逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

独身弱者男性が全集中して編み出した、人間の無意識にあるもの全てを顕在化する技を伝授します。

差異を認識することで嫉妬・怒り・恨み・辛みが生じるゆえにゼロに近付きたいというルサンチマンがある

40歳が近付くにつれて、体の節々が痛くなっている。
接骨院で骨盤矯正してもらって、お腹が空いたので、カレーを食べに行くことにした。
池袋駅の西口にある、濃厚で、お肉もたっぷりの「火星カレー」を無性に食べたくなった。

でも今日は火曜日。営業してねえみたいだ。
高田馬場もカレー屋が多そうだったので、高田馬場駅に行くことにした。

そして検索して見つけた、「白カレーの店 1/f ゆらぎ」というお店。


〒171-0033 東京都豊島区高田3丁目10 22Y.seedxビル1F

ここに行ってみた。

名物のカツ白カレー、を注文。
900円、大盛り無料。


うん、美味い!甘味が強いけど、時折スパイスの刺激と、キーマのような肉の食感もあって、素晴らしい。
カツもサクサクでいいアクセントだね。

お腹も満足。さあ、帰るかな。

街を歩くと、高田馬場という土地柄だろうか、学生やカップルなど、若いリア充が多い。
全く、孤独な独男の俺には辛い街だぜほんと。

霞が関の雰囲気は大嫌いだ。もともと嫌いなうえに、今のぼくの感情がより一層この場所を嫌いにさせる。でもこれから何度かこの場にこなくてはならない。それを考えると憂鬱だった。
階段を降り、地下鉄日比谷線に乗った。
銀座方向に向かう列車は混んでいた。若いカップルがやけに目立つ。笑い声がする。クリスマスのあの浮かれた空気が車内に満ちていた。ぼくはますます憂鬱になって、空いた席に腰掛けた。
(引用元:社長失格 ぼくの会社がつぶれた理由 [ 板倉雄一郎 ]

霞が関ではねえけど、昔読んだこの本に出てくる、会社をつぶした社長みたいな感じだったな、高田馬場にいる俺も。

やっぱり街に出て他者と出会うことで、自分との差異を認識し、無意識的に相対化して、嫉妬・怒り・恨み・辛みといったネガティブな感情が想起してしまうんだよね。

(引用元:最強伝説 黒沢 1 [ 福本伸行 ]

最強伝説黒沢における、スーパーでのシーン。

カップルはそれほど、気にならなくなった。
それよりたちが悪いというか・・・目に痛いのは、子供連れだ・・・!

ただ街を歩くだけで、ただ外界に触れるだけで、自分を相対化し、差異を認識し、ブルーな気分に陥っているのが窺える。
「外出する」という行動には「差異を認識する」という現象が必ず随伴してくるんだよな。

それゆえ、"ひきこもり"という行動が、合理性を帯びる場合がある。
できるかぎり他人に触れないこと、他者との接触を減らす。

それによって差異を認識しない、もしくは「差異を<無限に小さい差異>へと還元する」試みとして、"ひきこもり"がある。

せっかく「エフブンノイチゆらぎ」というカレー屋にいったので、文系だがちょっと数学っぽいことを書いてみるか。

<外出する=差異を認識する>、<ひきこもる=差異を希薄にする>を、数式で示す努力をしてみよう。
現実は複雑で、もしそれを数理モデルに変換するならば。
せめて多変数関数であるべきだが、俺は文系出身で現実を数式で示す能力はあまりないゆえ、単純なモデルを仮定せざるをえない。
すなわち、

y
=f(x)
=ax+bx+cx+dx+ex+fx
=x(a+b+c+d+e+f)


というものよ。
変数(x)は<接触時間>としよう。
そして、a~fは、男女6人の<定数>だ。
男女6人夏物語に遭遇した、俺や黒沢のような冴えない男の、数理モデルと思ってくれていい。

例えばルックスのいい男(a)と、そうではない男(b)がいるとしよう。
ルックスがいい男の方から喚起させられる嫉妬心の方が大きいと考えればa > bとなる。
まあそれは今回の式には関係ないか。

とにかく6人を定数として固定することによって、単純な1変数関数の議論に持ってくることができた。

ここで俺や黒沢の行動、「外出する」か「ひきこもる」かという二つの行動を数式で示そうとするならば。

極限値を求める」という行為が、しっくりくるだろう。

すなわち<x=他人と触れる時間>という変数を限りなくゼロに近づけたり、限りなく∞にしたりするといった計算よ。
ゼロに近づける方は微分ってやつだ。

hiraocafe.comそして、それぞれの極限において、どれだけ嫉妬心や憎悪といったネガティブな感情が生成されるのかを、見える化しようというわけ。
さっそく記載する。

