逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

独身弱者男性が全集中して編み出した、人間の無意識にあるもの全てを顕在化する技を伝授します。

中田敦彦のネタにはモーツァルトでノったりドストエフスキーを嗜む知性は必要ないが松本人志映画はディヴィット・リンチ映画を楽しめる趣味嗜好が求められる

昨日「松本人志」「中田敦彦」がツイッタートレンドになってたから。
なんだ?と思って調べたら、これか。

www.youtube.comなるほどね。松本人志を名指し批判かい。
と、ちょうど数日前に、中田敦彦松本人志の話をこのブログで書いてたからな。

「アクセス増えないかな~」っていう下心で、便乗してツイートしてみた。

まあでもそんなに増えなかったなぁ。

そんで、中田敦彦の動画も観てみたのよ。
いやー、足りないな。
松本人志への批判になってない、言語化できてない。

序盤の落語の話、漫才や手品が色物であった歴史の話とかは面白かったし。
エンタの神様の復興と没落、M-1の権威化および漫才の復権に関する話まではよかった。

けど中盤から、いざ松本人志批判が始まると、弱いな。
エビデンス的な事例が足りてない。

遺書で、ナイナイを非難したのは、松本人志の若い時の対抗意識だろ。
若い時はそういう「俺が一番、面白いんや」っていうギラギラ感があるのは別にいいんじゃねえのか。
それを、さも松本人志が常日頃、他の芸人を面白い、面白くないと評価して芸人のキャリア等に影響を及ぼすと一般化するには、事例が少なすぎる。
後はオリラジがPERFECT HUMANが話題になった時の、ワイドナショーのコメントか。

www.youtube.com

これはそんなにトゲがある感じか…シンプルに感想言ってるだけじゃねえのか。
しかし中田はこれが気に障ったというか、ショックだったのかもしれない。

先日、書いた記事に誤りがあった。

gyakutorajiro.comオリエンタルラジオは「武勇伝♪武勇伝♪でんででんでん♪」で、すぐ売れちゃったから。
あんまり、過去の芸人のネタを見聞きする機会がなかったのかもしれない。

しかし、リスペクトはしているようだ。
中田の動画でも、ダウンタウンのごっつええ感じやビジュアルバムにも言及していた。
つまり中田もやはり、松本人志への羨望や敬意があることが見受けられる。

ウエンツ瑛士も面白くない的なことを言ってるが、ウエンツの意見は気にも留めてないのだろうか。
本当は、松ちゃんもウエンツの意見も一人のお客さんの意見として向き合うべきなんだろうけどな。
松本人志の意見がやっぱり気になるんだな、中田敦彦は。

また、松本人志が「面白くない」というのは、芸人の評価うんぬんではなく、フリの場合が多々ある。
だからマシンガンズ等も、ボケたり、文句言ったりできたんだ。

松本人志は、敢えてイジッたり、ボケたりして、若手芸人に突っ込ませたりボケの機会を与えて、見せ場を作ってあげてるんだ。
道化師役を買って、若手が目立つ機会を与えているシーンを、観たことねえのかよ!?あっちゃんはよ。

逆に島田紳助は、あんまりそういう若手にボケさせたりツッコミさせてあげるような合いの手を入れなかった印象があるな。
全部自分が持っていく感じだ。
若手からエピソード貰って、自分がまとめて「泣けるやん」的な語り口で話を締めるシーンを、「深イイ話」等でよく見かけた。

そのネタ振りを、中田敦彦は印象操作するかのように、松本人志が芸人を評価したり、ナイナイやオリラジのように貶めたりしている、と言ってるかのような物語に仕立てて語ってるのが中盤だ。

そして「審査員やりすぎ」という話も、印象操作だな。
松本人志M-1やキング・オブ・コントでは審査員をやっているが。
漫談の「すべらない話」は、1人のプレイヤーだし。
大喜利の「IPPONグランプリ」や、審査員をやらない漫才の「ザ・セカンド」は、チェアマンやアンバサダー、言うなればガヤよ。
ガヤとして大会を盛り上げる役目だ。
それを「審査員をしている」というのは、印象操作だ。
M-1やキング・オブ・コントも、別に松本人志は1人の審査員であり、権力分散は出来ている。
松本人志に権力集中しているかのような中田敦彦の物言いは少し大げさな感じがある。

テレビ局や番組の事情もあるだろう。
やはりM-2層(男性35歳~49歳)やF-2層(女性35歳~49歳)以上の年齢層は、松本人志ダウンタウンの笑いをテレビで消費してきた世代だ。
親近感や影響力の観点から松本人志が使いやすいというのもあるはず。

