令和6年、元旦から能登半島地震が起きたり。
韓国の野党党首が襲われたり。
JAL機と海保機の衝突、乗務員達の冷静な判断と対応で何とかJAL機の方は死者無しだったけど、海保機の乗務員達に死者が出てしまったり。
🇺🇸🇯🇵 | 乗客全員の脱出「奇跡」 航空機衝突で米英メディア
— L.S.H (@LSH__Official) 2024年1月3日
日本のメディアと違って外国のメディアは独立している分、自分たちの意見で物事が言える
この映像は海保機と衝突したJAL便の中のCAさんが事態を対応している時だ
素晴らしい#ありがとうJAL #JALは日本の誇りpic.twitter.com/EGmmR0rp0g
酷いニュースばかりだ。
地獄だ、地獄。
被災した人に比べれば俺はマシな地獄だから、あまり泣き言は言ってられないけど、弱者男性の俺の人生も「生ぬるい地獄」ではある。
ただ、そんな俺の人生を少しでもマシにしてくれたのは。
松本人志の笑い、だったりする。
納得できない記事を見かけた。
「いじり」は笑いを提供しているのではない、嗤いで人々を支配したいだけだ
なんだ、これはよ…。
まるで、ダウンタウンの笑いが「嗤い」だと言うかのようなラベリング、話が尻切れトンボだぞ、続きあるはずだよな?
んなわけねえだろ、松本人志の笑いは、嗤いになんかとどまってねえよ。
そもそも嗤い、的ないじりはよ。
おぎやはぎ矢作とか。
ダウンタウンだけじゃないよ、これはコントの名目で男子学生に扮したおぎやはぎ矢作が17歳の新垣結衣に覆い被さってるところ
— 女たちのデータベース広場 (@females_db_park) 2023年12月31日
おっさん芸人が公私混同して若手や目が出てない女優志望にセクハラする文化が確実にある
そもそも男は芸人なのになぜ女は綺麗どころ持ってくるのかって、目的明らかじゃんね pic.twitter.com/JUqWElXG5m
松本人志、ダウンタウン軍団が叩かれて、とんねるず石橋貴明関連はあんまり動画が上がってこない。この流れで松嶋菜々子の黒歴史を上げてる人いるかなと思ったけど大晦日だから皆そんな暇ないのだと思う。昭和、平成は中々酷い時代。
— マルコポーロ (@malcopolo_suki) 2023年12月31日
松嶋菜々子https://t.co/Y37hmA3BcI pic.twitter.com/vOpaRdz9jb
松本人志にはおいては、この文脈で言われてるイジリ的な「嗤い」なんかではとどまってはいない事実がある。
松本人志性加害疑惑のスキャンダルが出たついでに、ダウンタウンの笑いを「嗤い」と、雑に非難している印象を受けるな。
この記事を書いた人は、松本人志の漫才やコント、ごっつええ感じ等を観てきた世代ではない、若い子であったり。
そもそもお笑い番組を観る習慣のない、別にお笑いがなくても人生OKという、この人みたいな方かもしれないね。
上で紹介した方のnote記事には、ベルクソンに関する言及があるから。
ベルクソンの「笑い」ぐらいは読んでるかもしれねえが。
そんなベルクソンが提示した笑いなんて、松本人志が生み出した数々の笑いやコンテンツは、余裕で上書きしてる。
それを示す前にまず、ベルクソンの笑いについて、端的に説明しておくか。
ベルクソンが著書「笑い」で定義した笑いは、大きく3つある。以下に定義と分かりやすい例を挙げて説明していく。
交叉。 ――だが、繰返しとひっくり返しとについては、我々はもういいかげん語った。我々はいまや系列の交叉interference des series を論ずる段取りになった。これは芝居に出てくる形式が何しろ非常にヴァラエティの多いものであるから、その定式を引き出すのにひどく困難な滑稽的効果の一つである。定義をするとなれば多分こんな風にしなければなるまいか。
或る情況が全然相独立している事件の二系列に同時に属しており、そしてそれが同時に全然異なった二つの意味に解釈できるとき、その情況は常に滑稽である。
(引用元:アンリ・ベルクソン『笑い』)
ある一つの出来事は、完全に個別しているものとして捉えられている。
しかし、その出来事の正反対の情況であったり、解釈が枝分かれする“交叉”が起きた時、「その一つの出来事は同時に二つの意味を現わす」ということだ。
例えば、ワンナイでぐっさんが(山口智充)がやってたチョコボーイ山口のコントがある。
すごい面白かったんだ、俺が中学生とか高校生の時だ。
俺が通ってた中学校は、公立でDQNも大勢いるところだったから、ビデオデッキがある図書室でエロビデオを鑑賞する輩とかがいた。
そんな性への関心が高まってる中学生や高校生が、ワンナイの、AV男優のチョコボール向井をオマージュしたネタ…面白くないわけがない。
