逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

独身弱者男性が全集中して編み出した、人間の無意識にあるもの全てを顕在化する技を伝授します。

テクノカットシンドロームについて

5月18日の水曜日のダウンタウン、面白かったな。
特にバイきんぐ・小峠英二とだーりんず・小田祐一郎の、存在しない言葉の応酬。

小峠からは、裸鎧、老婆のケジメ、墓食い、アパッチの地鳴り、三半規管の悪あがき、幡ヶ谷暴動、ペロ、オールドメキシカンスタイル、テクノカットシンドローム、アバラ啜り、髄汁浴び、ギャルの皮剥がし、餃子節、ゾンビ逃し、突貫工事日和。

小田からは、鍋蓋取らず、トゲってる、鬼殺し3年の気持ち、腑(はらわた)に釘、コミットネーション、ジャクソン説法、アメリカンバイクシンドローム、アジもサバも揚げたら一緒、肋骨しゃぶり、頭蓋に五寸釘、火事場から石盗む、男としてクラゲになっちまう、鏡を見て背中を見ず。

面白かったが、気になる点があった。
それは「テクノカットシンドローム」についてだ。

このテクノカットシンドロームは、存在しないとは言い切れない。
どのような症状か、詳しく紹介しよう。

まずテクノカットを語る前に、人間の髪型ついて考察し、その上で、テクノカットシンドローム及び、テクノカット誕生の背景について話したい。

人間の髪型、例えば、スキンヘッドとアフロについて。
もしこの世にアフロしかいなかったら、アフロという概念すら生まれない。スキンヘッドがいるからこそ、アフロは自らがアフロであると認識するのであり、アフロという髪型が生じる。
すべてがアフロであれば、スキンヘッドは生まれないはず。
しかし誰かが、自らのアフロをそぎ落とし、スキンヘッドになった。
このとき、世界中のアフロは、その一人との差異を認識し、あるものは嘲笑し、あるものは憧憬の念を、そのスキンヘッドの者に向ける。
そして、真似するものが出てくる。
アフロからスキンヘッドになるため、ハサミを自らの髪に入れる。
スキンヘッドを認識し、スキンヘッドに惹かれ、髪を切る、という一連の行動を取るものが出てくる。
その行動が何度も何度も、数多の人間によって反復される。
それによって、このヘアスタイルに名称が与えられる。
それが「スキンヘッド」という髪型、概念の生成。アフロとの差異の生成。

ここで「一番最初にスキンヘッドになった元アフロ」について、思いを馳せてみよう。
一番最初にスキンヘッドになったアフロは、自らの髪が毎日毎日自然に抜け落ちるという反復、アフロが抜けてストレート気味になっている髪の毛を幾度となく視覚で認識するという反復があったかもしれない。

つまり、スキンヘッドが生まれる際、何かしら日常的な契機があった可能性が高い。

ではテクノカットは、どのようにして生まれたか、どのような日常的な契機があったのか。
このような説明がある。

テクノカットは1979年に認知が拡大した。

では1979年以前は、どのような髪型が多かったか。
いわゆる、昭和の名優、アイドルたち。

草刈正雄郷ひろみ西城秀樹野口五郎新御三家火野正平時本和也竜雷太石立鉄男宮内淳鹿賀丈史松田優作・・・などなど。

挙げればキリがないがとにかく、ロン毛でたわわなもみあげの男性がもてはやされた。

そのような時代背景において、たわわではないもみあげしかない存在、もみあげの毛量が少ない男性は、上記のようなチヤホヤされる男性に対して、嫉妬心や怒りの感情を抱いていた。

なんで俺には、野口五郎みたいなもみあげがねえだんよ・・・

多くの"梅もみあげ"たちが、鬱屈とした日々を過ごしていた。

梅もみあげというのは、村上春樹が「ねじまき島クロニクル」にて禿を松竹梅に分類する仕事をしている人を描いたことにインスパイアされて生まれた、もみあげの文化人類学的区分けのことだ。

松もみあげ…昭和の名スターやアイドル、金田一少年の事件簿の時の堂本剛など、圧倒的存在感のあるもみあげを持つ
竹もみあげ…もみあげが人並みの存在
梅もみあげ…もみあげが薄い存在

このように梅もみあげ達は、不遇の時代を過ごしていた。
自らのもみあげと、チヤホヤされる松もみあげ達を相対化し、コンプレックスを抱き続けていた。

そんな1979年、パラダイムシフトが起きる。
本多三記夫による、松もみあげの打倒だ。
もみあげの破壊。
ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」の如く、本多三記夫はもみあげ優位社会に対してエクスキューズを提示した。

そして1978年、細野晴臣高橋幸宏坂本龍一によるYMOイエローマジックオーケストラ)という、今までの昭和ミュージックとは一線を画す、ヴォコーダーによる変声で属人性を排除し、機械的で近未来を彷彿とさせるメロディックシンセサイザーを炸裂。

本多三記夫によるもみあげうちこわし運動に呼応する形で、YMOは彼らの新しい音楽、電子楽器を駆使したアッパー・シンセ・ダンス・チューン「テクノ」という音楽の実践とともに、もみあげを放棄した。その瞬きは、松もみあげに負けない存在感を放った。

その新しいテクノカットという"ゼロもみあげ"よって、松もみあげ・竹もみあげ・梅もみあげといった既存の価値観は脱構築され、存在していたであろう見えない階級闘争に揺らぎが生じ、価値観の転覆が起きた。

そして多くの梅もみあげ達は、テクノカットを真似した。YMOに同一化した。

松もみあげ達が大手を振っていた時代、ヒエラルキーの頂点として傍若無人な振る舞いをしていた松もみあげ達を馬鹿にするかのように「別にもみあげとか薄くてもいいよね?はらいそ!」と、テクノカットをすることによって、松もみあげ達に対抗し、マウントを取れる可能性があることに気付いた。

そして令和の現在においても、

そもそもそんなに長いの、邪魔じゃない

という言葉とともに、梅もみあげ達は今でもテクノカット、および、その亜種であるツーブロック等に、飛びついている。

まとめると、テクノカットシンドロームは、鬱屈としたコンプレックスを解消し、合理化するためのルサンチマンの感情であり。
テクノカットは、そのルサンチマンが具現化した髪型である。