逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

独身弱者男性が全集中して編み出した、人間の無意識にあるもの全てを顕在化する技を伝授します。

村上龍と中田英寿によると「頑張る」のは当たり前なので客観的な定量化が難しく個々人の頑張りと結びついた「労力」も評価基準にはならない

年も明けてもう仕事始めてる人も多いのかな。
というわけで、仕事に関する話でもするか。

去年の末、「そもそも男女で同じ賃金がおかしいのではないかという話」って記事が話題になってたよね。

anond.hatelabo.jp「労働はかけた労力に応じて報酬を受け取るべきだと思っている」というのは、まあ気持ちはわかる。
けどその労働に成果が伴わないとただの自己満足、だからな。
なんて当たり前すぎる話だから、ブコメは「釣り」だの「何言ってんの」的な反応が大半だった。


しかし、頑張ったんだよ?
労力をかけて仕事してんだな、こっちは。
「ガンバッテるんだ!これで精一杯さ~♪」ってね、嶋大輔の唄にもある。

それでも評価しない。

まあ当然よ。そんな甘くない。
「頑張ってる」ってのは自分の行動の美化であり、他人や社会にとっては関心がない。
関心があるのは自分が生み出したアウトプットだ。
結果が出ないと上司に叱られるし。

闇金ウシジマくん(10)[ 真鍋昌平 ]

結果が出ないことを誤魔化すために、プロセスを必死に語るが、それは延命措置であり、最終的に結果が出てないことが判明すると断罪される。

youtu.be村上龍中田英寿も対談で言ってる。

村上 ホームでのカザフスタン戦のとき、テレビが選手一人ひとりにカメラ目線で「今日は死ぬ気で頑張ります」とか言わせてたでしょ?言わせるほうもいけないけど、あれは気持ち悪かった。ああいうこと、ほかの国では絶対やらない。ああいうのを嫌だと言うのも勇気いるでしょ?

中田 もう慣れましたけどね。「頑張ります」とかって、頑張るの当たり前なんだから、ああいうの、すごく嫌ですね。もともと写真撮られるのも照れちゃうから、すごく嫌だし。

村上 サインもしないんだよね?

中田 日本人って有名人がいるから、とりあえずもらっとけって感じでしょ?本当にファンでもないのに。こっちが食事してようが、おかまいなしだし。一度、銀行に行ったときに、並んでると銀行員の人が「サインしてください」って振り込み用紙出すんですよ。そんなのにサインしてとっておくと思います?そういう失礼な人には、ちゃんとわからせてあげないと。

 

文体とパスの精度/村上龍/中田英寿)p19

「頑張る」のは当然、それはプロならいちいち口に出すもんではない。
頑張ったんだ。ふーん。で、成果は?

という価値観。
村上龍中田英寿が上司だったら、ドライに成果を評価されるかもしれない。

MAJOR31巻でもある。

next.rikunabi.com本当の努力なんて他人には知るよしもない。だから努力ってのは人にアピールするもんでもないし、当然やるべきことだと。

これは合理的といえば合理的なんだよな。
労力に関わらず、成果を生み出す人を評価する。


けどそれだとあまりも残酷で世知辛いから、その不都合な真実を隠蔽するために、プロセスも評価するような仕組みを作った。

桑田真澄が言うように、すぐに結果に結びつかなくても。
日々、努力を続けるプロセスや、そのプロセスは結果のために適正かを考えるために、プロセスを重要視する考え方も一部ある。

