逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

独身弱者男性が全集中して編み出した、人間の無意識にあるもの全てを顕在化する技を伝授します。

なぜ五輪談合に関わった企業や個人よりもColaboや仁藤夢乃氏が叩かれるのかをスラヴォイ・ジジェクの精神分析で紐解く

五輪談合と、Colaboの疑惑、これは「公金無駄遣い疑惑」という点で、同じ俎上に上げてもいい問題だ。糾弾されている時期も同時期だし。

しかし最近のはてなブックマークツイッターは、Colaboの方ばかりが話題になっている。

毎日毎日、Colaboや仁藤夢乃氏に関する暇空茜氏による追求だとか、東京都に問題があるとか、話題になってるけどよ。

togetter.comColabo問題より五輪談合問題の方が額がデカいだろ?
なんで中抜き企業に、俺たちの都民税、税金を流してんだ!
オリンピックの会計どうなってるんだ、説明しろや。

って、思わないのかな?
なんでColaboの方に固執する?

宇佐美典也氏、まあ元経産省だからステークホルダーには矛先は向けられねえのだろうかね。

暇空氏はまあ、最初に声を上げた人だからそんなに不快感はないんだけどね。

note.com本当に違和感しかない。

怖いという人や、キューレーションサイトして価値がないという人もいたように、確かに異常な感じはある。

anond.hatelabo.jp

anond.hatelabo.jp暇空茜氏やColabo糾弾のつぶやき、仁藤夢乃氏を攻めるツイートは、よくホットエントリーになるのによ。

この記事も、擁護するようなタイトルに見せかけて、中身は仁藤バッシングになってる。

anond.hatelabo.jpZ李までネガティブな意見を出してるのか!

おい頼むよ、テキーラ事件の時はリスペクトしてたのに。
いつもの、強者や強権に牙を剥いていく、新宿鮫の鮫島のようなハードボイルドなつぶやきはしてくれないのか。
五輪談合で公金中抜きして、ウハウハに私腹を肥やしてるやつらの話をしてくれや。

烏丸百九氏が言うように、もっと他にも税金の無駄遣い疑惑はあるし。

note.comちなみに、2019年度「桜を見る会」の総支出は5518万7000円であり、また最近報道された現内閣総理大臣岸田文雄が「選挙運動費用収支報告書」に添付した270枚の”宛名が空白の領収書”に記載された金額は、合計で173万5000円です。

法華狼氏の記事にもあったように、経費計算が歪曲されていることを指摘する意見もあったけど。

hokke-ookami.hatenablog.com暇空氏が不都合な記事を取り下げているという指摘も、暇空氏に関わる記事やツイート、Colaboや仁藤夢乃氏を糾弾する記事ほどにはブクマされていない。

hokke-ookami.hatenablog.com自分は別にColabo擁護するわけじゃねえが、税金とか公金の無駄遣いの話なら、五輪談合はなんでもっと非難されない?
疑惑じゃなくて確定したからもう追求の余地なしってか?

そんなはずねえだろうよ。
関わった企業や個人に対するバッシングの声は、なぜColaboや仁藤夢乃氏と同じように盛り上がらない?
「俺たちは中抜きされた展」のような声はなぜあがらない?
しかも200億円よ。

www.dailyshincho.jpその金の一部ということは、何十億、もしかすると何百億円が、中抜きされてる。
Colaboと同じ公金無駄遣いの問題だが、Colaboよりも圧倒的に金額が大きい。

俺たちの税金が、中抜き非生産的業務で私腹を肥やす輩のために使われて、エッセンシャルワーカーに金は回らず、ボランティアでただ働きさせられた人もいるっていうのによ。
汗も流さず中抜きして、クーラーが効いた部屋でウハウハ、夏のボーナスを貰ってる企業戦士たち。どこが戦士だてめえらは。