つまり総じて、中田敦彦松本人志批判、審査員やりすぎ権力集中しすぎだという話は、印象論に留まってる。
納得できる事例等が足りていない感じだ。
同調する茂木健一郎も、印象論に留まっていて、自説を補強するファクトを積み上げていない。

そのため「松本人志、いつまでいるんや、むかつく」っていう感情優位のコンテンツになってる感じだ。
もちろんそういう感情優位のコンテンツも面白い場合もあるけどね。
しかし、いつものYouTube大学のような腑に落ちる納得感はない。

自分のネタはモーツァルトだ、ドストエフスキーだ、みたいなことも言ったみたいだな。

「武勇伝♪武勇伝♪でんででんでん♪」が面白くないって言われて、他の芸人のネタとかも観て、自己分析する謙虚さとかもねえのか。

まるで、北斗の拳に出てくるアミバだ。
「俺は天才だ~」ってか。

(引用元:北斗の拳 6巻 [ 武論尊 ]

もちろん、中田敦彦が生み出すコンテンツも面白い。
教養バラエティのコンテンツクリエイターとしては、ケンシロウラオウかもしれない。
だが、お笑いのケンシロウラオウは、やはり松本人志だ。

特に武勇伝のネタについては、やはり笑えない。
何が面白くないかというと、ネタの構造にある。

昔、西川きよしがこんなこと言ってたんだ。
「僕らの時代とは違うね。今は1分とか4分で笑わせないかん、そりゃ大変や。私らなんか15分とか30分とかあったから、そういう意味では今とは違うからね・・・」みたいなことを。

そう、武勇伝のネタが受けたのは、エンタの神様やレッドカーペットのような、1分や4分といった、短いパッケージがあったおかげよ。

当時、オリエンタルラジオは、女性の人気が強かった気がする。
中田敦彦も藤森慎吾も、当時流行ってたお兄系のファッションで、ぱっと見、カッコいい。
だからまず、女性が食いつく。
そしてカッコいい兄ちゃんが、短い尺の間で、ちょっと面白いことをいう。
だから売れた…というと暴論すぎるかもしれないが。
短いからこそ、トークやネタのボロが出にくい利点があり、一発芸等で勝負できる。

つまりオリエンタルラジオは、お笑い好きで、色々な芸人の漫才を観ている層ではなく。
お笑いにあまり興味ない、たまに見る程度の女性層にリーチした。
いわゆる弱者が強者に打ち勝つランチェスター戦略的な手法だ。

一方、お笑い好きや、俺みたいなライトなお笑いファンが武勇伝を観た場合、やはりこのネタの大きな欠点が気になる。
それは、モーツァルトの音楽とは異なりクラシック音楽的な重奏的な展開がない」ことよ。

例えばM-1やザ・セカンドで優勝するようなコンビのネタを観ればわかるように。
序盤のトークを伏線にしたり、一度使ったボケをもう1度形を変えて繰り出す(天丼)といった、多種多様な展開に持っていけるが。

「武勇伝♪武勇伝♪でんででんでん♪」(オリエンタルラジオ)、「どけどけ~どけどけ~」(いつもここから)、「ヒロシです…」(ヒロシ)、「あるある言いたい~」(レイザーラモンRG)というように、自らのネタをフォーマット化してしまった場合、視聴者としては見やすくてわかりやすいが、ネタの伏線や物語が重なり合う相乗効果が犠牲になる。

もちろん「いつもここから」や「くまだまさし」のように、1発のボケが面白ければ、別にボケ同士の繋がりとかストーリーがなくても面白い場合はあるけど。

だが、ボケとボケが繋がったり、話が盛り上がって抑揚が生まれたり、お互いがヒートアップして爆笑に至るようなことはないんだよな、フォーマットを作ってしまうと。

ザ・セカンドのギャロップの3本目のネタには、ラヴェルの「ボレロ」のような、ゆっくりとした清流が最後、荒々しい濁流(最後の「パン!」のところ)となっていく展開があっただろうよ。

www.youtube.com武勇伝のネタにあるか?
そういうクラシック音楽的な緩急だとか結末がよ。

もちろん、Youtube大学にはちゃんと、クラシック音楽のような面白さはある。
「なぜだろう?Why?」を喚起するような語り口調で、視聴者は中田敦彦にもやもやを抱かされる。
のらりくらり、しかし好奇心を刺激するように、展開していき。
しっかりと、説得力のあるエビデンスとともに、わかりやすく説明していく。

