Colaboの件、以前から節目節目に話題にしてるけど。
gyakutorajiro.com住民監査請求による結果が出たみたいだね。
togetter.comそんで結果に不満なのか、また宇佐美典也氏が何か文句言ってるな。
b.hatena.ne.jpほんとこの人、Colaboとか仁藤夢乃氏に何かされたのかな?
放漫財政とか言うんだったら、もっと調べ甲斐のある団体を見つけたぞ。
それが「宗教法人」だよ。
なぜ宗教法人か…それに気付いた出来事が、2月にあったんだよ。
一旦、Colaboの話から逸れるが、その体験談を以下に記す。
先月の2月、西武池袋線の芦ヶ久保駅から下車、氷柱を観に行った。
iine-y.com道の駅でメシも食ってさ。
solomeshi.net大体、氷柱の鑑賞が終わったのは14時前後だったかな。
「せっかく遠出してきたんだ、ついでにどっか行こうかなぁ」と思って。
検索すると「横瀬歴史民俗資料館」というのを発見。
どうやら、芦ヶ久保駅から1駅の、横瀬駅から歩いた方が近いようなので。
芦ヶ久保駅に戻り、横瀬駅に向かう。
横瀬駅から徒歩で数分、到着。
さっそく中を観覧することに。
なになに、秩父の歴史が掲示されてるな。
まあ横瀬駅から1駅進めば、西武秩父駅だからね。
西武秩父の方が観光には向いてそうだけど。
「9世紀後半 坂東に群盗が出没し始める」だってさ、怖いね。
とか思って、進んでいったら。
全然、歴史とか民族じゃないぞ、展示が!
どうやら自然博物館的な一面もあるみたいだ。
以下、魚や爬虫類とか虫の標本の画像、ちょっとグロいので注意。
エンマコオロギ、やっぱこの標本とか見ると、コオロギ食とか抵抗あるな~。
ホンドハタネズミとかカゲネズミ、ペラペラにされてるやん。
ヒキガエル、泣いてる?かわいそーだろーがー!
役目を終えたなら土に還してやれよ。
生まれたばかりのマムシ。
なお、これらの展示は「標本」として、DNAから過去を調べる貴重な手がかりとして意義があるんだと。
ふぅ、なんか疲れたな。
さて、奥に進むと。
やっと民俗博物館っぽくなってきた。
なになに、観音思想?観音信仰か。
観音信仰
御仏の教えによれば、印度の南の海上にある補陀洛山に住む観世音菩薩は、「生きとし生ける者を救うことを悲願とし、救いを求める者には手を差しのべる」と説かれている。御姿は通常、聖・十一面・千手・馬頭・如意輪・不空羂索(ふくうけんさく)あるいは准胝(じゅんでい)の六観音に代表される。
仏教の伝来と同時に伝えられたこの信仰は、死者の追善供養を目的としたが、国家安全祈願を主とする奈良仏教とともに、本来の除災招福の守護者として信仰されるようになった。補陀洛信仰により風光明媚の高山が観音降臨の聖地に選ばれると、山岳信仰にも取り入れられ、平安仏教である天台・真言の密教の普及により、日本各地に広まった。
(横瀬町歴史民俗資料館)
なるほどね。
補陀洛(ふだらく)というのは、知ってる。
稗田一穂という画家の絵で「補陀洛那智」というのがあったので、最近知った。
稗田一穂「補陀洛那智」(ふだらくなち)に描かれている潮風に耐えて斜めに生えている磯馴木(そなれぎ)を見てみたい | 逆寅次郎はタナトスを抑えられるか?