www.speakers.jp頑張ったけどダメだった…その苦しみ抜き、あがきもがく姿に人は感動し、評価する。
ワールドカップクロアチア戦もそうだったように。

栗城史多が何度も登山して失敗しているが、「エベレスト登頂」という成果が無くても。
その道中のプロセス、「標高7000mまでは行った」等の労力を評価する。

www.youtube.comだから失敗したとしても、1000mや2000mの地点で敗走するようなことはしない。

あと24時間テレビでよくあるようなコンテンツ。
「感動ポルノ」と言われるケースもあるけどな。

コラム6 感動ポルノ

 障害者が健気に生きているそのさまを感動的な実話として健常者が消費することを批判するために、オーストラリアの障害者社会運動家、ステラ・ヤングによって生み出された言葉が、「感動ポルノ(inspiration porn)」です。性欲を満たすためにポルノグラフィが利用されるのと同じように、健常者が感動するために障害者が利用されている、と彼女は告発したわけです。障害者だけでなく、いまやセクシャルマイノリティ、外国人など、マイノリティであるがゆえに苦労する人の「がんばる姿」が、マジョリティの満足のためにくり返し利用されています。ですので、彼女の告発の意義はきわめて大きいと言えるでしょう。
 ただし、「感動ポルノ」の批判にはひとつ気をつけるべき点があります。障害者の人権や幸福に興味がないどころか、障害者に偏見を持っていたり日ごろ差別していたりする人が、障害者に対して温かい目を向けている(ように見える)人をきらう自分を正当化するために「感動ポルノ」批判に同調することがある、ということです。差別しない、他人を尊重する、というよいおこないを毛ぎらいする人は、「偽善」を批判することでよくない自分のまま「正しさ」を手に入れることができます。その卑怯さを私たちは警戒すべきでしょう。
 ですので、「感動ポルノ」批判は、それ単独で意義を持つというよりも、それが「障害者のよりよい生をサポートすることになってる、少なくともサポートするつもりがある」場合にのみ有意義である、と私は考えています。

(「あなたを閉じこめる「ずるい言葉」 [ 森山至貴 ]」p160)

感動ポルノという批判が生じる場合はあるものの、マイノリティが励む姿はそのプロセスに感動するケースがあり、労力が評価されるケースもある。

ピアノを弾けないからといって、労力をかけずに最初から「そりゃまあそもそも好きでやってないんで」とやる気ない発言をすれば、非難される。

anond.hatelabo.jpまた、失敗しても、そのプロセスで汗をかき、労力をかけていれば。
本来求めていた成果に至らなくても、失敗したプロセスから何かしらの成果が抽出される場合もある。

しかし残酷だが、そこまで余裕があるとは限らない。
多くの組織や上司は金儲けという至上命題のために「プロセスや労力を評価する余裕が無い」状況であり、成果主義がほとんどだ。
そんな評価者がいる組織、評価基準が成果だけというように画一的な組織は、危険だ。

自分が勤めていた会社もそうだった。
天下り上司は、人様の仕事の評価や命令ばかり。
自分で仕事を取ってきて、金を落としてるわけでもないのによ。
まあけど、天下り元は取引先だった。
その取引先の御用聞きのために、働かないおじさん(妖精さん)を受け入れろという取引だから、仕方ねえけどな。

そして酷いのは「成果すらも評価されない」というケースもある。
組織が腐ってる場合、年功序列等で給与を画一的に決められ、会社に利益をもたらしているのに評価されない。

例えば中抜きSES企業に勤めている場合、中抜き人事や労務や事務仕事をやっている社員と、派遣先の企業でプログラミング等で専門性を使って仕事をしている社員の給与が、変わらない場合もある。
下手したら、SES企業本体で事務仕事してる社員や役員の方が貰ってたりする。
そういう雰囲気の組織にも遭遇したから自分はサラリーマンを辞めたってのもあるな。

若手を「シュガー社員」と馬鹿にするが、実務から免れた管理職で甘い蜜吸ってるのはどっちだよって話だわ。

「そもそも男女で同じ賃金がおかしいのではないかという話」を記事を書いた増田も、自分が所属する組織に不満があったのではないだろうか?

少し突飛な話になるが、例えば北条氏康みたいな上司がいたら、正当に評価してくれたかもしれない。
その人柄を示すエピソードがこの本にあったので紹介したい。

 氏康は、四十五歳で息子氏政に家督をゆずって引退。その後は一歩退いたところから、外交や政務全般に目を光らせた。

 ある日、氏康は息子に、
 
「国主となったいま、そなたは何を楽しみとしているか」とたずねた。
「家臣たちの能力があるか否かを見分けることが、もっとも楽しゅうございます」
氏政が答えると、氏康はそれでよいとうなずきながら、
「大将が有能な家臣を選ぶのは、世の常のことだ。しかし、家臣のほうが大将を選ぶこともある」
と、釘をさした。
「日ごろから、家臣を愛さず、民に恵みを与えないでいると、良主をもとめて他国へ去ってしまう者が出る。そうならぬため、家臣を愛し、民に恵みを与えることは、けっして人まかせにしてはならない。富貴の家に生まれてぬくぬく育ち、下情に達せず、家臣が功を積んでも引き立ててやらず、労を尽くしても賞してもやらない。これでは、人心が離れてしまい、いざ事が起こったときだけ甘い言葉をささやいても、家臣たちはついてこない。ゆえに、小さな功をも見逃さず、働きに見合った褒美を与え、十分にねぎらって励ますことを、大事な心得とせよ。これを家臣への調義(策略)だと言う者もあるだろうが、それこそ、とんだ考え違いよ」