imidas.jp だがしかし、オリンピックボランティアとは「無償」で行わなければならない性質のものなのだろうか。1984年のロサンゼルス大会以降、スポンサー企業集めが解禁され、競技への注目度喚起のためプロ選手の参加も解禁された。それゆえ、基本理念であった「アマチュアスポーツの祭典」ではすでになくなっている。
 ロス以前のオリンピックは都市や国家が中心となって開催されるもので、開催予算の多くは開催地や国家の税金であり、その節約のために無償ボランティアは必要不可欠であった。オリンピックはアマチュアリズムを基本とした祭典であり、そこには利潤追求という目標はなかったからだ。だがロス以降はプロ化、企業参加、全世界へのテレビ放映権の販売等でオリンピックは極度に金満化した。
 そして次期東京オリンピックでは43社の参加企業から史上最大と言える4000億円以上の資金を集めている。つまり多くの企業はこの大会を収益確保の絶好の機会と位置づけているのであり、間を取り持つ電通は、すでに協賛金のマージンだけで数百億円の利益を上げているはずだ。こうして多くの企業や社員が多額の報酬を得ることが確実なのに、なぜボランティアは無償が前提なのか。

企業から集まる金だけじゃ開催できてない、税金・公金が投入された、準公益事業だろうが。
俺たちの税金、公金を使いまくった。

日給35万円って何だよ。ふざけてんのか。
どういう金の流れになってんだ。

president.jp

なぜ怒りの矛先は、五輪等でより多くの公金を搾取している企業や個人よりも、Colaboや仁藤氏に向かうのか?

藤田孝典氏が言うような女性差別だろうか?

桐野夏生氏が言うような、ミソジニー以上の激しい分断と差別を生み出す悪意だろうか?

過去の記事で1回、考えたことがある。

gyakutorajiro.com仁藤夢乃氏に対する嫌悪感、なぜ彼女がここまで糾弾されるのか。
それは彼女がフェミニストであり、男性を敵視している点にある。
そして特に敵視しているのは「キモおじ」という、女性の体や時間をお金で買うような輩、いわゆるモテない男達だ。



自分には仁藤夢乃氏を責め立てるほどの力はない。
だが暇空茜氏の力に便乗し、同調し、一緒になって糾弾する。
ヴァーチャル・マウンティングといってもいいだろう。
顔も知らないネットの誰かの意見に共感し、それに同一化し、まるで自分が仁藤夢乃氏を責め立てて勝てるような爽快感を味わおうとする。
それはキモおじ達による、自分を見放してきた女性達、仁藤夢乃氏やその周囲の若い女性達に対する、ある種のジハード(聖戦)かもしれないね。

そう、モテない男達のルサンチマンだと。
だから、モテない男達が利用している性風俗やコンテンツを糾弾する仁藤夢乃氏は失脚してほしいという欲望があり、その欲望の充足のためにColabo叩き、仁藤叩きを行っていると分析した。

なので、根底にはミソジニーがあるんだけど。

anond.hatelabo.jpそれを理由にするのはあまりにも差別的で倫理的にも問題があるため、「公金無駄遣い疑惑」「公金不正利用疑惑」という大義名分を用意したんだ。


だが、その理由だけでは少し足りない感じもある。
カンパがやたら集まってもいるし。

b.hatena.ne.jp

anond.hatelabo.jp同時期に五輪談合による公金無駄遣いが発覚して話題になるはずなのに、こちらがあまり話題にならないことも含めて、もう1度考えた。
今度はスラヴォイ・ジジェク精神分析の本まで読んで。


すると、わかったことがある。
結論から言おう。

公金無駄遣いおよび公金無駄遣い疑惑について、なぜColaboや仁藤氏ばかり責められるのか。
その理由は・・・

五輪談合を行った企業は男たちの「享楽」(人工的補完物)を作り出すが、Colaboや仁藤夢乃氏は享楽の破壊によって男たちの「症候」を作り出す

からだ。

そう、Colaboや仁藤夢乃氏は、男たちの「享楽」に、「キモい」という現実を突き付けた。それは破壊行為だ。

上記の結論を、丁寧に説明していく。
まず、この2つの図だ。

 

上図は、ジャック・ラカンのサントーム(症候)の図だ。
厳密には「サントーム sinthome」と「症候 symptom」は少し違うんだが、その話をすると長くなるの割愛。

