逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

独身弱者男性が全集中して編み出した、人間の無意識にあるもの全てを顕在化する技を伝授します。

ステークホルダーでもないのに自民党を支持する心理に潜む権威主義的パーソナリティ

id:koba_ji さんからブロガーバトンが来た!

kobaji.hatenablog.comなるほど、今週のお題「最近あった3つのいいこと」について書くってか。
孤独なソロ生活を送る自分に、この問いは難しい。
koba_jiさんのこの記事みたいなことを書きたい。

kobaji.hatenablog.com対して自分のブログはどうだ。
人が持っている無意識のルサンチマンだとか、職業差別の話だとか、暗い話ばっかり。

しかし小さな幸せを探すことも大事だよな。

頑張って考えてみた。

1.餃子、チャーハン、油淋鶏を同時に食べることができた

2.ピンクリボンの宿を紹介できた

3.権威主義的パーソナリティについて知ることができた

の3つだ。
1つずつ書いていこう。

1.餃子、チャーハン、油淋鶏を同時に食べることができた

これは非常に、些細な喜びだ。
例えば「餃子の王将」とかに行った時、こんなことはないだろうか。

チャーハンと、おかずの唐揚げや油淋鶏は来たけど、餃子が5~10分後ぐらいに来た

という事態。
俺はこれが非常に、店員さんに言ったりはしないが、少しイラっとくる。
だって・・・

三角食べをしたいでしょうが!

ってね。「北の国から」の田中邦衛のように、ガツンと言ってやりたくなる。
餃子の肉汁、油淋鶏の肉汁と、チャーハンを交互に、三角食べしたいのによ。
なんで餃子だけタイムラグ5~10分、生じるんだよ。

もちろん、店によってはそれが発生しないケースもあるけど。
たまに、忙しい時間帯とかに店内に行ってしまうと「餃子の焼き」が追い付かずに、餃子だけ後から出てくる事態に遭遇する。
それは餃子の王将だけでなく、中華料理屋でよくある。

逆に、チャーハンとか坦々焼きそばとか、炭水化物が先に来て、唐揚げとか餃子が5~10分ぐらい後に来るケースもあったりね。

いやおかずも欲しいでしょうが!

ってね。
まあ忙しい時は仕方ないかもだいけど。
自分のこの現象を、三角食べが達成できないという点、客の三角食べしたい欲求を無視しているという点で、

三角食べできないハラスメント

として、広めていきたいと考えている。
三角食べがしたいんだよ。
天津飯とスープだけ先に来ても、ダメなんだよ。
餃子もほぼ同時に食べたいんだよ。

だから三角食べができた日があったので、「最近あったいいこと」にカウントしたね。


2.ピンクリボンの宿を紹介できた

友人の母親が、乳がんになったという話を聞いた。
既に手術は終わり、その後、放射線治療をみっちりやったとのこと。

ただ、放射線治療によって、焼けた所が日焼け後みたいに皮がむけたりするようで。
プールの塩素とか、温泉とか、色々と制限があるようだ。
そんで、何気なく調べたリンクを友人に送ってあげた。

www.akiramenai-gan.compinkoyadnet.tabi-kura.comそしたら「ありがとう」と感謝してくれた。
確かに温泉も、放射線治療跡が気になって入りにくい場合もあるようだけど。
宿泊費は高くなるだろうけど、部屋風呂とか個室の温泉なら抵抗も小さいだろうし。
成分も、赤ちゃんでも入れるような、弱いアルカリ性だと大丈夫な場合もあるようだ。

もちろん、アルカリ性だからといって温泉に入っていいかどうかについては、ちゃんと医者に相談はしないといけないけどね。

感謝されたから「たまには俺いいことしたかな?」なんて思ったりな。

 

3.権威主義的パーソナリティについて知ることができた

安部元首相の例の事件によって、最近、すごい社会の分断を感じる。

gyakutorajiro.comの記事にも書いたけど。自民党支持者の人は、安部批判をしていた人を「アベガー」といって、ここぞとばかりに糾弾する。
安部批判をしていた人は、どういう態度になっているか知らないけど。

自分は、批判それ自体は悪いことだとは思わない。
民主主義なんだから、それは大切なことだろうよ。
出来る限り人の主義・主張・信条は尊重した上で、「しかしそれはおかしいのでは?」という事があれば、相手の人格等を否定しない形式で、その行為等を追求するべきだとは思うし。

