逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

独身弱者男性が全集中して編み出した、人間の無意識にあるもの全てを顕在化する技を伝授します。

ジェレミー・ベンサムが考案しミシェル・フーコーが分析したパノプティコンを実現している伊勢崎駅

群馬県伊勢崎市。
JR両毛線と、東武伊勢崎線が交差する伊勢崎駅

この駅は、他の駅と比べて相対的に、異様にアンチユニバーサルデザインの建造物、環境管理型アーキテクチャーが多いのではないかと、ルサンチマンの呼吸の漆ノ型「ステルス差別の顕在化」によって感知し、前回は伊勢崎駅の北口を調査した。

gyakutorajiro.com今回は南口を紹介するが、その前に、北口のベンチの近くにあった機械について。
調べると屋外コンセント?
ただ、外にあるこのコンセントが、スプリンクラーとして使われることあるのか?疑問だったので。
スプリンクラーに詳しい人を探してみた。
すると、id:omizu_water さんの記事を見つけたので、聞いてみたら回答してくれた。

omizu-water.hatenablog.comコメントありがとうございます!
記事を拝見させていただきました.あまり詳しくなく恐縮ですが,公園管理用のコンセントではないでしょうか?もちろん散水用に使われることもあるかもしれませんが,芝刈り機等に使用されているのを見たことがあります.
こちらに似た製品があります.
https://www2.panasonic.biz/jp/densetsu/haikan/dpole/

なるほど、散水機だったり芝刈り機に使われるわけね。
ベンチの近くにコンセントがあれば、散水機として、ベンチを濡らすことはできるか。
もちろん、近くに草花もあったから、芝刈り機として利用することが多いのだろうけど。
邪推かもしれないけどね。

しかし参考になった。低い融点でも火を感知したり、火災のサインを検知するには、燃焼反応や赤外光の監視が必要で。
そのために活用できる数式もあるんだな。
さすが理系の話題を書いている人だ。
自分も、差異を認識することで嫉妬・怒り・恨み・辛みが生じるゆえにゼロに近付きたいというルサンチマンがあるという記事で、人間の「外出する」「ひきこもり」を方程式化して、それを極限に近づけたり微分してみるという、数学の真似事みたいなのを書いたことあるけどね。
理系ネタを書くのは難しい。
まあそんな自分の文系コンプレックスはさておき、本題。

伊勢崎駅の、南口方面だ。

南口に向かう際にも、手すりが2つ付いた排除ベンチがあった。

もし「日本海庄や」で酒に酔って、電車に乗る前に少し休みたいと思っても、このベンチだとしっかりと休憩するのも難しいだろうな。

ゴミ箱の中には、ペットボトルと空き缶専用なのに、無分別な輩が入れたのであろう、スターバックスの紙袋らしき燃えるゴミが入れられていた。掃除の人、大変だこれ。

南口から、駅の外に出た。

ABホテルが見える。北口と同じく、遮蔽物がほとんどない、開放的な空間だがその分、冷たい風や照りつける直射日光等をダイレクトに受けるだろうな。

あー、やっぱりあった。

日陰になって見えにくいが排除ベンチ、南口のベンチにもしっかり、手すり2つ付きだ。

奥には、石垣のようなものが見えて、植物が隙間無く植えられている。
「隙間がない」ゆえ、座ったり、少し横になることもできないだろうな。

バスやタクシーの乗客、金を落とす人間だけのための最低限のホスピタリティとして、座りにくい排除ベンチを採用したのだろうか。

そんでこの、オブジェはなんだ?
ロータリーの車の流れに沿うように、等間隔に配置されているオブジェ。

どうやら「くわまる」というらしい。

www.sankei.com僕の名前は「くわまる」。世界遺産に登録された田島弥平旧宅を応援するために誕生した桑の妖精なんだよ。群馬県伊勢崎市境島村の桑畑で9月8日に生まれた男の子。

 繭をイメージした真っ白な体を包んでいるのは桑の葉で、小さな目とピンクのほっぺがお気に入り。尻尾の先の桑の実が僕の最大のチャームポイントさ。デザインは伊勢崎市の職員が考えたんだよ。

世界遺産が近くにあるのか、行けばよかったな。
くわまる、考えてくれた伊勢崎市の職員の方には失礼かもしれないが、個人的にはこのオブジェ化した妖精はかわいいとは思えないぞ。