主体(人間)に症候が発生するメカニズムを示してる。

下図は、その症候を解釈するためにスラヴォイ・ジジェクが描いた図になる。

この2つの図に、Colaboや仁藤氏が叩かれる理由の本質がある。
詳しい解説をしている方もいる。

yokato41.blogspot.comこの人と同じく、ジジェクの本を引用しながら、図の内容とColaboや仁藤夢乃氏糾弾がどのように対応しているか、1つずつ説明する。

1.「ブラックハウス」は対象aであり、仁藤夢乃氏はブラックハウスを破壊した

上図における「ブラックハウス」(象徴界現実界)を、まず説明する。

幻想空間は中身のない表面であり、いわば欲望が投射されるスクリーンである。そのポジティブな中身が魅惑的に眼前にあらわれることの意味はただ一つ、ある穴を埋めることである。そのことを完璧に例証しているのが、パトリシア・ハイスミスの中編小説『ブラック・ハウス』である。

舞台はアメリカの小さな田舎町。男たちは夕方になると居酒屋に集まり、昔話に花を咲かせて郷愁に浸っている。町に伝わる伝説――たいていは彼らの若い頃の冒険談――はどういわけかどれも、町外れの丘に立つ廃屋と関係がある。その不気味な「ブラック・ハウス」には何か呪いがかかっているらしく、男たちの間では、誰もあの家に近づいていけないという暗黙の了解がなされている。あそこに入ると生命の危険があるとすら思われている(あの家には幽霊がいるとか、孤独な狂人が住みついていて浸入する者を片っ端から殺すとか、噂されている)のだが、同時に、男たちの青春の思い出はすべてその「ブラック・ハウス」に結びついている。そこは彼らが初めて「侵犯」、とくに性体験に係わる侵犯を経験した場所なのだ(男たちは、昔あの町でいちばんきれいな女の子と初めてセックスをしたとか、あの家で初めて煙草を吸ったとかいった話を飽きもせずに繰り返し話す)。

物語の主人公は町に引っ越してきたばかりの若い技師である。彼はそうした「ブラック・ハウス」にまつわる神話を耳にして、男たちに、明晩あの不気味な家を探索してみるつもりだと告げる。その場にいた男たちはそれを聞いて、口には出さないが、激しい非難の目で主人公を見る。翌晩、若い技師は、何か恐ろしいこと、あるいは少なくとも予期せぬことが自分の身に起こるのではないかと期待して、問題の家を訪れる。彼は期待と緊張で体をこわばらせ、暗い廃屋に入り、ぎしぎし音を立てる階段を上り、一つ一つの部屋を調べるが、朽ちかけた敷物がいくつか床に散らばっているだけで、他には何もなかった。彼はすぐ居酒屋に戻り、誇らしげに、「ブラック・ハウス」はただの汚い廃屋にすぎず、神秘的なところも魅力的なところもない、と断言する。男たちはぞっとすると同時に強烈な反感を抱く。若い技師が帰ろうとしたとき、男たちの一人が狂ったように襲いかかる。技師は運悪く仰向けに地面に倒れて頭を打ち、しばらくして死ぬ。

どうして男たちは新来者の行動にこれほど激しい反感をおぼえたのであろうか。現実と幻想空間という「もうひとつの光景」との差異に注目すれば、彼らの憤りが理解できる。男たちが「ブラック・ハウス」に近づくことを自分たち自身に禁じていたのは、そこが、彼らが自分たちの郷愁にみちた欲望、すなわち歪曲された思い出を投射できる、からっぽの空間だったからである。闖入者たちは、「ブラック・ハウス」はただの廃屋にすぎないと公言することによって、男たちの幻想空間を陳腐な日常空間へと貶めたのである。彼は現実と幻想空間の差異をなくしてしまい、男たちから、彼らが自分たちの欲望を表現できるような場所を奪ってしまったのである。

 

(「斜めから見る 大衆文化を通してラカン理論へ [ スラヴォイ・ジジェク ]」p29-30)

