逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

独身弱者男性が全集中して編み出した、人間の無意識にあるもの全てを顕在化する技を伝授します。

「理解のある彼くん」がムカつく理由はメシウマ的快感を味わっていたのに終盤で裏切られるから

はてなブックマークは人間の負の感情の巣窟であり、アクセスすれば何かしらの嫉妬・怒り・恨み・辛みの感情の発露と、それを抑圧するために生み出したルサンチマン(奴隷道徳など)に溢れてる。

そして今日もいいルサンチマンを見つけたぞ。

anond.hatelabo.jpこれを書いた増田は俺とよく似ている。
俺と同じく、独身のアラサーとかアラフォーで、彼女もおらず結婚できない孤独な男ではないだろうか?

等と決めつけるのは失礼だが、それは重要なんだ。
パートナーの有無によって「理解のある彼くん」に対する嫌悪感にグラデーションが生じる。
パートナー不在だと嫌悪感が高まる。なぜか?
それは、

モテない独身は、男女が結ばれる話や家族愛の物語に遭遇すると、現実の自分との違いにより感情移入が難しく嫉妬心が喚起されるの関の山だから

だ。俺も細田守監督の「未来のミライ」は何かつまらなかった。「サマーウォーズ」は家族愛アピールもほどほどで、まあ面白かったけど。

この段階だと「それあなたの感想ですよね」レベルなので、もう少し説得力を上げていくか。
実際にアンケートを取ればわかる。
エヴァンゲリオンの新劇場版のオチに嫌悪感を抱いた人がいたように。

b.hatena.ne.jpもう中身は消されているが「結局はいい仕事といいパートナーの獲得に収斂するのか?」「(異性愛恋愛至上主義かい?」というアンチテーゼを、これを書いた増田は提示したんだ。
旧劇はそんなことなかったぞ…人類補完計画で一つになって、氷河期世代の厳しい現実も劣等感も全部溶かしくてくれたのに…ってね。

どこのいい年こいた独身に、好き好んで恋愛映画、恋愛コンテンツなんて興味あるやつがいるんだって話だよ。
例えば独身において、以下のコンテンツのチョイスの優先度は低い。

花より男子

・君の膵臓を食べたい

・愛の不時着

「君の膵臓を食べたい」はグロ描写があるのかな?と思って俺は観たが、別になかった。まあでも、感動できて面白かったけど。

花より男子」「愛の不時着」は、まだ観てないがヒットしてるから、そんなハッピーエンドでルンルン♪っていう単純な恋愛物語でもないだろう。


それゆえ、パートナーが不在の人間は、骨太のミステリーや、人生の悲哀を描いた話、少し難解なSF映画等に向かいやすい。
花より男子」ではなく「ジョーカー」を選ぶし、「愛の不時着」ではなく「イカゲーム」を選ぶ。
コンテンツとして面白そうってのもあるが、余計な負の感情を喚起されないからでもあるだろう。

入口は恋愛映画じゃない。
モテない男女のファーストチョイスは、恋愛コンテンツではないんだよ。
「理解のある彼くん」との恋愛物語なんて期待してない。
発達障害だったけど理解のある彼くんに救われた」みたいなタイトルの場合、

はっ(嘲笑)、幸せ自慢かよ!お幸せにな!!

という捨て台詞を脳内で吐きながら、そのコンテンツは最初からスルーされていただろう。
増田が提示した、

むしろそういう女の人生で一番面白いのは

「このままじゃ人生ヤベーと思って全力で婚活しました!」とか

「社会じゃウザがられたヌケ感も婚活の場でこれこれこういうタイプの男には刺さりました!」とか

「上手く伴侶ゲットしたら苦手なとここんなにやってくれて物質的に精神的にこんな風に生活が改善していきました!」とかでしょ。

等のコンテンツは、発達障害がどうやって恋愛競争で勝ち抜いたのか?という謎だ。
そこにはミステリー的要素がある。
決して、理解のある彼くんに救われた結果やラブラブ物語ではなく、そのプロセスの部分だ。


また、そのミステリー性とは別に、発達障害などの病気系のコンテンツに好奇心が及ぶ場合、実はもっと、人間の悪趣味な欲望が働いている。

発達障害の悲哀」のような、メインテーマが病気である場合、食指が動き、ついその漫画を読んでみたくなる。

その理由は…

どんな精神崩壊があるのか!どんな病気なの!?


