アローンの休日。
このような朝を迎える人は多いのではないだろうか。
この最強伝説黒沢の主人公、44歳独身の黒沢のように。
自分も土曜日、こんな朝を迎えていた。
「何もやることねぇなぁ」と。
いや、自分は自営だから仕事しようと思えば出来るけど。
まあでも月曜から金曜まで、まあまあ働いたし。
今日は仕事はしたくない…でも暇だな…という休日。
やることないので「駅からハイキング」というのに行ってみることにした。
myfuna.netというわけで、南船橋駅へ。
10時から12時までの間に行かないと、ハイキングルートの地図を貰えないからな。
何とかギリギリ12時前に南船橋駅に到着し、改札外にいた係員から、ハイキングルートの地図を貰った。
地図についてはこっちにまとめてる。
iine-y.com南船橋駅~船橋競馬場駅~船橋駅周辺を散策したい人は参考にしてちょうだい。
そんで、地図を持ちながらソロ活ハイキング開始。
なんだけど、何だよ…
さみーよ!
つい先日、大寒波が来ていたんだからな。
その日ほどじゃないけど、この日もいい加減、寒い。
寒すぎてハイキングの気分じゃない。
一旦、腹も減ったし。
なんか適当にラーメンでも食うかと思い立ち。
美味そうなラーメン屋を調べたら、あった。
よし、このラーメン屋に、南船橋駅からアクセスよ。
スマホで地図を確認しながら歩く。
しかし・・・ちょうど右折しようかという箇所で。
なんと、歩道がなくなっている!
どういうこと?
なんで右折できない?
ラーメン屋方面、船橋競馬場方面に行けない?
どうやら南船橋駅から「ド豚骨 貫」に向かうには、ららぽーとTOKYO-BAYに直結する歩道橋を渡らねばならないらしい。
ふざけるな!俺はららぽーとじゃなくて、ラーメン屋に行きたいんだ!!
と一瞬思ったが、まあ流れに身を任せて歩道橋へ。
土曜日なので、カップルや家族連れがぞろぞろとららぽーとに向かう。
この歩道橋は、ららぽーとに面した部分には歩道が整備されているが。
ららぽーとの向かい側は、さきほど俺が右折しようとした時に失敗したように、歩道が整備されてない。
これはつまり…
人間の強欲さ
と言えよう。
つまり、ららぽーとに誘導するように、ららぽーとでお金を落とすように、道が整備されているんだよ。
必ず高架橋を渡り、ららぽーとに向かうような導線になってる。
下道は、車道を利用するドライバーのために整備される。
JR南船橋駅周辺は物流倉庫が多く、都心部への物流拠点となっているのも一因だろう。
上道はショッピングモールで金を使う客のため、つまり「金を使ってくれる人間だけに道は用意してやる」という意図が見え隠れする。
さらにその上は高速道路、東関東自動車道だ。
つまり経済的合理性が最優先だということ、船橋市浜町二丁目にある若松第一歩道橋は、金を使ってくれる人間を選別し、金を使わない人間を排除して濾過するためのコーヒーフィルターのような排除建築だと言えよう。
ちなみに排除建築とは何か?