でも汚い言葉で、人格否定するような言葉もあったりする。品がない人が多い。

本当は、お釈迦様が言うように「中道」「中庸」のような、平和な社会だったらいいんだけど、なかなか現実は宗教的世界観のようにうまくいかないな。
それゆえに、宗教団体に大金を献金するような事態もあり得るのだろうか。安定した世界を手に入れるために。

まあそれはさておき、支持政党については、人それぞれ、自分に利益をもたらしてくれるステークホルダーは違うだろうから。
自民党を支持するのも、立憲民主党を支持するのも、共産党を支持するのも、自由だし、その自由が担保されていることは民主主義の多様性が守られていることだから、素晴らしいことだとは思うが。

1点、疑問に思ってることがあった。
それは、

なんでこの人、自民党ステークホルダーでもないのに、自民党支持なんだろうか?

という疑問だ。
例えば自分と同じく所得が低い人、派遣社員契約社員やフリーターの中にも、自民党支持者がいる。

銀行や鉄道会社や不動産会社に勤める友人が、自民党支持なのは何となくわかる。
企業など法人を尊重する政策をしてくれる政権の方が、自分の組織も安定するだろう。

逆に俺は派遣社員として、なんか色々と搾取を感じたことが多かったからな。
この記事にも書いたけど。

gyakutorajiro.comピンハネ」「派遣企業の伸張をもたらした」自民党のKや、それに繋がってるTに、少し嫌悪感がある。
ちなみにKとかTという表現は、この記事を読んで参考になったので、使うことにした。

nyaaat.hatenablog.com派遣企業への恨みから、ついこんなこと呟いたこともあったっけw

「メンバーシップ型雇用」ってわかりにくい言い回しだな。「多重下請けで中抜きされて現場で汗流すエンジニアに金が落ちてこない雇用」でいいんだよ。 

別に自民党でも、自民党以外の政党でもいいんだけど、派遣労働者を守るために「給与還元率」で規制を設けてほしいと考えている。
この記事にあるように、給与還元率が8割超えの派遣企業もあるみたいだ。

journal.peakers.jpだからITエンジニア派遣とか、人材派遣とか、人を派遣する際に中抜きしまくる派遣会社は、要らないと思ってる。
本当は派遣という雇用業態自体、好きではないんだけど。
「会社経営して利益も出してる私が賃上げをしない理由」っていう記事で読んで、経営者の気持ちも少し分かった。

anond.hatelabo.jp企業は人件費を固定費(固定資産)ではなく流動費(流動資産)として使いたいっていう話だから、まあ仕方ない部分もある。

だからせめて、派遣会社を利用するのは仕方ないにせよ。
このリベラルエンジニアズっていう派遣会社さんみたいに、働く人、現場で手を動かす人や汗を流す人に、高く還元してほしいんだよな。
3割~6割中抜きするような派遣会社は、本当に要らない。

なんか話が逸れたな。

そう、なんで全く自民党ステークホルダーではない低所得者が、自民党支持なのかについて。

その謎を明らかにするために、最近「おっ」と思ったのが、エーリッヒ・フロムの「権威主義的パーソナリティ」という概念だ。

www.21medical.orgまた、次いで取り上げたのは彼らフランクフルト学派が唱えた「権威主義的パーソナリティ」。人は自由を求めているようでいて実は無自覚的に権威や規制にしばられたいという性質のことである。不適切だったり古くなったりした規制や手順の修正に動けばそこには責任がのしかかってくる。周囲の賛同を得るまでは孤独でもある。一方、規制通りに仕事を進めれば批判されることは無いし責任もとらなくていい。官僚主義、前例主義は気楽で居心地がよいというのである。自由に生きていい筈なのに、権威主義とは自由であることが苦しくそこから逃げ出したくなる大衆心理、それが当時のナチズムを生んだ正体であるというのが彼らの出した答えであり、鳥が鳥かごに戻りたくなるという、「自由からの逃走」行動だ。