まず、疑問を抱かせる。
それが、パズルが解けていくような快感を生む。
腑に落ちる、腑に落ちる、腑に落ちる…を繰り返していき。

最初にした話題、2番目にした話題、3番目にした話題…それらの点が、線のように繋がり、大団円を迎える。

ラヴェルボレロで最後、全ての楽器が大合奏を奏でるかのように。

ja.m.wikipedia.orgこれだけを見ると極めて単調なように思われるが、実際の演奏は非常に豊かな色彩をみせる。曲は、スネアドラムによる後述のリズムが刻まれる中、フルートによって始まる。フルートはAの演奏を終えるとスネアドラムと同じリズムを刻み始め、代わってクラリネットがAのメロディーを奏でる。このように、次々と異なった楽器構成によりメロディーが奏でられ、メロディーもリズムも次第に勢いを増していく。そして最後には、フルート、ピッコロ、オーボエオーボエ・ダモーレ、コーラングレクラリネットファゴットコントラファゴット、ホルン、トランペット、ピッコロ・トランペット、トロンボーンテューバチェレスタ、ハープ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、スネアドラム、バスドラムという大編成で、フルート単独の時と同じメロディーが奏でられる。圧倒的な重厚さ(並行3度や5度を組み合わせたりもしている)でA、Bのメロディーを演奏すると、曲は初めてA、Bのメロディーを離れた旋律に移り、音量も最高潮を迎えた直後、最後の2小節で下降調のコーダで収束し、終焉を迎える。現代音楽のミニマル・ミュージックに通じる展開である。

だからYouTube大学はそうだよ。
クラシック音楽的な魅力はある。

松本人志のネタもクラシック音楽的なものもある。
それは前回語ったように、違和感という楽器を足していき、少しずつ日常から非日常へと変えて最後、非日常の爆笑(合奏)を生み出すんだ。


だが映画はどうだ?
中田敦彦は、松本人志の映画を芸人達が語らないことに苦言を呈してたけどよ。
そんで、「語っていいですか?」みたいなこと言ってたな。
ぜひYouTube大学で語ってほしいね、「大日本人」「しんぼる」「さや侍」「R100」の4作品について。

個人的には、松本人志の映画の4作目「R100」は、面白いよ。 

ダニー・ボイル監督でたとえるなら。
スラムドッグミリオネアよりも。

トランスが好きな場合は。

R100」も気に入るはずだ。

トロント国際映画祭で評価されたりもしたからな。

www.moview.jpまた、『R100』はアメリカ、イギリス、フランス、カナダ、ドイツ、ロシア、フィンランド、ベルギー、オランダ、イタリア、スペイン、ノルウェー、香港、台湾、中国、タイ、シンガポール、インドなど約20ヵ国のバイヤーより購入のオファーがあり、特にアメリカでは公開に向けて最終調整するなど各国のバイヤーからも高い関心が寄せられております。
また海外媒体からも評価が高く、トロントの大手月刊誌「Exclaim」は10段階中8をつけ「『R100』は驚きに溢れたアートであり、非常にスペシャルでユニークなシネマである。ジョン・ウォーターズやデイビッド・リンチのスタイルが好きな観客に、あの不思議で奇妙な世界観を大いに感じさせてくれるこの作品は、まさに喜びの唄なのである。」と称賛。
トロントの大手週刊誌「THE GRID」も同じく10段階中の8をつけ「『殺し屋1』を演じた大森南朋が、黒い皮に身を包んだ女王達に、喜びを感じながら打たれて羞恥を感じるその様は、最後に大事なクライマックスで見事に結実する。そして松本監督が、ジャパニーズシネマにおいて最も刺激的な作家であることを証明してくれる。」
世界的映画雑誌「HOLLYWOOD REPORTER」では、「SMをテーマにした作品において、ここまで美しく奇妙に創造された作品はいままでなかった。」
アメリカの最大手の映画サイト「TWITCH」では、「幸せを求める人間の限界を追求したこの作品は、強烈なまでに知性的で、笑いよりもむしろ才覚に溢れている。松本監督はこの地球上で最も最高でユニークな監督だ!」
と松本監督のオリジナリティを高く評価しております。

酷評もあったみたいだけど。

news.mynavi.jpその一方で、カナダの地元紙「トロント・スター」が59作品中最低の評価をつけたと報じられるなど、評価は二分。現地時間15日に発表される、最高賞「観客賞」の行方に注目が集まる。