チョコボーイ山口の動きは、例えば「グラニュー糖を加える」「花壇の土を掘る」等という行為だが。
この行為に、ベルクソンが言う交叉がある。
二つの系列、二つの意味があるのは、コントを観れば疑いのないことがわかるだろう(笑)
タモリ倶楽部の空耳アワーもそうだ。
一つの楽曲=出来事が、それ本来の意味ではなく、全く別の意味に解釈されている。
一つの出来事が二つに派生し、「その派生する支点で笑いが起きる」というのがベルクソンの考えよ。
換言すると、一つの出来事が二つもしくはそれ以上に枝分かれしていている支点、二つの系列が“交叉” (交差)する交叉点で、笑いが発生するというわけ。
このマネーの虎の動画が面白いのは、小林敬は真剣に「謙虚になれよ!」と真剣に怒っているのに。
「謙虚ライオン!」「出来ライオン!」と、全く意味不明な文字列、いくつもの交叉が連続的に発生している点だ。
繰り返し。――ここで問題になるのは、もはやさっきのよう に或る人物の繰り返す一言ないし一句ではなくて、一つの情況、すなわちもろもろの事情の一つの組み合わせである。
これは何度も何度もそのまんまの姿で立ち現われ、そうして刻々に変わる生の流れと対照をなしているのだ。経験が既にこの種のおかしみを、ただしかし未発達な状態において提供している。
(同上)
生とは時間の中で絶えず変化する生成変化の連続、同じことを繰り返すなんてのは、あり得ない。
日常でも、ルーティン・ワークという意味ではなく、厳密に同じことがそうそう連続的に起こるなんて、やたら滅多にはないだろう?
それにも関わらず、ひとつの情況や行為が何度も何度も繰り返し生起する繰り返しの事態は、奇妙だ。
ゆえに"笑い"が発生する可能性があるというのが、ベルクソンのいわんとしていることだろう。
一つ例を挙げると、このミスタードーナツのCMだ。
ダチョウ倶楽部の芸「聞いてないよ~」が、何度も連呼されている。
現実の生活において、「聞いてないよ~」を何度も連呼する必要はないが、CMではされている。
現実には滅多に起こりえない性質を帯びており、その繰り返しの構造が“笑い”であり“ユーモア”を生み出す。
漫才でいう「天丼」とかもそうだろうな。
ひっくり返し。――この第二の手立ては第一のと非常に類似したところがあるから、適用の方面にはあまり言を費やさないで、これを定義するだけにしておこう。
一定の情況の中にある若干の人物を想像してみたまえ。
その情況を裏表にし、かつ役割があべこべになるようにすれば、諸君は一つの喜劇的場面を得られるであろう。
(同上)
このひっくり返しは、例えばこのCMとかだな。
一般的に美人だったり、スレンダーであったり、ルッキズム的な基準で女性モデル等を採用している化粧品のコマーシャルに。
敢えて、しずちゃんだとか山咲トオルといった場違いな存在を採用し、違和感による笑いを誘発させる。
モノマネとかも、そうかもしれないね。
正月にキンタローが、アンジェリーナ・ジョリーのものまねをしていて笑ったが。
トゥームレイダーのララ・クロフトは、アンジェリーナ・ジョリーが正解だが、キンタローというニセモノが演じることで喜劇になる。
以上が、ベルクソンの著書「笑い」の大まかな要約だ。
で、ダウンタウンや松本人志の例が出てないがな。
それは以前の記事で既に散々、語ったが。
もう1回軽く説明すると。
松本人志が生み出した笑いには、ベルクソンが定義した交叉、繰り返し、ひっくり返し、それ以上のものが詰め込まれている。
例えば、西日本番町地図のコント1つだけでもだ。
交叉、繰り返し、ひっくり返し、全てが起きている。
福井の魅力を伝える際に「星きれ~い」と言うが、「それ福井だけか?」と解釈が枝分かれするような交叉を起こす。
番長が地元の魅力を繰り返し、口上で述べていく。
番長が喧嘩ではなく、なぜか口上で強さをアピールするひっくり返し。
1つの動画を取り上げただけで、これだけ見つかるんだよ。
すなわち、松本人志の「笑い」においては、ベルクソンの定義したものは既にやりつくしているし、まだ定義しきれていないものも生み出してきた。
もちろん、ベルクソンの話を否定しているわけではない。
「笑い」は笑いについて、言語化を試みている素晴らしい著作だと思う。
ただベルクソンにおいては、時間哲学や純粋持続の話の方が掘り下げる価値のある内容だと思うが、それは土俵が違う話だ。
つまり笑いにおいて、ベルクソンが松本人志の上に来ることはあり得ない。
俺が松本信者だからではなく、以上の客観的な事実の積み上げによって、それはわかるだろうよ。
松本人志やダウンタウンの笑いは「嗤い」と矮小化されるべきものではないことを、納得してくれただろうか?
