逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

独身弱者男性が全集中して編み出した、人間の無意識にあるもの全てを顕在化する技を伝授します。

人間関係リセット症候群とは何か。それは競争社会が生んだ病であり、自分の価値を評価されるストレスから逃避するルサンチマン(防衛機制)

同世代の地元の友人は家庭や車を持っている。
仕事のための勉強をし、休日は育児や家族サービスで、SNSやネットに没入するような時間なんてない。

でもそれでも問題ない。
下部構造(経済活動)において、仕事に精を出し、自分よりも高い所得を得ている。
孤独な日々を過ごすアローン、独身の自分と違い、配偶者や子どももいる。
それらの点で、自己肯定感を得る機会が、低所得者やアローンよりも多いのではないだろうか?

逆に自己肯定感を、人間との触れ合いにあふれた仕事生活、下部構造から得ることができない自分のような人間は、インターネット等のヴァーチャル性の高い空間、上部構造の世界に主戦場を変える。

動物的な生殖行為およびそれに類する恋愛による生物的優越感、労働とマネーゲームによる経済的優越感を得ることができないため、ブクマの数やいいねの数やリツイートの数といった抽象性が高い優越感を求め、自己肯定感を得る手段を置き換える。

それは先日話をした、下部構造のストレスを上部構造に置き換えるルサンチマンともいえよう。

gyakutorajiro.com配偶者の不在。「別に独身でもいいじゃない」「おひとりさまでも楽しいよ」という、自分を肯定できる価値観(ルサンチマン)を探し、電脳空間を彷徨う。
しかし街を歩けば、哺乳類としての勝者たちの姿は嫌でも目に留まる。

家に帰り、ひろゆきや成田祐輔の動画などを見て、頭がよくなった気になり、ルーザーである自分から目を背ける。評論活動みたないな行為、もしくは個人的な趣味の世界に没入する。

どれだけブクマされたか、リツイートされた、インスタでいいねを貰ったか…等々。
喪失した自己肯定感を補填しようとする。

そんな効能がブログやSNSにはある。
まあ情けないっちゃあ、情けない。
ブクマやリツイートやいいねや再生回数の数で獲得する、束の間の自尊心。

だって、それでメシが食えるわけではないんだからね。
マツコの知らない世界」に出ている人たちみたいに、趣味レベルの上部構造の戯れが、仕事となり、経済的価値を纏って下部構造にまで価値が及んでいけばすごいと思うけどさ。

とはいえホットエントリーに入るのは、やはり嬉しい。
ワールドカップの記事は、11月第4週のブクマ数のランキングで5位だったので。

gyakutorajiro.com

blog.hatenablog.com承認欲求が満たされた。

余談だが承認欲求、および「承認されたい」という感情は、人間との関わり合いや相対化によって生じる感情ゆえ、ジャック・ラカン的に言えば正しくは「承認欲望」というのが正しいんだけどね。

gyakutorajiro.comで、ブクマされたワールドカップに関する記事について、アクセス数だけではなく。
はてなブログダッシュボードを見ると、どのサイトで引用されたのかも出ていた。

その引用元サイトを見た。
まずはid:araresp さんのサイト。

araresp.hateblo.jpホットエントリーになった記事とか、話題になったニュースをまとめてくれている。いいねこのサイト。
はてぶは常に情報が更新されるから、チェックし忘れることがある。見逃したはてなブックマークを振り返るのに役立つね。
個人的な好みのブクマもある。それもいい。

この「めざせポケモンマスター」をマッシュアップした曲、いいな。もう片方の曲は判らないけど。

www.nicovideo.jp俺が好きなマッシュアップも紹介しよう。

PUNPEE「Scenario」とサカナクション「忘れられないの」

www.youtube.com

千石撫子花澤香菜)「恋愛サーキュレーション」とPerfumeBaby Cruising Love

www.youtube.com
Earnshaw & Giles Vs Shakedow - Deja Vu At night (JedSet Mash Up)


