逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

独身弱者男性が全集中して編み出した、人間の無意識にあるもの全てを顕在化する技を伝授します。

ホスト遊びにハマる女性の精神構造をラカン的精神分析で解説

いつの時代も、ホスト遊びで身を滅ぼす女性は存在する。

friday.kodansha.co.jp痛ましい事件だ。こんなに子どもを苦しめるなら生んではいけないだろうな。
この事件が発生する原因以前に、どうして女性はホスト通いしまうのだろうか。
今回はホスト遊びにはまりやすい人が多い風俗嬢の視点で、その精神の動きを追ってみよう。

(引用元:闇金ウシジマくん(22)[ 真鍋昌平 ]

まず、風俗嬢は何を考えているのか、調べてみた。

www.mikunikki.comを読むと、客の行動において嫌悪感を覚える特徴などが詳述されている。
しかし動物的で生理的な次元によると、以下のような客が嫌のようだ。

www.youtube.com風俗嬢が嫌がる客TOP3
3位:陰キャ
陰キャまじで喋らない。おっぱいへの執着やばい 喋りかけても「あっ…はい」「あっ…えっと」とかお前小林製薬かよってぐらい「あっ」て言う 多分こいつらがおじさんになったら「キモおじ」に進化していくからコイキング的雑魚キャラ。

2位:陽キャ
足元から頭の先までカラフルでお前らミッ●ーのテクニカルパレードから状態の若い陽キャが無理 うぃーい的な感覚で俺イケてるっしょ!おっぱい!みたいなノリがマジで無理。だいたいジーンズがダメージ受けてるやつばっかりで戦場に帰れ

1位:キモおじ
こいつらは自分でキモい事を理解しているから余裕でキモい事をしてくる全風俗嬢の敵である存在 鼻舐めてきたり脇舐めてきたりとりあえずキモい 逆にキモがられている事に興奮しそうな感じもする 「キモい」という看板を背負った悲しいモンスター

なるほど、つまり風俗嬢は、日常的にキモおじと接する機会が多いということだ。

colabo-official.net私たちは買われた展、なんというパワーワードだ。
colaboという団体がやっているらしい。

代表の仁藤夢乃という人は聞いたことがある。
youtubeでも発信しているようだ。

www.youtube.comキモいおじさんシリーズ、まあそうだよね。
こんな風に、風俗で働かざるを得ない女性は、キモいおじさんとの遭遇を回避できない。

この状況を、ジャック・ラカンの欲望のグラフ第2図(※)で表すと、こうなる。
(※このグラフについては「欲望と欲動と欲求の違いについてラカンおよびフロイトの精神分析と闇金ウシジマくんの実例で解説」の記事にて説明)


(画像引用元:「イデオロギーの崇高な対象 [ スラヴォイ・ジジェク ]漫画ルポ 中年童貞 [ 桜壱バーゲン ]

上記のように、日常生活にキモおじのシニフィアンがあふれていることになる。

どうしてもお金を得る必要があるがゆえに、陰キャ陽キャ・キモおじ等、他の目的のために嫌な客を相手することも受忍し、仕事を続けることができるだろう。
しかしここから、第2図のような象徴的同一化に至ることができなかった場合、欲望のグラフ第3図に突入する。

風俗で働く、お金が第一目的だ。
合理的に考えれば、稼いだお金をホスト遊びに使ってしまったら、風俗で働く目的がなくなる。
だからほとんどの風俗嬢は、学費だとか子どもの育児の為とか、やむを得ない理由で風俗で働き、欲望のグラフ第2図のような推移をする。

しかし、そうならないケースが第3図に記載されている「汝、何を欲するか?」だ。
あまりにも強大な支配的シニフィアン、キモおじの過剰流入によって、どうしてもそれを打ち消したくなる欲望が生じる。
「汝、何を欲するか?」いう、他者からの要求、自らの自我の意識が命じる内なる要求への答えは「イケメン」「王子様」と、キモおじとは真逆の特徴を兼ね備えた対象を欲望する。

それを図示すると、こうなる。

 