大体、昨今流行ってるYoutuberのコムドットとか東海オンエアとかもだな。
ホモソーシャルの男同士で面白いことをやる、俺からすればよ。
いわば「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」で、ダウンタウン・ココリコ・山崎邦正(月亭邦正)を中心に行われていた企画の、劣化コピーみたいなものじゃねのか?ってね。
だけどそんなバッシングはね、コムドットや東海オンエアみたいな社会的成功者になれない俺みたいな弱者男性の妬みや僻みから来る情けないルサンチマンみたいでもあるから、食わず嫌いせず、ちゃんと観ようと思ったんだけど。
やはりどの動画も、視聴前の段階、企画内容それ自体の「引き」が弱いんだよな。
別にガキ使メンバーでも、コムドットでも、東海オンエアでもなく、属人性を無くした上で「企画それ自体が面白いか面白そうか?」という中身の部分において、やはりガキ使が上に来ると俺は判断しているから、Youtubeでこの中から暇つぶしをするならガキ使の過去動画を選ぶだろう。
ヤマトがSupreme転売ヤーに突撃する動画は面白かったけどな。
電波少年で、松本明子や出川哲郎が怖い人にハリセン叩きに行く企画を彷彿とさせたね。
こんな風にもちろん、コムドットや東海オンエアも、digすれば面白い動画もあるかもしれないが。
懐古主義ではないが、ガキ使や電波少年の全盛期の企画より面白いコンテンツがあるとは思えない。
あるんだったら俺みたいなオッサンに教えてほしいよ。
確かにガキ使では、岸部シローが落とし穴に落とされるような、いじめを彷彿とさせる企画はあるけど。
www.youtube.com俺はいじめられっ子だったし、今でも母校や地元は嫌いだけど。
いじめをいつまでも根に持ってるやつ
元いじめられっ子だけど、やっぱり忘れられないんだよな。エアガンで撃たれて太ももがミミズ腫れした思い出とか…。別に復讐とかの念はないけど、関わりたくないのよ。だから地元が嫌いになってしまう。愛郷心を失う
2023/11/13 11:34
岸部シローの動画は笑っちまったし、面白かったよ。
学校行きたくない月曜日を、日曜日のガキ使での笑いで、多少は救ってくれたよ。
「パンツもぎ取り合戦」とかな、動画が見当たらないが、それもものすごく面白かった。
それは特定の一人をいじめるようなものではなく、対等な決闘だったよ。
ていうかね、そういう倫理的にOKかNGかという線引きは、大切な場合もあるが、それが物事をつまらなくすることが多々ある。
立川談志も言ってだろうよ。
悪徳の臭いのしない芸は面白くない、落語とは業の肯定だ、ってね。
落語は非常識の肯定(立川談志(自称5代目)の名言) | 昭和ガイド
showa-g.org落語は常識に対して非常識の肯定。悪徳のにおいのしないものは私は芸として楽しくない
談志師匠の訃報を聞いて | ポンコツ山のタヌキの便り - 楽天ブログ
plaza.rakuten.co.jp寄ってたかって『人間を一人前にする』という理由で教育され、社会に組み込まれるが、当然それを嫌がる奴も出てくる。曰ク、不良だ、親不孝だ、世間知らずだ、立川談志だ、とこうなる。
それらを落語は見事に認めている。それどころか、常識とも非常識ともつかない、それ以前の人間の心の奥の、ドロドロした、まるでまとまらないモノまで、時には肯定している。それが談志のいう『落語』であり、『落語とは、人間の業の肯定である』ということであります。
『なら、いいこと、立派なことをするのも業ですネ』と言われれば、『そうだろう』ではあるものの、そっちの業は、どっかで胡散臭い。
森三中だってそうだ。
ミスリーディングを誘うような投稿があったけどな。
浜田に村上が胸を揉まれたり、黒沢がツッコミ(殴られたり)されるのは、本当に嫌だったと言い切れるか?