話が逸れたな。
そしてもう1つが、これだね。

gigazine.netgigazineのサイトは知ってたけど、こんな風に毎日、話題になったニュースをまとめているのは知らなかった。

情報量が多過ぎて読み込みが遅いのが玉に瑕だが…まあこのサイトも役に立つ。
で、そのニュースを読んでいると、何か気になるワードがあった。
前置きが長くなったが今日の本題。
それは、

人間関係リセット症候群
というパワーワードだ。
なんじゃそりゃ?
と思って、気になって色々と調べた。

dic.nicovideo.jp

なるほど、突然、LINEをブロックしたり連絡先を変えるってか。
離人症離人感)や現実感消失とも似ているが、少し違うようだ。

www.msdmanuals.com離人感の症状

    自分の体、精神、感情、感覚などから自分が切り離されているような感じがします。

また現実感がない、あるいは自分がロボットのように感じられ、自分の言動を自分でコントロールできないと訴えることもあります。感情的または身体的に麻痺しているように感じることもあります。このような人は、自分の生活を外から観察している、あるいは自分のことを「生ける屍」などと表現することがあります。

現実感消失の症状

    外界(人、物、あらゆること)から切り離されているように感じられ、外界のことが現実ではないように思えます。

自分が夢や霧の中にいるかのように、あるいはガラスの壁や幕によって周囲から隔てられているかのように感じることもあります。世界が生命感や色彩を失ったように思えたり、人工物であるかのように感じたりします。世界が歪んで見えることもあります。例えば、物がぼやけて見えたり、異常に明瞭に見えたり、実際よりも平板に見えたり、現実と異なる大きさで見えたりします。音が実際と異なる大きさで聞こえることもあります。時間が現実とは異なる速さで経過しているように感じられることもあります。

しかし離人症と現実感消失も、人間関係リセット症候群と同様に、親や恋人や友人や同僚等、「人間関係の何かしらの強いストレス」の影響はあるようだ。

www.value-press.com受講者への聞き取り調査によりますと、ご自身の人間関係リセット症候群について、以下のように自己診断されていました。

・我慢ができない、すべてがめんどくさくなる

・少しでも人間関係がうまくいかないとストレスを感じリセットしたくなる

・すべておいて完璧主義で、自分にも人にも心を許せない

・対人不安、人間不信が根本にある

・LINEやSNSのつながりを急に絶つことを繰り返してきた

・人に裏切られてきた。人に裏切られることが怖い。なら自分からリセットしたほうが傷つかない

・人とうまくやろうとしてストレス限界を超えてしまう

・職場の人間関係がうまくいかず、転職・退職・休職を繰り返している

・子供時代から一人でいる時間が長かった

・ネガティブ思考で何事も増幅して悪く考えてしまう

HSPで人がいると勝手に神経過敏になり身構えてしまう

・もともとは我慢強い。しかし、その許容量を超えた時、すべてがどうでもよくなりリセットしたくなる

うつ病ですべてをリセットしたくなる

・人間関係をリセットした時の一時的にスッキリした気持ちいい感覚を知っている

・これ以上人間関係で傷つきたくない。それなら恋愛も結婚もしたくない

・人の視線やどう思われるか気になる

・人と距離をおいて付き合う癖がある

・職場の人間関係が嫌になり転職を繰り返し、人生が先細っていっている

・仲良くなるとぎこちなくなってしまう。それに耐えられない

・自己主張できず嫌な仕事を押し付けられる

・逃げ癖がついている、逃避依存

何に疲弊したか、わかるか。
「人間関係です」の一言じゃない。
ニコニコ大百科には「いろいろな状況に疲れて」とあるが、言葉足らずだ。
もっと深い理由、それを、教えてやろうか。