1000retire.hatenablog.comhoshinokatachimi.blog.jpameblo.jp強いものに従順で、強いものに同一化したくなる。
テオドール・アドルノの「権威主義的パーソナリティ」っていう本があるみたいだけど、高すぎて手に入れられないな。

webcatplus.nii.ac.jpテオドール・ルートヴィヒ・アドルノ=ヴィーゼングルント(Theodor Ludwig Adorno-Wiesengrund、1903年9月11日 - 1969年8月6日)はドイツの哲学者、社会学者、音楽評論家、作曲家。 マックス・ホルクハイマー、次世代のユルゲン・ハーバーマスらとともにフランクフルト学派を代表する思想家であり、その影響は現在でもなお大きい。 ナチスに協力した一般人の心理的傾向を研究し、権威主義的パーソナリティについて解明した。 権威主義的態度を測定するためのファシズムスケール(Fスケール)の開発者であり、20世紀における社会心理学研究の代表的人物である。

news.yahoo.co.jpphilosophy.hix05.com

日本だと「ヤンキーとかそうでないか?」と思った。

俺がかつて出会った、自民党が全くステークホルダーではないはずなのに、自民党支持者の人も、元ヤンだった。
そしたら、それを分析してそうな本があったな。


斉藤環の本。また時間あった時に読んでみるか。

自分の今、手元にあるスラヴォイ・ジジェクの本にも、権威主義的パーソナリティに言及しているような箇所があった。
ジジェクは、その権威主義的な法を前提とするカントやデカルトを、ラカン精神分析理論を用いながら批判している。

啓蒙の主要モチーフは、もちろん、「自立的に考えよ!」という命令のいくつかのヴァリエーションである。「自分の頭で考えよ」「あらゆる偏見を捨てよ」「その合理的根拠に疑問を投じずには何物も受け入れるな」「つねに批判的距離を保て」等々。

だが、カントはすでに、その有名な文章『啓蒙とは何か』において、不快にして不安な補足をこれに付け加え、啓蒙の企図の中心部に一種の亀裂を生じさせた。「何でも好きなものについて、好きなだけ考えよ。しかし服従せよ!」
これはつまり、啓蒙された聴衆に語りかける、理論的思索の自律した主体として、われわれは自由に考えることができるし、あらゆる権威に疑問を投じることができるが、社会的「機械」の一部として、つまり主体(サブジェクト)としてではなく臣民(サブジェクト)として、われわれは目上の命令に無条件に従わなければならない、ということだ。

この亀裂は、啓蒙の企図そのものに最初から含まれている。それはすでにデカルトの『方法序説』に見られる。いっさいを疑い、世界の存在そのものに疑問を投じるコギトの裏面は、デカルト的な「暫定的道徳」、すなわち哲学的な旅の日常生活を生き抜くためにデカルトが打ち立てた一連の格率である。

まさにその最初の格率は、自分が生まれた国の慣習と法を、その権威に疑問を抱くことなく受け入れ、従うことの必要性を強調している。

(引用元:「イデオロギーの崇高な対象 [ スラヴォイ・ジジェク ]」症候からサントムへ)

ドゥルーズも、デカルト的なコギト、それを「概念というものは究極的な基礎ではありえないのだ」って、批判してたな。

gyakutorajiro.comジジェクは、カントの思想の背後に、その前提にしている価値観について述べている。

もちろん、啓蒙主義のいちばんの錯覚は、われわれは社会的慣習という外的な「機械」から単純な距離を保つことができ、それによってわれわれの内的な反省の空間を、慣習の外在性によって汚されないままにしておくことができる、という考え方であるといえよう。

だが、この批判はカントにはあてはまらない。というのもカントは、定言的命法を肯定するにあたって、内的な道徳律それ自体が外傷的で真理も意味もないことだということを考慮に入れている。カントのいう定言的命法とはまさしく、真であることなしに必然的で無条件の権威をもった法に他ならない。

それは――カント自身の言葉によれば――一種の「先験的事実」、あたえられた事実であって、それが真理か否かは理論的に証明することができない。だが、われわれの道徳的行為がなにがしかの意味をもつためには、その無条件の価値を前提としなければならないのだ。

(引用元:「イデオロギーの崇高な対象 [ スラヴォイ・ジジェク ]」症候からサントムへ)

カントは「先験的事実」として、法を疑ったりしなかったんだろうか。
法は真理か否かの証明はできないがゆえに、内的な道徳律として、それを前提としなければならないというわけか。

ファシストは、自分たちがイタリアを支配するのだという主張を、どうやって正当化するのか。そのプログラムは?」という質問にたいする、ムッソリーニの有名な答えを思い出してみればいい。「われわれのプログラムはきわめて単純だ。われわれはイタリアを支配したいのだ」。