以前紹介した、伊勢崎駅の排除ベンチや排除アートを見てくれればわかる。
gyakutorajiro.comそのような排他的建造物は、ありとあらゆる場所に存在する。
決して、一個人の思い込みではなくて、ファクトだ。
いかにこの高架橋が残酷かが、「ららぽーとの反対側に歩道を設けない」というアンチユニバーサルデザインによって作られているという点で、示されているだろうよ。
という感じで軽く資本主義の残酷さを味わったところで、ラーメンを食べに行った。
「ド豚骨 貫」の感想は本題じゃないからサブサイトに書いた。
iine-y.com店を出ると、船橋競馬場が見える。
ラーメン屋に競馬カレンダーが貼ってあったのはこれが理由か。
近くに京成線の船橋競馬場駅もあるようだしな。
もちろん船橋競馬場に面した道には、歩道を用意してあげている。
金を使う人間には優しいみたいだな、船橋という街は。
だが持たざる者、金を使わない人間には、冷たい。
例えば、ららぽーとTOKYO-BAYの近くにあった、浜町2丁目公園。
排除ベンチがあった。
少し珍しい、手すり型ではなく突起型の排除ベンチ。
長居されないように、公共空間の無償利用はあまりしてほしくない思惑が伺える、手すり付きのベンチ。
また、すぐ近くにあるはまかぜ公園もそうだった。
伊勢崎駅の時と同様、街に冷たさを感じるよな。
その冷たさの洗礼を浴びて疲れたので、一旦、ららぽーとで休憩だ。
しかしららぽーとの中、意外とカフェが少ない…スタバはあるみたいだが…どうせ混んでるだろうし。
MAXCOFFEEソフトクリームとかいうアイスだけ食って、後はその辺の椅子に腰掛けて休んだ。
休憩後は、
よし、せっかくハイキングに来たんだ、やっぱり一部だけでも名所めぐりするか!
と奮起し、船橋漁港の方へ向かった。
道中、「船橋港親水公園」という公園に寄った。
寒さの中、照りつける日差しは温かいが。
建造物に温もりはない。
ここでも、人間の悪意を垣間見ることができる。
残酷な手すり付きの排除ベンチ。
「ここで寝ることは許さないぞ」という強い意志を感じる。
そして、「波打つデコボコ排除ベンチ」もお出ましだ。
この石のベンチに座った人間は、何を思うだろう。
アーチ形に隆起した石が、臀部を刺激し、じわりじわりと痛みを伝える。
1時間も座ることが出来ないだろうよ。
狭小住宅ならぬ、狭小ベンチも発見だ。
冷たい石のベンチ。
ぬくもりなき要塞都市FUNABASHIってわけだ。
いや、くつろげる屋根付きの休憩スペースが…あるぞ!
と思って、歩みよるが。
結局は手すり付きだ。
横になるな、物を広げるな、くつろぐな、という悪意。
最低限のサービスとして設けてやった建造物。
こんなベンチに誰がしたよ。
もうハイキングする気も失せたので、水門橋を通って、船橋競馬場駅と京成船橋駅を越えて、船橋駅から帰宅することにした。
海老川水門に架かる橋を過ぎて。
北に向かう道中、巨大な団地や大きなマンションが立ち並ぶ光景が見えた。
船橋は都心に勤務する人達のベッドタウンだからか、そのような住宅需要があるんだろうな。
船橋市役所もある。
巨大建造物、まさに要塞だな。
市役所の近くにまた「湊町2丁目公園」という公園があった。
相変わらず排除ベンチがお好きなようだな。
だが、1つだけ良心を残したベンチがあった。
その傍には、石碑がある。
「三田浜塩田 発祥の地」と。
この地はかつて、塩田だったみたいだ。
三田浜塩田
明治初期から昭和四年(一九二九)にかけて、旧船橋町の海岸には四つの塩田がありました。その一つ、三田浜塩田がここ湊町二丁目のあたりにありました。塩田を開いた子爵(ししゃく)、仁礼景範(にれかげのり)が、東京の三田に屋敷を持っていたため、その名がついたといわれています。昭和四年、政府による製塩地整理(せいえんちせいり)の対象となり、三田浜塩田も廃止されました。
三田浜楽園
塩田の跡地は、割烹旅館や遊園地のある三田浜楽園となりました。遊園地には、魚釣・玉突き・野球場・海水プールなどの施設や、猿・熊・鶴・孔雀などの動物を飼育すると所がありました。特に夏には、東京や地方から多くの人々がやって来てにぎわいました。