補陀落とは「観世音菩薩の住む西方の浄土」のこと。那智はその船出の地としての異様さと荘厳さがあるんだろう。神武天皇を大和に導いた八咫烏も描かれているように。磯馴木は那智にあったかな…確認できてない。
2023/03/04 14:08
b.hatena.ne.jpそして「札所」とは、観世音菩薩を安置する霊場に、巡礼者がその霊場の堂舎に木札を打ちつける習わしが由来みたいだ。
札所
名山景勝の地に観世音菩薩を安置する堂舎が建てられ、聖地巡礼として観音霊場巡りが始められた。やがて霊場巡りは、次第に人々の間に定着し、巡礼者が参拝の印として札を納めることからはじまり、の地には、堂舎に木札を打ちつけるという習しから札所と呼ばれるようになった。
平安時代後半には西国札所三十三番、鎌倉時代中頃には坂東札所三十三番、室町時代中頃までには秩父札所三十三番が成立した。仏教では三の数を重視し、霊場の数は観音経による観世音菩薩の三十三変化身に由来するという。札所も三ヶ所の巡礼が一番ご利益があると考えられ、さらに一番を加え日本百観音霊場が成り立った。
(横瀬町歴史民俗資料館)
日本百観音霊場?ってのがあるみたいで。
それについても、横瀬町歴史民俗資料館においてあった資料に書かれてる。
日本の代表的な観音霊場(札所)は、西国三十三、坂東三十三、秩父三十四の合わせて百ヶ所(番)である。横瀬には秩父三十四ヶ所のうち第五・六・七・九・十番の6堂(寺)がある。
西国霊場は最も早く、平安時代に貴族階級の信仰を、次いで坂東霊場は鎌倉時代の武士階級の信仰を得て成立した。
秩父霊場は、文暦元年甲午(1234)3月18日、播磨国書写山円教寺の性空上人ら13人の権者が巡歴して観音の地と定めたとする縁起譚を持っているが、歴史的には、室町時代頃成立したとするのが定説である。
西国・坂東に遅れて成った秩父霊場には、戦国時代の地方武士たちが心のよりどころとした資料もあるが、江戸時代に入って、民衆層による観音堂巡拝の信仰習慣が盛んになったことによって、霊場たる地位と信仰とを確立し、もとの33堂に1堂を加え、日本百番霊場のうちに数えられるようになった。
教義によると、観音は三十三身に変現して衆生を救済するとされ、仏教の故郷インドには、南方の海上の彼方に、観音が常在する補陀洛山(ふだらくやま)という聖地があると信じられているという。これが観音に海と山とが深くかかわる由縁である。
秩父霊場の場合、補陀洛山に匹敵する聖なる山が武甲山である。この山への信仰が前提となって秩父山地=観音霊場と仰がれることになったにちがいない。
(横瀬町歴史民俗資料館)
なぜ33堂に1堂を加えたのか?については、ふわっとした説明しか書かれてない。
秩父三十四ヶ所
秩父札所は長享2年には西国・坂東と同じ三十三ヶ所であった。百観音成立期、すでに秩父札所三十四ヶ所をうかがわせる資料もみられるが、大正7年(1579)の両神村薬師堂の納札には三十三ヶ所と記されており、一般的には江戸時代の始めには三十四ヶ所が確立したといわれる。江戸の中頃になると、「秩父三十四ヶ所」の案内書や縁起類が多く作られた。
(横瀬町歴史民俗資料館)
まだ明らかになってないのか?
chichibufudasyo.netこれは、いくつかの説がありますが、個人的に有力だと思う説は、西国33ヶ所、坂東33ヶ所、秩父33ヶ所の合計が99ヶ所だとキリが悪いので、一寺増やしたのだという説です。
そして、なぜ、秩父を34ヶ所にしたのかと言うと、西国、坂東札所と比べて秩父札所が一番歴史が浅かったので、一寺を足して100ヶ所にしたという説です。実際の所は、なぜ、一寺増やしたのかは、謎に包まれています。
まあその話はさておき、秩父札所のルーツだ。
『長享番付』と呼ばれる史料によれば、性空上人の伝説が、秩父札所三十三番観音霊場創立の契機になってるとされてる。
秩父札所の最も古い史料は(略称『長享番付』)といわれる文書です。33か所の巡礼の順番と縁起が記されています。この縁起によれば、性空上人(しょうくうしょうにん)は冥途に呼ばれ、7日間の説法によって地獄の罪人たちを助けた。
上人は閻魔王の返礼によって、第1に秩父巡礼、第2に坂東、第3に西国を巡礼した。
その折、熊野権現をはじめ、とりわけ伊勢諸神がことごとく召されて、その巡礼行を擁護した。性空上人は阿弥陀仏の化身である。この霊場を拝する者は現世安穏、後世善処疑いなし。文治3年(1187)3月18日、と記されています。性空上人という僧は京都生まれで、九州の山岳で修行して、以後は寛弘4年(1007)に示寂するまで、播磨国の書写山(姫路市)にこもり観音信仰に没入し、円教寺(西国札所27番)を創建した高僧です。
