ニューヨーク嶋佐、やってもうたな~!
www.jprime.jp岡村のコロナで美人がお嬢やります発言に匹敵する失言かもだ。
こりゃまずかったか…いや、でもそんなおかしいこと言ってるか?
正直でいいじゃねえか。
小山晃弘はアウトだと思ったけどよ。
小山晃弘「大谷翔平、28歳なのに高校生みたいな顔してて正直キモい」
大谷はいい化粧品使ってるらしいから肌が若々しい。童顔や若さもネオテニーと言ってヘイトに変換…どういう人がこの人の有料noteを購読してるのか知りたい。誰かを叩くルサンチマンで保とうとする自己肯定感は脆いよ
2023/03/13 21:49
b.hatena.ne.jp嶋佐は他人非難ではなく、自分の好き嫌いの話じゃねえか。
普段は大して野球見ないくせに、みんなが応援して盛りあがってるから付和雷同して、便乗して、盛り上がって、流される生き方してるよりよっぽどいいぞ。
大谷翔平はそんな流される生き方してない。
このように、マンダラチャートで目標設定をしてよ。
大谷翔平 12年前に書いた夢を実現するための設計図 pic.twitter.com/CEJDfCBsle
— 田端@ツイッター成長請負人 (@tabbata) 2023年3月11日
自分を研鑽するために時間を使ってる。
時間がもったいないから牛丼だと…?もっといいもん食えるのによ。
bunshun.jpかたや同調圧力に屈し、野球をなんとなく観ている人々と大違いだ。
イチローあそこでよく打てた、感動をありがとう!
だと?
感動なんて別にねえよ。
あ、2009年だったか、今は何回だっけ?
まあ野球のパフォーマンスとしてすごいって場合もあるかもだけどな。
www.youtube.comたけしも言ってるだろ。
ワールドカップを観ていて相変わらず「感動をありがとう」なんて言ってるやつはもうてんで駄目なんだよ。ほんとうの感動は、やった奴しか分からない。
by ビートたけし
その通りだほんと。その話は去年も散々した。
gyakutorajiro.com自分の、自分自身が成し遂げた歓喜じゃねえんだよ。
この漫画の黒沢がいいこと言ってるよ。
テレビの向こうで活躍するサッカー選手達に対して、
「俺が求めているのは……オレの鼓動……オレの歓喜。オレの咆哮。オレのオレによる、オレだけの……感動だったはずだ!」
「他人事じゃないか…!どんなに大がかりでも、あれは他人事だ…!」
ってね。その通りだって俺は思ったよ。
野球も同じだよ。
たけしだけじゃねえ。
マルクスも言ってる、「スポーツは人民のアヘンである」みたいな話をな。
www.jstage.jst.go.jpしたがって、第一期の「マルクス主義の旗の下」で進められたスポーツ研究とは、スポーツという身体文化は資本主義を体現し、人々に現行の資本主義社会体制への従属を求めるイデオロギー的な産物ということを告発することを強く展開するものであった。つまり、スポーツは「資本主義社会体制を維持するための民衆のアヘンである」ということになろう。このような研究のテーマは、まさにブローム(Jean-Marie Brohm)の著作のタイトル『スポーツ:測定される時間の奴隷』(1978)に象徴されていた[Brohm,1978]。
それゆえに、残念ながらマルクスが『ヘーゲル法哲学批判序論』で指摘した「宗教上の不幸は、現実の不幸に対する抗議である」というフレーズへの関心はほとんどなされなかった。つまり、このフレーズを「スポーツを現実の不幸への抗議」として読み変え、スポーツの内在的原理から現代社会を批判する試みは、この時期においてマルクス主義的アプローチの主要なテーマとはなりえなかったのである。
なるほど、スポーツによって資本主義に即した身体の最適化、政治的意識の希薄化や忘却についての作用を研究した人はいたようだが。
その逆で、スポーツにおける身体表現が、政治的批判にも成り得るという話もあるようだ。
確かにそうだよな、カタールワールドカップの時もあったしよ。
amamako.hateblo.jpだが、やはりアヘン的な側面もある。
「ちびまる子ちゃん」を読めばわかる。
さ~~~野球だ野球だァ ♪ビ~~ルと野球で この世はバラ色~タララ~♫
(ちびまる子ちゃん 10 [ さくらももこ ])
グータラなヒロシが、テレビの野球の勝負に一喜一憂し、自分の人生の直視から目を背けてる。