(画像引用元:「イデオロギーの崇高な対象 [ スラヴォイ・ジジェク ]漫画ルポ 中年童貞 [ 桜壱バーゲン ]夜王 1 [ 倉科遼 ]

キモおじに性奉仕するメイドではなく、ルッキズム的魅惑を備えた王子様、ホストによって、体も心も癒してもらわなければ、安定化した自我を保つのが困難になってしまう。
第3図において、欲望(d)は、a(対象a)に向かっている。
ここから女性は、「享楽」の循環運動に突入する。

享楽については、以前引用したジジェクのテクストでも説明されているように、到達するのが困難な対象を求め続ける欲動の運動であり、「苦痛の中の快感」だ。
ジャック・ラカン「すべての欲動は潜在的死の欲動である」と述べたように、これを追及し続けることは、極めて危険な行為で、死の欲動に接近する。

これは現実の実例もたくさんあるので、後述する。

しかし、節度あるホスト遊びができる女性もある。
この「節度あるホスト遊びができる女性」は、享楽の循環運動から抜け出し、ラカンの欲望のグラフ第4図の左下のI(A)に至る。

(画像引用元:「イデオロギーの崇高な対象 [ スラヴォイ・ジジェク ]

この第4図の左上の欲望の出発点(△)に「享楽」があるのはなぜか?

それは第2図の段階で、キモおじのシニフィアンの影響を受けた風俗嬢が、「汝、何を欲するか?」という欲望のグラフ第3図へと突入し、対象a(キモおじ等の客によって傷ついた自尊心を癒せる存在)を求め続ける疎外の状態、$◇a [S barré poinçon petit a(エス・パレ・ポワンソン・プテイタ)]の袋小路の突入を経験していたからだ。

それゆえ、第4図の欲望の左上(象徴界の影響を受けた欲望)の出発点が「享楽」になっている。

そして、ラカン「叫び」と呼ぶ右側の"$◇D"[S barré poinçon grand(エス・パレ・ポワンソン・グランデ)]の交叉について、ジジェクはこう語る。

明らかにすべき最終の点は、どうして享楽とシニフィアンの右側の交点に欲動の公式があるのか、ということである。すでに述べたように、シニフィアンは身体を分断し、身体から享楽を排出させてしまうが、この「排出」(ジャック=アラン・ミレール)はけっして完全には達成されない。
象徴的な〈他者〉の砂漠の周辺には、つねになんらかの残滓が、享楽のオアシスが、いわゆる「性感帯」が、いまだに享楽が浸透している断片が、散財している。
そして、フロイトのいう欲動はそれらの残滓の間を循環し、脈動しているのだ。

それらの性感帯がD(象徴的要求)で表されるのは、それらには「自然な」「生物学的な」ところはまったくないからである。身体のどの部分が「享楽の排出」の後に生き残るかは、生理学によってではなく、身体がシニフィアンによっていかに分断されるかによって決定される(それを確証しているのが、首とか鼻など、「正常な」場合には享楽が排出されている身体部分がふたたびエロス化されるという、ヒステリーの症候である)

(引用元:「イデオロギーの崇高な対象 [ スラヴォイ・ジジェク ]」 汝何を欲するか)

以上をふまえて、図示する。

 


(画像引用元:「イデオロギーの崇高な対象 [ スラヴォイ・ジジェク ]漫画ルポ 中年童貞 [ 桜壱バーゲン ]夜王 1 [ 倉科遼 ]

ここでいうシニフィアンとは、キモおじ、および、風俗の客を相手にして得る対価の金銭のことだ。
そしてジジェクがいう「いまだに享楽が浸透している断片」というのは、愛するホストと過ごした恍惚とした時間と、その影響を受けた自我のことを指す。

キモおじ(金)や一過性の娯楽等によって、ホスト遊びによる対象aを求め続ける享楽は、去勢によって排出されるはずだ。
合理的に金を求めるために風俗で働いている女性の場合は。