大島は、全裸で浜ちゃんの前に出てるんだぞ。
もちろん、勝手な決めつけはしないし、嫌だったかもしれないが。
だが、彼女達は、女性性よりも、芸人としての矜持を優先して、ガキ使で芸を魅せたんだよ。
その彼女達の芸を、セクハラや性加害のカテゴリに乱暴にラベリング、俺からしたらそれこそ芸人への冒涜に見えるけどね。
これも勝手な推測だが、森三中の大島は、松本人志の「遺書」を読んでいたかもしれない。
そこに「女は結局脱がれへんのや」的なことが書かれてた気がする。
大島美幸は、もしかしたらそれを読み、「そんなことねえよ!」と、松本人志に立ち向かったんだよ。
まさにインディペンデント・ウーマンだ。
フェミニストは、大島を脱がされた女性の被害者としてばかり見る、違うんだよ。
大島や森三中を、男性や女性といった性差を越えた、芸人として見ようとしない。
それは、彼女たちを個人として尊重していると、言えるのだろうか?
色々と語ってきたが、以上の検証によって、笑いに関してはやはり松本人志はトップランナーなのは間違いない。
松本人志を擁護するわけじゃないし、性加害があったならそれは糾弾されるべきことだとは思う。
被害女性の好意的なLINEメッセージの画像が流出したみたいだから、松本人志もリツイートしてたみたいだけどよ。
中身が好意的だからといって…という話もあるみたいだからな。
私過去に似たような状況だった時、こういうLINE送っちゃったな…で、すんごい自己嫌悪に陥るのよね。
— えびまよ (@nehaotonashime) 2024年1月5日
今思えば自己防衛というか自分に言い聞かせるために送ってしまったんよね。でも結局あとから不快感と自分に対する嫌悪感が勝ってしまって未だに定期的に思い出して泣きたくなる。 https://t.co/nk4opHrSvY
性被害者から直後にこのようなLINEがあったとしても何ら不思議とは思わないな。無かったことにしたい位の被害に直面した後の正常性バイアスもあるだろうし、ましてや、芸能界でやっていこうと思っている女性にとっては強迫観念はあっただろうから。そんな心の揺れも想像する。 https://t.co/VwR660Rkb5
— けむんぱす🇵🇸@肉球新党「猫の生活が第一」 (@1962_kemunpasu) 2024年1月5日
性加害があったなら、松本人志は非難されたり、テレビから干されるのも、仕方ないことかもしれない。
だが、彼が生み出してきた笑いやコンテンツまでも否定されるべきじゃない。
立川談志・糸井重里・三谷幸喜も認める存在でもあるんだからな。
web.archive.org談志「このあいだダウンタウン見て、”あっいいな”って、初めて気づきましたよ。”俺の若い頃にそっくりだ”って。それまで俺は松本人志を見損なってた。「見る目を損なっていた」という意味ね」
糸井「松ちゃんのことを、不良の立ち話にすぎない、芸でも何でもないという人もいますが、僕は松本人志の登場以降、自分が面白いと思うものを、不用意にそう言えなくなった。「そんなものが面白いの」と試されているようで。感じ悪いし、悔しいけど、彼の感覚は認めてしまう」
三谷「僕も松本さんは勝手にライバルだと思ってます。世の中に面白いものがあるんだというのを一所懸命に伝えようとしてらっしゃる点で、尊敬もしてますし」
その松本人志やダウンタウンを「嗤い」に矮小化するのは、ちょっと雑な議論なんじゃねえのか?
自分自身に問うてみるといい。
結局はそこに、ルサンチマンが見え隠れするんだよな。
弱者男性や老害が、金を持ち女にモテるコムドットや東海オンエアへの嫉妬心から、彼らのコンテンツを、観てもいないのに「こいつらつまらない」と、ルサンチマンをぶつけるように。
松本人志性加害疑惑…松本人志バッシングを行っている自分を、直視してみろ。
金もない、地位や名誉もない、仕事や仕事の実績もない…笑いも全く取れない、というか、話す友達や相手すらいない。
自分へのネガティブな感情や、鬱屈とした人生を過ごしている人間たちが。
SNSに集い、シャーデンフロイデ(他人の不幸を喜ぶ感情)の甘い蜜によって、自分の人生から目を逸らし、冴えない自分を自己認識してしまう悲劇や自己嫌悪を、抑圧してんだよ。
いわば人間は粒子加速器で、SNSは粒子砲みたいなもんだな。
自分自身への憤懣、ストレスの粒子が溜まり、高エネルギーとなり。
そのエネルギーを発散して冷ますために、自分以外へと、外部へと、SNSで陽子ビームを出してんだ。
ルサンチマンというビーム攻撃を食らい続け、テレビが面白くなくなった一面もあるだろうよ。
手前勝手な正義を振りかざし、他人のスキャンダルを「嗤う」ことで。
自分のコンプレックスを隠蔽したり、つまらない人生から目を背けてる自分は、情けねえと思わねえのかー!?