逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

独身弱者男性が全集中して編み出した、人間の無意識にあるもの全てを顕在化する技を伝授します。

なぜ人は花火に魅了されるのか?サイダーや酒やビールを飲むのか?についての精神分析

毎日毎日、暑くて嫌になってくる。
早く夏が終わってほしいよな、こん畜生!
8月下旬でちょっとはマシになったか…いや、でもまだまだだ。


熱中症アラートが北海道で初めて出たとか。

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猛暑で生クリームが固まらなくて、秋田県でさえ主力商品のケーキが作れないとか。

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猛暑でタイヤがパンクするとか。

本当、浦安鉄筋家族2巻みたいなことも、あながち嘘じゃなくなってきてるかもね。

(引用元:浦安鉄筋家族(2)[ 浜岡賢次 ]p130)

サンダルが溶けて、アスファルトにへばりつくぐらいの炎天下。
500mぐらい歩いただけで、すぐ汗が噴出する。
1kmは日中は歩けない、危険だ。
夜も暑い、ムシムシする。外に出たくない。

そんな中でも、なぜだ?


隅田川花火大会、そんなに行きたいか?

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クソ暑い中、人込みをかき分けて、ムシムシした土手で、打ちあがる花火を見て何がいいのー!?

まあでもな、いいよな、ほんと。
偶然、隅田川花火大会とは全く関係ない用事で7月29日の土曜、つくばエクスプレスの浅草駅にいた俺は、浴衣と甚平を身にまとった大勢の若者達に羨望のまなざしよ。

「きれいだねー花火!」

「そうだね…」
「あのさ」
「えっ、何、寅ちゃんから言ってよ」
「いや、○○ちゃんから言ってよ」
「あのね、私…寅ちゃんのことが…ひゅ~ドーン!(花火の音で"好き"がかき消される)」

みたいなシチューエーション、お前らこれから味わうのか?
PSY・Sのフレンズ・オア・ラヴァーズ的な感じ?

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今同じこと♪言おうとしてふたりは♪目と目そらした~の~♪

みたいな。
いいな、俺も混ぜてほしいね、その幸せに。

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あなたの幸せ 私もまぜてほしいの♪

ってね。ちょっと古いか、名曲だけどよ。
そんでじゃあ濡れていこっか的シチュエーションに発展するんだよな、ああ羨ましい。

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って、そんなことあるかぁ?
それよりも、人混みの不快指数の方が高いだろうが、そんなロマンスが起こる確率よりもよ。
そもそも隅田川花火大会を選ぶチョイスがバッドよ。
沢田研二に言わせれば、恋のバッドチューニングだぜ。

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そんで最近、東京礼賛、東京は素晴らしい、上京してよかった、みたいな記事を見かけたけどよ。

「今更」という呪いを捨てて、35歳で上京した話。|Miyu

n=1にすぎない成功体験だね。東京は快楽充足の機会が豊富ゆえ、子孫繁栄など生物として行うべき事柄が後回しされる仕掛けだらけだ。代償行為に金を払い、一時的快楽に満足し、弱者男性や弱者女性が大量発生する街だよ

2023/08/23 13:49

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俺は上京して15年以上だが全然、そうは思えないな。
隅田川花火大会で人でごった返す浅草でも思ったが、なんでこんなとこに住んでんだ。
嫌いな野郎が大勢住んでる地元に戻るよりはマシだからってのもあるが。


東京にいれば、都会にいれば、何か頑張ってる風体を装える感はあるよな。
いわばるろうに剣心14巻における、魚沼宇水だってことだ。
上京してパッとしない暮らしをしてるのに地元に帰ろうとしない、俺のような弱者男性や、弱者女性ってのはよ。

斎藤一がその内面をえぐったようにだな。

「心眼」を得て自分はより強くなったと思った
だが再開した志々雄は死線をくぐり抜けそれ以上に強くなっていた

闘ったところで敗北は必至
そしてお前のそれまでの人生全ては無駄に帰す

そこでお前は
志々雄の誘いをスキあらばいついかなる時でも殺していいという条件付きで受け入れることにした

そうやって常に狙うフリをしていれば
少なくとも周囲の人間には自分の敗北を悟られずにすむ…

(引用元:るろうに剣心ー明治剣客浪漫譚ー 14巻 [ 和月伸宏 ]p42)

