面白い映画を観た。
といっても、ストーリー解説とかはしない。
登場人物の皆の感情の表出、意識の流れや変化、観ててすごかった。
フロイトの防衛機制が見受けられるシーンもあった。
ルサンチマン研究家、人間の無意識に興味がある自分としては、それについて書き留めておきたい。
が、その前に。
既に、部下が仕事ができないイライラを、自分では抱えずに他人に責任転嫁させる陰性転移、仕事がうまくいかないストレスを関係のない第三者である喫茶店の店員にぶつける陰性転移、については紹介した。
ただ、こんな記事を読んだ。
ameblo.jp3 利用者に対する不満を直接ぶつけずに,机を強くたたいて発散する。
(解いてみた・・・これは解説ではなく、私の頭の中の言葉です)
「これは八つ当たりだね・・・心理の防衛機制でいうと『置き換え』か・・・この選択肢は違うかな」
(調べてみた)
これは、防衛機制の置き換えです。
置き換え
特定の人物や物などに向けられた欲求や感情の表現が難しい場合に、抑圧された情動を、本来の対象から、より脅威が少なく、より受け入れやすい代替物へと転換したり、置き換えたりすることです。
なるほどね。
今まで語っていた陰性転移は、「置き換え」の可能性もあるな。
しかし「転移」の場合もある。
「理想的な母親」のシニフィアンが無意識に内面化されて、その母親のように振る舞えるようになるのも、シニフィアンが生むシニフィエ(意味作用)が自分に「転移」しているような気もするし、転移の発生は頻繁に起きてるからな。
まあでも今日は映画の中で気になった心の動きの中では、「置き換え」も、「転移」もあった。そして最もおぞましい「抑圧されたものの回帰」も。
それを紹介する。
以下、ネタバレあるので映画を観てない人は観てからの方がいいかもです。
青柳直人(松坂桃李)が、添田充(古田新太)やマスコミや草加部麻子(寺島しのぶ)に追い詰められる中で。
弁当屋で、特選海苔弁当を買った。
しかし、それは特選海苔弁当ではなく、普通ののり弁だった。
そして、弁当屋に電話した。
あの、特選海苔弁当頼んだんですけど。普通の海苔弁当入ってたんですけど。はいそうです。ええ、唐揚げ入ってないです。
いや食べちゃったんでいいです。いやだからもう、食べたっていってるじゃないですか。
はい。次回来た時って、二度といかねえよふざけんなてめえコノヤロウ○すぞ!おい、聞いてんのかよ!絶対ぶっ○してやるからな○すぞクソが!!!
松坂桃李の徐々にボルテージ上がっていく演技、すごいw
普通、出てきた弁当が違うぐらいでこんなに怒らない。
でもあまりにも日常に大きなストレス負荷がかかると、このような「置き換え」によってストレスを発散しないと耐えられなくなるだろうね。
冷静になった後に「お弁当美味しかったです」「すいませんでした」って謝罪してたけど。
そして別のシーン、青柳が草加部に対して「正しいとか、善意の強要は、苦痛でしかないんですよ!何なんですか、正しいとか、正しくないとか」と吐き捨てた後、
迷惑?・・・直人くんも、私のこと偽善者だって思ってるんでしょ…。
このシーンは、「置き換え」ではなく「転移」に近いかもしれない。
これよりも前のシーンで、草加部は充に「あんたはそんなに正しい人間なのか?」「はぁそれ偉いのか?この偽善者が!」って言われてた。
青柳からのネガティブな言葉によって、同様の対応を取られた別人の言葉がフラッシュバックし、「転移」が起きている。
青柳に、充の姿を、重ねた。
例えばこんなことがないだろうか。
仕事で雑な指導や汚い言葉を吐く上司Aがいて、嫌っていたとする。そして別の仕事で、同僚Bも上司Aのように、雑な指導や汚い言葉を吐く人だった場合、同僚Bの中に、上司Aの姿を見る。
転移
利用者から援助者に向けられる、特別な感情です。過去に出会った、自分にとっていい人だったり、悪い人を援助者に重ね合わせてしまう事が原因です。
例えば、患者が医師を好きになったり、生徒が先生を嫌ったりといった事です。
医師をとても優しかった自分の父親に重ね合わせたり、また、先生を自分に厳しく接する父親に重ね合わせてしまっているからです。
これは、転移の逆で、援助者が利用者に向けられる、特別な感情です。
選択肢の問題文において、利用者を亡くなった祖母に重ね合わせています。逆転移による、頻繁な訪問は、過剰なサービスに繋がったり、自分本位のサービスに繋がりかねません。不適切援助関係になることがあります。逆転移は、そこが問題となります。
このシーンはやはり「陰性転移」が起きてるな。
そしてこの次、おぞましいシーンがあった。
上記の、青柳と草加部が激しく感情をぶつけるシーンで、草加部がこう言った。
私が若くて、綺麗だったら、そうは(偽善者だとは)思わないんでしょ?私がキモいんでしょ?もう・・・キモくて迷惑なんでしょ!?