最近行った洋食屋にテレビがあって、WBCのダイジェストみたいなのがニュースで流れててよ。
その洋食屋のホールのオジサンは、仕事そっちのけでそのテレビを観てた。
そんで「よし!」とか言って、仕事に戻ってたけどよ。
ここで「よしっ!」とした時、スポーツ鑑賞を楽しみ、自分の目の前の労働への集中力を失っている。
自分のホール仕事が希薄可され、労働のさなかに「楽しさ」が加わっているが。
それで何か、自分の日々が劇的に変わるというわけではない。
せいぜい、労働の疲労を慰撫し、メンタルが一時的に上向く作用はあるのかもしれねえけどよ。
まる子:フンだ 巨人が勝ったってどうせおフロ入ってねるだけじゃん べつにどうってことないじゃん
ヒロシ:勝ったーっていう気分でフロ入るのがいいんだよ
(ちびまる子ちゃん 10 [ さくらももこ ])
まる子がいうように、どうってことねえだろうよ。
また2009年のWBCの時、自分はちょうど会社で仕事中だった。
なぜか課長がテレビを付け、一同でWBCを鑑賞した。
皆が沸き上がっていた、仕事中なのに。
その空気を許す。国民的イベントだからか知らねえけどよ。
そのため、スポーツには薬物的な陶酔作用や、労働の辛苦を希薄化する作用があり得る。
また、上記で紹介した論文に「ヘゲモニー」という概念が出てくるが、これは野球観戦を半強制する空気の形成と関わってる。
navymule9.sakura.ne.jpこのヘゲモニー(hegemony):ヘゲモニーと は、人々による合意にもとづいた覇権や支配権のことをさす。マルクス主義思想家のアントニオ・グラムシ(1891-1937)は、強制や恐怖による権力支 配とは異なり、人々の合意による権力掌握のことについて指摘し、それをヘゲモニーと称した。これは、暴力や強圧的力により市民を屈服させるのではなく、合意を通して支配関係を確立するということである。つまり、力ずくの暴力ではなく、文化、道徳さらには教育というプロセス、さらには市民社会の確立や民主主義という政治制度がヘゲモニーの行使に関係しているのである。私たちは子供たちを学校に行かせたり納税したりするという、普通の市民的義務を果たすが、常に納得づくで行なっているわけではない、実際は政府や国家のイデオロギーが装置のように私たちを「それを行わなければならないよう」に仕向けていると考えられるのである
イデオロギーに似ているが、イデオロギーよりも気づきにくく、無意識的で、広範に影響を及ぼしている。
iss.ndl.go.jp12 Terry Eagleton,Ideology: An Introduction, Verso, 1991.(テリー・イーグルトン『イデオロギーとは何か』平凡社、1999年)、David McLellan,Ideology, second edition, Open University Press, 1995.
13 イーグルトンはグラムシのヘゲモニー論にかんして以下のように述べている。「イデオロギーとヘゲモニー、このふたつの用語の区別は、じっくり考えてみるにあたいする。グラムシはヘゲモニーという語を、支配権力が、その支配体制に対して従属者から同意(concent)をとりつけることという意味で使っている―ただし、グラムシが、ときおり同意と強制(coercion)の両者を含めてこの語を使うことは事実である。さて、[ヘゲモニーには、]すぐに目につくイデオロギーとのちがいというものがある。というのは、イデオロギーは強制的に押し付けられるかもしれないというのが明らかだからだ。・・・ただしヘゲモニーはまた、イデオロギーよりも広い概念である。ヘゲモニーはイデオロギーをふくむ。しかしヘゲモニーはイデオロギーに還元されない。」Eagleton,p.112.240~241頁(p10)
いわば「合意形成のある特定の主義・主張・思想の行使」「空気のように無意識に作用する権力行使」みたいな訳が適切だろうか。
「日本代表を応援するのは、当然じゃない?」という空気感も、ヘゲモニーの一種だ。
じわりじわりと、頑張ってる日本人がいたら応援しなければならないと、身体が組織化されていく。
思い出してみてほしい。
中学や高校の時、なぜか野球部の試合の応援に、駆り出されたことはないだろうか?
