はてなブログにこんな企画があるみたいね。
blog.hatena.ne.jpなるほど、今週のお題ってやつ、いいね。
これに取り上げられたら、自尊心を得る機会が極めて少ない独身男性の自分も、束の間の承認欲望を満たせるかもしれないね。
よし書くぞ。
今週のお題「本棚の中身」
まず「本棚の中身」について、考えた。
もちろん、自分にも本棚もあるが、ほとんど裁断して電子化してしまったので、面白いものではない。
そこで「本棚の中身」について、もっと主語を大きくして考えたところ、3つの性質が浮かび上がった。
それは、
・自己顕示欲の充足およびステータスシンボルや生物学的強さの象徴
・リビドーが変容して人間ではなく物質に向けられた事例
・ミニマリストなど、本棚を持てない人間が生み出したルサンチマン
だ。
それぞれ、語っていこう。
自己顕示欲の充足およびステータスシンボルや生物学的強さの象徴
ピンとくる人もいるだろう。
コロナウイルスによるテレワーク、リモートワークの推進によって、自らの知的教養をアピールする「ZOOM映え」「ZOOMマウント」というマウンティングが発生しているらしい。
nikkan-spa.jp記事には、マウンティングに用いられものとして現代アート作品、ピアノの音色などが紹介されているが。
本棚の中身も、マウンティングに用いられる物質として利用される。
安住紳一郎の本棚が、話題になったこともある。
kk-information.com東浩紀やメンタリストDaigoの本棚、びっしりと本が埋め尽くされている。
jadeshiny.comこのように、本棚は、知性や能力を示すシニフィアンとして機能する。
ただし「本棚の中身」も重要で、なるべく自らの知性をアピールできる難解な文学や哲学書、能力をアピールするための法律の本や技術書などを並べる必要がある。
室井佑月が「本棚って一番、自分の頭のレベルを見られちゃうところなんだよ?相当入れ替えしないと」と語ったように。
www.sponichi.co.jpこの行動は、非常に動物的でもある。
最近、「ワールド極限ミステリー」というテレビ番組を観た。
www.tbs.co.jpSixTONESの田中樹が、あるミステリーサークルについてのVTRを紹介していた。
そのミステリーサークルは、奄美大島の海底で見受けられるらしい。
そして、このミステリーサークルを作っている生き物の正体が、フグ。
そのフグは、体の後方、胸びれを使って外周の凹凸を作る。
サークルの真ん中は、余計なものを排除し、細かい砂だけにする。
そしてなぜ、フグはこのようなサークルを作るのか?という問いに。
魚類生物学の専門家、海の博物館(千葉県立中央博物館分館)の川瀬浩司という方が、こう語る。
「このフグは、アマミホシゾラフグといい、最近発見された新種のフグです。サークルの中央の平たい部分の上で、オスとメスがペアで産卵をする。」
アマミホシゾラフグは、1週間ほどかけて、産卵するための巣となるサークルをつくる。
円が完成すると、お腹の大きなメスがやってくる。
オスが近づき、身体を擦り合わせる産卵行動を行い、この瞬間、メスは砂の中に直径1ミリにも満たない卵を産むらしい。
サークルの画像は、このサイトが詳しいね。
nature-and-science.jpなぜかこんな変わった模様のサークルを作るのか?
