逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

独身弱者男性が全集中して編み出した、人間の無意識にあるもの全てを顕在化する技を伝授します。

ロサンゼルス化する伊勢崎駅のアンチユニバーサルデザイン

資本主義社会に生きる人間は日々、お金を稼ぐようにと、要求され続ける。
ニートや引きこもりが差別される現実は、このサイトで何度も語ってきた

つまり「お金を稼ぎなさい」「売上を上げなさい」というイデオロギーが空間を支配している。会社や職場といったイデオロギー的空間、身体のイデオロギー的コード化から逃避するため、逆向き列車に乗ってどこかに行きたいと思ったり。
花金(花の金曜日)に、資本主義のイデオロギーによってコード化された空間と身体を、脱コード化するため、居酒屋で酒を飲んだり、自然豊かなところへ旅行に出かけたくなったりするだろう。

人はなぜ旅に行きたくなるのだろうか。
その回答の一つとして「旅に出ると価値観が変わる」という話がある。

◎価値観がかわる
旅をすると、それまでの自分の価値観が変わるんですよ。
何がいい、何が悪い、何がきれい、何が醜いというふうに自分の中で分けていた価値観が全く変わるんです。
新しい自分の感受性がそこにあって、その中で変わらない価値観があるわけじゃないですか。
命は大事だとか、なんじの隣人を愛せよとか、こういう価値観は絶対に変わらないわけですよ。
そこでいろんな状況の中で変わらない価値観というのが、恐らく真理なんですね。

あっちの国に行ったら変わっちゃうよという価値観は約束事にすぎない。
その土地、土地での約束事にすぎないみたいなことですね。

((株)風間書房 心理学・教育学・国文学など学術専門書の出版社 / 『人はなぜ旅に出るのか』p107)

それもあるだろう。
だけど、価値観が変わるとともに、価値観から逃げたいとも思ってる。
この、資本主義社会のイデオロギーで染まった空間から逃げて、その価値観を忘却したいんだ。

そんなわけで、東京に住む自分は、群馬県に一人旅に来た。
群馬県で、自然に触れたり温泉に入ったりね。しかし、そんな期待とは裏腹に、日常だろうが旅先だろうが、逃げ切れない残酷な現実が広がっていた。

伊勢崎駅JR東日本両毛線と、東武鉄道東武伊勢崎線が交差する群馬県ターミナル駅だ。
見晴らしのいい、解放感にあふれている。
しかしルサンチマンの呼吸が使える自分は、降りてすぐ、ピンときた。

排除建築の目白押し・・・この駅は、特定の人間を排除し、長居することを許さないアンチユニバーサルデザインの思想で作られている!

と。アンチユニバーサルデザインとは何か。
それについては、姉妹サイトの「悪意のある排除アートと悪意はないが間接的に精神的攻撃を行う排除オブジェ」で既に述べていた。

iine-y.com「一見、良心的な設備であるかのように見えて、実は裏で人間を排除する隠された意図を備えている建築デザイン」だと思ってくれていい。
「敵対的建築(Hostile architecture)」「環境暴力」と呼んだりもする。
手すりのついた排除ベンチは、人間が横になることを許さない。姿勢を画一化・固定化し、長居できないようにする。

このような排除ベンチは、別に伊勢崎駅だけじゃない。
ありとあらゆる場所にある。

昔、西武新宿線下落合駅の近くに住んでいて、近くにあった西落合公園。

なんかの本に載ってたな。吉祥寺のホームレス排除型ベンチ。


だから別に、珍しいものではないのだけど、伊勢崎駅はその徹底ぶりがすごいんだ。

北口を出てみた。

見渡しがよくて、解放感があるように思える。
しかし、遮蔽物がほとんどない。

日陰無き空間は、夏は日差しが照りつけ大地を灼熱化し、冬は凍てつく風が容赦なく体に襲い掛かる。休憩したいホームレス、駅前でたむろする若者が、長居しないように仕向けている。

バス停にはなんとか、日差しを防止する天井を設けている。だけど、ベンチにはやはり手すりだ。しかも2つも付けているってのは過剰だ。
この手すりがなければ4人は座れる。
だが、手すりの存在のよって、3人しか座れないようになってしまっている。

バスロータリーの近くに、ベイシア伊勢崎駅前店がある。

ベンチがあるぞ。見てみよう。

ベンチの下にある段ボールはホームレスが置いていった荷物だろうか。
だがこのベンチは、決して座り心地がいいとはいえない。

鉄なのか、何の素材かよくわからないが、夏は太陽の熱を吸収して熱くなり、冬は冷気をしっかり蓄えそうだ。

ベンチの近くに何かあるぞ。何だこれは?
電気自動車を充電する機械か?

それにしては、この機械の近くに車を停められるような駐車スペースの案内は見当たらない。
もしかして・・・植物に水やりするためのスプリンクラーか?

スプリンクラーは、特定の人間を排除するのに、非常に都合のいい装置だ。

こうした犯罪抑止装置のもっとも単純であるがもっとも意地の悪いものの一つは、ラビット・トランジット地区に設けられた、樽の形をした新しいバス停留所のベンチだろう。それは座り心地の悪い最小限の面を提供してそこで眠り込むのを不可能にする。こうした「浮浪者よけ」ベンチはスキッド・ロウ周辺に広範に導入されているところである。

グラン・ギニョールに出てきそうな、もう一つ別の発明に戸外スクリンプラーの積極的配備があった。

数年前、市は「スキッド・ロウ・パーク」を五番街沿いの、ヘルの角に作った。その公園で夜を過ごすことができないように―――結局つまり、主としてドラッグの取引と売春行為のために公園が利用されるように―――、市が設置したのは、手の込んだ頭上スプリンクラーシステムで、それは夜の間、安心して眠りこけている人間を任意の間隔でびしょぬれにするようプログラムされていた。
地元の商工業者たちは隣接する公共歩道からホームレスを追い払うためにすぐさまこのシステムの真似をした。

一方、ダウンタウンのレストランとマーケットは凝った飾りを施した囲いを作ってホームレスがゴミを漁らないようにした。
数年前フェニックスで実際に起きたような、青酸化合物をゴミに混ぜておくなどということをロサンゼルスで提案した者はいないが、ある人気のあるシーフードレストランは一万二千ドルを費やして、究極の浮浪者よけゴミ用檻を作った。合金でできた鍵と、悪辣にも外向きに曲げられた鉤が何個もついた二センチ弱の鉄棒が、腐りかけた魚の頭と冷えたフレンチフライを保護するようになっているのだ。

(マイク・デイヴィス[著]村山敏勝[訳]『要塞都市LA』p198)

まさか、ロサンゼルスみたいに、徹底的にやるために、スプリンクラーまで配備したのか?
しかしこの設備については、定かではない。
もし判る人がいたら、教えてちょうだいな。


さらに北口周辺を見渡すと、またベンチがあった。
手すり付きで、しかもステンレスだ。

この手すりは、夏は持てないぐらいに熱くなるだろうな。
ベンチの数もかなり少なく、近くに遮蔽物も全くない。

南口の方も行ってみよう。(つづく)