正徳4年(1714)の『秩父巡礼之縁起』によれば、書写山の開山・性空上人は閻魔王の宮殿に招かれ、愚痴の凡夫を救うため、日本百観音を安置するようにすすめられた。性空上人は修行に励み、西国三十三所を巡り熊野三社に詣でると、東国に下り三十三身の観音を建立するように、と熊野権現の神勅があった。性空上人は花山法皇、恵心僧都、白河法皇、医王上人、良忠僧都と同行し、信濃の善光寺、武州の慈光寺を経て、秩父にはいると、善光寺如来と六観音が極楽浄土の光を放ち、熊野権現、閻魔王、倶生神が来現し、観世音はこの郡内に留まるので自分と一緒に巡礼するように、と熊野権現がお告げになった。時に正暦5年(994)3月18日、秩父順札の初めである。
・・・
(横瀬町歴史民俗資料館)
冥途に呼ばれたとか、霊場で拝めば現世安穏・後世善処とか、閻魔王の宮殿に呼ばれたとか、熊野権現の神勅があったとか、およそ信じ難い神話だけどな。
ちなみに一番早く創立された西国観音霊場の由来は、以下のサイトが詳しい。
jh-saikoku33.jp養老2年(718)、長谷寺の徳道上人は病で仮死状態となり、冥府で閻魔大王に出会います。
徳道上人は閻魔大王から、世の中の悩み苦しむ人々を救うために、
33の観音霊場を開くよう命じられ、33の宝印と、
これら33の霊場を巡礼した者は、その功徳によって地獄に堕ちないという起請文を授かりました。
現世に戻った徳道上人は、33の霊場を定め、観音信仰を広めようとしましたが、
当時の人々には受け入れられず、33の宝印を中山寺の石櫃に納めました。
約270年後、花山法皇によって観音巡礼が再興されます。
花山法皇は第65代天皇であり、退位後、法皇となり出家しました。
那智山青岸渡寺での修行中、枕元に現れた熊野大権現から、
徳道上人の定めた観音霊場を再興するようにとのお告げを受け、
中山寺に納められていた33の宝印を探し出しました。
そして、圓教寺の性空上人、中山寺の弁光上人、石川寺の仏眼上人を伴い、
33の札所寺院を巡礼し、観音菩薩の功徳を世に広めました。
だってね。
『長享番付』には、性空上人が主人公になってるみたいだが。
徳道上人、弁光上人、仏眼上人にフォーカスされてる史料もありそうだな。
ふーん、と思って。
「暇だったら霊場巡りでもしようかなぁ」と、その時は帰ったけどよ。
その後、家に帰った後。
ちょっとその観音信仰の霊場について調べてたら。
驚きの発見をした。
「ニッポンの霊場」というサイトを見たんだ。
えっ?何、この数!?
霊場ありすぎ…優に1000は越えてる?
いや、それ以上だな。
全部足すと2000…もいくんじゃねえのか!?
nippon_reijoさんにいくつあるのか教えてほしいな。
twitter.comなんか、おかしいだろ。
だって、日本百観音霊場が揃って認知されるまで、奈良時代から室町時代、700~800年ぐらいかかってる。
100の霊場ができるのに、そんなに年月を要したのに。
なんで一気に、10倍にも20倍にも、観音霊場が増えてるのよ?
「どぉ~なっちゃってんだよ~」(岡村靖幸)ってね、ツッコミたくなる。
この不自然な増加、フランチャイズ化する観音霊場。
まるで、いきなりステーキが1年間に200店舗出すような、急拡大だ。
diamond.jp徳道上人、性空上人みたいな、修行をして閻魔大王に呼ばれたり、熊野権現とかからお告げを受けたりした僧侶が、何人もいるってのか?
本当に納得できる由緒は、あるのかよ?
怪しいな。
つまり「ブランドを利用する」感じだ。
観音菩薩という歴史のある神秘的な存在や、最初に成立した日本百観音霊場を利用して、その寺の威厳を高める。
そもそも、観音菩薩の正体もふわっとしてるけどな。
ja.wikipedia.org観音菩薩の起源や性別には定説がない。
友松圓諦は『般若心経講話』(1956年)の中で、「どこか、観自在菩薩の信仰のつよい地方、また、密教の呪文が珍重されていた地方」に起源を求めた。桐山靖雄も『般若心経瞑想法』(1994年)の中で、龍樹『大智度論』にある一節「観世音菩薩ら他方の仏土より来る」を援用して、この説を敷衍した。
ここもええで~!ご利益あるで~!除災招福やで~!霊言あらたか~!札所にしてや~!