 氏康は息子に、諄々(じゅんじゅん)と説いて聞かせた。
 
そして、そのあとにつづく最後のひとことが、
「下の功労を偸まざれ」(ぬすまざれ)
の至言である。

 まさしく、まつりごとを人まかせにせず、民や家臣の声にみずから耳を傾けていた北条氏康ならではの言葉といえよう。
 人には誰でも誇りがある。それがどんなにちっぽけなものだとしても、いや、ちっぽけであるからこそ、他人にみとめられれば喜びは大きい。逆に、自分をささえる誇りを傷つけられたら、その恨みは深くなる。もし、北条氏康のような上司がいれば、私の若き友人も不満を口にするどころか、ますますやる気に燃えて、仕事に精を出していただろう。

『本阿弥行状記』(ほんあみぎょうじょうき)には、氏康が息子氏政と昼食を共にしたときの、こんなエピソードが載っている。

氏康は、氏政が飯に汁を二度かけて食べたのを眺め、
関八州の北条家の所領も、氏政の代になって失われるであろう。わずか、飯椀のなかに入れる汁を加減できぬ程度の器量で、どうして関八州の人々の善意を見きわめることができようか」
と、落涙した。


 当時は、飯に汁をかける食べ方が普通であった。その分量を一度で決められず、二度に分けて加減するところに、息子氏政の器量のなさがあらわれているというのである。これなどは、いささか厳しすぎる評価だとは思うが、氏康は日常の一挙一動に、人間の本質がおのずと滲み出るのを見ていたのであろう。
 
 この氏康の予言は、不幸にして当たった。天下統一をおしすすめる豊臣秀吉の軍勢が小田原へと押し寄せたとき、五代当主氏直の背後にいて、決戦の断を下したのは、すでに隠居の身となっていた氏政であった。
 
 ――関東の王
 
としての北条氏の誇りが、氏政に判断をあやまらせた。
 生きるか死ぬかの戦国では、ささいな判断のずれが命取りになる。厳しい時代だ、とつくづく思う。
 
北条氏康(ほうじょう・うじやす)一五一五 ~ 一五七一
相模の戦国武将で、北条氏三代当主。天文十四(一五四五)年に始まる河越城の戦いでは、劣勢に立たされながら、巧みな戦略で関東管領山内上杉憲政らを破った。隠居後も、小田原城で息子・氏政の政務を補助して後見役を務めた。

(「武士の一言 朝日文庫/火坂雅志【著】」p107-110)

ちなみに北条氏康は、「鎌倉殿の13人」で扱われた北条義時とか北条一族とは、生きた時代が違う。
鎌倉時代から300年後の戦国時代の人みたいだ。

rekishiru.site成果も評価してくれない、労力も評価してくれない、そんな組織は病んでいる。
転職を考えた方がいいかも。

労力以前に成果すらも無視されることがある、秩序なき現代社会。

ああやだね。
秩序のない現代にドロップキック、ミスチルの曲にもあるよな。

www.youtube.comeverything it's you 、何を犠牲にしても守るべきものがある、愛を貫き通すことが称賛される。

www.youtube.com相思相愛である相手を持つことが称賛される。

人生における成功者の定義と条件
アンケート20代以下

26歳♀(東京都)主婦
人生の成功者とは……
相思相愛のパートナーがいる
質の高い(=本人が満足な程度の)衣食住が得られている、必要なときに必要な助けが得られるネットワークを持っている(医療・介護など公的サービスから友人知人などまで)。

(「人生における成功者の定義と条件 村上 龍」p79)

53歳♀(大阪府)自営業
【定義】
人を愛し、その人から愛されている人のこと。
【条件】
愛の対象が具体的な人間であって、相互に相手の愛を認識していること。なぜなら、健康も不健康も、貧乏も財産も愛する人の存在で価値をもつから。

(「人生における成功者の定義と条件 村上 龍」p224)

しかしその一方で、愛は貫き通されることなく、惑うこともある。

dot.asahi.com とはいえ、このスキャンダルによって好感度はガタ落ちした。たとえば、雑誌「JUNON」の人気ランキングで、彼は木村拓哉福山雅治がトップを争う男性部門のベスト10に入るほどだったが、そういう存在ではなくなっていく。不倫への風当たりは、近年ほどではないにせよ、当時も厳しかったのだ。

