五輪談合と全然スケールが違う公金不正利用疑惑なのは、一目瞭然だろうが。

なんでColaboばかり追求するのか、答えてくれや。
俺に教えてくれよ。

自分の胸に手を当てて考えてみろ。
自分が振りかざしている正義は、自分の私怨やミソジニーが混ざり混くった不純物ではないのかってことをな。

 

 

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