これは排除ベンチ、ホームレス排除型ベンチではなく、「排除アート」だ。
渋谷マークシティにも、ホームレス排除アートがあるし。

nikkan-spa.jp新宿駅西口から都庁方向に向かう通路にも、排除アートがある。

brianandco.cocolog-nifty.com銀座の地下街にもあるみたいだな。

写真をよく見てくれるとわかるが、「乗降車場(身障者)」の乗り場の近くに、柱がある。
その柱の影とか、横たわりたいと思っても、くわまるのオブジェがいるから、それは不可能だ。

身障者用パーキングの右に見える空間には、植物が植え込まれ、人間が休む余地は一切ない。

くわまるによって、点字ブロックとの間の道幅も狭い。
くわまるとくわまるの間の間隔は、子どもが横になるのも難しいぐらいの長さしかない。

そして一番、驚いたのが・・・・

なんじゃこりゃ~!

タクシーが停車する位置の目の前に、くわまるがいる!!
乗降するときに、邪魔ではないだろうか?
例えば大きな荷物を抱えていたり、足が不自由な方がタクシーに乗る際、このタクシー乗り場の目の前にあるくわまるは、邪魔になるという考えが及ばないのだろうか?

これが「伊勢崎駅は徹底している」と述べた理由でもある。
HUNTER×HUNTERで、ネテロ会長が「蟻の王メルエム・・・お前さんは何にもわかっちゃいねぇよ・・・人間の底すら無い悪意(進化)を・・・!!」と言うシーンがあったが。
それを実践してるとも言えよう。
とはいえ、進化ではないかもしれない。

ホームレス排除のベンチやオブジェは、どこにでもある。
だけどこのように、特定の人間を排除しようという意図が含まれているような建造物が、このタクシー乗り場前のくわまるのように、利用者の人間全ての不便さに及んでしまうという、本末転倒感。
ミイラ取りがミイラになる実例。

悪意によって特定の人間を排除しようとするが、逆にその悪意によって自分も吞み込まれ、全ての人間が不利益を被る事態を招く。
ゲーム理論のタカハトゲームみたいな状況でもあるな。

ja.wikipedia.org公共建造物という資源の整備において、もしかすると最初はユニバーサルデザインのような、ハト戦略だったのかもしれない。
ホームレスや貧困者なども、利用できていた。
渋谷の宮下公園のように。

しかし、お金を落とさない望まない利用者が利用されるケースを防ぎたいと思い、タカ戦略としての排除建築を取る。
ホームレスや貧困者達も、風除けや雨しのぎ、虫が少ないアスファルトでの床の滞在は都合がいいので駅を利用するタカ戦略を取る。
タカ戦略とタカ戦略がぶつかり合う。
結果、どちらも傷つき、不利益者となる。

そういう意味で、この「伊勢崎駅南口のタクシー乗り場前のくわまる」というのは、悪意によって自らの首を絞めた象徴的アート、芸術作品かもしれねえな(笑)

というか、あれ、写真をよく見てみると・・・タクシー乗り場だけでなくて・・・

「乗降車場(身障者)」の場所、くわまるが邪魔で、車椅子の人とか乗せにくいだろーが!

はぁ、びっくりした、ほんとに。
車椅子を後ろから乗せる場合は、そんなに支障はないかもしれない。
でも運転席の横とかに被介助者を乗せる場合、どうすんだ?
そういう福祉車両もある。

yamashita-cars.comもし、駐車がうまくいかず、ドア近くにくわまるが来てしまったら、どれだけ面倒くさいか。
その可能性を想定してるのかっての。

南口を出て右側は道路だったかな、写真がない。
でも左側は、広くて何もない広場だった。


ロータリークラブが植栽したウラジロモミがあるぐらいだ。

南口も、北口同様に、見晴らしがよかった。
これは、ベンサムが考案したパノプティコン(panopticon)、一望監視装置と相似形だ。
ミシェル・フーコーはこの構造を「権力を自動化し、権力を非個人化する」と言っていた。
「監獄の誕生」でフーコーは、権力が特定の個人や組織に集約されるようなものではなく、規律によって個々人がそれを内面化していく様相を明らかにする。