「志々雄誠の命を狙っている」ということで、自分はすごいぞ、と取り繕ってるだけ。だけど実は勝負を放棄してる根性なし、ああ情けない。

この宇水と同様に、「東京でがんばってる」という大義名分に寄りすがり、大したこともせず、日銭を稼いでは即自的快楽で消費、日銭を稼いでは即自的快楽、日銭を稼いでは…そのループ&ループを繰り返してるだけの、そこのあんた!

ダッ・・・さい!んだ!よ!!

何も立派じゃねえからな。
東京に住んでるごときで、花火大会行ったぐらいでイキってんじゃねえよ、人生充実してまっせアピールしてんじゃねえぞオイ!!

東京にはうじゃうじゃいる。宇水みたいな中途半端な輩が。
志々雄誠になれない、志々雄誠を打倒しようと勝負もしない、腰抜けどもがウジャウジャと街を練り歩いている。
実力はないくせにプライドだけはいっちょ前で、地元に帰ろうとせず、都会でまだ何か自己実現できるんじゃないかっていう無根拠な期待と、けど何も起きない、起こせない絶望感の混濁状態の中で、無為な日々を過ごしてる。

そして何も築けずに、孤独に朽ち果てていく…。

jp.quora.com

まともに恋愛経験なくて彼氏いなくてできる兆しもなくて結婚もできそうになくて生涯孤独ルートに片足突っ込んでる人の自己肯定感の保ち方教えてほしい

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まあ、俺もその1人だから、あんま言えないが。

群衆に紛れることで、希薄化しているんだ。自分という存在を。
地方に行くと、人口密度だけでなく、精神的人口密度のようなものも低いからな、意外と自分が客観的評価にさらされちまうんだ。
「あそこの長男、働いてないんですって」「あそこの娘さん、まだ結婚もしてないんですって」等、地元は人口が少なく、やることも無く、生活の原始的度合いが都会よりも強い分、結婚や子どもの有無等、生物学的価値尺度で自分を評価されてしまう。

その評価から逃げられるから東京に来ている。
東京に居続けている。
単なる逃げ、何もすごくない。
群衆の壁、都会の喧騒の壁によって、自分が外の世界から評価されないように逃げている。

ちょっと前に文化がどうこう、みたいな話が盛り上がってたよな。

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文化的活動、ただ消費しているだけなのに、何かを成し遂げたように錯覚する。
一種の防衛機制よ。
消費活動によって何かした気になり、仮初の自尊心を築くことで、自分を客観的に評価することを抑圧できるからな。

本当に力のある者は、都会でも仕事ができるし、地方でも丁寧な暮らしができる。
財前直見のように。

www.nhk.or.jp

一方、ルーザーおよびルーザー予備軍は、都会か地方、どちらかにしか住めない。

都会のルーザーは自尊心を守るために、消費活動によって、故郷(原始的共同体)から生物としての自分が評価されることから逃げ続け、地方のルーザーは生活を守るために、親などの既存の資産やインフラに依存する。

そんな地方の人間を馬鹿にするが、都会に住むあんたはどうなんだ?
ただ消費生活を繰り返しるだけだろう!?
都会はただ文化的資源が多いだけで、自分自身は何も成し遂げていないくせに、それを消費しただけで高尚な人間になった気に錯覚してやがる。

だから都会だろが田舎だろうが、関係ない。
自分は何者なんだ?って話だよ。

なんてね、軽く東京人や大阪人等、都会に住む人間の文化帝国主義を批判したところで、本題の花火の話に戻るか。

大津市みたいによ、有料観覧席、いわゆるVIP席とかで、のんびり冷たいものでも飲みながら観る花火とかは、楽しそうだけどね。

gigazine.net

暑くて、狭くて、見づらい環境で観る花火のどこがいいんだ。
それでも足を運んでしまう花火大会…なぜか?