専門家は「オスがメスを引きつけるための要素になっている」「立派なサークルを作るオスは優良なオスだとメスに判断される」
「俺はこんなにすごいサークル作れるんだぜ。俺と付き合わない?」と、田中樹によるナレーションで、紹介VTRは終わる。
リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」という本がある。
興味深い一節を紹介しよう。
社会性昆虫では、個体は子作り要因と子育て要因の二つの主な階級に分かれている。子作りにあたるのは繁殖力のある雄と雌であり、子育てにあたるのはワーカーたちである。ワーカーは、シロアリ類の場合は雌雄の不妊虫であるが、その他のすべての社会性昆虫では不妊の雌である。
子作りと子育てのいずれのタイプの個体も、自分の仕事だけに専念できるので、それに関してはとても効率のよい仕事ぶりを示す。しかしいったい、誰の立場からみて効率がよいのか。ダーウィン的理論に投げかけられる疑問は、例の決まり文句である。
「そんなことをして、ワーカーにいったい何の利益があるのか」。
ワーカーには「何の利益もない」と答える人々もいる。彼らの考えでは、女王は自分の利己的目的のためにワーカーに化学物質による操作を加え、彼女の産み出す莫大な数の子供の世話をさせている。こうして利益はすべて女王が手にしてしまうというのである。
これは8章で紹介したアリグザンダーの「親による子の操作」理論の一形態である。
しかし、これと正反対の考え方によれば、ワーカーのほうが繁殖虫(女王)を「自分の利益のために養っている」、いわば養殖業の対象にしているということになるのだ、彼女らは、繁殖虫に操作を加えることによって、繁殖虫が彼女らワーカーの体内にある遺伝子のコピーをもっと大量に増殖するように仕向けているというのだ。少なくともアリ類、ハナバチ類、狩りバチ類では、女王と子供の近縁度より、ワーカーとその妹との近縁度のほうが実際に高くなりうる。
(リチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」p266)
アリの生態とは違うが、ドーキンスが言うように遺伝子は自分の複製子を大量にコピーしようとする利己的な機械だとした場合、アマミホシゾラフグも、サークルを作ってメスを呼び、自らの遺伝子をコピーせねばならない。
そう、つまりアマミホシゾラフグにおけるミステリーサークルが、人間にとっての本棚だ。
本棚という、空間に大量に本を配置することで自らの能力を誇示するという点で、人間とアマミホシゾラフグの類似性が垣間見れる。
また、ニワトリにおけるトサカや肉だれ、これも、人間における本棚だ。
肉だれは、くちばしの下にぶら下がっている赤い部分のことを指す。
amor1029.exblog.jpアモツ・ザハウィという動物行動学者の本に、『生物進化とハンディキャップ原理―性選択と利地行動の謎を解く』(白揚社)というものがある。
この本によると、ニワトリのトサカや肉ダレは、生理的役割としては全く意味がないらしい。
しかもトサカは、血管がたくさん通り、無防備でデリケートであるため、他の個体に攻撃される弱点になるという話だ。
しかし弱点だからこそ、立派なトサカを持つことが、強さの象徴として機能する。
トサカが大きいオスの個体がモテるのは、敢えてハンディを背負いつつも生存しているからこそ、環境適応能力や生存能力や遺伝子が強いというメッセージになるっていう話だ。
アマミホシゾラフグもそうだろうよ。
ニワトリ同様、広い海で、サークルなんて作ってる間に、食物連鎖の強者によって喰われてしまう脅威がある。にも関わらず、サークルを作れるというとは、そのハンディキャップを背負うということこそが、強さの証になるからだ。
俺の地元では、御神輿を担ぐお祭りがあった。
地元のヤンキーたちは「痣ができちゃったよ」と、まるで勲章のように、お神輿を担いだことを誇っていた。
それも、「重い物を持てるんだぞ俺は」という強さの象徴になる。
本棚もそうだ。それもハンディキャップとして機能する場合がある。
もし災害や有事の際は、本棚が倒れてきて凶器となり、自らの身体を傷つける可能性もある。