って感じで。
どこもかしこも、霊場を名乗り出たんじゃねえのか?
観音菩薩によって権威付けして、由緒とかご利益があるとかブランディングして。
そして誰が許可、認定してるんだ?
その地域の、観音霊場とかをよ。
そう、ここで本題につながる。
Colaboが責められるように、こういった観音霊場に指定されている寺の財政、それを管理する団体も、住民監査請求をする価値はないだろうか?
例えば、東京都監査事務局によると。
観音霊場ではなく、古い資料ではあるが、「宗教法人氷川神社など5団体」の監査がされた資料が掲載されていた。
宗教法人明治神宮
宗教法人淨眞寺
宗教法人氷川神社
宗教法人浅草寺
株式会社西武プロパティーズhttps://www.kansa.metro.tokyo.lg.jp/PDF/03zaien/28zaien/28zaien164.pdf
いわゆる重要文化財とか歴史的価値があるってことで、公金が投入されるケースもあるみたいだからよ。
資料の4ページ目(167p)を見ると。文化財の修復のためだろうか、平成25年には1620万円、平成26年度は1億1746万7000円、平成27年度には1億4667万6000円、の公金が投入されている。
「明治神宮とか初詣すごいんだから、十分儲かってるんじゃない?」って思うけどな。
表4の方を見ると、平成27年度に7億円ぐらいが、何か国指定文化財とか都指定文化財に投入されてる。
もちろん、全部を否定するわけではない。
文化財を守ること、日本の伝統を次世代に引き継ぐことは、そこで暮らす住民の精神的支柱として大事な部分もあるだろうし。
観光客や参拝客が増えれば、公金を投入する経済的合理性もあるかもしれない。
しかしどうなんだ。もし、縁も霊験も大したことない寺とか神社に公金がもし、流れていたとしたら?
いや、そういた事態が起こり得る可能性は、しっかりと調べないと高いとは言い切れないけど。
だが、一切無いとも言い切れない。
佐々木総合法律事務所という弁護士事務所の方のサイトに、「宗教的建造物の修繕費用の補助と政教分離の原則について」という資料があった。
www.sasaki-law.jp弁護士 政教分離違反かどうかの判断にあたっては、外形的な側面だけでなく、一般人の宗教的評価、意図や目的、宗教的意義の有無、程度、一般人に与える効果、影響等の個別具体的な事情も考慮する必要があります。そこで確認したいのですが、C神社はどのような理由で町指定の文化財となったのでしょうか?
Bさん 当町に入植した開拓移民が地元の藩主を祭神として造営した神社で、100年近く経っても創建時から変わりない状態であったことから、当町の開拓の記念的建造物として文化財に指定しました。
なるほど、原則、政教分離の原則で修繕費用は公金から出せないが、文化財になっていれば、補助金を受けられる可能性がある。
つまり…
国や自治体が認定する文化財になれば、文化財保護の大義名分によって、政教分離に抵触することなく、その堂舎等を管理する法人に補助金を与えることができる
ってことだろう?
公金引っ張れるってことだ、建物に何かしらお墨付きが付いてくれたらよ。
だから観音菩薩とかも利用されるケースはあるんじゃねえのか?
あくまで推測だが。
観音菩薩が、霊験とかご利益ではなく、マネーのため、公金チューチューのために利用される。
補助金で寺とか神社の文化財の修繕とかするじゃん。
余った金はどうした?それとも、使い切ったのか?
明細は?