それがわかった、人が花火に魅了される理由が。
それは…

人間が重力に支配されているから

だ。
まあその話は、前にもしたんだけどね。

gyakutorajiro.com人間は重力に支配されているがゆえに、このように水中に漂うような描写を知覚すると、反射的にその対象に好意的な評価をしたり、そこに描かれているシチュエーションを欲望する。常に重力に支配されているゆえ、重力から逃れたい欲望を無意識的に抱いているので、このような表象物に惹かれる。

そう、人間は重力に支配されてるから、花火みたいな、重力に抵抗するような存在が大好きだ。

違う、単に綺麗だから、美しいから、観てるんだ!

ってか?

否!

そもそもなぜ、美しいと、思ってしまうのか?
それは「自分とは逆の存在だから」だろうよ。

花火と比べてどうよ、おれたちの人生!

宙空にただようことはなく、大地に足をつけ、電車や車に乗って会社や仕事現場に向かう。

闇金ウシジマくん(10)[ 真鍋昌平 ]

満員電車という重力に支配され、コンクリートジャングルの得意先を練り歩き、上司や取引先の輩にへーこら頭を下げる日常…重力に完全に、支配されてるじゃねえの!?

gyakutorajiro.comポーランド出身のパヴェウ・ヤシュチュク(Pawel Jaszczuk)は「High Fashion」によって、ドイツ出身のマイケル・ウォルフ(Michael Wolf)は「東京コンプレッション」によって、再領土化された人間の姿を暴き出す。

www.vice.comwww.mirainoshitenclassic.com

ナニワ金融道に描かれているほどのブラック企業、ブラック労働ほどはないにせよ。

よっしゃ ほんなら 手始めに ワシの靴 舐めてもらおか

ナニワ金融道11 [ 青木雄二 ]

システムにバグやエラーがあれば責任を取らされて頭を下げる、営業ノルマや納期が達成できなかったら頭を下げる…どうだ、思い当たる節はあるだろう?
時と場合によっては土下座をし、靴を舐めることもあるかもしれない。

それはかつてフランスの哲学者、シモーヌ・ヴェイユが洞察していたように。

 たましいの自然な動きはすべて、物質における重力の法則と類似の法則に支配されている。恩寵だけが、そこから除外される。
 
 ものごとは重力にあい応じて起こってくるものだと、いつも予期していなければならぬ。超自然的なものの介入がないかぎりは。
 
 ふたつの力が宇宙に君臨している、――光と重力と。
 
 重力―― 一般的に言って、わたしたちが他人に期待するものは、わたしたちの中に働く重力の作用によって決められる。また、わたしたちが他人から受けるものは、他人の中に働く重力の作用によって決められる。ときには、これが(偶然に)一致することがあるが、多くの場合一致しない。
 
 ひとりの人間が、ほかのもうひとりの人間を多少とも必要としている様子を見せはじめると、このもうひとりの方がさっと遠ざかるのはなぜか。重力のため。
 
 『リア王』(1)、重力の悲劇。「低さ」と名づけられているものはすべて、重力による現象だ。何より、「低さ」という語がそれをよく示している。
 
(1)シモーヌ・ヴェイユは、晩年のロンドン滞在中、シェイクスピアの『リア王』を見て、深い省察をしている(『ロンドン論集とさいごの手紙』所収、一九四三年八月四日付の手紙参照)。

(「重力と恩寵 [ シモーヌ・ヴェイユ ]」)

人間と人間との間の関係性にも、重力を加える側と、加えられる側に分かれる。
つまり、人間は重力および重力に類似したプレッシャーに支配されているということ。
弱い者や虐げられるものはより、重力に支配される。

一方、花火はどうよ。
パン・・・と打ちあがり。
パッ!ドッ!パラパラパラ~!
ドドン!ドンドンドンッ!