知る勇気があるならば言ってやる、それは、

自分の価値を評価されるのに疲弊したから
だ。

この資本主義社会で生きる人間は、ありとあらゆる場面で「評価」という競争主義の土俵に強制的に上げられている。
容姿、年収、学歴、社会的地位…といった、主に下部構造(経済活動)に関わる事柄だけでなく。

友人の数、フォロワーの数、スマホゲームのランキング等といったヴァーチャルな世界においてもだ。

「文化への造詣の深さ」のようなものも、競争の俎上に上げられて、マウンティング合戦の対象となる。
それをピエール・ブルデューは「ディスタンクシオン」と呼んだ。

gyakutorajiro.com

pinhukuro.exblog.jpハビトゥスと習慣の違いは、後者が既得化した諸特性を惰性的に反復再生産するという静的なものなのに対して前者は常に既存のシステムを更新して新たな慣習行動を生産する「強力な生成母胎」であり動的なものだ。

その生成に関わるのが、表題である「ディスタンクシオン」、つまり「卓越化」「差別化」、「他者から自分を区別してきわだたせること」のようだ。

だから疲れるんだ。
なぜ、これほどまにで、あらゆる事象が競争の俎上に上げられてしまうのか?

その原因は、マーシャル・マクルーハンの「グーテンベルクの銀河系」に書かれてる。


精神科医名越康文氏も勧めているようだ。

www.flierinc.comたとえば宗教人類学者の植島啓司先生は、僕が若い頃メディア論なら『グーテンベルクの銀河系』を読むようにと教えてくださいました。マーシャル・マクルーハンの名著ですね。
ロシアの文豪ドストエフスキーの著作をすすめてくださったのは、野口整体・身体教育研究所所長の野口裕之先生でした。どちらも時代を超えて読み継がれていますね。

僕の終生のテーマといってよい空海に関しては、以前、真言密教の中村公隆大阿闍梨から「意外に原著を読むのが近道」というアドバイスをいただきました。その通りに原著にあたると、まるで俳句や短歌を味わうように、意味は完全には分からなくとも感覚のほうから感じ入るような箇所に出会えました。

まあ「頂にある本」とかいう表現も、ディスタンクシオンであり、マウンティングではある。

僕ちんの本棚見せてあげようか?
ズラー、ズラズラー!どうや!?
難しい科学や医学や哲学や宗教の本がいっぱい!!

文学はジェイムズ・ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」とガブリエル・ガルシア・マルケスの「百年の孤独」!
村上春樹訳の「ロング・グッドバイ」が好きなんや~!
マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」の伏線回収もよかったな~!

どや俺の本棚!わかったか~!賢いやろ~!!

みたいなね。

意図的か否かに関わらず、そういう知的優越感をアピールしてしまうディスタンクシオンは、劣等感を他者に与えてしまう可能性はあるからな。

togetter.comまた話が逸れたので戻すが、マクルーハングーテンベルクの銀河系に何が書かれているのか?
それは一言でいえば、

メディアによる身体および意識の拡張による影響
についての話だ。身体や意識が拡張されるとはどういことか?
グーテンベルクの銀河系にはこう書いてある。

言語は、経験を備蓄するのみならず、経験を一つの形式から他の形式へと翻訳するという意味でメタファーといえよう。貨幣も、技術と労働とを備蓄するだけではなく、一つの技術を他の技術へ翻訳するという点でメタファーである。ところでこの交換と翻訳の原理、つまりメタファーの大本はわれわれのなかにある合理的な力(ラショナル)、すべての感覚を相互に翻訳しあう力のなかに内在しているのであり、われわれが刻一刻生きている間にもこの感覚の相互翻訳という作業が行われているのである。