Colaboに追求したように、暇空茜氏にやってほしいよな。
金も時間もありそうだし。
自分みたいな明日の食い扶持を稼ぐのに必死の、金も時間も足りない労働者には、そんな調査とかしてる暇ないけどよ。
Colaoの次、開示請求セカンドシーズン。
観音信仰の霊場を管理しているであろう宗教法人。
もしくは、宗教法人全般よ。
そしたら俺も暇空茜氏のファンになるだろうな。
松方弘樹だって、大物のマグロを狙うからカッコいいんだろ。
大間の漁師は、巨大マグロを狙うから、年末年始にテレビ番組になるんだよ。
192万だの148万(1,481千円)だの、もういいだろ。
note.com小魚っていうとColaboに失礼だけど、細かい会計不備ぐらい許容してやれよ。
もっと公金を吸って社会という生態系を荒らしてるデカい魚、団体とか企業があるだろうよ。五輪談合に関わった広告代理店とか人材派遣会社とか。
まあその話は何度もしてきたけど。
なぜ五輪談合に関わった企業や個人よりもColaboや仁藤夢乃氏が叩かれるのかをスラヴォイ・ジジェクの精神分析で紐解く - 逆寅次郎のルサンチマンの呼吸
- [Colabo]
- [オリンピック]
オリンピックは東京地検特捜部が入っているけど、Colaboは東京都が黒塗り文書出してるからじゃない?
2022/12/14 07:33
b.hatena.ne.jp五輪は東京地検が動いてるってか、じゃあ宗教法人はどうなってんだ。
明治神宮とか浅草寺とか、参拝客めちゃくちゃ多いだろうし、儲かってんじゃないの?
そんなところに、上に紹介した資料に記載されてた、補助金とか与える必要性あるの?
詳しい収支を見ないと、何とも言えないけど。
もちろん廃物希釈とか、そういう過激な話ではないのよ。神社の会計だってブラックボックスな部分が多いんだから。
いわゆる「精査」だよな。
その宗教的意義とか、霊場としての説得力っていうの。
自分は基本的に無宗教だし、マルクスみたいな「宗教は人民のアヘンである」的な価値観、ニーチェみたいに宗教をルサンチマン(奴隷道徳)だとする価値観を持ってるけどよ。
かといって日本文化への敬意、カルト宗教以外の、歴史ある宗教への一定の敬意はある。
お参りもするし、パワースポット巡りも嫌いじゃないし、伊勢神宮は3回は行ったぐらいお気に入りだ。
だから全部の宗教的霊場を否定するつもりはない。
だけど、観音信仰の霊場は、おかしいぐらい、数がありすぎると思わないか?
コンビニみたいに数を増やして近場で観音菩薩のご利益を得ようとする。それこそ人間の怠惰、エゴ(煩悩)じゃねえのか?
だからその謎、成り立ちは、調べられるべきじゃないかって。
もし、大したことない由緒だったり。
もし、管理している団体が宗教法人だったり。
宗教法人格として相応しいか?を鑑みて、場合によってはそれを無くす。
建物が重要文化財とか登録有形文化財になってたら、それを外す。
それによって、霊場とか宗教法人に流れる公金が減って、減った分が福祉とかに回って、公益に寄与するんじゃないの?
住職は不愉快になるかもだけどな。
また、メスを入れようとしても、厚いベールに覆われてるみたいだな。
toyokeizai.net現在、18万を超す宗教法人のほとんどが毎年の収入すら公にしていない。宗教法人は税法上、「公益法人等」に含まれ、さまざまな税制優遇を受けている。
誰か宗教法人への金の流れを調べる政治家はいないのか。
カルト宗教には有田芳生氏とかいるけどよ。
まあそんなことしても、票にも金にもつながりそうにないからかな。
文化財とかの修繕ってのはよ、いわゆる「ハコモノ」だろ?
無機物の維持に、金を使うのかー!?
そのハコモノが、例えば観光の目玉で、県外とか海外から人を呼び込み、地域活性化などの税収に繋がりそうなら意義もあるかもしれない。
けどハコモノよりも、人の命、人の人生が、大事ではないだろうか?
教育格差の是正とか、エッセンシャルワーカーの給与向上とか、虐待の防止とか、子ども食堂とか、それこそColaboがやってる困難女性の支援とかな。
ハコモノに公金注入する余裕、あるのかー?ってね。
「霊場」という場所、そこは本当に霊場として相応しいかどうか、チェックするべきじゃないのか。
特に数が多過ぎる観音霊場、こんな数多くの霊場を調査するのは自分には無理なので、問題提起だけしておく。
近所に霊場がある人は、その霊場の由緒だとか文化財の有無を調べたら面白いかもしれないね。
自分も今後、文化財等を見かけたら「これは本当に文化財としての価値があるのか?」「公金などによって修繕される価値はあるのか?」と、精査の目を向けていく。
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