あれも変だよな。
なんで卓球部とかカバディ愛好会とか三国志研究会の試合じゃなく、野球部の試合なんだよ。
吹奏楽部も暑い中、駆り出されたりよ。
bunshun.jp コロナ禍でブラバン応援が禁止された大会もあったが、今年は50人という演奏者の人数制限こそあったものの、平時の応援風景が戻ってきていた。地方大会でさえ、1回戦から吹奏楽部を動員して全校応援をする学校も多い。
そう、この野球というスポーツは、もはや生活に浸透している。
その覇権的力は、やはり野球の性質、資本主義との相性の良さにもあるだろうな。
それは大きく4つの要素がある。
1つずつ挙げていこう。
まずは「剛速球」だ。
大谷翔平や佐々木朗希が投げる100マイル(160km)オーバーの球。
これは直線的時間を礼賛する資本主義と非常に相性がいい。
とにかくスピードを出せ、PDCAを回せ、金を稼げと、速度を求める資本主義的加速主義の礼賛。
資本主義は直線的速度が求められる。
命を削り、短時間で最大の売り上げを計上する至上命題を多くの企業は課す。
うわーーっ!!
50キロオーバーのスピード違反だ!!
下手したら交通事故だ!!
剛速球はその象徴として機能する。
だから剛速球を投げる人間は、資本主義社会の価値を示すアイコンとして礼賛される。
次に「時間の長さだ」。なかなか終わらない。2時間も3時間も費やす。
だがその時間の長さが大事だ。
覇権的スポーツの地位になったのは、長い人間の人生を象徴するからだ。
陸上競技の短距離種目のように、あっけなく終わっては困る。
さらに「チームプレー」だ。
個人競技であるテニスがそこまで盛り上がらないのは、人生が個人競技ではないからだ。
大体の人間は、会社等の組織に所属し、チームの一員として労働を与えられる。
その日々の所作や労働に、最も類似するリアリティを持つスポーツが野球だ。
「組織のためなら、チームのために自分を捧げる」という自己犠牲の精神を養うのにも野球はうってつけだ。デッドボールで塁に出たりな。
そして「逆転劇が起きる可能性の高さ」だ。
ルーザーになりそうだったのにウィナーになる。人生にもそれぐらいの起伏があってくれないと困る。
つくりもののドラマとは違うんだよ
野球はなァ
毎回毎回泣いて笑って最高の娯楽なんだっ!!
(ちびまる子ちゃん 10 [ さくらももこ ])
久保田利伸の唄みたいに、グランドスラム(満塁ホームラン)で逆転するみたいな攻防戦もあるだろうよ。
www.youtube.comつまり野球とは人生を象徴するのにうってつけのスポーツで、それゆえ共感や感情移入しやすい側面があるのかもしれない。
でも共感できないやつもいる。
それは教育の失敗だ。
学校でソフトボールの授業があっただろう。
あれは球技を教えているというか、企業の一員として働くに際し、チームプレーを擬似的に学ぶ訓練だ。
それにうまく適応できない子どもは、ソフトボールや野球等の球技に良いイメージを持たない。
だからチームプレーの大切さ等の観念形成が未熟となり、個人主義や自信過剰等が促進され、社会に出ても組織の一員として働くことに支障をきたす。
なんでこんな仕事せなアカンのや~~~!?
