逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

独身弱者男性が全集中して編み出した、人間の無意識にあるもの全てを顕在化する技を伝授します。

東京メトロの三越前駅でソロ活!「日本橋 とんかつ HAJIME」で絶品カツ丼を食べながら過去に意識が向かう危険性を考える

インスタでグルメアカウントの方をフォローしているので。
美味そうな飯テロ画像がたくさん出てくる。
ある日偶然「おっ」と目に留まるカツ丼が出てきた。
そのカツ丼を自分もどうしても食べたいと思い。
暇な平日に、混んでる時間帯を外して行ってみた。

日本橋 とんかつ一 HAJIME、〒103-0022 東京都中央区日本橋室町1丁目13ー9 池田ビル 1階

東京メトロ銀座線・半蔵門線三越前駅からすぐ。


2022年5月26日にオープンしたばかりみたい。
営業時間は「11:00~18:00(ラストオーダー17:00) 日曜定休」、夜はやってないのか。

prtimes.jp14時30分と、昼の時間帯を外していったのに、外に2人ぐらい並んでた。
平日のオフピークでも人がいるなんて、かなり期待できるね。
最近バズってた「東京の行きたいところ」でも紹介されてたからなぁ。

togetter.comメニューを見ると、とんかつ定食やカレーもあるみたいだけど。

インスタで偶然見たカツ丼、もうそれを食いたいモードに入ってたので、カツ丼一択だ。

しかし使う豚も色々あるらしい。
数量限定で栃木県産「桜山豚」(オーシャン豚)が食べられるというので、税抜か税込か忘れたけど、2380円だった。

値は張るがそれにすることにした。
待ってる間に「美味しさのこだわり」を読む。

「ベジフルーツオイル」「焙焼作り 生パン粉」だって、これはこだわってるね~。
10分経つかたたないうちに来た。

おーすばらしい!
蓋を外すと。

肉厚のカツが5切れ、じゃない、6切れも!
そして美味い、溢れる旨味と甘味。
肉厚で柔らかいオーシャン豚、パサパサしていない瑞々しい肉。
まだ細胞分裂してるんじゃないの?ってぐらい弾力があるんだけど、かといって固いわけではない。

張りのある肉の旨味、そしてトロトロ卵とのマリアージュが堪らない!
よくあるカツ丼、蕎麦屋によくあるような、ダシでカツがふんわりするのも悪くないけど。
カツの衣のサクサク感が犠牲になり、とんかつ的な楽しみ方は出来ないんだよね。

やっぱりサクサクの食感も楽しめるこの、卵を下に敷く方式、こちらこそ、カツ丼のスタンダードになるべきではないか?

という問題提起を、このカツ丼は行っている。

無我夢中でカツ丼を食べる中で、ふと隣のテーブルの客を見る。
すると味噌汁が…あった。

なぬぅううう!味噌汁、俺のとこに来てないじゃん!?

すぐさま店員さんに「すみません、味噌汁が来てないのですが」と言う。
「申し訳ございません」と、カツ丼を配膳してくれた女性店員ではなく、別の男性店員が言ってくれた。
女性店員も言ってくれたかもしれない。
でも覚えてない。

というかなぜ、俺の味噌汁だけ忘れる?
俺が汚らしいからか!?
髪の毛が減らないよう、最近、髭を剃らずに無精ひげだらけだからか。

かつて能動的被害妄想によって、ニンテンドースイッチに興じる一家団欒の広告を視認した際、自らがソロであり、この広告表象の一家団欒の時間が恐らく自分には訪れない未来が広がった。

gyakutorajiro.com「未来に最上級の期待抱いた」(miwa)ならぬ、「未来に最上級の絶望抱かされた」感じだ。
想像させやがった。
広告という無機物のくせに、人間様の俺の精神を侵食した。
安部公房が、デカい無機物、権威的な無機物を嫌悪したように。

「小さなものを見つめていると、生きていてもいいと思う。
雨のしずく・・・濡れてちぢんだ革の手袋・・・
大きすぎるものを眺めていると、死んでしまいたくなる。国会議事堂だとか、世界地図だとか・・・・」

(引用元:箱男 (新潮文庫) [ 安部 公房 ]

俺の心も、権威的な無機物によく乱される。
しかし今日は違うぞ。
「女性店員が、味噌汁を出し損ねた」という、人間と無機物のミックスだ。
味噌汁が有機食品か無機食品かどうかは知らないが、感情が無い物質という点で無機物だ。

有機物と無機物に、俺は傷つけられたんだ!