俺も10年ぐらい前に映画館で観たけど、面白かった、ほんと。
「なんでこんなばかばかしいことに、真剣なの・・・」という奇妙な違和感から、笑ってしまいそうになった。

まるで、ディヴィット・リンチの映画を観ているのようだったな。
とか言うと、映画ファンは不愉快になるかもだが。

だがトロントで評価されたのは、リンチ映画等が好きなコアな映画ファンに受けたってのもあるだろうな。

そして松ちゃんも恐らく、ディヴィット・リンチが好きなんだ。
シネマ坊主でも、リンチ映画の「ストレイト・ストーリー」に言及してたみたいだからな。

momerath.a.la9.jp(管理人注*松本人志の本「シネマ坊主」の話題から)
ストレイト・ストーリー」のじいさんは、サンタクロースなのでは?という感想は、なるほど!と思いました。
まっちゃんが言うように、リンチ監督がそれを意識していなかったにしても。(2002 3/20)

リンチ映画は、ざっくり言えないが、敢えて端的にどういう特徴かというと。
現実と妄想、時間軸が混乱して、酩酊状態のような心地よさを誘うっていうのかな。
インランド・エンパイア」とかそうだった。

インランド・エンパイア
[STORY]
裕福な夫と豪邸に暮らす女優のニッキー(ローラ・ダーン)は新作映画『暗い明日の空の上で』の主演に抜擢され大喜び。しかし監督のスチュワート(ジェレ ミー・アイアンズ)から、この映画がお蔵入りとなったポーランド映画『47』のリメイクで、撮影中に主演の2人が殺されたいわくつきの作品だと知らされる。撮影に入り、ニッキーは映画のストーリーと共演者のデヴォン(ジャスティン・セロー)と不倫するようになり、次第に映画と現実の区別がつかなくなっていく。

R100も、心地よい混乱、酩酊状態のような感覚を覚えたね。
リンチ映画より難解ではないとは思うが。

そういったリンチ映画的な面白さがある。
松本人志の「R100」は。
例えるなら、大腸に滞在している“兎糞”(便秘等のため大腸内で集積・硬化した糞便)をどうにかしようと奮闘するような滑稽さ。

でもそんな映画、流行らないよな。
踊る大捜査線は面白くない」と松本人志は語ったようだ。

blog.livedoor.jp「大衆が好む娯楽大作は好きじゃないみたいに思えます。『マトリックス』『アルマゲドン』『踊る大捜査線』『千と千尋の神隠し』などが酷評されてましたね。特に『千と千尋の神隠し』については観てもいないのこき下ろしてました」

その通りだ。
けど流行る映画は大体、決まってんだ。
俺は最近、気づいた。

なぜ、踊る大捜査線は、松本人志の映画よりも流行るのか?

結局は、中心に人間のコンプレックスがある。
そして、その中心を穴埋めするルサンチマンを供給するコンテンツが、流行るんだ。

キャリアもない、社会的地位もあまり高くない、巡査部長の青島俊作織田裕二)が、キャリア組の強者である室井慎次柳葉敏郎)や沖田仁美(真矢みき)、凶悪犯という強者に立ち向かう姿に、自己投影する、観客は。

それは自分が弱者であることの裏返しだ。
「弱くても、キャリア組でなくても、カッコいい刑事として活躍できる」という心地よい物語に浸り、自分のコンプレックスを抑圧している。

エヴァンゲリオンもそうだ。
これは自己批判でもあるが、自分がエヴァにはまったのは、碇シンジのように冴えない男に自己投影し、美少女(綾波レイ惣流・アスカ・ラングレー)と疑似恋愛を愉しむ。
そして、人類補完計画で世界の消滅によって自らの劣等的な社会的地位も抹消する映像体験を、現実にも転移させて、自分のつまらない人生から目を背けて抑圧する。

踊る大捜査線池井戸潤の作品は、社会的地位が低い者が強者に打ち勝つジャイアントキリングというルサンチマンを供給して支持を集める。

エヴァンゲリオン(旧劇の方)は、自己嫌悪と劣等感が払拭できないオタクや弱者男性等に、皆が死に絶え平等に愛する人と精神的な同一化を果たせる世界(人類補完計画)というルサンチマンを与えて支持を集めた。

自らのコンプレックス、劣等感等、認知的不協和を解消してくれる物語(ルサンチマン)ばかりが流行る。

令和に流行ってる川崎鷹也「魔法の絨毯」だとか。

gyakutorajiro.comwacchiの「恋だろ」とかもそうだ。

www.youtube.com金がなくてもいいだろ、というルサンチマン(奴隷道徳)によって、金が無い現実を抑圧する。

金と性に関するテーマが多い。
人間の最大公約数的な悩みにアプローチするルサンチマン

西野カナ(会いたくて震える)だとか花花(あーよかったねの歌)が流行ったのもそうだ。
コンプレックスの源泉となる金(マネー)に関する話題を無いものとして、具体性をそぎ落とし、抽象化して、コンプレックスを抑圧する。
このルサンチマンは「抽象化による抑圧」と、以前語ったな。

gyakutorajiro.com

オリラジ中田の松本人志批判もそうだ。
エヴァンゲリオンへの愛が深い中田敦彦

www.youtube.comしかし、庵野秀明監督との対談を実現したのは松本人志だった。

www.primevideo.comなぜ自分ではない…そういう嫉妬心もあるんじゃねえのか。
まだ、求めてるのか?