st.cat-v.ne.jpベンサムの考えついた〈一望監視施設(パノプティコン)〉は、こうした組合せの建築学的な形象である。その原理はよく知られるとおりであって、周囲には円環状の建物、中心に塔を配して、塔には演習場にそれを取巻く建物の内側に面して大きい窓がいくつもつけられる(塔から内庭ごしに、周囲の建物のなかを監視するわけである)。周囲の建物は独房に区分けされ、そのひとつひとつが建物の奥行をそっくり占める。独房には窓が二つ、塔の窓に対応する位置に、内側に向かって一つあり、外側に面するもう一つの窓から光が独房を貫くようにさしこむ。それ故、中央の塔のなかに監視人を一名配置して、角独房内には狂人なり病者なり受刑者なり労働者なり生徒なりをひとりずつ閉じ込めるだけで充分である。周囲の建物の独房内に捕らえられている人間の小さな影が、はっきり光のなかに浮かびあがる姿を、逆光線の効果で塔から把握できるからである独房の檻の数と同じだけ、小さい舞台があると言いうるわけで、そこではそれぞれの役者はただひとりであり、完全に個人化され、たえず可視的である。……今や、可視性が一つの罠である。」(p. 202)

「規律・訓練(ディシプリーヌ)は、服従させられ訓練される身体を、《従順な》身体を造り出す。規律・訓練は(効用という経済的関係での)身体の力(フォルス)を増加し、(服従という政治的関係での)この同じ力を減少する。一言でいうならば、規律・訓練は身体の力(プーヴォワール)を解離させるのであって、一面では、その力を《素質(アプティチュード)》、《能力(カパシテ)》に化して、それらを増大しようと努める、が他方では、《体力(エネルジー)》ならびにそれから結果しうる《強さ(ピュイサンス)》を反転させて、それらを厳しい服従関係に化すのである。」(p. 143)

刑務所、軍隊、会社、学校、工場、病院…ありとあらゆる場所にパノプティコンは存在する。
身体を閉鎖的な空間に閉じ込め、規律やイデオロギーを身体に叩きこむ生権力が作用している。

それに疲弊するから、人間は旅行に行きたくなるんだ。
で、その旅先でまた、出会った。
駅というパノプティコン、人間を監視し、排除する空間に。
一望監視装置の機能そのものだ。

南口も北口同様、この死角なき見晴らしの良さによって、異変があればすぐに感知できるようになっている。

北口に交番があっただろうよ。
前回の記事の写真の、スーパーマーケットのベイシアの近くに映り込んでいた。
異変を察知しやすい監視環境と、警察という国家の抑圧装置がすぐに作動する体制。
治安の維持には効果的かもしれないが、冷徹ともいえるだろうな。
その冷徹さで、前述のように、自らの首も絞めている。

まさに要塞都市LAならぬ、要塞都市伊勢崎、といえるかどうかは、伊勢崎市の駅以外の場所も観光しないと断言はできないだろうけど。
駅に関しては、ロサンゼルスだろうな。

公衆トイレも、南口の駅に隣接する場所にはあるようだが、北口にはないようだ。

www.tobu.co.jp公衆トイレを意図的に減らし、利用者を制限する。

しかしながら、公衆トイレこそが市のホームレスとの戦争における真の戦線なのである。意図的な政策として、ロサンゼルスは北アメリカのどの都市よりも公衆トイレが少ない。今や少なくともひとつの大きなダウンタウンプロジェクトの「開発計画委員会」の一員であるロサンゼルス市警察の助言に基づいて、市の再開発局はスキッド・ロウにある数少ない残存する公衆トイレを取り壊した。

次に、再開発局のプランナーたちはサウスパークの設計に「単体の公衆トイレ」を含めるかどうか何ヶ月も頭を悩ませていた。
市長のジム・ウッドは後にそのトイレを建設しないという決定は「政策上の決定」であって「設計上の決定」ではないと認めた。
再開発局は、むしろ「公衆用化粧室に準ずるもの」―――レストラン、画廊、オフィスビルのトイレ―――という選択肢を好んだ。
それは、観光客やオフィスで働く人間であれば利用できるが、浮浪者や他の不適当な人物の出入りを拒むというものである。

