精神科医の片田珠美さんという方が、山上徹也容疑者ついての精神分析を行っている記事があった。
biz-journal.jp確かに、自らの不遇によって<例外者>としての特権意識が芽生えてしまった、というのはあるかもしれない。
しかしどうも、釈然としない。
出演するはずだった原田隆之氏の方に、肯定的な意見が集まっている。
b.hatena.ne.jp片田珠美氏のコメント欄が荒れているのも「何かが欠けている」と、読者の方も薄々と気付いているからな気もする。
特に、
職を転々としたり、職場でトラブルを起こしたりするのは、母親が宗教にのめり込んで自己破産したことと直接関係があるのだろうかと疑問を抱かずにはいられない。
という箇所はおかしい。
ラカンの精神分析をフランスで学んだのであれば、こんなことを書いたりはしないはずだが。
なぜならジャック・ラカンは「〈他者〉との関係性を極めて重要視する精神分析学者だから」だ。
フロイトだってそうだ。
ラカンやフロイトだったら、父親・母親・祖父・兄・妹と、山上容疑者との関係を、「直接関係があるのだろうかと疑問を抱かずにはいられない」で、終わらせるはずがない。
フロイトやラカンを愛読する一読者として、不快だった。
大きく欠けているのは、以下の3つだ。
1.〈父の名〉について
2.母親の欲望が止まらない理由について
3.母親の暴走を山上容疑者や祖父が止められなかった理由について
それぞれ、概要を説明する。
1.〈父の名〉について
山上容疑者の母は、夫と父(山上容疑者の祖父)を失っていた。
その場合、〈父の名〉が機能不全に陥ることを意味する。
〈父の名〉とは、以下のサイトの説明がわかりやすい。
irukauma.siteラカンは、枠組みを与える父親の機能を、「父の名(ノム・ド・ペール)」と呼んだ。父親の存在は、掟に背くことをダメだと禁止することによって、野放図な欲望をコントロールする働きをもつと考えた。
つまり、〈父の名〉が不在の場合、欲望のコントロールがうまくいかなくなる。
2.母親の欲望が止まらない理由について
これは恐らく、母親において不在となった〈父の名〉のポジションに、夫や父の代わりに宗教団体が配置されたのだと思われる。
ラカンによる母親の欲望に関する言及について、詳しく解説してくれているサイトを紹介する。
kaie14.blogspot.comたとえば、向井雅明氏によって、次のように説明されている(向井雅明「精神分析と心理学」 『I.R.S.―ジャック・ラカン研究―』第 1号,2002)。
母親の欲望とは子どもが母親にたいして持つ欲望という客体的意味もあるが、それよりもまして母親の持っている欲望という主体的な意味が決定的である。母親はまず欲望を持っている者とされるのだ。そして人間の欲望は他者の欲望であるという定式から、子供にとって他者はまず母親であるから、子供の欲望は母親の欲望、つまり母親を満足させようという欲望となる。母親の前で子供は母親を満足させる対象の場にみずからを置き母親を満足させようとする。つまり母親のファルスとなる。
だが、母親の欲望の法は気まぐれな法であって、子どもはあるときは母親に飲み込まれてしまう存在となり、あるときは母親から捨て去られる存在となる。母親の欲望というものは恐ろしいもので、それをうまく制御することは子どもの小さなファルスにとって不可能である。ラカンは母親の欲望とは大きく開いたワニの口のようなものであると言っている。その中で子どもは常に恐ろしい歯が並んだあごによってかみ砕かれる不安におののいていなければならない。
山上容疑者の家庭を彷彿とさせる。
ラカンが言うように母の欲望がワニだとしたら、口を塞ぐ石の役割が父の役割なんだろう。
父親のファルス(Φ)の不在、父の名の隠喩が不成立だった。
いわゆるラカンがいうファルス的意味作用、x=(―φ)、母親の欲望の排除。
それが機能せず、母親のファルスに従い、宗教団体への献金を止められなかったのではないかと考えてしまう。
ラカン派精神分析で有名なスラヴォイ・ジジェクも、「父の機能」の不在について警鐘を鳴らしていた。
kaie14.blogspot.comジジェクは「父の機能」がないとどうなるかについて、90年前後からしきりに記してわれわれはそれを面白く読んだ。
父親は不在で、父性的機能(平和をもたらす法の機能、父-の-名)は中止され、その穴は「非合理的な」母なる超自我によって埋められる。母なる超自我は恣意的で、邪悪で、「正常な」性的関係(これは父性隠喩の記号の下でのみ可能である)を妨害する。(……)父性的自我理想が不十分なために法が獰猛な母なる超自我へと「退行」し、性的享楽に影響を及ぼす。これは病的ナルシシズムのリピドー構造の決定的特徴である。「母親にたいする彼らの無意識的印象は重視されすぎ、攻撃欲動につよく影響されているし、母親の配慮の質は子どもの必要とほとんど噛み合っていないために、子どもの幻想において、母親は貪り食う鳥としてあらわれるのである」(Christopher Lasch)(ジジェク『斜めから見る』1991)
ジジェクが言う「獰猛な母なる超自我」は、宗教団体に献金する母親を彷彿させる。父不在の状況で、母を止めるのは難しいか。