しかしながら、車であろうが、文字であろうが、ラジオであろうが、身体の特定の機能を拡張するために開発された技術に対してわれわれが支払わなければならない代価がある。それは、これらの感覚の大規模な〈拡張〉は〈閉じられた〉系を作り上げる、という点である。もともとわれわれひとりが所有するそれぞれの感覚機能は閉じられた系ではありえない。なぜならばわれわれの感覚系統は、われわれが意識、つまり共有知識(con-sciousness)と呼ぶ経験のなかで、相互翻訳を無限にくりかえすからである。

それに比べ、われわれの感覚の拡張である道具、テクノロジーは、昔から今日に至るまで相互影響もしくはそれによる集団意識の達成を不可能にするような閉じられた系であった。

ところが今日の電気時代においては、技術開発から生れた機器の間に存在する共存状態がもつまさに瞬間的な性格(つまり、音声、画像など異なる領域のものが同時的に共存するということ)が、人類の歴史において未だかつてなかったような危機を作り出している、といえよう。

技術によって拡張されたわれわれの身体の働きや感覚が、今日ではすでに連続した単一の経験領域を構成している以上、そうした技術の諸領域も身体感覚同様に単一の集団意識を必要としているわけである。
すなわち、それらにも個人の感覚領域同様に相互作用が必至で、そのため〈合理的〉な共存を可能にするような相互比率が要求されるのである〔なぜならば合理(rational)とは適正な比率、割当(ratio,ration)にかかわるものだから〕。

われわれの技術が車とか文字とか貨幣とかのように移動速度の遅いものであるかぎりは、それぞれの技術が独立した閉じた系であっても、社会もわれわれの身体もそれを許容できよう。ところが視覚、聴覚、運動などが瞬間的に伝達されてしまい、それが世界的規模で行われるとあっては事情が全く変ってくる。われわれの身体機能の拡張である技術間で行われる相互作用が、技術全体のなかで相互比率をもつということは今や不可欠なことであり、それは、その普遍的人間性を保つために「明智」(ウィット)の名で呼ばれていた五感どうしの相互比率・均衡が必要とされたのと全く変らない。

(「グーテンベルクの銀河系 活字人間の形成 [ マーシャル・マクルーハン ]」p9-10)

身体の拡張は〈閉じられた系〉だと。
しかし、電気時代の技術革新は、その〈閉じられた系〉が崩壊する。
太字にしている部分は、閉じられた系が崩壊した現代の社会についてのマクルーハンの予言だ。
当たってるよな、「音声、画像など異なる領域のものが同時的に共存する」ってのは、TikTokやインスタグラム等のアプリがまさにそれだよ。

無限に繰り返す感覚器官の相互翻訳によって、感覚器官同士の相互比率が混乱していく。
だから生まれた。
インスタグラムが、TikTokが、ネットゲームが、はてなブックマークが生まれた。

冒頭に経済的優越感や生物的優越感の話をした。
そこではルーザーとウィナーが明確に分かれる残酷な世界だ。
それをマイルドに、希薄化しようして、人間は虚構の世界を作り出し、抽象的世界における知的優越感やマウンティング行為で、感覚比率を変化できる媒体を作り出した。
「絶望」という死に至る病となる感覚比率を防ごうとした。

ってのはまあ持論だが、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部のホームページにあった和田紳一郎氏という方の論文マクルーハンの《感覚比率》概念について――ブルデューの《ハビトゥス》概念との比較から――」にも、似たようなことが書いてある。

https://www.l.u-tokyo.ac.jp/~slogos/archive/27/wada2003.pdf

ただし、こうした実践が可能になるのは、不均衡に対する鋭い洞察眼あってのみである。マクルーハンの《感覚比率》論が実践の理論としてもし成功しているとすなら、それは数多くの文献から整合的に引き出した不均衡に対する洞察があったからである(先に挙げた現代の文字文化型人間における「喉元まで出てきているのに思い出せない」という度忘れの中に、視覚的記憶と聴覚的記憶が衝突することで起きるジレンマ、《感覚比率》の不均衡が見出された)。