という好奇心と、ワクワク~させてよ~♪(中山美穂)という、悪意が入り混じった欲望。
発達障害の人の不幸、その不幸に満ち満ちた半生を、覗き見したい。

それは人間には「人の不幸を楽しむ」というシャーデンフロイデという感情が存在するからであり、その悪趣味な欲望によって、他人の不幸物語を消費し、相対化し、安堵している。

あいつ、なんで楽しそうなんだ?
俺よりも何もかも劣ってるくせに!!

俺よりもダメで苦しんでる奴をみつめて安心したいのに……


(引用元:闇金ウシジマくん(10)[ 真鍋昌平 ]

そして自分の冴えない人生や、自己否定せざるを得ないような辛い日々を慰める自己憐憫を、他人の不幸を通じて無意識的に行っている。

自分の人生はイケてないかもだけど、あの人達よりはマシだ」という相対的幸福感を感じる。自尊心を保持することができる。

(引用元:賭博黙示録カイジ 6 [ 福本伸行 ]

安全であることの愉悦…自分は安全だ、こいつらより幸せだ!
人の不幸を見て安堵する。

この議論の過程で、人が不承不承にせよ、忌まわしいものの魅力に対するさまを例証するべく、ソクラテスは、アグライオンの息子レオンティオスから聞いた話を語る。

ペイライエウスから北の城壁の外側沿いにやってくる途中で、彼は地面にいくつかの死体があり、処刑人がそのそばに立っているのを見た。彼は近くに行って見たいと思ったが、同時に嫌悪を感じて引き返そうとした。
しばらくは煩悶し、目を蔽っていたが、ついに欲望に勝てなくなった。彼は眼を見開いて、死体に駆け寄ると叫んだ。

「さあ来たぞ。お前たち呪われた眼よ。この美しい光景を思いきり楽しめ」

理性と欲望の葛藤の例証として、不穏当あるいは不法な性的欲望の、よりありふれた例を選ぶのは避けながら、プラトンは人間が堕落や苦痛や切断の光景にたいする欲求をも有していることを自明のことと考えているように見える。

確かに底流にはこの軽蔑すべき衝動があるという事実も、残酷な写真を検討するさいに考慮に入れる必要がある。
近代の初めには、不気味なものに向かってゆく内なる性質の存在を認めることが、よりたやすかったかもしれない。
人々は苦しみのイメージを見たがる、とエドマンド・バークは書いた。

「われわれは他人の現実の不幸や苦痛に、或る程度の、それもけっして僅かではない程度の、喜びを感じると私は確信している」と、彼は『崇高と美の観念の起源にかんする哲学的考察』(一七五七年)で述べている。
「なにか異例の嘆かわしい惨禍の光景ほど、われわれが熱心に追い求めるものはない。」
シェイクスピアのイアゴーと芝居における悪行の魅力についてのエッセイのなかで、ウィリアム・ハズリットは問いかける。
「なぜわれわれはいつも、新聞で恐ろしい火事やショッキングな殺人の記事を読むのか。」
なぜなら、彼が答えて言うには、「悪行を好み」残酷を好むのは、同情心と同様に人間が生まれつきもっている性質だからである。

(引用元:他者の苦痛へのまなざし [ スーザン・ソンタグ ]

つまり結論として、増田や、「理解のある彼くん」が嫌いな、全ての男女の、心の奥底に蠢いている感情とは。

それは他人の欲望の未達を喜ぶ感情、人の不幸やバッドエンドにエクスタシーを感じ、シャーデンフロイデの愉悦に溺れている状態よ。

まさにルサンチマンを抱く情けないラストマン(末人)であり、鬼滅の刃における嘴平伊之助が行う漆ノ型・空間識覚に類似した、他人の不幸物語を探して安心するというルサンチマンの呼吸を行っている。

不幸になってほしかったんだろ?
もしくは、ささやかな結末で終わってほしかったんだろ?

それがどうだ。期待外れだったんっだろう?
理解のある彼くんによって、打ち砕かれたんだ!
お前のシャーデンフロイデの欲望が、満たされるどころが、逆にその悪魔的愉悦が理解ある彼くんの登場とともに嫉妬の炎に上書きされてしまい、読後に不快感をもたらした!!
そうだろう!?