ファシズムイデオロギーの力は、自由主義的な、あるいは左翼の批判者が、ファシズムの最大の弱点だとみなした、まさにその特徴にあるのだ。その特徴とは、そのアピールがまったく空虚で形式的だということ、服従のための服従、犠牲のための犠牲を要求するということである。

ファシストイデオロギーにとって、重要なのは、手段としての犠牲の価値ではなく、犠牲の形式それ自体である。それは「犠牲の精神」であり、自由主義デカダンスという病に対する治療なのである。

どうしてファシズム精神分析に脅えたのかも明らかだ。われわれは精神分析によって形式的犠牲というこの行為の中にはたらいている猥褻な享楽を突き止めることができるからだ。

(引用元:「イデオロギーの崇高な対象 [ スラヴォイ・ジジェク ]」症候からサントムへ)

自由であることの辛さ、それゆえの格差の増大、退廃的な日々を強いられる現実などなど。
その反動で、それを解消してくれる圧倒的強者、ファシストを、救世主として求める。

ヤンキーといえば、自己犠牲の精神だ。
部隊のしんがりを務めることもあるかもしれない。
秩序のため、チームのために、自分を差し出す物語に同一化し、享楽(反復性を備えた欲動)を満たす快楽を得ているかもしれない。

反グレはまた違うだろうな。反グレは倫理感が欠如した利己主義者が多いだろうから、恐らく自らのステークホルダーに成り得る政党を合理的に選んでいるような感じがする。

後は「他者のまなざし」もあるかもしれない。
例えば会社の同僚、自分のパートナーとか家族や友人が、自民党を支持していた場合は。
その他者のまなざし、相手に同一化したい、同調圧力等から、自民党を支持するケースがあるだろう。

政策の中身は重要ではなかったり。
それゆえ、テレビに出たり、SNS等で好感度や親近感を高めるイメージ戦略というのは、マニフェストの中身を洗練させるより効果がある場合も多々あるかもな。

他にも、この漫画のケース。

(引用元:漫画ルポ 中年童貞 [ 桜壱バーゲン ]p86-87)

性的欲望の未達と欠如によって、ナショナリズムヴァーチャル階級闘争のような言論活動に傾倒し、承認欲望を満たそうとする者もだろう。
しかし政治意識が高いということは、権威主義的パーソナリティがもたらす無意識的な行動ではなく、何らかの出来事によって判断して、ネトウヨ活動を行っている可能性もあるな。

むしろ「大都市に住むミドルクラス」のようなサラリーマンの方が、権威主義的パーソナリティによって右翼的活動に傾倒しやすいのかもしれない。

www.j-cast.com強者への同一化、強者が備える象徴の獲得とともに。
日々、仕事でノルマや売上に追われているがゆえに、低所得者ニート等は「税金をあまり納めてないがんばってないやつら」という意識があり、自分と対照的な生活を送っている者達への嫌悪感から、権威主義的パーソナリティを醸成してそうだ。

ネット右翼の逆襲」を読んでみないと、具体的にはわからないかもだけど。

何にせよ、政策の中身とかステークホルダーか否かではなく、無意識的に「強いものへの同一化」「他人のまなざしを気にするがゆえの同一化」を行ってしまう場合、その対象として、自民党はやはり支持を得やすい気がするな。

なんか「最近あったいいこと」の話からずれてる気がするけど「新しい概念を知ることができた」という点で、まあいいことかなと。

 

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さて、バトンを回す人だけど。
今までスターをくれた人から選ぼうと思って、でも専門ブログをやってる人も多いから、あんまり「今週のお題」テーマが向いてないような気がした。
だから自分と同じく雑記ブログの人から選ぼうかな、と思って。

であれば、

id:naruzawan さん

にお願いしようかな。
自分と同じく、たまに闇を感じさせるような記事もあって、なんか勝手に共感したりw

blog.naruzawan.net

 

後は、メンタルケアに詳しい id:k_k_azuki さんとか。

mento-re.com森林浴の効果についての記事、参考になった。

森に行って小鳥のさえずりとかを聴けたら。
それも「いいこと」に成り得るかもしれない。
古川麦「Green Turquoise」のPVに出てくるような、緑豊かな森でのんびりしたい。

www.youtube.com暑いのと虫は嫌だけど。

「最近あった3つのいいこと」というテーマでも、なんかメンタル不調を改善してくれるような、些細な幸せを見つけるのが得意な方ではないかと勝手に推測している。

気が向いたらよろしくお願いします。