ヒル・ストリートの東、ダウンタウン無人地帯(ノーマンズランド)はまた、戸外の飲み水や、顔や体を洗う水の供給にも事欠くことになっている。
最近よく見かける心痛む光景は、ホームレスの男性たち―――たいていはエルサルバトルからの若い難民―――が、ダウンタウンの東端沿いのロサンゼルス川のコンクリート張りの水路を流れる下水の汚水で体を洗ったり、それを飲んだりすらしているというものだ。

(マイク・デイヴィス[著]村山敏勝[訳]『要塞都市LA』p199)

南口のトイレも、チェックしてみるべきだったな。

こういう残酷な建造物が、日本や世界にはいろいろ転がってるんじゃないかって。
このサイトでよく事例に挙げてるルサンチマンが具現化したものとは違う。
悪意が具現化されたものと言えよう。
ルサンチマンよりも暴力性が強い。
もちろん、悪意の中にルサンチマンが混ざった混合物もあるだろうが、この建造物は悪意の純度が高い。

ルサンチマンという人間の感情、誰かを貶めたり価値転倒をしたり奴隷道徳を信仰するのではなく、機械的かつ無機質に、サービスを提供する人間を排除するという点で、悪意の具現化だ。

悪意が具現化したものの極限に核兵器があるとしたら、今回紹介した排除ベンチや排除アートも、核兵器と同じく人間を排除するという点で、同一線上にはある気がする。

町でこのような、悪意が具現化した代物を見つけたら、ぜひカメラのシャッターを切って教えてほしいね。
また、ネットでも「antisit architecture」「Hostile Architecture」等の検索用語で出てくる。

www.nytimes.com時間がある時にはまた、汐留辺りに行ってみるか。
汐留にあるビル群は、どこも入りにくい構造をしている。
要塞都市LAにも、入りにくいビルに関する描写がある。

北ブロードウェイ回廊沿いの、前述した高級感あふれる街並みに作りかえられた地域のように、ダウンタウンの有力者たちがホームレスや勤労貧困層と交わらなければならない地域では、異なった人間同士が物理的に接触しないように途方もない予防措置がとられてきた。
たとえば再開発局は、警察の助けを借りて、「ロサンゼルス・タイムズ」紙本社とロナルド・レーガン州政府ビル用の二つの新しい高層駐車場のために、「二十四時間、最高水準のセキュリティ」を設計した。外のみすぼらしい街並みとは対照的に、二つの高層駐車場は美しい景観の芝地(「マイクロパーク」)を擁しており、そのうちの一つにはレストラン街(フード・コート)や歴史的展示品もあった。その上、どちらの高層駐車場も「安心設計」ビルとして、ホワイトカラーの勤め人たちが車からオフィスへ、あるいは車からブティックへ、公道をほとんど使わずに歩いていけるような通行システム―――公共空間の私的空間化のミニチュア版―――があった。

とりわけ、レーガン・ビルと、三番街とブロードウェイが交差する計画中のグランドセントラル広場とをつなぐブロードウェイ・スプリング・センターについては、建築評論家たちは駐車場に緑地と芸術作品(陳腐なレリーフである)を与えたといって熱烈に賞賛してきた。
それが同時に与えたのは、極度の脅威―――武装警備員、鍵のかかる出入り口、あちこちにあるセキュリティ・カメラ―――であり、ホームレスや貧困層を追い払っている。

(マイク・デイヴィス[著]村山敏勝[訳]『要塞都市LA』p199)

汐留だけじゃない。
都心を巡れば、こういう建造物は大量にあるはずよ。
SPOT編集部とか、そういうのもやってくれたら面白いんだけどね。

travel.spot-app.jp「山手線を徒歩で巡って排除オブジェや排除アートを全駅探してみました!」みたいな。
日暮里駅の排除ベンチについては、少し調べたけど。
面白い紀行文を書いてるpatoさんとかに、悪意の見える化をやってもらいたいね。

まあでもそんな企画、駅も町もサービス事業者も、誰も金を出してくれないだろうな。
メリットが小さい、リスクもある。

法律や市民憲章、SDGs等の価値観は、誰に対しても平等で開かれた社会であるために作られているし、その理想は素晴らしいとは思う。
だがその一方で、今回書いたような排除ベンチや排除アートの存在は、それらの価値観に相反する代物であり「あってはならない事実」であり、隠蔽したいだろうからな。