そう、「感覚比率の不均衡」が、起きているんだ。
それが、度忘れや、ストレス、鬱、人間関係リセット症候群をもたらす。

あらゆる出来事が、ブログやツイッターやインスタグラムやyoutubeといったメディアによって拡張され、情報は拡散し、古い時代の〈閉じられた系〉は崩壊し、集団意識を形成し、ディスタンクシオンが加速する。

視覚や聴覚といった感覚器官から入る圧倒的情報、自分の社会的ポジション、身長や年収や学歴、生まれや育ちや親の職業や住んでいる地域、いいねの数やフォロワーの数など、膨大なパラメーターが無意識を汚染する。

その汚染は感覚器官に留まらない。
感覚器官に繋がる脳や神経や臓器といったその他の器官にも影響を及ぼし、「心の病」を引き起こす。

伝染する競争主義、強制的相対化によってコンプレックスを植え付けられる人間。
閉ざされたコミュニティがオープンになり、あらゆる情報が共有化される現実が立ち現れる時、自分の社会的ポジションが嫌でも認識させられる。

窓際三等兵や麻布競馬場が描くタワマン文学のような世界が広がる。あらゆる物事が競争主義に巻き込まれ、数値化され、マウンティングの材料と化すディスタンクシオンの砂漠が広がる。

そりゃリセットしたくなるよな。
わかる、俺にはわかるぞ。
人間関係リセット症候群になってしまう人の気持ちが。

そんな世界から逃れたい。最近のシティポップブームやレトロ嗜好等の懐古主義は、その集団意識を何とかしようと人間が無意識に行っている1つの脱構築(出来事)でもある。
ちょっと前、1990年代後半~2000年代に流行った「自分探しの旅」もそうだよ。
リアルでもヴァーチャルでも競争に苛まれ、疲弊していくこの地獄から逃れたい。

そんなわけで自分も、昭和懐古したくなったのかな。
最近、「寅さんサミット2022」というのに行ってきたんだよ。
俺は「逆寅次郎」と名乗る以上、寅さん、車寅次郎へのリスペクトも忘れてはならないしな。

torasan-summit.jp柴又駅を降りると、寅さんが出迎えてくれた。
優しい言葉をかけてくれる寅さん。

おい、しっかりしろ。
これからいいこといっぱい待ってるよ、な。

――第39作『寅次郎物語

いいねえ。寅さんの温もりを感じる。

柴又を歩くと、若いカップルや家族連れもいた。
皆、競争に疲弊し、競争が希薄な、閉ざされた世界へと逃げたいんだよな。
わかるぞ俺も。
山田洋次監督が描いた「男はつらいよの世界」、寅さんの世界は、一つの「閉じられた系」だ。
なぜか?
その答えはこの本にある。

…そして「俺には難しいことはわからないが、あんたが幸せになってくれたらいいと思っているよ」と言います。寅さんは相手の文化に染まりながら、相手の気持ちに共感しようとします。でも、十分な共感はできないことに、気づいています。

では、なぜ寅さんは、相手の世界に入り共感しようとできるのでしょうか。

【ポイント1】
人間の価値を評価しないこと、豊かな暇があること

それは、寅さんには、「人間の価値を評価する枠組み」がないこと「豊かな暇」があることです。寅さんは、お祭りの露天などでいろいろなものを売るテキヤ(露天商)です。そんな寅さんは、相手の人間としての価値を、職業、収入、着ている衣服、学歴などで評価しません。

そしてなんといっても寅さんの魅力は、自由に使える時間です。今日のことは、今日の風にきいて決めます。つまり、寅さんは、相手につき合う暇がたっぷりあるのです。言い換えれば、寅さんは、相手が入る心のスペースを、いつもオープンにしてあるのです。寅さんは、人の話をゆっくりと聴くことができます。ですから、相手が安心して話せるのです。寅さんは、本当に人の話をよく聴きますね。寅さんはたくさん喋っているようですけど、人の話を受け入れるスペースをたっぷりもっているのです。