にも関わらず、人間は本を読み、知識を求め、本棚の中身を難しい本だったりオシャレな文学作品を並べ立て、他の人間との差別化を図る。
サークルで差別化を図るアマミホシゾラフグ、トサカや肉だれで差別化を図るニワトリ、知識や能力を示すための本棚とのその中身で差別化を図る人間、根本的には同じだ。
人間もフグやニワトリ同様、差異化とマウンティングを行っている。
では人間は本棚の中身に、どんな本を置こうとするのか。
やはり先述したように、医学や法律や科学やコンピュータや哲学や難解文学の本等を置きたがるケースが多い。
また他の具体例を挙げると海外文学、ジェイムズ・ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」だ。
この本は、難解文学で、自分の知性や能力やおしゃれさをアピールする記号として利用される。
「寿命を買い取ってもらった。一年につき、一万円で」という2ちゃんねるの有名なスレッドがある。
そこで、こんなシーンがある。
「私のことはいないと思ってくださって結構ですよ」
俺の気持ちを察したのか、ミヤギはそう言う。
だが、本人がいくらそう言っても、気になるものは気になる。
自分で言うのもなんだが、俺はかなり神経質なんだ。同世代の女の子に見られてるのを意識しだすと、行動のひとつひとつがおかしくなるんだよ。
「自然体っぽい格好よさ」を出そうとしちまうんだな。
気付くと髪を触ってるんだ。完全に自意識過剰だ。しばらくは、手元に残ってた本の中でも一番難解な「フィネガンズ・ウェイク」を読んで格好つけてた。
当然、内容はさっぱり頭に入ってこなかった。
余命三ヶ月だってのに、何をやってるんだろな。
(引用元:http://sharetube.jp/article/13487/)
そう、同世代の女性にカッコつけるため、フィネガンズ・ウェイクを読むそぶりをする。
オモコロの「読まずに語れ!積ん読王決定戦」も、知識や能力があると思われそうな本や、少し難解さがあるオシャレ本が出てくる。
omocoro.jpニーチェの「ツァラトゥストラはこう言った」、ウラジーミル・ソローキンの「テルリア」とかな。
J・G・バラードの「クラッシュ」とか、面白そうだな。
日本人作家なら、村上春樹も利用されることがある。
この記事で語られているように、イケてる男っぽさを出すため、本棚には金融関係の専門書、村上春樹の本があるらしい。
toianna.hatenablog.com記事に出てくるチャラ男は、村上春樹は決して、知性や能力などのステータスシンボルとしてではなく「気づいたら集めてた」と語っているみたいだが。
しかし「誰かに見られてもいい」という存在価値を備えているのは明らかだ。
もし見られたくない本、例えば誰かに馬鹿にされる可能性がある本の場合は、あらかじめ本棚の中身から撤去される。
自己啓発本のように。
honsoku.comjadeshiny.com村上春樹はなぜ、本棚の中身に置かれても問題ない対象となるか。
それは、村上春樹が、数々のシニフィアンによって、権威化・神格化されているのが理由でもある。
www.nikkansports.com毎年、ノーベル賞候補として挙げられ、世界的にも人気の文学者だ。「女のいない男たち」に収められている作品は、カンヌ国際映画祭の脚本賞を受賞した映画「ドライブ・マイ・カー」の原作にもなっている。
このように、様々なシニフィアンの価値をまとった村上春樹の言説に、自らも作品を読み、自分を投影し、同一化しようとする無意識の感情の動きがある。
「そうじゃない、面白いから、読んでいるんです」
そうなんだね。だから本棚の中身にあると。
決して、自らのブランディング、ステータスシンボルとして村上春樹を消費しているのではないと。
まあそれもあるだろう。
だが「本棚の中身」にあるものとして、恥ずかしいものではない。
しかし逆にどうだ、自己啓発本や昔流行ったケータイ小説はどうだ?
「それも別に本棚の中身にあってもいいし見えてもいいよ。自意識過剰だよ」
と言われるか。
じゃあ昔あったAVの企画モノのような、電話ボックスに人間が何人入るかみたいな映像作品だとかどうだ?それは本棚の中身にある場合、どうする?
