昨日は驚いたよ。
ツイッターの自分のつぶやきにて、ハッシュタグ「#3塁育ち」「#bornonthirdbase」で、検索してみたんだよ。
ブログ更新しました #親ガチャ #三塁育ち #三塁で生まれた人 #bornonthirdbase #bornwithasilverspoon #格差の再生産 #教育格差 #上野千鶴子 #東大スピーチ #慶大生 #安藤忠雄 #銀のスプーン #七光り #謙虚ライオン #ノブレスオブリージュ / “3塁で生まれた人をディスペク…” https://t.co/arb7jWENQV
— 逆寅次郎 (@gyakutorajiro) May 7, 2022
そしたら、日本語のツイートがほぼなかった。
「#bornonthirdbase」は、海外のつぶやきが大量に出てきた。
でも日本語のつぶやきは俺ともう1人ぐらいしかない。
なぜなんだ。
俺は納得していない。
コカコーラやリーバイスのジーンズと同じように、「#3塁育ち」「#bornonthirdbase」という価値観は日本にも輸入されるべきだし、浸透するべきだと思ってる。
「差別を助長する価値観だからよくない」だと?
よく言うよ、全く。
てめえらは平気で、学歴差別をする。
b.hatena.ne.jp旧帝大や早慶等の人間を採用するが、バックボーンまで見ようとしない。
「親ガチャでたまたま勉強の成績がよかった輩だ」「教育資本を投下して下駄を履いている3塁育ちの人間だ」というように、スタートラインが有利だった事実を判断基準に含めようとしない。
もちろん、わかるよ。
そんな判断基準に意味はねえから、やらねえんだよな。
仮に、親が金持ちだろうが貧乏だろうが、そこまで問題ではない。
採用する学生の能力が大事なんだからな。
その点で学歴差別、学歴フィルターの方は、役立つこともあるんだろう。
だからそこまでは求めない。
だが、同じ能力のやつを比較する場合、そいつのバックボーンを深く見つめる視座ぐらいは持ってくれ。
例えば「東京貧困女子。(1) (ビッグ コミックス) [ 中村 淳彦 ]」という漫画がある。
この漫画に出てくる父親は、毒親というほどではないように描かれてるが、「大学の学費は子どもが出すもんだ」みたいな価値観を持っている。
主人公の女性は、それによって学生生活の中に、大量にバイトを組み込まれる必要性に迫られる。結果的にお金に困窮し、水商売の世界に足を踏み入れざるを得ない状況に追い込まれていく。
つまり「アルバイトをしなければならない学生」と「アルバイトをしてもしなくてもどちらでもよい学生」がいるってことだ。
後者はより、生まれながらに3塁ベース、もしくは2塁や1塁にいるアドバンテージを持っている。
だったら、わかるだろ。
前者の学生の方が、優れてるってことは。
0塁から、ホームベースからしっかり自分を磨いてきたんだから、能力が同じだからそのバックボーンも評価基準として含めろっての。
ヤングケアラーで、勉強する時間が取れなくて、お金が無くて、大学に行けないやつもいる。機会を損失しているやつらがいる。
もちろん、世の中はそんなに甘くない。
前の3塁で生まれた人をディスペクトしてヤングケアラーをリスペクトするの記事でも書いたが、村上龍が言うように「才能はほとんど運命と同義語だと言ってもいい。」という残酷な現実もある。
「俺は、私は、親の面倒や家計のために、勉強する機会がなかったんだ」と叫んでも、心の中でつぶやいても、言い訳だったり、ルサンチマンとして一蹴されてしまう。
かといって、平均的な教育機会を得られなかった子どもたちのための「ヤングケアラー枠」みたいなのを作れ、とかは無理な話だよな。
企業が慈善団体ではないことぐらいわかっている。
ならばまずは「#3塁育ち」「#bornonthirdbase」という価値観を持ってくれるだけでもいい。
てめえらが「東大なの、すごいね」「東大なの、プライド高いんじゃないの」だの、高学歴の人間に抱く印象の中に。
「東大なの、3塁育ちのボンボンじゃねえの」「東大なの、まあ親が金持ちで勉強するインフラがあったんだろ」という価値観も組み込んでほしい。
冷めた目で、冷静に、そいつの能力を認めるとともに、バックボーンも含めてみてほしい。人格も見てほしい。
自分の高い能力が自分の力だけによって達成されたと考えている傲慢なやつではないか、プライドが高くて思いやりのない人間かを、見抜いてほしい。
俺にはその価値観がインストールされている。
学歴だけじゃない、世の中にいる成功者。
3塁育ちの有名人、客観的に見て社会的成功者が、ぱっと思いつくだけで、15名ぐらいいる。
例えば、デビューシングルで200万枚以上のセールスを達成した人気女性アーティストは、親も歌手であり、歌手になるための教育インフラが十全にあった可能性が高い。
今、俳優として大活躍している人も、家系が歌舞伎の名家で、演技や役者としての能力を身につけるための高い教育インフラがあったという点で、3塁育ちだ。
総理大臣の家系は、食えていけるか否かを一旦差し置いて、自分がやりたいこと、自分が好きな活動に従事できる可能性が高い。
「すごいなあ、カリスマだなあ」と称賛するやつがいる一方、俺は「まあ3塁育ちだから、成功できたってのもあるだろうよ」と捉える。世の中の成功者とされる人々に対して、必ずバックボーンも含めてから評価している。
この「#3塁育ち」「#bornonthirdbase」 という評価基準がもっと広がり、例えば高学歴の人間が生まれながらに履いている下駄の存在を明らかにする。それによって学歴差別等に対抗していきたいと考えている。
だからこの記事をもし、ヤングケアラーが読んでいたのであれば、匿名でもいいから声をあげるべきだ。
自分の自尊心や自己肯定感を守るために、この価値観を広めるべきだ。
学歴マウントを取る輩、自分の能力をさりげにひけらかして人を見下す輩がいたら、「#3塁育ち」「#bornonthirdbase」の声をあげ、対抗していく。
ただの一過性のルサンチマンと思われるかもしれねえし、もちろん前の記事で紹介した有名人のように、理想は逆境をはねのけて成功者の方に行ってほしいとは思う。
しかしどうしても、うまくいかず、それでも虐げられたり、自己嫌悪に陥ることがあるのであれば。
この価値観を広げることだけでも、意味があるだろうし。社会的成功者や強者を、謙虚にしたり萎縮させることはできると信じている。