パトリシア・ハイスミスの小説に出てくる、ブラックハウスを暴いた「若い技師」「若い闖入者」が、仁藤夢乃氏だ。

男たちの幻想空間を、陳腐な日常空間にした。

例えば「シリーズ キモいおじさん」の動画を観ればわかる。

www.youtube.com序盤、16分~辺りだ。
仁藤氏が「環境型セクハラ」について語る。

「日本では電車の広告でも水着の女性が使われてたりさ、海外から来た人が見たら結構びっくりされる」
「性的なポーズを雑誌の表紙とかで撮って、男性の性的な欲望を満たす存在として扱われるってよくあるよね」
「足元からズームになって胸元までみたいなカットとか、お尻のとこだけ強調して撮影されてたりとか」
「男に尽くす女がいいみたいな」

その矛先は、「ラブライブ!」の高海千歌、「宇崎ちゃんは遊びたい!」の宇崎花に向かう。

(引用元:JAなんすん、批判受けパネル撤去 みかんPR ラブライブイラスト:東京新聞 TOKYO Web

「女子高生がスカートがね、あり得ない形になっててね、下着の形がクッキリしてるの」

「不自然だしさ、意図的だよね。性的に強調されてて、そんなのみかんのPRに必要?」

gendai.media

「女性の大きな胸の形がクッキリわかるよう強調されてて。困った顔に見えるように不自然に曲げられている眉毛、ウルウルして大きい目に見えるようになっててね、八重歯とかも性的な価値があるかのように描かれてて、ほっぺもちょっと赤らんでて、こういう困り顔をしながら男性を性的に挑発するように描かれてるの」

確かに、宇崎ちゃんはパッと見でわかるが、ラブライブ高海千歌については、すぐには気付かない。
だが下半身を見れば、仁藤氏が指摘するように、下着のラインが浮かび上がっているのがわかる。


そう、ラブライブの世界感、聖地巡礼を楽しんでいたり、コンテンツを楽しんでいたにも関わらず。

「女性の性的商品化だ!性搾取だ!環境型セクハラだ!ポルノだ!」と声高に糾弾することによって、まさに幻想空間を、日常空間に変えた。
ラブライバーには女性や子どももいるだろう、それは男性のみならず、多くの敵を作る行為でもあった。

触れてはいけない現実を、仁藤氏は突き付けたんだ。

コンテンツの世界、ファンやオタク達が楽しむS(象徴界)という幻想空間を、R(現実界)という環境型セクハラを含む日常空間に、仁藤氏は変えていったんだよ。

2.「池」は女性の性的消費であり、男たちはそこで享楽にふけっていたが、仁藤夢乃氏はその源泉から不愉快な「こぶ」を発生させた

「池」については以下。

ハイスミスの短編はしばしば、自然な病的な「痙攣」あるいは歪曲というモチーフを変奏する。その痙攣は主体の享楽を物質化している。つまり、主体の享楽の客観的等価物・支えとなっている。

『池』では、最近離婚した母親が幼い息子を連れてカントリー・ハウスに引っ越してくる。その裏庭に深くて暗い池があり、そこから奇怪な根が伸びている。だがその池は不思議な力で幼い息子を惹きつける。ある朝、母親は根に絡まって溺死している息子を発見する。失意の母親は園芸業者を呼ぶ。作業員たちがやってきて、根を殺す目的で池じゅうに毒を散布する。ところが毒は効果をあらわさず、根はますます勢いよく伸びていく。ついに母親は、強迫的な決心をかため、斧や鋸で根を切るという作業にみずから取り組む。彼女は、根が生きていて、彼女の行動に反応しているように感じる。攻撃すればするほど、彼女は根の罠に深くはまっていく。結局、彼女は抵抗をやめ、根の魅惑の中に息子の呼び声を聞き、根の抱擁に身をまかせることにする。

これはまさしくサントームの一例である。池は「自然の開いた傷口」、すなわち、われわれを惹きつけると同時に撥ねつける享楽の核である。

(「斜めから見る 大衆文化を通してラカン理論へ [ スラヴォイ・ジジェク ]」p248)