しかし、排出されない場合がある。
それがジジェクがいう、享楽がシニフィアンの去勢を経ても残った、残滓だ。

ラカン精神分析における「去勢」については、蚊居肢散人さんという、ラカンのテクストをたくさんネットに紹介している人の記事を引用しておく。

kaie14.blogspot.com享楽は去勢である la jouissance est la castration。人はみなそれを知っている Tout le monde le sait。それはまったく明白ことだ c'est tout à fait évident 。…
問いはーー私はあたかも曖昧さなしで「去勢」という語を使ったがーー、去勢には疑いもなく、色々な種類があることだ il y a incontestablement plusieurs sortes de castration。(ラカン、 Jacques Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977)

(- φ) [le moins-phi] は去勢 castration を意味する。そして去勢とは、「享楽の控除 une soustraction de jouissance」(- J) を表すフロイト用語である。(ジャック=アラン・ミレール Retour sur la psychose ordinaire, 2009)

ジャック=アラン・ミレールによると「享楽の去勢」とは「享楽の控除」ということらしい。

つまり自分を癒すホストという対象aを求める享楽は、キモおじ(金)のシニフィアンによる去勢や、時間制限のある一過性のホスト遊びシニフィアンによる去勢など、「享楽の控除」「享楽の引き算」の影響を受ける。

たとえ、享楽の侵入を受けた人間(第4図の段階)も、「ちゃんと子どもを育てないと」「ちゃんと学費を稼がないと」「ホスト遊びは月1回までにしよう」という$◇a(幻想、別の目的)によって、享楽の目的である「自分を全肯定してくれるホスト、理想の対象a」を諦めて、I(A)の象徴的同一化に何とか到ることもできる。

しかし、I(A)に至ることができない場合、悲劇的な結末が待ち受けている。

それが享楽を求め続ける欲動の運動、"$◇D"[S barré poinçon grand(エス・パレ・ポワンソン・グランデ)]での固着、永遠の循環運動であり、死の欲動への接近だ。

第4図のS(Ⱥ)ジジェクが言う「享楽(ジュイツサンス)に侵入されたときに象徴秩序に生じる矛盾(インコンシステンシー)」から、空想を内面化してs(A)に向かわず、"$◇D"に向かう「横断」を行うと、非常に危険だ。

おそらくわれわれはあえて危険をおかし、"$◇D"を遡及的に、すなわちラカンのその後の理論的発展を踏まえて、サントムの公式として読むべきなのかもしれない。サントムとは、享楽が直接的に浸透した意味形成、すなわち享楽とシニフィアンの不可能な接続である。

こうした読みは、欲望のグラフの上部の四角形を、下部の四角形との対比において解読する鍵をあたえてくれる。ここにあるのは、想像的同一化(想像的自我とその構成的イメージ、その理想自我との関係)ではなく、空想($◇a)に支えられた欲望(d)である。

空想の機能は、〈他者〉の開口部を埋め、その矛盾を隠蔽することである。たとえば、なんらかの性的シナリオの魅惑的な現前が、性的関係の不可能性を隠す遮蔽幕として機能する、というふうに。空想は、〈他者〉、すなわち象徴秩序が、ある外傷的不可能性、象徴化されない何か、すなわち享楽の現実界(リアル)をめぐって構造化されているのだという事実を隠蔽する。
空想を通じて享楽は飼い慣らされ、「ジェントリファイ」される。

では、われわれが空想を「横断」した後、欲望はどうなるか。

セミネールⅪの最後の数ページであたえられているラカンの答えは、欲動、究極的には死の欲動である。「空想の彼方」には、切望も、同質の崇高な現象もない。「空想の彼方」には、欲動、サントムのまわりをめぐるその脈動しかないのだ。

(引用元:「イデオロギーの崇高な対象 [ スラヴォイ・ジジェク ]」 汝何を欲するか)

ホスト遊びだけではない。
アルコール中毒もその可能性があるだろう。身体機能への被害の可能性への不安($◇a)が機能せず、アルコールを通じた享楽(生理的快楽だけでなく、現実の苦難の忘却など)を優先する。