と、何物にも支配されず、重力に逆らい、宙空で大輪を咲かせる存在。

だから惹かれるんだ。
重力の支配から脱出できる存在を、美しいと感じる回路、羨望する感情が、人間には無意識的に形成されている。

実際、フジファブリックの「若者のすべて」が今でも人気なのも、花火が人間とは逆の存在だからよ。

www.youtube.com最後の~花火に今年も~なったな~何年たっても~思い出してしまうな~

ってね。
花火の終わり、それは、花火に自分の意識や自我を投影していた非日常的空間に終わりが告げられ、重力に支配されている日常が回帰する残酷な瞬間だ。

その哀愁と寂寥感をこのフジファブリックの曲は描いてる。
重力から解き放たれた花火の世界が崩壊してしまう…すばらしい時間が終わる…この曲を聴くと泣きそうになるのは、当然だろうよ。

だが、ごまかすんだよ、人間は!
本当は、花火が終わり重力の世界、日常が戻ることが辛いのに。
やれ花火大会の思い出だの、浴衣着てデートしただの、認知や記憶の脚色作業を行い、フジファブリックの曲を、美化された記憶を呼び覚ますトリガーとして利用する。

逃げてるんだ。
フジファブリックの曲を聴いて、記憶の世界に没入して、現実の重力支配された世界から逃れようとしている。

そして、花火だけじゃない。
人間が、重力の支配から逃れる際に利用している物質がある。

それは、サイダーだ。

これは柴又サイダー、じゃない、柴又ラムネだ。

去年、寅さんサミットに行った時に飲んだんだよ。

gyakutorajiro.comそう、寅さんはこの現代社会という下部構造の価値基準、仕事や収入や学歴といった、殺伐とした価値基準で評価しないからこそ、愛されるのであり、言葉は悪いがストレスや不満を抑圧するルサンチマンを供給する存在でもあり、柴又という街や男はつらいよは、その舞台装置としても機能している。

美味かったな。
甘さ控えめ、刺激もある、といってもウィルキソン辛口ほどじゃないけどね。

どこにでもある、愛される存在。

www.asahiinryo.co.jp

伊勢のおかげ横丁、野あそび棚もある、横丁サイダーを使った料理まで。

genki3.net

ふるさと納税、で貰えたりもする。


地サイダー、というのも充実してる。

toyama-asbb.com

幕張メッセでサイダーのイベントまでやってね。

www.j-sda.or.jp

なんと、本屋でも売ってたりする。

www.rakuda.ne.jp
サイダーも、花火と同じだ。
人間が意識や自我を投影し、現実逃避を行う際に利用される対象という共通点がある。

ジャック・ラカン精神分析でいう対象aよ。
対象aは、欲望の対象であり、欲望の根源だ。

gyakutorajiro.comその劣等感や満たされない欲望を解消する手段として、抑圧された階級は、ホリエモンに寄りすがる。
ホリエモンは「馬鹿にする対象」(ラーメンおたく、お笑いファン等)を用意してくれるからだ。
いわば、上記フロイトにおける他国民であり、ラカン的に言えば「対象a」でもある。

先回私は、対象aは、欲望に対して、つねに原因と関連して現れること、そして対象aはおそらく我々――皆さんも私に従うとすれば――にとって主体の中に原因の機能が作り出される根源の点であるということをお示ししました。原因の原初的な形式は欲望の原因なのです。

ジャック・ラカン 不安 下 [ ジャック=アラン・ミレール ]]p217)

例えば、知能指数だとか境界知能とか学歴の話を持ち出すやつは、自分の学歴等に自信があるが、満たされない性的不遇や経済的劣等感なども同時に備えている可能性がある。
だからその自尊心を補強するための存在(対象a)を求める。
そこで、ホリエモンが提供してくれる「知能指数が低い馬鹿」「境界知能」「ラーメンおたく」といった存在を馬鹿にするような話が心地良いし、無意識的に求めてしまうんだ。