「こぶ」の説明はこれだ。

『不思議な墓地』では、同じモチーフが裏返しになっている。オーストリアの小さな町で、地元の病院の医師たちが、助かる見込みのない患者たちに、放射線を使った奇妙な実験をする。どんなことをしても、その赤いぶよぶよしたものの成長を止めることができない。町の住人は、最初は気味悪がっていたのだが、やがてあきらめるようになり、その奇怪なこぶのおかげで町は観光地になり、やがて、その「享楽の芽」をうたった詩が書かれるようになる。

(「斜めから見る 大衆文化を通してラカン理論へ [ スラヴォイ・ジジェク ]」p248-249)

最初の図における"J"(jouissance、享楽)は、仁藤氏が指摘してしまった、男性による「女性の性的消費」だ。
それはアニメに留まらない。

ありとあらゆる現場に、この享楽は根付いている。
このサイトでも、サブリミナルマーケティングとして女性の性的消費の話はしたことがある。

gyakutorajiro.com女性向けの広告において、男性が性的消費される場合もある。
「新幹線で旅行をすればイケメンと出会える」ような内容の広告だ。
ただ、身体の一部を強調するわけではないので、性的な雰囲気が出ないように配慮されている。

gyakutorajiro.comこのように、男性たちは「池」に飛び込めばいつでも、享楽にふけることができていた。
「女性の性的消費」な側面はあるかもしれないが、しかし「コンテンツを楽しむ」という目的も含めて、享楽を楽しんでいた。
ラブライブや温泉むすめの聖地巡礼Aqoursのライブ等に行くこと等々。

しかし仁藤氏による糾弾。「女性の性的商品化だ!性搾取だ!環境型セクハラだ!ポルノだ!」という非難は、パトリシア・ハイスミスの小説における「こぶ」(現実界想像界)、大文字のΦだ。

大文字のΦとは、判りやすくいえば、享楽を楽しんでいる人間たちに水を差す「残酷な現実の産物」だと考えてくれていい。

ジャック=アラン・ミレールが指摘しているように、この図式における三本のベクトルは因果関係を示しているわけではない。I→Sは「<想像界>が<象徴界>を決定する」という意味ではなく、むしろ<想像界>の象徴化の過程を示している。したがって<対象a>は、象徴化を発動させる「<現実界>における穴」である(たとえば「ブラック・ハウス」のような、われわれの幻想の物語が投影されるスクリーンである)。Φ(capital phi)、すなわち「<現実界>の想像化」は、吐き気を催すような享楽を物質化するある種のイメージである(たとえば、オーストリアの墓地に生えたこぶ)。

(「斜めから見る 大衆文化を通してラカン理論へ [ スラヴォイ・ジジェク ]」p252)

ジジェクによるとヒッチコックにおける「鳥」だと。

(13)大衆文化における最も有名な〈対象a〉は、いうまでもなく、ヒッチコックマクガフィンである。マクガフィンとは事件の発端となって物語を出発させる「秘密」であるが、それ自体は取るに足らないもの、「なんでもない」ものであり、ただの空無にすぎない(暗号化されたメロディ、秘密の公式、等々)。
先に述べた三種類の対象は、ヒッチコックの映画の中に見出される三種類の対象によって完璧に例証されている。まず、〈対象a〉としてのマクガフィン。次に、大文字のファイとしての享楽の恐ろしい具現化(鳥、巨大な彫像、等々)、そしてS(Ⱥ)として循環する「〈現実界〉の断片」(結婚指輪、ライター、等々)

(「斜めから見る 大衆文化を通してラカン理論へ [ スラヴォイ・ジジェク ]」p339)

「鳥」は、仁藤氏に相当する。

仁藤氏が行っている活動や糾弾行為、現実界から想像界に影響を及ぼす残酷な産物がなければ、享楽の池の中で楽しみ続けることができた。

その場合の主体の欲望は、I(A)、「象徴的同一化が達成される」状態で、一定の安定を保つ。

「象徴的同一化が達成される状態」については、以前書いたこの記事がわかりやすい。

gyakutorajiro.com

ジャック・ラカンの欲望のグラフの完成図の左下、s(A)→I(A)の矢印があるだろう。
象徴的同一化とは、判りやすくいえば「現実と折り合いをつけて日々を暮らすこと」でもある。


