逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

独身弱者男性が全集中して編み出した、人間の無意識にあるもの全てを顕在化する技を伝授します。

【悲劇の再来】独身男性がマウンティングされ蹂躙される映像が流れた「開運!なんでも鑑定団」(2022年5月17日放送)

またやりやがった。
福澤朗、お前は一体、何なんだ。
なぜ、そこまでサディスティックなのか。

いつも通り俺は「開運!なんでも鑑定団」を見ていた。
この日の放送もよかったよ。

特に、アントニオ・フォンタネージの「沼の落日」という絵を知れたのはよかった。


(引用元:三重県立美術館 /所蔵品検索 / 沼の落日

カイジのLINEスタンプに「気がづけば沼の中心」というのがある。
まさに俺の人生に近い。

気が付けば独身、低所得の弱者男性、同世代の同級生たちに遊んでくれる機会も減り、年齢を重ねるとともに誰とも喋らない日が増えていることに気付く。

そんな哀愁の日々、沼の中でも、太陽は差し込んでくれる。
その美しい光、一瞬の陽光の輝きで、一時的だが色即是空の境地に至ることができた。

それがこの絵だ。
わかるか、この絵の魅力を?

色、意味付けのある世界、常に変化のある世界。
人間は色の世界にいる。意味にあふれた世界で常に自分を相対化し、自己嫌悪やノイローゼ、鬱にいたることもある。

過去や世界の色に囚われて、今を生きていない。
どれだけ環境や状況が酷くても、今、落日の輝きが降り注いでいる。

もちろん、その瞬間も色、移ろい、流れ、変化する。
だけどこの薄暗い沼に差し込む太陽の光のように、過去や未来、環境の影響を受けずに、今そこのみにて光輝く
それが空。
この絵は、沼で"色"を、そして光で"空"を表現した、般若心経や仏教の"色即是空"を表現している。

まあそんな感想とか今日はどうでもいいんだよ。

とにかく、なんでも鑑定団というのは、その価値をお金という世俗的な価値基準で評価するとともに、美術・芸術作品の魅力を楽しむ番組でもあるはずだ。

今ちゃんも、既婚者の出演者の奥さんが合コンで出会ったとかどうでもいい話になろうとした際、

そういう番組じゃないんで

と、言っただろう?
わかってるのか、それを。
にも関わらず、また罪を重ねた。

俺たち独身男性、弱者男性を・・・あざけり、嗤った!

その出演者は、自宅に隣接する小屋に、化石、琺瑯看板、書状や鉄道グッズ、レコード、ビックリマンシール、浮世絵やマッチラベル等、ありとあらゆる物を蒐集していた。
雑然とした小屋、見るからに整理されていない部屋に、大量に蒐集した物が置かれている。7千万ぐらい使ったらしく、週に1度コレクションを眺めるのが趣味らしい。

その様子のVTRを視聴しながら、コレクションルームを説明するナレーションを聴きながら、片渕茜アナは半笑いで、

(ふふふ)味のある

と言った。
何だ、それはよ。
ハンターハンターの11巻に出てくるベレー帽モブのように、俺は見逃さなかったぞ。

恐るべき一瞬の軽蔑。俺じゃなきゃ見逃しちゃうね。
まあ確かに汚い部屋ではあったから、半笑いになるのは仕方ねえだろう。

そんな、少し出品者を奇異の目で見るかのような雰囲気の中、福澤がまた、ぶっこんだ!

お姉さん以外のご家族はいらっしゃるんですか?一人で頑張ってらっしゃる?

出演者は無言でうなずく。
今ちゃんが言う。

福澤さん、アローンの人間に、アローン確認して黙るって、最低ですよ

今ちゃんがフォローして会場に笑いが起きたけどよ。
な・ん・な・ん・だ、一体!?

そんな風に、出演者が結婚しているか否かをいちいち明らかにして、それを確認して、何がしたいんだ?
俺の観測範囲だけで、前回の件も合わせると、これで3回目だぞ?
てめえの幸せを確認したいのか!?