昭和八~十年(一九三三~一九三五)頃には、作家、川端康成が割烹旅館三田浜楽園を訪れ、執筆の場として利用しました。「童謡」は、そこで描かれた小説です。作品の中に地名は出てきませんが、内容から舞台は割烹旅館三田浜楽園とされています。
川端康成は船橋にゆかりの深い文豪らしく、かつての三田浜楽園があったこの地で、作品を執筆したとか。
〇川端康成(明治32年(1899)―昭和47(1972))
代表作「伊豆の踊子」「雪国」「千羽鶴」など
日本人初のノーベル文学賞を受賞
川端康成は小説を執筆するために昭和8年から10年(1933~1935)頃、湊町2丁目辺りにあった三田浜楽園に何度も足を運び、その旅館の一室で「童謡」など何篇かの小説を執筆しました。
「童謡」は旅館に泊まって絵を描いている日本画家の滝野と半玉(見習い芸者)の金弥を中心にした話です。作品の中に名称は出てきませんが、内容から舞台は割烹旅館三田浜楽園だとされています。
だから「童謡」の石碑まで置いている。
川端康成「童謡」より
窓の下の舟を見た。この部屋の裏側にあたる遊園地の方からは、また夏の夜らしく、ラツパやハアモニカが聞えたけれども、こちらの窓はもう虫の声ばかりであつた。斜めに並んだ舟がほの白く浮んで、静かさを添へた。
しかし川端康成「童謡」で描かれた世界はもう、ここには無い。
窓から楽器の音色も、虫の音色も、聞こえない。
舟も海も見えず、無機質な建物に囲まれ、窓から見えるのはコンクリートの壁よ。
船橋に住んでないから知らないけどよ。
そもそもラツパやハアモニカを鳴らす空間なんて、どこにあるのよ。
あるのは、マンションや行政施設といった巨大建造物、金を持たない人間を排除する道路と高架橋、金を持つ人間の小休止のために用意された座り心地の悪い排除ベンチ、すなわち、排他的空間だ。
さらに、京成船橋駅に向かう道中もそうだった。
国道14号線の高架下は、駐車場にされており、金を持たない人間がたむろすること、敷地に入ることは、許されない。
犬猫やペットを遊ばせる空間なんて提供しない。
これも排除建築の一例だ。
高架下を経済的空間にすることで、金を持たない人間や金を落とさない人間を排除する。
去年の12月に見つけた、首都高速6号向島線の高架下にある石の排除オブジェと同じだ。
金を持たねえやつは高架下でたむろすんじゃねー!
石のオブジェで邪魔したる!!
このように高架下も排除建築と化す。
街から公共性は奪われ、経済の論理で都市開発が推進され、街が拝金主義で覆われていく。
いや、「公共性」という言葉が、そもそも欺瞞なのかもしれないな。
公共性とは、容易に経済的合理性に取って変わられる。
公共性を優先するなら、ららぽーとの向かい側の道に、なぜ歩道を設けない!?
草木が薙ぎ倒され、焼かれ、人工的構造物が出来上がる時、その空間は公共空間から経済空間に変わる。
すなわち、
「街づくり」とは、経済的合理性による「暴力」である
とも言えよう。
いやもちろん、復興のための街づくり等は違うが、大体は金目当ての画一的な価値観で街はデザインされていくし。
その価値観には、金を持たない人間を排除していく暴力性が備わっている。
この記事タイトルにある「排他的経済地域」とはそういうことよ。
排他的経済水域に「この海域は我々のもの、邪魔するな」という排他性があるように。
排他的経済地域にも「金が無いやつ落とさないやつは街に来るな」という排他性がある。
その暴力に抗うために、長谷川白紙は「草木」という曲のPVで、草木が燃え盛る姿を描き、そして、その暴力に抗う草木萌動(そうもくほうどう)を願う唄を作ったのではないだろうか。
www.youtube.comアーミッシュは、文明の利器を使わない生活を選んだのではないのか。
宮崎駿は「もののけ姫」を作ったのではないのか。
どんな映画だったか忘れたけどな。
ハイキングが終わり、船橋駅近くのカフェに入ると。
小綺麗なマダム達が、
「SAPIX入ったけどすぐに辞めたって人も聞くのよ~」
「キツイし、難しいし~」
という会話を繰り広げていた。
やはりこの船橋市という街は、金を持たない人間が住むには冷たく、厳しそうだな。