俺は人に頭を下げるようなレベルの低い人間とちゃうわ
そして仕事を辞め、低所得になる。
金は無いが、プライドだけは高いがゆえに。
牛丼屋でアクロバティックなメニューを頼もうとする。
「自分は人とは違うんだぞ」という自己認識を加速させるセルフ・イニシエーションとして、チーズ牛丼を頼む。
そう、チームプレイではなく、チー牛プレイが加速される。
だからこの記事のタイトルにあるように、「チー牛=チームワークが苦手なやつ」の可能性がある。
それに気付いてる人もいるんだよ。
名越稔洋は炎上してしまったが、事実として、薄々感じているからだろう。
チーズ牛丼を食べているやつが、肥大化した自尊心を持っている可能性があるということを。
gendai.media「チーズ牛丼食ってるやつはヤバい」だと差別になるから、「チーズ牛丼食ってそう」と、柔らかく表現したけどよ。
IT企業社長が、680円のメニューを頼むやつに苦言を呈したのは、事実として、牛丼よりも高い価格帯であるチーズ牛丼を頼むところに、そいつの自己主張の強さや、客観的事実の否認、自画自賛的な自惚れが見え隠れするからだ。
itainews.com「カネがないという」低所得であるという客観的現実があるにも関わらず、肥大化した自尊心によってそれが抑圧され、制限された現実の中で個性を出そうとする涙ぐましい努力の結実、それが「チーズ牛丼」なんだよ。
だから人材として扱いにくい。
牛丼屋に来てるくせに、金ねーくせに、プライドだけはいっちょ前だ。
ルッキズムとか容姿の問題じゃねえんだ。
チー牛問題ってのは、自分のわがままやプライドを抑えてチームワークができるかどうかを量るリトマス試験紙だっつーことよ。
あとチー牛に似ているのに「ミニマリスト」がいる。
ミニマリストを自称しているやつも、チー牛同様、カネがないという現実が横たわっているにも関わらず、それを「ミニマリスト」という概念(奴隷道徳)で抑圧し、自分を美化するプライドの高さが見え隠れする。
日経新聞の「風呂なし物件が若者に人気」記事に批判が殺到するワケ(マネーポストWEB) - Yahoo!ニュース
そうだよね。仕方なく住んでるのに「シンプルライフ」とか「丁寧な暮らし」とか「ミニマリスト」なんて美化するのはなんか、虚しい気がする。
2022/12/24 17:03
b.hatena.ne.jpだからチー牛やミニマリストは、自分の金がない稼げないという客観的現実を認めようとせず、ちっぽけな行動で自己ブランディングするんだよ。
その一例が「野球ハラスメント」よ。
woman.excite.co.jp《職場でWBC興味なくて見てないって言ってるのに昨日のWBC見た?って出勤すると聞かれるのなんなん》
《いい加減年寄りの野球ハラスメントにうんざり》
《サッカーの時も野球の時も興味が持てなくて今もリアルタイムで1度も観てないんだけど 仕事場とかで誰かにその話題を振られた時「観てなくて…」と答えると非国民扱いされるの意味わからん 応援したい人が応援するんじゃ駄目なの?》
周囲の「WBCを観て、応援して当たり前」という風潮に、SNSでは悲鳴にも近いような「興味がない」ユーザーの声も上がっている。
なーにが野球ハラスメントだっつーの。
そう、ここで俺は新しいルサンチマンを見つけた。
それが「能動的無関心」だ。
「野球を見ない」「興味がない」というどうでもいい自分の行為や感情等を「野球ハラスメント」と概念化し、自分がまるで特別なことを行ってるかのように、崇高化する。
だが実際、野球ハラスメントだとSNSでウダウダ言ってる自分と、大谷翔平やその他大勢の野球選手等の年収を比較した時、到底その人達に及ばないという客観的現実がある。
だからこそ無関心になった。
「野球ハラスメント」等といって他人を罵倒し、野球に能動的に無関心になることで、自分を崇高化するとともに、自分の経済的コンプレックス等を無意識的に喚起するスター選手から目を背け、自分の冴えない現実を抑圧しようとしてるんだ。
メジャーで活躍するのは、文化の違いや言葉のカベとか大変だけど、
目標に向かって障害を乗り越えていけたら人間的に成長出来るンで、
楽しいっス‼チッ‼
将来有望な若いスポーツ選手の前向きな発言は、
正直、ヘコむ。
どう考えても俺の生活とはかけ離れていて、
どんな素晴らしい言葉も参考にならねェ。
(引用元:闇金ウシジマくん(8)[ 真鍋昌平 ])
これでわかっただろ?
「野球ハラスメント」とか言ってるチー牛やミニマリストも、ちびまる子ちゃんのヒロシも、怠惰なんだよ。
まるで贖罪のように、自分の非生産的な怠惰な日々を忘却するように、他人事である野球に熱狂し、全く自己研鑽を行わないヒロシと。
話題を振ってくれた人の気遣いや思いやりを「野球ハラスメント」と罵倒し、自分は忙しいだの他にやるタスクがある等と崇高化しているが、中身をよく見ると、大して金もねえ、何も築けてねえ、チーズ牛丼程度の贅沢で満足するチー牛やミニマリスト。
どちらも「自分の人生と向き合ってない」という点で、情けねえ。
たけしが言うことが正しいよ。
www.asagei.com「感動ばっかりもらってどうすんだよ。たまには感動を与える側になってみろってんだ!」
大谷翔平は、フジテレビの社食で牛丼を食べただろうが、チーズ牛丼なんて食ってねえだろうよ。
チーズ牛丼で満足してる場合じゃない。
自分の悲劇的な現実から、逃げてはいけない。