実際、〈父の名〉が機能しているこちらの方のケース。
anond.hatelabo.jp父はもちろん母にお金を渡さず、切り詰めた生活を強いられていた。ご飯が足りないということはなかったけれど、贅沢や外食は一切なかった。宿泊するような旅行も帰省以外ほぼなかった。
まだ父親の権威(父の名)がブレーキとして機能しており、破産等の最悪の状況にまでは至ってない。
それゆえ、ラカン派精神分析学者であるならば、〈父の名〉の重要性は判っているはず。
にも関わらず、片田珠美氏が山上容疑者の父親と祖父の不在について言及しないのは、あり得ない。
3.母親の欲望を山上容疑者や祖父が止められなかった理由について
デイリー新潮の記事(「週刊新潮」2022年7月21日号に相当)によれば、母親は別の団体にも傾倒していたと言われている。
news.yahoo.co.jp 山上容疑者には、兄と妹がいる。母は統一教会を信仰する以前に、実践倫理宏正会という団体の活動に入れ込み、その傾倒が理由でノイローゼ状態になった父は自ら命を絶った。(「【独自】安倍元総理射殺事件 『山上容疑者』父の自殺の背景にあった“もうひとつの団体”の名」を参照)
〈父の名〉の機能不全と、母親の欲望の暴走は、山上容疑者の犯行と線で繋がっている。
だが山上容疑者の父親が存命である状況、〈父の名〉が機能しているその時期においても、母親は別の団体に傾倒していたようだ。
傾倒した理由は、兄の後遺症にあるからだろうか。
news.yahoo.co.jp「山上容疑者の兄は、幼い頃に頭をけがした影響で、うまく言葉が出てこなかったり、走ったりするときに体のバランスを取りにくいといった後遺症があったんです。お母さんは、けがや後遺症のことを気にしていたんだと思います。そのうえ自分も持病があって……そういったことが重なって、宗教に傾倒していったのかもしれません」(前出・山上容疑者の兄の友人)
夫は止められなかったのだろうか。
news.yahoo.co.jp 「84年に弟(山上容疑者の父)が自殺した。さらに長男(同兄)が小児がんになり、抗がん剤投与で右目を失明し、脳にも転移した。これが一番大きい。(山上容疑者の母親の)弟も76年に小学5年で交通事故死している。最愛の母(山上容疑者の祖母)も82年に亡くなった。この方が聡明(そうめい)な方で、その血を受け継いでいた。これも伏線だったと思う」
山上容疑者も壮絶だが、母親も壮絶だ。
母親はもしかすると内罰性が強すぎて、自分を責め過ぎてしまっていたのかもしれない。まだ、夫や祖父が生きている時、山上容疑者とともに、母の不安定な精神を支える〈父の名〉として、機能することは出来なかったのだろうか。
もし、母の暴走を食い止めることができれば、このような最悪な不幸な出来事をもたらす結果にはならなかったかもしれない。
読売新聞オンラインによると、祖父が死去したのは1998年頃となっている。
www.yomiuri.co.jpつまり母親の欲望の暴走を、夫が不在となった状況でも、まだ山上容疑者や祖父が止めることができた可能性があった。
〈父の名〉の不在を、なんとかして、その役割を山上容疑者や祖父が担うことが出来たかもしれない。
しかし「出来たかもしれない」というのは、勝手な推測で、それが不可能な家庭内の状況があったかもしれない。
その、再発防止に繋がるような事実、母親と山上容疑者・祖父との関係性を明らかにすることは、ジャーナリストの方でないと難しいゆえ、片田珠美氏の役割ではないかもしれないが。
4.まとめ
フランスでラカンを学んでいるのであれば、絶対に〈父の名〉の概念の把握や、母親の欲望の暴走、それが子にもたらす影響についての知識は持っているはずだ。
しかしそれに一切、言及せずに、まるで山上容疑者のみに事件の原因があるかのような分析。
母親への言及、つまり宗教団体と母の関係性に関する分析を避けているという点で、コメント欄にあるように、何らかの配慮が働いているように思える。「真実を伝えよう」「ラカン理論で真実に迫ろう」という、真摯な精神分析から目を背けている疑問を抱かずにはいられない。
確かに、顔を出している公人の方ゆえ、母親および統一教会と母親に関する精神分析を行うことは、恐怖やリスクがあるかもしれない。
その精神分析を行って得られるメリットよりもリスクが大きい故、一部の大衆が納得するかもしれない「山上容疑者の責任」のみに収束するような、どこか説得力に欠ける分析で終わってしまっている。
だけどせめて、自民党や統一教会を刺激しない形で、〈父の名〉が機能していない事実や、母親の欲望の暴走についての分析を語ることぐらいであれば。
フランスでラカンを学んで、経歴を見ると輝かしいキャリアを築いてきているのだから、できるはずなのに。
哀しいかな、やはり分析家も〈他者〉に影響を受けて、〈他者〉の欲望が転移し、正確な分析が行えなくなることがあるのだろうか。
はてぶのコメント欄にあるように、片田珠美氏の分析が納得いかない、欠けているがゆえに。
フロイトやラカンの精神分析の有効性が、否定的にみられることが無いよう、市民ラカニアンの自分としては願う。
(続き:山上容疑者はアベガーも嫌悪する冷静な思考を持つが母親に逆らえないエディプス・コンプレックスの可能性がある)