 にもかかわらず、彼はなぜ、この危機を乗り越え、盛り返すことができたのか。ひとつの理由としては、とにかく大真面目にみそぎをしたということが挙げられる。こうしたときの対処法としては「マスコミを通して謝罪する」「一定の謹慎期間を置く」「作品で表現する」「田舎に引きこもる」「頭を丸める」といったものがあるが、彼はそのすべてを実践したのである。

 もっとも「田舎に引きこもる」べく、母方の地元でもある山形県に建てた新居は時価5億円の豪邸。「頭を丸める」にしても、「週刊女性」によると、最初の妻の母親からは「なんで坊主にしたのか……。その意味がわからない」と皮肉られたりしたという。それでも、反省めいたものを何も示さないよりはまだ効果的なのだろう。

Everything its you がリリースされた1997年に、不倫が発覚したらしい。
Everything its you and another ladyだった。

この記事も最近、話題になってたけどな。

anond.hatelabo.jpミスチル桜井和寿は大真面目にみそぎをしたから今がある。
だから「炎上しても謝罪しないほうがいい」と決めつけるのは、早計な気もするな。

一途な愛の完遂は簡単じゃない。
「心は惑うもの」ということを示す好例よ。

心こそ 心惑わす心なれ 心に心 心ゆるすな
(心ほど心を迷わすものはない。心というものにけっして心を許してはならない)

伝承歌[沢庵禅師の『不動智神妙録』、鈴木正三の『万民徳用』などに引用されている道歌]

 この冒頭の言葉は沢庵禅師の、心のあり方について具体的に説いている『不動智神妙録』の結びに引用されている、有名な道歌です。禅の心を説く伝承歌として、当時よく知られていたものです。鈴木正三の『万民徳用』にも引かれています。後述する、石門心学者の柴田鳩翁の『鳩翁道話』にも、次のように「ある人の道歌」として引用され、人の心の恐ろしさを説いています。

(「名言名句で読む日本人の歴史[ 名言名句探究会 ]」125日目)

鴨長明は人間の心が作り出している世界の無常さを暴いた。

夫(それ)、三界(さんがい)はただ心一つなり
(そもそも、欲界・色界・無色界から成るこの世界は、ひとえに心が作り出しているのである)


鴨長明[久寿二(1155)年―建保四(1216)年]
歌人、随筆家。『方丈記』著者。仏教説話集『発心集』編著者。神職を辞め出家して閑居生活を送った。同字だが俗名は「ながあきら」と称される。


「日本最大随筆の一つ」ともされる『方丈記』は、無常という心のあり方を説いていることで知られます。

また不知(しらず)、仮の宿り(かりのやどり)、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる
(また私は知らない。人々はなぜ、仮の住まいに過ぎぬ家を、誰のために苦心して作ろうとし、そしてなんのために自分の住まいを見て喜ぶのか、ということを)

予、ものの心を知れりしより、四十(よそぢ)あまりの春秋(はるあき)をおくれるあひだに、世の不思議を見る事、ややたびたびになりぬ
(私はものの心を知ってから、四十年余りの歳月を送るあいだに、世の中の不思議を見ることが、次第にたびたび起きるようになった)

「夫、三界はただ心一つなり。心もしやすからずは、象馬(ぞうめ)、七珍(しつちん)もよしなく、宮殿・楼閣も望みなし」
(そもそも、欲界・色界・無色界から成るこの世界は、ひとえに心が作り出している世界なのである。心が安らかでなければ、貴重な象や馬や、宝物も無益であり、宮殿も楼閣も不要である)

 

(「名言名句で読む日本人の歴史[ 名言名句探究会 ]」49日目)

ドゥルーズも、意識(心)が身体をコントロールしているのではなく、身体(色欲)が意識を支配していると語っていたらしい。
この動画の中盤で言及されてた。

www.youtube.comだから「心」同様、「労力」とかいう個々人の内面や精神性の高いものに依存する評価基準は疑わしい。

労力を評価してくれるのは、有難い場合はあるが。
「労力」は「心」のように掴みどころがなく、定量化も可視化も難しく、曖昧で不安定な概念だ。
そのため、あくまで成果で評価してくれる土壌があるのが前提。

もし労力を無理矢理、定量化し、労力だけが評価される世界になった場合、有能な人間がモチベーションを失い、生産性は下がり、残酷で無秩序な世界になるだろうな。