逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

独身弱者男性が全集中して編み出した、人間の無意識にあるもの全てを顕在化する技を伝授します。

喫茶店で店員同士がイチャイチャしていると腹が立つ理由をジャック・ラカンの概念で解説

昔、晴海だったか勝どきだったか忘れたけど、喫茶店に行った。パソコンを開いて、仕事をしていた。すると、店員の男女が、なんかいちゃいちゃ喋ってた。
もう遅い夜で、次の日は仕事で日曜日だったからだろうな。店内は暇だったから手持ち無沙汰になってのかな、お喋りしてたんだよ。
そうすると、なんかイライラした。
「いや、仕事中だろ、ちゃんと仕事しろよ」という、店員の怠惰に対する怒りなのか。「ペラペラと煩いよ」という、騒音に対する不快感なのか。でもそれだけでもない気がする。

その時はなんでこんなに気分が悪くなるのか、コーヒーがまずくなるのか、よくわからなかった。

そして昨日、また別の喫茶店で、イチャコラ喋ってる店員がいた。別にうるさい、ってほどの大きい声でもない。聞き耳を立てても会話の内容が聞こえてくるわけでもない程度だ。だから「騒音に対する不快感」ではない。

「店員の怠惰」でもない。
エスプレッソマシンをポチ、とかではなく、サイフォンでコーヒーを入れてくれる、コーヒーが美味しい店だ。まあ別にマシンでポチでもいいんだけどね。
喋ってる店員も機敏で、少し間が開いた時に女性店員とお喋りするっていう感じ。

じゃあこの不愉快な感情の源泉は何なのか。
一晩、考えたよ。
自己分析を行った。
するとわかった、俺は劣等感を感じていると。

あいつらに、劣等感を顕在化させられた!

と。
ソロで毎日一人飯、生涯独身者予備軍の自分には決してもう訪れないボーイズライフ。自分もそれを求めていた。
上京した20歳の頃、スターバックスのバイト面接に行った。
俺もスタバの可愛い店員さんとイチャコラお喋りして、彼女にしたいという下心があった。

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引用元:カフェでよくかかっているJーPOPのボサノヴァカバーを歌う女の一生【渋谷直角】青年マンガSPA!コミックス

みたいな感じだ。でもそんなの叶わなかった。面接にすら受からなかった。
だから今でもスタバに行くと「こいつがスタバの店員になれてるのに、何で俺はなれなかった?俺は落とされた?」と、心の中で勝手にテストしてる。

自分が達成できなかったライフスタイルを実践している者への羨望と嫉妬。
ここでもしかすると、理不尽な客の場合、このように怒鳴りつけたり、クレームを言うかもしれない。

「仕事だろ?なんでペチャクチャ喋ってるの?」

とか、

「勉強してるんで、できれば静かにしてほしいんですけど!」

とかね。
でも違うんだ。
もちろん本当に煩い場合もあるけど、店員には実はあまり非が無いケースがほとんどで。
実際、そのイライラの源泉は、過去に達成できなかった自分に、自分の理想の存在に、対峙してしまったというのがある。
これが、ジャク・ラカンが言うところの、皆が想像的領野で抱いている欲望の対象=対象aだ、たぶん。

誰しも、対象aは意識的にも無意識的にも、持っている。
しかし、それが顕在化しないように過ごしているケースが多々ある。顕在化すると、あまりいい結果にならない。

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引用元:最強伝説 黒沢 1 [ 福本伸行 ]

黒沢は、サッカーの試合を見て選手を応援することによって、自分がスポーツ選手のようなスポットライトを浴びる存在にはなれない事実がより鮮明化してしまった。
自分が対象aに同一化できない存在だと認識してしまった場合、心が冷えていく。

俺もバイト先で仲の良くなった女の子を彼女にした男という対象aになれないという現実を、喫茶店のイチャコラ店員と対峙することで認識し、イライラした。

これがネガティブな感情の源泉だった。

決して仕事への怠惰とか騒音とかではなく、理想の同一化対象になれない現実を突き付けられたことだったんだ。

ではこのネガティブな感情をどう払拭するか。嫉妬心が頂点にまで達した場合、ルサンチマンは「すべての対象を破壊」するような、タナトスに近い性質を帯びていく。

「何かうまくいかないことがあるものだから、ある人物がついに腹を立てて絶叫する。『世界も何もかも滅びてしまえ!』このおぞましい感情は次のような推論による嫉妬心の頂点である。自分が「或る物」を持つことが出来ないのだから、世界に「何物も」持たせない!世界もなくなってしまう「べき」だ!」
ニーチェ『人間的な、あまりに人間的な』)

こうなってしまうと破滅的な結果になってしまう。だから頂点にいかないようにし、代替策で解消を試みる。例えば、店員に対して怒鳴ったり、いちゃもんをつけてクレームを言うことで、その店員といちゃいちゃ喋って彼女にしやがった男という存在の邪魔をする。

これで解消できる場合も、あるにはある。
ルサンチマンの呼吸、「対象aへの妨害」と名付けてもいいな。
でもこれ、法に触れる可能性あるからダメだよな、営業妨害。
そもそも人に迷惑をかけるのがよくない。まあルサンチマンは嫉妬や羨望を解消する実践だから、迷惑をかけてしまうことはあるんだけどね。以前の記事(コメダ珈琲で尊大な態度をオッサンが取ってしまった理由についてフロイトの概念で解説)でも話したけど。

ここはもう、その店員がいる喫茶店にはバツをつけてなるべく行かないようにして、静かで落ち着いた喫茶店に行くようにするしかないね。
単純に逃げるって話。

ルサンチマンの呼吸の捌ノ型「対象aからの逃走」と名付けよう。
「逆パワースポットからの逃走」でもいいんだけど、スポットに限定されない場合もあるだろうし。


まあこの逃走は結構、みんな無意識にやってることあるよな。
逃げている、誰しも、無意識に、理想の同一化対象が近くにいる現場から。
近くにいると辛くなるからな。