逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

独身弱者男性が全集中して編み出した、人間の無意識にあるもの全てを顕在化する技を伝授します。

村上龍によるルサンチマンの肯定

昨日は、ルサンチマンによって自己愛を得ることが大事だという話をした。
そしてルサンチマンの重要性について、村上龍も、とある対談で語っていた。
ルサンチマン」という言葉は使用していないけれど。

俺がルサンチマンの重要性を語るよりも、村上龍という権威が語った方が説得力があるしな。
昔、文字起こしをしたその話のメモを、偶然見つけたので紹介する。
村上龍が、カンブリア宮殿で渡邉美樹と対談した際に感じたことについて、聞き手とともに振り返る話。

村上龍】:モチベーションがあれば心の病にならないってわけじゃないんだけどさ。なにか、ワタミの女性の人が自殺しちゃったわけでしょ。
で俺と渡邉美樹さんとのカンブリア宮殿での会話が、コピペされて、ネット上でバックファイアみたいに何十件って載ってたわけだけど。。。お前短距離速いだろ?
【聞き手】:速いっす。
村上龍】:長距離好き?
【聞き手】:嫌いっす。
村上龍】:恥をさらすんだけど、俺の高校の、ロードレースがあるんだよ、冬に。帽子岳(ぼうしだけ)って言って、男子が出発して、5分後に、女子が出発するんだよ。で、坂がきつくて、たぶん俺が一番最初に歩いたんだよ。頂上まで歩いたんだよ俺は、マラソン大会なのに。で、下りで200人ぐらい抜いたんだよ、下りはきつくなくて、体力残ってたから。でみんな、倒れたりしてんの。俺、全然元気でさ。で、そん時思ったんだけど、ワタミの社長が「途中でやめるから無理になるんだ。私は無理とは言わせない。」ってニュアンスの発言、正確じゃないかもだけど、でも俺びっくりしちゃってさ。「無理だと思うからやめちゃうわけですよね?」って言ったの。したら「違う」って言って、「途中でやめるから無理になるんだ」と。

俺はっと、ロードレースのこと思い出して。途中でやめたから無理だったのかな、無理だったんだよ俺には。ぶっ倒れるとか鼻血が出るとか、その上を目指さないといけないって言われて、俺何って言っていいかわかんなくてさ、「いや~僕には無理ですね」って言うしかなかったね。
で俺すごい好きな一コマ漫画があってさ。一コマ漫画って知ってる?

【聞き手】:知ってます。
村上龍】:ちっちゃい頃見たんだけど、パン食い競争のスタートなんだよ。みんなスタートしようとしてんだけど、一人、ポケットにバター持ってるやつがいるんだよ。俺その漫画が好きで、そいつ、パン食い競争に勝とうとしてない。あそこにあるパンをより美味しく食べようと思ってんだよ。
【聞き手】:すばらしいですね。
村上龍】:何かそういう、僕自身もそういう方が好きだな。

パン食い競争で、その勝負に勝つことを考えずに、パンを美味しく食べることを考える。
これはルサンチマンでもある。
本来、身体能力の優劣を競う競争において、別の価値観を導入することによって「パンが美味しく食べられたら、別にレースに負けてもいい」と考える。

これは 川崎鷹也「魔法の絨毯」が多くの人の心に響く理由をジャック・ラカンの「欲望のグラフ 第2図」で解説でも触れたが、「お金がなくても君を守れるんだ」という価値観(ルサンチマン)を内面化することによって、お金が無い自分の現実の状況に悲観することなく、前向きに生きることを実現しようとする感情の動向に似ている。

足の速さのレースでは勝てない、だから別の土俵で勝負する。
資本主義のマネーゲームでは勝てない、だからお金がなくてもいいんだという土俵を生み出す。

しかし「弐ノ型:超地上的な希望の信仰」というのは、わかりにくいような気もするな。
本来の価値観(足の速さを競うレース、資本主義のマネーゲーム)での勝負が耐えられないがゆえに、別の価値観(パンを美味しく食べれたらいい、お金が無くても幸せだし守れる君がいる)を生み出したり、その価値観を信仰したり、既存の支配的価値観をすり替えるルサンチマンだ。

長くなるが「弐ノ型:超地上的な希望の創造と信仰による支配的価値観のすり替え」にした方がわかりやすいね。

ルサンチマンというと、ネガティブなイメージが付いて回るけどな。

既存の支配的価値観に基づいた自分の相対化や客観視を止めて、自分を愛するための別の価値観を内面化することができれば、精神を安定させることもできるんじゃないかってね。