カツ丼7割食べとるねん!ペース配分が台無しになっとるんや!!
もう1回最初からやるか?カツ丼が着丼するところから、やり直し!


と、平常心を保つために関西弁になった。
関西弁のコードで精神を満たす。
味噌汁の出し忘れは「ボケ」であり、それを心の中で「ツッコミ」を入れて、終了。
これが関西流マインドフルネス。

このように、ある事態を漫才のような物語、フィクションにすることで、目の前で起こったことを些末な出来事に矮小化することができ、精神に平穏が訪れる。

矢沢永吉も言ってた。

お前が どんだけ 良い大学入って どんだけ 良い会社に就職してもお前が一生かかって稼ぐ額は 矢沢の2秒


違う、そうじゃない。

mekarauroko2015.jp「これは映画だと思えばいい」
「35億円はYAZAWAに返せない金額ではない。YAZAWA、お前ならやれる!これは俺が主演の映画だ。」
「僕は皆さんにも言いたいね。
リストラされたって、借金背負ったってそれは役だと思え。
苦しいけど死んだら終わりだから、本気でその役を生き切れ。
つまり、視点を変えれば、気持ちが切り変わるってことなんだ」

このように、自分の自我を切り離して、映画の観客のように、鳥のように俯瞰する客観的視点を取ることで、自分への執着から解放される。

このように矢沢永吉流マインドフルネスも活用した。

しかし「あっつ!」と、感じた。
味噌汁が熱い。

「カツ丼ほとんど食べ終わってるのによぉ、俺はもっと早く味噌汁が欲しかったんだよ、熱すぎる10割の味噌汁と7割減ったカツ丼はアンバランスなんだよ、ブツブツ・・・」


と、口にはしないが、ネチネチが止まらない。

ソロにとって食事は大事なんだよ。それわかってるぅ!?

だって食事ぐらいしか楽しみがないんだからな。
20代の若い女性店員には判らないだろう。
俺たちアラフォー独身男性のエレジー(哀歌)を。
食事ぐらいしか楽しみがないという、動物化した人間達の悲哀を。
タクラマカン砂漠のように変化のない日常を。

関西流マインドフルネスも、矢沢流マインドフルネスも、通用しなかった。
普段から能動的被害妄想を繰り返していたせいだろうか。
いや、能動的ではなかったかもしれない。

悲劇が何度も積み重なることで「全てが自分に悪い方向に働いている」と、他責的な性格や自我が受動的に形成されてしまうのではないだろうか。

「いいこと」「楽しいこと」が全く起きない日常を繰り返すことで、意識が変容していく。
「今日も楽しくなかったな」と、ネガティブスパイラルとなっていく。

俺の友人がはまっていた斎藤一人流マインドフルネスを真似して、「ツイてる!」と心の中で叫ぶこともあった。
あと「グリコのポーズをすれば心が前向きになる」というマインドフルネスも試したことがあるな。

しかし「いいこと」「楽しいこと」による上書きが無いと、過去の記憶を呼び起こそうとする。
前回の記事で話した、ジル・ドゥルーズの能動的総合を、無意識にやってる。

gyakutorajiro.com「どうして俺の人生はこんなにクソなんだ」と、過去を遡る。
そう、現在がつまらない人間ほど「どこで間違ったんだ」と、意識が過去に向かうのではないのだろうか。

逆に充実している人間においては「夏休みどこ行こうかなぁ」と、予定を立てたり、未来に意識が向かう。
ANAのCMのように、楽しい未来に意識が及ぶ。

過去への志向性、メンタルヘルスとしてよくない傾向だ。
メンタルヘルスだこれは。

山上徹也容疑者もそうだった。

母親の献金による悲劇的家庭崩壊、「いいこと」「楽しいこと」が全く起きない現在の日常が続いてた。
そこで思う。
「どうして俺の人生はこんなにクソなんだ」という、無意識的問いかけを自分に行ったのではないだろうか。