いいざまじゃねえか。人の不幸を愉しむ人間に相応しいしっぺ返しだよ。
ああつまらない。俺は発達障害の苦悩を、不幸を愉しもうとしていた!!
口にはしないだろう?「そんなこと思ってるはずがない」と否定するか?
自分の人格が疑われるだろうし、そんな醜い自分だと思いたくない。もしそうだとしたらもっと自分が嫌いになりそう。
でも事実だろうが!
不幸を求めてた!!

自分の、理解のある彼くんも、理解のある彼女さんも、誰も傍にいない果てしなく続く孤独で悲劇的な人生を慰めるために、もっと不幸な話を探そう!!と。
日々を重ねるごとに無意識的に膨らむシャーデンフロイデの欲望に餌をやるため、他人の不幸の供給を、求めてる!
ルーザーである自分を慰めるルサンチマン(奴隷道徳)として、不幸物語を欲してるんだよ!!

ああ情けない。哀しいね。

まあ実はそれは、自分かもしれない。
俺もその気があるから、自己否定にはなるんだけどよ。

つまり病だよ。「人の不幸を愉しみたい」という発達障害だ。
人の不幸に、不気味でおぞましい倒錯的エクスタシーを覚えてる。
だからこそ、「理解のある彼くん」のようなハッピーエンドを、断固として三流コンテンツとして糾弾する!
そこに嫉妬心が混じっていないと言えるか?
本当に断言できるか!?

胸に手を当てて考えてみろ。そして懺悔するんだよ。
「申し訳ございません。私は嫉妬していました。キリスト教七つの大罪における最も重い罪による『嫉妬』という感情によって、発達障害コンテンツの生産者たちを侮蔑することを述べてしまいました」と。


そして「理解のある彼くん」オチで終わらせる漫画の作者も、懺悔するんだ!
「申し訳ございません。私は高慢でした。キリスト教七つの大罪における二番目に重い罪による『高慢』という感情によって、発達障害の苦悩を描いたコンテンツに見せかけ、結局、終盤で理解のある彼くんに助けられたにも関わらず、自分の不幸自慢と生き様の美化を行ってしまいました。つまらない恋愛映画のハッピーエンドのように終わらせてしまい、多くの人々のメシウマ的ニーズを裏切りました」と。


辛いんだろうよ。
「理解のある彼くん」も「理解のある彼女さん」もいない、自分の人生が!
もっと不幸になってくれ!
俺と同じ水準か、もしくは、俺よりも不幸に!
俺の位置まで一緒に堕ちてくれ!!と、無意識に願ってる。


俺が堕ちる時は
お前も道連れにしてやる……


(引用元:闇金ウシジマくん(11)[ 真鍋昌平 ]

「理解のある彼くん」による裏切りのハッピーエンドに対する失望と嫉妬。
そして、次に込み上げて来るのは怒りの感情よ。


なあおい?俺の仲間じゃなかったのかよ?俺と同じく人生がうまくいかなくて、くすぶってるんじゃなかったのか?
何、てめーだけ幸せになってるんだよ!
途中まで一緒に悲しんでやってたのに!!
抜けがけしてんじゃねえ!
お前だけ幸せになるなんて許せない!!
みんな不幸になってくれないと俺だけか惨めだろうよ!!

・・・
俺の、私の、尊厳を奪いやがった。同じ人生がうまくいかない仲間だと思ってたのに・・・「理解のある彼くん」によって、私は否定された。あなたに。
自分とは違うステージに上がった!
俺に、私に、あなたはノーを突き付けた!
あなたとは違う!
と、否定したんだ!あんたは!!許せない!!!!

という感情に、多くの読者を至らしめる。
それが、理解のある彼くんエンドの残酷な裏切りであり、発達障害女性の半生漫画がムカつかれてしまう理由なんだよ。

一旦、落ち着くんだ。
Aqua Timezの「決意の朝に」を聴いて落ち着け。

www.youtube.com辛い時、辛いと言うんだよ。
なぜ辛いか?自問自答するんだよ。
なぜ理解のある彼くんの登場に、自分は強い不快感を抱くのか?

その感情の奥底には、他人の物語ではなく、本当は自分の人生に対する不満が、日常的に充満しているということ。

そしてその不満が、他人のハッピーエンドによって溢れてしまうという欲望の回路が、無意識的に自分に形成されてしまっている事実に気づくはずだ。