逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

独身弱者男性が全集中して編み出した、人間の無意識にあるもの全てを顕在化する技を伝授します。

コメダ珈琲で尊大な態度をオッサンが取ってしまった理由についてフロイトの概念で解説

こんなトピックが話題になってた。

ima.goo.ne.jpああ、ほんと、いるよな、こういうどうしようもない品性のない輩。

俺も、たま~に、そういう態度を取ってしまうことがあるが、一線を画してはいる。
上野駅か、いや御徒町駅からすぐ近く、湯島のとんかつ屋「蘭亭ぽん多」に行った時の話をしたようにな。

メニューに記載の「イチゴの姿造り」と、実際に出てきた品物が、あまりにも乖離していて店員に苦言を呈したこともある。

だが俺が「蘭亭ぽん多」で使ったのは、ルサンチマンの呼吸の壱の型「ストレス共有化」だ。
飲食店で、納得がいかないメニューを出され「なんだかなぁ」と、ストレスを受ける。
せっかくの日曜日の締めのご飯、スッキリして終わりたかった。
とんかつはすごく美味しかった。
しかし、最後に食べたメニューにどうしても納得できず、このストレスを吐き出す必要があった。

コメダ珈琲にいたオッサンなら、こう言っただろう。

「なんだよこれ、イチゴ固いよ!食べれないよ!お金返してよ!!」

と。

だが俺は基本的には温厚で品性があるため、お金を払った後で、

「いちご硬すぎて食べれなかったですよ。ちゃんと解凍してほしかったです。」

と、優しく苦言を呈した。
まあ店員の方から反論もされたけど、特に何も言い返さずに店を去ったし。
俺はストレスを店員と、厨房にいる大将と、共有化した。
それによって、俺はストレスを低減できて、希薄にすることができた。

確かに、店員と大将は嫌な気分になったかもしれないし、それは余計な一言を言われたと被害を感じているかもしれない。
だが「メニューを見直す」というポジティブな機会を与えてもいる。
その点で、コメダ珈琲でオッサンが言った、

「水来てないんだけどマニュアルどうなってんの」

とは、大違いだ。
汚い言葉で水を求められ、店員は傷つくだけ。
言われた側は、得るものが何もないし、それどころかマイナスよ。
俺の場合は「イチゴが固いんだな、うーん、そうなのか」というように、得るものがあるからな。

つまりアンジャッシュ渡部の言葉を借りると、俺とコメダ珈琲にいた輩は、同じおじさんでもヒューマンステージが違うと言ってもいいな。

さて、ここでオジサン達の発言について解説しよう。
このオジサン達は実は無意識に、ルサンチマンの呼吸を実践している。
しかし、俺がストレス抑止として好んで使っている、マインドフルネス的な実践である壱の型「ストレス共有化」ではない。目的意識を持って他人に物申しているからな。
このような衝動的なルサンチマンは陸の型「陰性転移」だ。

陰性転移についてはフロイトの「転移」という概念を闇金ウシジマくんの例で解説で説明した。
自分の納得のいかない日々のネガティブな感情が、些細なこととストレスとなって、他人へと陰性転移されたんだ。

コメダに居たオジサン達は半ば衝動的に、水が来てないという些細な出来事を、それをオーバーに問題化し、罵倒のような言葉で店員に浴びせた。
オジサン達はスッキリしただろうよ。
普通に「水ください」というよりも、「マニュアルどうなってんの」という嫌味を加えてホスピタリティの欠如をより強調し、相手を貶めた上で、それを徹底的にデカい声で否定し、束の間の優越感を得る。
「水の要求」という出来事を、「水の要求」+「優越感の獲得」という出来事に、無意識に変換したんだ。

ではなぜ優越感を得たかったのか?
スッキリしたかったのか?
それは、優越感を得る機会が、日常にないからといってもいい。

人間はどうしても、他人と比較し相対化してしまう性質があるため、優越感や自尊心を求めてしまう。
本当は勉強やスポーツ、仕事、夢など、自分が日常で大きな時間を費やしている現場でそれを得ることができるのが望ましい。
だがそうもいかない。
競争社会では勝負にも負けることもあるし、敗者になれば自尊心や優越感は「欠如」となって、心の内に留まり続ける。

その欠如をどうすれば埋められるのか。
それが、ルサンチマンの呼吸でもある。

自分の仕事とはあまり関係ないシチュエーション、関わりの少ない他人との中で、無意識にも自尊心を得ようとしてしまう。
理性ある人間であるならば、本来は抑えなければならない。
しかし動物的な衝動によって、自分の日常に影響のない他人を罵倒して優越感を獲得することで、日常で得ることがきなかった欠如を埋めようとしてしまう。
それゆえ、オジサン達は汚い言葉で他人を責め、優越感を獲得する。

この欠如は、ルサンチマンの源泉でもある。
ルサンチマンは、その行為に至る前に、嫉妬や羨望や怨恨や自己嫌悪、欲望の非充足といった、ネガティブな感情を経由する。
そしてネガティブな感情から、それを解消するためにルサンチマンという実践が行われる。
ルサンチマンはストレスの抑圧や解消の手段として、内面に留まる場合もあるし、現実に表出してしまう場合もある。
今回は、現実に出てしまったケースだ。

傍から見れば品性の無い行為である店員への罵倒を、「水を出さない店員はすぐに怒鳴ってもいい」という自分に都合の良い奴隷道徳を生み出すこと(ルサンチマン)によって、自己中心的な振る舞いを正当化する。

陸の型「陰性転移」は、品性が無くてみっともないから俺はほとんど使わない。
どうしても店員に物申したい時は壱の型「ストレス共有化」を使うべきだ。

壱の型の使い方は、上に書いたとんかつ屋のエピソードを見てくれ。
概要については西武池袋線の駅員との会話から怒りやストレスを和らげる方法を発見で説明してるからな。