【外出する】
差異を最も感じる極限値を求める式は、

lim(x→∞)f(x)
=lim(x→∞)x(a+b+c+d+e+f)
=∞(a+b+c+d+e+f)
=∞

と、1次関数の変数を無限にすれば、値も無限になった。
とにかく、他者との接触を続けていく中で、俺や黒沢は永遠に、嫉妬心は無限に、生成され続けるということだな。

【ひきこもる】
差異を最も希薄にできる極限値、それは他人との接触時間(x)を限りなくゼロに近づけるというものゆえ、y=f(x)をxで微分する。

d=differentiate(ディファレンシエイト)=微分する。
Δ(デルタ)=“増加分”や“変化量”を示す記号。

として、以下に書く。

f’(x)
=df(x)/dx
=lim(Δx→0) Δf(x)/Δx
=lim(Δx→0) f(x+Δx)-f(x)/Δx ・・・ 2点(x,f(x)),(x+Δx,f(x+Δx))における平均変化率。

※数直線上における<2点x,x+Δx間の平均変化率=f(x)の変化量/xの変化量=f(x+Δx)-f(x)/Δx>を限りなく0に近づけ(Δx→0)、<接線の傾き=微分係数極限値>を手に入れる。

f(x)=x(a+b+c+d+e+f)なので、
f(x+Δx)-f(x)/Δx
=(x+Δx)(a+b+c+d+e+f)-x(a+b+c+d+e+f)/Δx
=Δx(a+b+c+d+e+f)/Δx
=a+b+c+d+e+f

というように、1次関数を微分すると変数(x)が消えて、定数だけになった。

もし俺や黒沢が、他人を何らかの形で一瞬でも知覚してしまうと、嫉妬心が生まれることもある(a+b+c+d+e+f)。
だが、【外出する】場合とは異なり、【ひきこもる】方は、変数(x)によって乗法的・累乗的に、嫉妬心が蓄積・増大してくことは無いということだね。
∞、にまではいかない。
という点で、【ひきこもる】ことが有効であるということを、見える形で証明したのではないだろうか?

何か、微分の無駄遣いのような気がするが。
・・・
そしてこの数式は、説得力に欠ける部分もある。

なぜなら、ひきこもりで誰にも会わないからといって「ネガティブな感情が蓄積されない」とは、限らないからだ。

<俺や黒沢=y=f(x)>は、0に近づくことによって、すなわち男女6人への嫉妬心や怒りの感情を抑えることは、できるかもしれない。

しかしひきこもることによって、"孤独感"や"虚無感"といった、別の変数に襲われる可能性はある。
それらが累乗的力(ネガティブな感情が二次関数、三次関数と複雑になっていくこと)を持つことだって、ありえるだろうよ。

また<外出する>からこそ、自らを大勢の他人の中で相対化することになり、それによって"孤独感"が喚起される場合もある。
<外出する>=<人と触れ合い孤独感は感じない>、<ひきこもる>=<一人なので、孤独感が襲う>という前提も、怪しいよね。

だからこんな数式、いらねえんだよな。
そんなのなくても、証明できる。

ありとあらゆる出来事や現象で、差異を認識するということが、嫉妬・怒り・恨み・辛みを生じさせるということ。
それから逃れるために、ゼロに近付きたいというルサンチマンがあるということ。

例えば、寅さんの映画とかを観てくれよ。
車寅次郎にはロマンスがある。
ロマンスすらない逆寅次郎とは違う。

しかし寅さんにおいても、恋は叶わず失恋し、失意に至る。
やぶれた寅さんはどうしてる?
家族や仲間の前から姿を消し、旅に出てるだろ。

旅に出るといっても、これは離人症的な蒸発に近い。
他者との接触を避けるという点で、ひきこもりと同じだ。外こもりよ。

つまり辛いことやネガティブな感情を避けるために、差異を極小化する。
行動を微分し、ゼロに近い極小値に至り、精神を安定させたい。

B'zの「ZERO」って、曲にも「ゼロになろう♪」ってあるだろ。
でも本当に、差異を拒絶し、ゼロに至ろうとするのは危険だ。
それはタナトスに近い。

フーテンの寅さんは、失恋の際にゼロという極小値を目指しているとう点で、極めて不安定な自我を持っている。
上島竜兵も、寅さんが好きだったらしい。

www.toonippo.co.jpだから、わかるだろうよ。
差異を極小化し、ゼロに近付こうとするルサンチマンが、いかに危険かということを。

一応、ルサンチマンの呼吸として加えてくが、あまりよくないルサンチマンだということは明記しておこう。