このシーンはえぐかったな。
青柳に拒否されたことで、抑圧されたものが回帰しているような感じだ。
「若くて綺麗だったら」というコンプレックス、この草加部については、スーパーアオヤギで働くシーン以外は、ボランティアをしたり清掃をしたり、自らの正義の奉仕活動を行っている。
が、プライベートで男性の影が全くなかった。独身女性の設定だったのではないだろうか。
自分も独身男性として、草加部には共感した。何か必要なんだよな、ソロは承認欲求を満たしてくれる自尊心や自己愛を得られる機会が。それが草加部にとってはボランティア活動なんだよ。
しかし「パートナーの不在」というコンプレックスは依然としてあって、その不在の原因が自分がオバサンであるという事実、自分がオッサンであるという事実などなど。
それは普段は抑圧しているんだけど、何らかの契機によって回帰するシーンがある。
その自分にとってコンプレックスであり不気味なものとして蓋をしていた感情が回帰するのが、このシーン!
残酷なものを描くな、ほんとに。
さらに場面が変わって、草加部麻子の奉仕活動のシーンよ。
既に充と青柳によって、自分の自尊心の拠り所でもあった活動を否定され、自尊心を失いつつあった。
しかし、その奉仕活動は自分の生きがいでもあり、大切な拠り所だ。すぐに止めたりなんかはしない。
その日も、恵まれない人のための炊き出しをやっていた。
同じボランティア仲間が、カレーの寸胴鍋が熱かったがゆえに、手を滑らせてカレーが入った鍋を地面にぶちまけてしまう。
ちょっと・・・何やってんのよ!毎回、毎回、やる気あんの?・・・ちょっと手冷やしてきて!
「本当にすみませんでした」と、ボランティア仲間は涙ながらに謝罪。
ちりとりでカレーを掃除する中、草加部は顔が徐々に歪んでいき、遂には泣き出した。
ここの草加部の感情は複雑だ。
充や青柳から受けたストレスをボランティア仲間に「置き換え」した。善意で手伝いに来てくれてる人への怒りとしては過剰すぎる。
さらに頭の中で、リフレインしてしまったんじゃないか。
ミスをしたボランティア仲間の苦悶の表情、その表情がトリガーとなり、充や青柳から受けた「この偽善者が!」「善意の強要は苦痛です」という言葉が思い出されてしまった。自分の生きがいが否定された出来事(不気味なもの)が回帰してしまった。
ボランティア仲間に対して「置き換え」によってストレスを発散し、しかしボランティア仲間の苦悶の表情に充や青柳の姿が「転移」し、二人に否定された過去の出来事が蘇る「抑圧されたものの回帰」。精神がグチャグチャになってる。
酷い話だね、ほんとに。
今回は草加部麻子の感情の動きに焦点を当てたけどな。
序盤の、看板に八つ当たりするシーンだとか、教師が事件前と比べて生徒に寄り添おうとするシーンとか、他にも気になるシーンあったな。
別の機会にまた語ろう。
吉田恵輔監督の他の作品、観たくなったな。
宇多丸のレビューとロケ地マップもチェックしておこう。
www.tbsradio.jpwww.gamagori.jpあと弁当のシーン観たら、ほっかほっか亭やほっともっとののり弁も、食べたくなったなぁ。
もちろん唐揚げ入りの特製の方を。