5月12日放送のミヤネ屋、電撃ネットワークの南部虎弾が出ていた。
上島竜兵の追悼特集。
その番組中、竜ちゃんの著作が紹介されていた。
これは俺の理想ではあるけど
まわりから見ると
「情けねーヤツだな、コイツ」っていうような
世の中の落ちこぼれ的なヤツが
俺の芸を見て
「くだらねー!でも久しぶりに腹抱えて笑ったよ」
って言われたら
そりゃもう うれしいですよ
情けない人間だってきっと誰かの役に立てて
何かの意味があって生きてると思うの
(引用元:上島竜兵「人生他力本願 誰かに頼りながら生きる49の方法 14歳の世渡り術」)
この著作に記載されている「世の中の落ちこぼれ的なヤツ」は、俺も含まれてるかもな。低所得で友達も少なく恋人もおらず生涯独身者になる可能性が高い。がゆえに孤独死して風呂場で汁になって発見される可能性が高いからな。
「情けない人間」ってのは、「世の中の落ちこぼれ的なヤツ」と同じなのか、それとも上島竜兵自身のことを指しているのか、前後の文も読まないとわからないかもだけど。
まあとにかく、そんな人間が、上島竜兵やダチョウ倶楽部の芸を見て笑うという行為。
ズバリ言うが、これもルサンチマンなんだよな。もちろん、ダチョウ倶楽部だけではない。
「お笑い」にはそういう、落ちこぼれや弱者の心を癒すルサンチマンのような作用がある。
昨日のちびまる子ちゃんのヒロシが、「どうでもいいじゃねえか」という植木等のイデオロギーによって、現実の支配的イデオロギーの苦しみを抑圧しているのと同様に。
落ちこぼれとして、冴えない日々を過ごしている人間が、お笑い芸人の滑稽な動きを見て、爆笑する。
一体なぜ、面白いだろうか?
それについては、桂枝雀が有名だな。
この記事にも説明されていて勉強になる。
utakahiro.hatenablog.comしかし俺はこの、「緊張と緩和」理論を大胆に、誤読?かもだが、再解釈しようと考えている。
緊張と緩和が作用しているのは、「笑う」という現象や身体運動だけには留まらない。
ありとあらゆる生産的活動、資本主義イデオロギーの供給、圧力、それらが全て「緊張」をもたらす。
そして、上島竜兵の「くるりんぱ」や「押すなよ押すなよ」(熱湯風呂)等、お笑い芸人の芸は「緩和」をもたらす。
繰り返し。――ここで問題になるのは、もはやさっきのよう に或る人物の繰り返す一言ないし一句ではなくて、一つの情況、すなわちもろもろの事情の一つの組み合わせである。
これは何度も何度もそのまんまの姿で立ち現われ、そうして刻々に変わる生の流れと対照をなしているのだ。経験が既にこの種のおかしみを、ただしかし未発達な状態において提供している。
(笑い (ちくま学芸文庫) [ アンリ・ベルクソン ])
古いCMなのでyoutube上には残っていないが、昔、ダチョウ倶楽部がミスタードーナツのCMに出ていた。
「聞いてないよ~」が、何度も何度も連呼されている。
現実の生活において、「聞いてないよ~」を何度も連呼する必要はない。
だけどCMではされている。
そのため、ミスタードーナツで行われる繰り返しの構造は“笑い”であり“ユーモア”であって、現実には滅多に起こりえない超現実的な性質を帯びている。
ベルクソンにとって、生は時間の中で絶えず変化し、同じことを繰り返すなんてのはあり得ない。現在の自分の行動は、過去与えられた全ての知覚、ドゥルーズ&ガタリ的に言えば機械から与えられたあらゆる刺激の蓄積によって、形成されている。それゆえ過去は持続し続けるし、無意識的に自らの行動が生産されている。これをベルクソンは「純粋持続」といった。
にも関わらず、「同じことを繰り返す」という非合理的な運動。生の流れと対照的な動き。これが「笑い」だと、ベルクソンは述べたのよ。
だからくるりんぱや熱湯風呂が面白いのは、全く非生産的で合理的でもないあの一連のやり取りや動きの「繰り返し」が、「緩和」をもたらすからだと言える。
ベルクソンと桂枝雀が、つながったな。
でも桂枝雀は、イデオロギーと絡めて笑いについては語っていないかもしれない。ちゃんと読んでないからわからないけど。
あと、ダチョウ倶楽部の芸の「緩和」については説明したので、いったい何が「緊張」をもたらしているかについて語るか。
それはこのブログで何度も引用している、アルチュセールがいうイデオロギー装置のことよ。「降りることを許さない」ように仕向けている資本主義のハイパーリアルが、人間の身体を「緊張」状態に追い込んでいく。
gyakutorajiro.com会社に行きたくない、ドアの前で立ち尽くして歩きだせないサラリーマン。1日の業務や出会う人からの圧力等を想像し、気分が落ち込み、足が前に出なくなる朝。
(引用元:闇金ウシジマくん(11)[ 真鍋昌平 ])
しまいにはうつ病になって休職や退職、さらに悪いケースもあり得る。
チャップリンの「モダン・タイムス」では、「緊張」が面白おかしく描かれていたけどな。
ningen2.hatenablog.com労働者が、同じ定型業務を繰り返すことで「緊張」から抜け出せなくなり、「緩和」ができず、日常生活に支障が出るみたいな。
資本主義への痛烈な皮肉でそれはそれで面白いんだけど。
でも大体みんな、「緩和」できてる。
このような緩和装置、これもイデオロギー装置だが。
ビール、お笑い、音楽、ありとあらゆる娯楽やエンタメは、支配的イデオロギーがもたらす緊張を緩和させる装置として作用している。一時的だが仕事のストレス等を忘却できる。
だけど実は「緩和をもたらしているようで、緊張をもたらしている存在」もあるんだよな。
それについては明日、「資本主義的無意識の存在を大塚製薬のCMとサチモスが話していた話で証明する」の記事で書くか。