また、なんらかの性的シナリオの魅惑的な現前、愛する妻との一夫一妻的な悦び、が機能しないケース。妻以外の女性、タイガーウッズやアンジャッシュ渡部のようなSEX依存症もそうだ。
$◇a(空想=妻や家族の存在、罪悪感)が機能せず、多くの人間から共感されず糾弾される可能性があるにも関わらず象徴秩序を突破し、外傷的不可能性(終わらない欲動)を備えた享楽へ向かった事例だ。

1円ではなく4円パチンコ、5円スロットではなく20円スロット、ガーシー(東谷義和)のようなハイレートの賭け事に進むギャンブル中毒。

これらも全て死の欲動への接近だ。

この前、紹介したスワローバンクにおける市原悦子から金田賢一への愛、ドラマ「ストーカー」における渡部篤郎から高岡早紀への愛、ドラマ「GOLD」におけるエド・はるみから反町隆史への愛、歌舞伎町ホストに対する事件や大阪天満のカラオケパブで起きた事件など。

愛の対象(対象a)を求め続ける循環運動の辛さから逃れるため、対象aそれ自体を破壊する「死の欲動」に突き進む。
「誰かに盗られるぐらいなら 強く抱いて君を壊したい」(中西保志・最後の雨)、「愛してその人を得ることは最上である。愛してその人を失うことは、その次によい。」(William Makepeace Thackeray ウィリアム・メークピース・サッカレー)の実現を試みてしまう。

もちろん他者を排除するのではなく、自死という形で死の欲動が顕在化してしまい、対象aを求める苦痛から逃走しようとする場合もある。

逆に、奇跡的にもホストへの一途な愛が実り、対象aのホストを手に入れ、"$◇D"から抜け出せる場合もあるかもしれないが。

もしそれが叶わない場合、象徴界における裁きよりも、対象aを手に入れる苦しみが上回り、象徴界において犯罪者や囚人となって服役することさえ厭わない。

隠蔽による象徴界の復帰もある。
映画「冷たい熱帯魚」におけるでんでん、およびそのモデルとなった愛犬家の事件のように、「ボディを透明にする」という隠蔽工作によって、際限なく続くマネーへの欲望(対象a)である"$◇D"を一時的に満たして抜け出し、文字通り他者が欠如したS(Ⱥ)の状態から、$◇a(幻想)の隠蔽工作による警察捜査の攪乱により、s(A)として象徴界のネットワークに復帰して象徴的同一化を果たし、熱帯魚屋を続けるケースもある。

このように多くの病は、ラカンの欲望のグラフ第4図において、享楽に侵入されて矛盾状態に陥っているS(Ⱥ)の主体が、空想"$◇D"の信仰・内面化によって象徴的同一化に至るI(A)でなく、"$◇D"の欲動の循環運動へ向かうベクトルに存在している。

だから、このブログで紹介しているような、ルーザーに奴隷道徳を供給するルサンチマンストレスを共有化して安心するルサンチマン寅さんに自分を投影して同一化して弱い人間でも素晴らしい人生が過ごせるという暗示的効果を得られるルサンチマン、という$◇aが必要になる。

天童荒太が物語が必要だと言ったのは事実であり、その物語とはラカンジジェクがいう$◇a(幻想、空想的構築物)であり、当サイトで紹介しているルサンチマンおよびそれが具現化した産物だ。

ルサンチマンはそれゆえ、決してネガティブなものではない。
$◇aを信仰することで、一時的な安定した自我や平常心、象徴界における自分の社会的な立場を獲得できるんだから。

正月にスペースシャワーtvで流れてて、偶然観た。
カッコいいアレンジの曲だ。PVに出てる男性も全員、若くてイケメンだ。

もし、"$◇D"に向かってこのPVに出てくるレベルのイケメンホストを、現実に手に入れようとする対象aを求め続けるのではなく。

映像や推し活等の$◇aで満足し、日々を過ごすことができていれば。
金銭を媒介とするホスト以外で別の、死の欲動の接近から遠ざけてくれる、寄り添ってくれるシニフィアン(他者)がいれば。

ホスト遊びによって、破産したり子どもを失ったり重大事件になってしまうような、悲劇的な結末にはならなかったかもしれないね。

(以下、その他の女性の心理学・精神分析シリーズ)

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