もし現在において、辛い過去を上書きする出来事があれば。
「大切な人だ」と言ってくれる、もしくは、言われないまでもそばに誰かがいれば。

その誰かと過ごす時間、誰かと楽しむ未来によって、過去に向かい過去を反芻する悲観的な意識を上書きできたかもしれない。

しかし不在の場合、意識が過去ばかりに向かう。
山上容疑者はこんなつぶやきをしていた。

違うよ。若ければ若いほど成功は個人ではなく環境。ある意味特異な環境で育ち自分の人生と言えるかすら定かでない若さで世界の頂点を極めた場合、それからが心配。高く翔び続けるか、金メダルが重荷になるか。それは誰にも分からない。

確かに一理ある。
親ガチャ、環境、それらで子どもの人生は大きく影響を被る。
村上龍が途方も無い残酷な事実を告げていることを、以前の記事でも紹介した。

gyakutorajiro.comすべては才能なのである。顔やからだの美醜、生まれ、育ち、それらも才能の一部だ。才能はほとんど運命と同義語だと言ってもいい。(村上龍

羽生結弦が努力論を語る時、違和感を覚える人もいるだろう。

jp.quora.com「努力は嘘をつく。でも無駄にはならない。努力の正解を見つけることが大切」

もちろん羽生結弦は立派だ。否定する気はない。
だがもし、羽生結弦「『努力だけしてればいい』という恵まれた環境にいる自分」を客観視できない、努力しても環境によってそれが阻まれる人に思いを馳せる心を持ち合わせていない場合、俺は非難するかもしれない。

「"普通"に努力すれば東大に入れるのに…」裕福な知人の無自覚な言葉に苦言集まる

citrus-net.jp

「それにもかかわらず、神経症的問題の根源は、その両親との関係にある。これは、フロイドの成した不朽の貢献の一面である(註1)」

これはフロムの言葉であるが、両親との関係に恵まれて生まれた人の人生と、恵まれなかった人の人生との違いは、はかり知れない。

shuchi.php.co.jpなんか話が逸れたな。
そう、味噌汁の話をしてるんだった。

しかし「単に味噌汁を出し忘れた」という出来事を、ネチネチネチと、誇張し、被害妄想に没入する。
「この女性店員は俺に味噌汁を出してくれなかった!」「俺を精神的に虐げたんだ!」と、自分の人生がつまらないがゆえに、そのストレスを他人に転移させてしまう。
情けないね、ほんとに。

味噌汁が 来ないと喚く クソジジイ

ってね。いい川柳が出来たよ。
いや、もう少し変えて。

味噌汁を 出してくれない ミソジニー

なんてね、女性店員だったから。


味噌汁は 俺には無いのか? ミソジニック!

もいいのではないのか。
パンデミック」とかけた。
ミソジニー女性嫌悪)が感染症のように広がることを"ミソジニック"と呼ぶ。

しかし、茂木健一郎が言うには川柳が備える「粋」とは、かけ離れているかもしれない。

www.tokyo-sports.co.jp「川柳は江戸時代の美意識として、野暮を嫌い粋を大事にした。川柳はユーモア大事で、批判した相手に対してもスペースというか心の余裕を与えること。読んだ人にもよりよく生きていくような気持ちにさせるのが粋。そういう意味で朝日の川柳は野暮、粋ではないなと思った」

ミソジニーのような人を傷つけるような言葉が入ってるなんて、粋じゃないかもね。
でも「味噌」と「ミソ」で韻を踏んでるから、ユーモアはあると思うし。
そもそも俺は、こういう唄を読んでいきたいと思ってるんだ。

ワンカルビで一人焼肉をしている時、「逆サラダ記念日」のような自由律俳句を思いついたように。

iine-y.com「寒いね」と話しかけても一人。(逆寅次郎)

今回、味噌汁が来ないことによって思いついた「味噌汁は 俺には無いのか ミソジニック!」も、「逆サラダ記念日」の要素がある。

 

「逆サラダ記念日」は、人の温もりを感じない日々、人に冷遇された経験、そのエレジー(哀歌)を、込めていく。