「金にならないし俺のコンテンツに金を払わないアベガーは鬱陶しいしいけど、まあ別に課金してくれるファンもいるからいいか」
「給料は安いけど、働きやすい職場だし、まあいいか」

といった感じだ。
このように鬱病精神疾患等に至っていない人間は、I(A)の状態で日々を過ごしている。

しかしラカンのサントームの図には、I(A)は記載されていない。
最後の矢印は、S(Ⱥ)(想像界象徴界)と記載されている。


このS(Ⱥ)こそが、暇空茜氏であり、Colabo叩きを行う男たちだ。

3.不愉快な「こぶ」を取り除くため、男たちは「ボタン」を用意した。それがColabo叩き・仁藤夢乃氏叩きという「症候」の正体

これに相当するのは「ボタン」だ。
ボタンの例は、この方の記事を読んでくれ。

yokato41.blogspot.comこの「ボタン」がColabo叩き、仁藤夢乃氏叩きだ。

上記記事を読むと「ボタン」はお守りであるように、Colabo叩きや仁藤夢乃氏叩き、暇空茜氏の追求と追随は、主体にとってポジティブな作用をもたらす。

そして最後にS(Ⱥ)、すなわり<大他者>(象徴的秩序)における欠如、その非整合性を意味するシニフィアン、つまり「<大他者>は(閉じた整合的全体としては)存在しない」ことを示す印は、現実界>の小さな手かけらであり、(象徴的)世界の究極的無意味性のシニフィアンとして機能する(たとえばボタン)。

中央の深淵(享楽をあらわすJの文字を囲む風船みたいな部分)はもちろん、パトリシア・ハイスミスの小説における池のように、今にもわれわれすべてを呑み込もうとしている享楽の渦巻であり、われわれを破滅へと誘う深い穴である。おそらくこの三角形の各辺上にある三つの対象はそれぞれ、中心にあるこの外傷的な深淵から一定の距離を保とうとする三種類の方法である。

(「斜めから見る 大衆文化を通してラカン理論へ [ スラヴォイ・ジジェク ]」p252)

「(象徴的)世界の究極的無意味性のシニフィアン」は、Colabo叩き、仁藤夢乃氏叩きだ。自分の生活に直接的に関係ないにも関わらず、その熱狂、祭りに身を投じる。

ジジェク「<現実界>の小さな手かけら」「S(Ⱥ)として循環する『〈現実界〉の断片』」ヒッチコック映画における結婚指輪、ライター)とも語っている。

Aに斜線が引かれてしまって(Ⱥ)になっている理由は、仁藤氏という大他者によって、主体にとって魅惑的であったコンテンツ(対象a)が、女性を性的商品化・性的消費が物質化した産物(A)として価値を変化させられてしまい、もはや主体にとって欲望の対象としての魅力が減衰・喪失に向かってしまい、斜線が引かれたS(Ⱥ)になる。


S(Ⱥ)(想像界象徴界)をもたらしたのはまさしく、Φ(現実界想像界)として機能した仁藤夢乃氏であり、そのファイの現実に打ち砕かれることを防ぐために主体は、S(主体の安定的な契機)に至るために、暇空茜氏を利用する。

図示すると、以下のようになる。

このようにして、愛を向けていた対象、そして自分と対象aとの関係性に対して、仁藤氏は「環境型セクハラ」が潜んでいることを暴き、さらに「キモい」という侮蔑の言動を流し続けたことにより、仁藤氏は多くの男性の自尊心や自己肯定感を下落させる力を振るった。

男性たちがオタク趣味を楽しみ、象徴的同一化として安定的な自我を保っていたにも関わらず、上記のような「症候」に導いた。

自分を「キモいおじさん」として100%、自己認識できる人はいない。
そんなことをすれば自尊心の拠り所を失い、自我は崩壊する。

しかし崩壊に向かう力を持っている、仁藤氏は。
それが仁藤氏が持っている怖さの正体よ。

仁藤氏は男性の享楽を破壊する闖入者なんだ。

さて、ではなぜ、五輪談合を行っている広告代理店や人材派遣会社は非難されないか?
それは先にも引用したこの記事を見ればわかる。

gyakutorajiro.com企業は男性の享楽を満たす性的表象が含まれるコンテンツを、仁藤氏のように糾弾して幻想を破壊するのではなくて、幻想を生産する側だからよ。
享楽を作り出す「池」なんだ。