(「寅さんとハマちゃんに学ぶ助け方・助けられ方の心理学 [ 石隈利紀 ]」p26-27)

そう、寅さんはこの現代社会という下部構造の価値基準、仕事や収入や学歴といった、殺伐とした価値基準で評価しないからこそ、愛されるのであり、言葉は悪いがストレスや不満を抑圧するルサンチマンを供給する存在でもあり、柴又という街や男はつらいよは、その舞台装置としても機能している。

比べてみたらいいよ。
例えば窓際三等兵さんのこのタワマン文学とか読んでみるとわかる。

togetter.com情報商材、副業、Twitter、インスタ、高級腕時計、有料note、ベントレーアフィリエイト町屋駅徒歩9分の築古アパート、スマホYouTube、ヒカル、業務スーパー、298円のチキン南蛮弁当、ストロングゼロ、アルミサッシからの冷たい風、渋谷ストリームのオフィス、東京理科大、NTT、早稲田の社学、Google、私立文系、自称GAFA社員、タイムズスクエア、スタバのコーヒーカップみずほ銀行メガバンク、JTC、NY駐在、TOEICの勉強、転職、大妻女子大、童貞、非モテ、ディズニー、パチスロ北斗の拳千葉大教育学部卒の中学教師、流山おおたかの森駅徒歩7分3LDKのマンション、タワマン、SAPIX、京成線の電車、スーパーひたち号、実家…。

競争主義社会が生んだ産物、競争を加速させる概念が、続々と出てくる。
人間の価値を評価する枠組みだらけで、殺伐としている。

寅さんのように暇を持て余すことは許さず、勉強や仕事といったノルマを分刻みで消化する生活を強いられる。

宇都美慶子は「誰にもわからない私の痛み」という曲で、「世界で一番不幸な気がする」と唄った。

www.youtube.comなぜそんな気持ちになってしまうのか?それは、他人や社会から強制される感覚器官が受け取った情報の相互翻訳を繰り返し、数値化されている情報に苦しめられ、知らず知らずのうちに、人間関係リセット症候群等の心の病へと向かってるからよ。

男はつらいよ」においても、確かに寅さんが年収や社会的地位の高い人間にマドンナを奪われるという競争の勝敗も無くはない。
ただ、負けたとしても、素晴らしい実存、旅に出て、自分の心を癒すフーテンの生き方があった。

寅さんも旅に出る時、一時的に人間関係をリセットするが、また柴又に舞い戻る。旅先でも人と触れ合い、温もりのある生活をしている。

しかし悲しいが、それは虚構。

現実は寅さんみたいな生き方なんて出来ない。ホームレスになるのが関の山で、より現実的なのは「男はつらいよ」ではなく、タワマン文学の側だ。
そう、虚構だと。
そうわかっていても、一時的だとしても、競争社会から逃避したい。

だから自分も、人間関係リセット症候群となるほどの甚大なストレスではないが、競争に疲弊したがゆえに、柴又に遊びに来たんだよ。
この町には、競争なんかない。
寅さんが帰る故郷、人を差別なんかしない、人情の町だよ。

なんてね、そんな感じで、歩いてたらよ。

タリーズコーヒー柴又駅前店の限定メニューらしい。
大行列が出来ていた・・・。

てめーら、また疲弊したいのか?
映える写真、エモい写真を、狩りたいのか?
こんなところでも、いいねやフォロワーの数を競う行為!
柴又に来たのに、インスタグラマーである自分を忘れることなく、投稿し続ける!

そういう競争行為が、ストレスとなり、殺伐としたマウンティング合戦を招き、鬱や心の病や人間関係リセット症候群を招くリスクを上げるんだぞ?
いい加減、やめねえか!?
ぬぬぬ~!(怒)

北斗の拳 10巻 [ 武論尊 ]