「それは・・・さすがに、プライベート的な性的嗜好のことなので、本棚の中身に入れないですよ。隠しますよ」
というのが通常の反応だろう。
そう、つまり、あるってことだ。
人間の身体同様、本棚の中身が、イデオロギー的な価値、権威、社会的見栄え等によって、組織化されている現実が。
昔、裏BUBKAに「ワンフーの図鑑」だとか「ワンフーの生態」という特集があった。
まだ裏BUBKAのワンフーページをご記憶の方がいらっしゃったとは!RT @nno2: 実話BUBUKAタブーの日本人がクズでサイテーな43の理由は面白かった。かつて裏BUBUKAに載っていたワンフーの生態を思い出す
— 実話BUNKAタブー編集部 (@BUNKA_taboo) December 18, 2013
新ワンフーの図鑑 第一章「村上春樹好き&村上龍好き」でも、村上春樹は取り上げられていた。
引用元の情報が無いから、発行元である白夜書房のBUBKAのリンクを引用元として貼っておこう。
www.byakuya-shobo.co.jpワンフーの図鑑では、全てのハルキストを敵に回すかのように、村上春樹好きを「文学者気取りのナルシスト」と馬鹿にする。
確かにその傾向は、一理あるかもしれない。
本棚の中身に村上春樹を置いたり、村上春樹の魅力を語る時、村上春樹への同一化を思わせる行動を取ろうとした際、このようなカウンターの言説が出てくる。
なぜ反撃を加えるか。
それは、村上春樹を語る人間が、村上春樹の消費者であって、村上春樹の価値に及んでいないからだ。
及んでいないにも関わらず、村上春樹を愛読している、高尚な文学を読んでいるという、それだけの差異化によって、他者に知識マウンティングをしたり、自らの自尊心の充足のために、村上春樹を利用するその浅ましい態度を軽蔑しているんだ、このワンフーの図鑑は。
自分はこのワンフーの図鑑を肯定する。
本棚の中身を、イデオロギーや過剰な自意識で編成する行為は、先に述べたアマミホシゾラフグやニワトリと同じで、高尚でもない、自らの生物学的価値を高めるための動物的行為よ。
前の「ディスタンクシオンは趣味を自尊心の拠り所にするルサンチマンの側面がある」という記事でも紹介したように、クリエイターではなくコンシューマーに過ぎないのに、価値があるかのように虚飾のベールで自らを装飾する。
だから、本棚の中身を、再編成する必要がある。
見栄や他者の存在を排除して、本棚を再編成する。
それで残った本こそが、自分が愛する本だろうよ。
いや違うな、人間は外界のシニフィアンの影響を受けているゆえ、無意識的に本の中身が構成されている可能性もある。
本棚の中身を「選んでいる」のではなく「選ばされている」ような感覚。
機械のように、自動的に選んでいる。
ニワトリやフグのように、自分の価値を高めるための本を買い、領域を広げ、本棚の中身がイデオロギーの要請に従った物質によって構成されていく。
主体的に「愛する」のではなく、機械のように「愛するように仕向けられた」本棚の中身だ。
その本棚の中身は、遺伝子の生存戦略なのかもしれないね。
本棚の中身について、3つのテーマで語る予定だったが、「リビドーが変容して人間ではなく物質に向けられた事例」「ミニマリストなど、本棚を持てない人間が生み出したルサンチマン」を語る前に、最初のテーマだけで長くなってしまった。
残り2つのテーマについては別の機会にしよう。
余談だけど、実話BUBKAの関係者がもし、この記事を読んでくれたなら。
ワンフーの生態、ワンフーの図鑑を、本にしてほしいと思ってる。
あの特集では、今回紹介した村上龍&村上春樹好きではなく、モーヲタ、バンギャル、ゲーおた、鉄ちゃん、お笑い好き、ディズニスト、ブランド女、オリーブ少女、ハガキ職人、ヅカファン・・などなど、人間の全ての文化活動の内奥にある深層心理を露悪的に暴き、その神話性や価値に依存する基盤を脱構築してしまうような破壊力があった。
それが重版もされず、埋もれてしまうのはやっぱり、寂しいからな。