登録者数も、再生回数も、金も、地位も、綺麗な奥さん(福田萌)と子どもも、海外での優雅な生活も手に入れてるにも関わらず、まだ、松本人志に追い付こう追い越そう、求め続ける中田敦彦の野心…すさまじいな。

松本人志への羨望、嫉妬。
それが、あの松本人志批判の動画として、ルサンチマンとして結実した。
いつものYouTube大学の理路整然としたキレがない。
エビデンスも不十分な自分語りだ…ルサンチマンがそこにはある。

甘美なルサンチマンに人は惹きつけられ、炎上する。
いいぞ、もっとやれと。
松本人志というジャイアントを打ち負かしてみろと、自己投影する視聴者もいるかもしれないね。

自分は全く自己投影できないけど。
中田敦彦松本人志も、庶民からすれば二人ともジャイアントだし、住む世界が違うからな。

だからそういうルサンチマンに満ちたコンテンツは、飽き飽きなんだ。
観てて共感するのも難しくなってきた。
つまんねぇんだよ。
満足すると思ってるのか?
虚構のルサンチマン(物語)が供給され、摂取しても、一時的な相対的幸福感に満たされるだけで、何も変わらない。
コンテンツを消化した当日は、その作品の感動や面白さの余韻で一時的幸福感がある。
しかし次の日には、自分のつまらない人生が何も変わっていない現実に直面する。
特に俺みたいなアラフォーになってくると、諦念と焦燥感と絶望感が日に日に増してくる。

だからまだ、松本人志の映画の方が観てて面白いよ。
勧善懲悪的な物語や、セカイ系や、ジャイアントキリングや、スカッと系コンテンツや、モテない男や女が報われるラブコメのような、自分のコンプレックスを解消するための道具として供給されるようなルサンチマンは、もう要らない。

R100」のような不気味さと滑稽さが混じった作品を求めてる。
松本人志には第5作目も、作ってほしいね。

面白くない、知性や教養がない、等の外野の声は気にするべきじゃない。
菊地成孔ってのも、「ユングサウンドトラック」って本で、「しんぼる」における知性や教養の欠如を指摘してる?ようだが。

wellwellwell.hatenablog.comそういう知性の引き合いは、松本人志批判の際によく利用される。
タモリ早稲田大学、たけしは明治大学を出ているから、それと比較して高卒の松本人志を知性の文脈に当てはめて語る論調がある。

慶応義塾大学卒のオリラジ中田にもその傾向が少しある気がする。知性を持ち出して自分の笑い等を補強するところが。

news.yahoo.co.jpこの学歴や知性等のマウンティングも、ルサンチマンの一つだ。
人気、マネー獲得能力、お笑いのクオリティ…勝てない相手に対抗するため、過去の自分の学歴等を直接的もしくは間接的に持ち出してマウンティングを取ろうとするルサンチマン
ああ情けない。
学歴の有無は知性に関係ねえだろうよ。

安藤忠雄の建築に触れた時、知性が無いと思うか?
あんなすごい構造物を生み出す安藤忠雄が、高卒だろうが知性は明らかにある。

菊地成孔日高屋で感動して箸が止まって、Official髭男dismが「Pretender」を生み出す際に影響を受けたとかいうaikoだってそうだ。

miyearnzzlabo.com

www.youtube.comaikoも別に有名な音大を出てるとかじゃねえだろうよ。

同様に、松本人志のコンテンツにも知性が見え隠れする時はある。

知性が持ち出されるとき、そこにはルサンチマンがある。
自らの経済的コンプレックス、性的コンプレックスや才能コンプレックス等を抑圧するため、無意識的に学歴マウンティングをする。

菊地成孔も「R100」は評価してたようだ。

fc0373.hatenablog.comこのR100は、映画における知性というか造詣が足りないと作れない作品のはずだよ。


まあとにかく以上の理由から、R100は面白いので観てほしいと思うね。

中田敦彦も、動画で語っていいですか的なこと言ってたんだから、ぜひ松本映画をYouTube大学で論評してほしいよ。