今なら声が上がるかもしれないが、かつてお名前.comも、AKB48を、裸だと彷彿させるようなサブリミナルCM流してたよな。

www.youtube.comこの時は誰も文句言ったりはしなかったのではないか?
この手の広告、確かタクシーではまだ流されてるけどな、AKBではないけど。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp仁藤夢乃氏はこれらの文化に切り込んでいった。
まさに「切り込み隊長」かもしれないな。

企業の側は享楽の生産者であるがゆえに、非難の声があまり上がらない。
社会的強者ゆえに、ステークホルダーも多いだろうからな。

冒頭に述べた宇佐美典也氏も、元経産省だからか?
Colaboには否定的だけど、公金無駄遣いにおいて同様の疑惑を向けられている五輪談合については、追及してねえだろうよ。
わざわざアンケートまで取ってね。

getnews.jpまあでもほんと、なんか情けねえ感はあるよ。
いや暇空茜氏はまだいいと思うんだ。
別に応援はしてねえけど。

なんか愛着を持っていた対象が貶められた?みたいだから、それに反駁する立場で孤軍奮闘してる感じ、後から味方が増えたって感じだろうし。

俺が気持ち悪い、まさしく「キモい」と思うのは。そのムーブに乗っかってColaboや仁藤氏叩きしているが、強者やステークホルダーには何も言えない連中よ。

www.youtube.comスネオに抱く嫌悪感に近い。
五輪談合しているジャイアンには逆らえないから、Colaboや仁藤夢乃氏というのび太をいじめて鬱憤を晴らしている感じだ。

怒るんだったら、本当に自分を搾取しているやつらのことを真剣に考えてみろや。
グッドウィルとか派遣会社で働いたことはねえのか?
はてぶユーザーとかネトウヨたちはよ。


物扱いされた経験はないのか?
オリンピックに関わった中抜き業者たち、中抜き非生産的労働者、ブルシット・ワーカーはまさしく、労働者、現場で汗をかくエッセンシャルワーカーを、物扱いしてるんだよ。てめえらも現場に来て資材運んでみろやって話よ。

日払いの人材派遣は、毎日違う現場で疲れる。

毎日違う仕事仲間で心底疲れる。

自分のコトを知っている人間がいない職場はとても辛い。

まるでモノ扱いされてるみたいだ。

闇金ウシジマくん(9) [ 真鍋昌平 ]

「平等に怒れよ」って言いたいね。ダブルスタンダード、マルチスタンダードで生きてる卑怯者になっていいのか?

それとも搾取する側なのか?
五輪談合に関わった大企業に勤めてるビジネスエリートなのか?
まあその可能性はあるかもな。

ネトウヨの正体は中流、それゆえに、ビジネスエリートではないにせよ、自分は勝ち組だ強者だと思い込みたいサラリーマン、中抜き非生産的業務を行っている企業人。

www.j-cast.comそれゆえ、公金無駄遣いにおいても、同じビジネスモデルである五輪談合に関わっている広告代理店や人材派遣会社に非難の矛先を向けることはできない。自分で自分の仕事を否定することになるからな。
しかしColaboや仁藤夢乃氏の方は、自分と同じ仕事をしているわけでも、ステークホルダーでもないので、平気で怒りをぶつけられる。

強いやつや自分の都合のいい相手には刃向かわず尻尾を振って、弱いやつをたたく。
「真実」ではなく、「私利私欲」によって物事を判断して、捻じ曲げる。

弱い者達が夕暮れ さらに弱い者をたたく、ブルーハーツの「TRAIN-TRAIN」の世界から進歩してねえな。

www.youtube.comカッコ悪いと思わねえのか、ほんとに。
Colabo叩き、仁藤夢乃氏叩きをしている自分に、自問自答してみるんだよ。

なぜ叩いているのか、自分がスネ夫になっていないかどうかをよ。

続き

gyakutorajiro.com