「俺は結婚している、俺は蒐集なんかにのめり込まずに奥さんと子どもに囲まれて幸せだなぁ」と、実感してえのか?
加山雄三になったつもりか。
だけど加山雄三の「幸せだなぁ」は決して、人を落としめて傷つけるようなシャーデンフロイデ、メシウマ的な醜い幸せの現れじゃねえ。
お前は加山雄三になれない。
ゲスの極み乙女、ならぬ、ゲスの極みオートメーション(自動人形)だ。

まるで自動人形のように、支配的性愛イデオロギーを前提にし、出演者の社会的属性を確認する。
なんでいちいち、男性にとってコンプレックスかもしれない精神の核に、ジャストミートしようとするんだお前は?

ファイヤー!俺ってこういう際どい質問もぶっ込める、まだまだ勢いあるでしょ?

って言いたいのか?

否!

何もすごくねえ。

てめえがやってるのはタダの嫌がらせ、人のコンプレックスかもしれない事柄をかき回して、自己中心的な悦びに浸っているにすぎない。
公共の電波でサディスティック・マスターベーショニック・パフォーマンスを繰り広げている。

恥ずかしいと思うべきよ。

自分は恥ずかしいと思わず、視聴者全てに、共感性羞恥を与えている。
お前の問い、「一人で頑張ってらっしゃる?」によって、なんでも鑑定団を見ている全独身視聴者は、「ああ、やっぱり蒐集にのめり込むってことは、そうなのかなぁ」と、羞恥心を与えた。余計な感情を生み出した。
視聴者にマイナスの感情を生み出せる。気分を沈み込ませた、凍らせた。
どこがファイヤーだよ真逆だよ。
その凍てつく一言で、全ての視聴者の自尊心を凍らせる。
ダイヤモンド・ダスト・オブ・ジ・アナウンサーだ。
であり、羞恥心を与えた。
羞恥モンスター、の最上級、ミッシェル・ガン・羞恥モンスターよ。

それともなんだ、「違うんだ!」って言いたいのか?
弁明したいのか?
スタッフがカンペを出してるのか?事前の番組会議でそういう流れを作るようにしてるのか?
なるほど、集団でやってる可能性も、確かにあるかもしれない。
サディスティック福澤バンドってことか。

じゃあテレ東のスタッフ達にも告げておく。
調子に乗るなよと。
確かにお前らが作ったコンテンツ、池の水ぜんぶ抜く、路線バスの旅、家、ついて行ってイイですか、面白いよ。
そこは評価してるし、一視聴者として楽しんでるよ。
だけどこの、中途半端な男性いじり、独身男性をいじる嗤い。

もうやめにしねえか。

独身男性をいじるなら、松本人志がやってた「働くおっさん人形」「働くおっさん劇場」を超えるコンテンツにしてみろ。
大晦日を一人で過ごす野見さんみたいなコンテンツで、俺たちのリアルを描ききってみろ。
あの何ともいえない感じを出してみろ。

ためにもならない、笑いも起きない、中途半端な嗤いと人を傷つけるだけのカットはいらない。

お前らは知らない。

仕事に一区切りがつけば、神谷町や六本木のイタリアンバルだのラウンジだの割烹だのバーだのしゃらくせえ名前の店で酒を飲み、一度も想像したことがない。
俺たち独身たちのエレジー(哀歌)を。
百田尚樹永遠の0とは違う。特攻隊のように、残した家族、悲しむ家族、誰もいねえ。
誰からの記憶に残らず消えていく俺たち、永遠のゼロとして忘れ去られる現実を。
誰も墓参りに来ないかもしれない。
集合墓地で、樹木の下で、合葬、いや。
合葬すらされない可能性だってある。
風呂場で、細胞が壊死し皮膚がただれ、タンパク質が分解され液体となり、下水道に流れていく俺たちの人生。

もう1度述べておく。

あの嘲笑混じりのカットを、無自覚に、平気で流せるということ。
それは、孤独に日々を生きている者たち、涙を流しているかもしれない者たちへの思いを馳せる想像力を欠いた、人間の形をしているというだけの悪意の自動人形、ターミネーターだ。
あいつだあの~シュワちゃんじゃなくて悪い方の、液体金属のT-1000ってやつだ。

もしこのブログを、テレ東関係者、テレビ関係者、読んだなら。

番組を盛り上げるために、自らのコレクションを持ってきた出演者に、最低限の敬意を払いやがれ。
そして今すぐやめねえか。

つまらない独身いじり、三文芝居を、地上波で垂れ流すのを。