ラカンスラヴォイ・ジジェクの文献を当たれば、対象aは人物や概念に留まらず、物質的なものが相当するケースも読み取れる。

そのため、花火やサイダーも対象aに成り得る。

花火(対象a)の鑑賞によって、人間は重力の支配から一時的に逃れ、安定的な自我の契機を無意識的に生み出している。

同様に、サイダーや、炭酸が含まれているビールやハイボールやスパークリングワイン等の酒を飲むときも、花火ほどの規模感はないが、類似効果を得ることができる。

サイダーと花火は、同じだからだ。
本当に似ている、共通してるんだよ。


サイダーも花火と同じく魅惑的な存在であるがゆえに、花火同様、音楽でもよくテーマとして利用されてる。

秦基博の「サイダー」。

www.youtube.comサイダー シュワシュワ 泡のように いのちが 毎秒はじける

とね。
そう、サイダーの特徴、泡がはじける。

アネモネリア『Life is サイダー』

www.youtube.com

しゅわしゅわ生まれて しゅわしゅわはじける Life is サイダー・・・泡になって消えるの・・・

かせきさいだぁ - さいだぁぶるーす

www.youtube.com

キミのあの夏は もうにじんでぼやけた さいだぁぶるーす

赤い公園、サイダー。

note.com

www.youtube.com

ざらついた舌 乾いた胸に サイダーが刺さる~

ってね。
そう、サイダーの特徴、それはシュワシュワ生まれて、重力に逆らうように泡となって上昇し、はじけて消える。
そっくりだろう?

TUBEの「花火」にあるような。

www.youtube.com燃えて散って花火~

だとか。
DAOKOと米津玄師の「花火」の。

www.youtube.com

パッと光って咲いた~静かに消えた~

ってね。
そう、サイダーも花火も、「上昇する」「消える」という点で、似てるんだよ。
そしてどちらも重力に逆らっている。

だから重力に逆らえない人間は、魅了される。
花火のように、サイダーのように、重力の支配から逃れたい。

唾奇の「Soda Water」だってそうだ。

www.youtube.comこの曲で、サイダーは歌詞には出てこないが。
だが、無軌道な生き方を肯定するような内容、それは、soda water(サイダー)の軌道だ。

サイダーの泡の軌道は、上から重力に支配されて生き続けている人間とは違い、方向もバラバラで、無軌道で、重力に逆らえる。
自力で下から上への移動が可能だ。

花火になりたい。サイダーになりたい。
その羨望から、「美しい」「すばらしい」と感じる。
花火やサイダーを認識したり消費する時に。

だが、花火やサイダーという対象を求め続けるのは、過酷な現実の裏返しなんだよな。
自分が重力に支配されてる存在だということを、重力を超越する存在を無意識に欲望しているということを。

人間には、重力に逆らってパっと消えて咲く花火のエネルギーも、乾いた舌に刺さるサイダーの疾走感もない。


毎日毎日、泳げタイヤキ君が鉄板で焼かれるように、鉄やコンクリートの塊の上に立ち、精神や身体を焼き尽くされながら生きるための日銭を稼ぎ続ける人間。

だから穴埋めしようとしたんだ。
つまり、結論。

人間は無意識的に、重力から支配された日常から逃避したいがために、重力に逆らえる自由な存在である花火やサイダーを消費し、それらの対象に意識や自我を投影して現実を抑圧するというルサンチマン(奴隷道徳およびそれを物質化した産物の生産と消費による現実逃避)を実践している

ということ。
花火やサイダーも、重力からの解放を欲し続けた人間の欲望の産物、奴隷道徳の産物足り得る性質があるってことだ。

ああ、本当に哀れな存在だよ人間は。
花火やサイダーにはなれないのにね。

何言ってんだオッサン、って話かもだけどよ。
だがなぜ、花火を観たくなるのか?サイダーや酒を飲みたくなるのか?
それを考えてみろ。

花火を鑑賞する時、サイダーや酒やビールを飲む時、その瞬間、何かから解放される多幸感を得ていないか?

その何かは、重力に支配された日常だ。

荒唐無稽な妄言と、言い切れるのか?