逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

独身弱者男性が全集中して編み出した、人間の無意識にあるもの全てを顕在化する技を伝授します。

かまいたち山内と中西保志とギテク(半地下の家族)の行動は「自尊心を守る」という点で共通している

かまいたち山内のテレビ番組での発言が炎上していたな。

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かまいたち山内「もう1回降りてったろ」エレベーターをめぐるエピソードが大炎上「もう一生見たくない」 - ニュースピックアップ (Quick Timez) | フレッシュアイニュース

2011年の昔の発言まで掘り起こされちまってよ。
だがなぜ、山内がこのような行動を取ろうと考えてしまったか、俺にはわかる。
それは「侮辱されたから」だ。

大半の人は「いや大げさだろう」という印象を持つかもしれない。
単にエレベーターの同乗を拒否されただけ、見知らぬ男性に対しては警戒心を持ってしまう女性の気持ちを理解するべき、という声もあるかもしれない。

しかし、山内および山内の無意識は、そう捉えなかったかもしれない。
また、別に山内に限った話ではなく、このような経験をした男性は多いだろうよ。
エレベーターの同乗拒否、の他にも例えば、電車で隣の席に座っていた女性が、別の席が空いた瞬間に、自分の隣からそそくさと移動されたり。
このように、ドアをガチャッと閉められたりな。

ぴの山🌸 on Twitter: "さっきかまいたちの番組で山〇が「エレベーター乗る時に待ってた女性が一緒に乗ってこなかったから『俺の事警戒してんのか?』って腹立って、一回上がってからもう一回戻ってやった。どんな反応すんのかなと思って」ってエピソード話してたけど、女性が警戒する事に異常に怒る人ってマジで何なんだよ"

「な?警戒して大正解やろ?」以外の答えはない。コレと同じ狂人→『隣人(女性)がドアを閉めてすぐに鍵をかけたんだが、これって失礼だよな⁇』 <a href="http://himasoku.com/archives/52069982.html" target="_blank" rel="noopener nofollow">http://himasoku.com/archives/52069982.html

2022/04/18 16:27

b.hatena.ne.jpこれは確かに、女性からすればリスクマネジメントとして正しい行動かもしれないが。
相手の自尊心を傷つける行為でもある。

自尊心が傷つけられた場合はどうするか?
山内のように、受けてきた屈辱などをエネルギーにして努力し、芸人として大成し、別の機会で自尊心を獲得する場合もあるだろう。

しかし、社会的な成功や自己実現などによる自尊心の獲得が難しい場合、ルサンチマン(奴隷道徳)で傷ついた自尊心を修復しようとしてしまうケースがある。
今回の山内が行ったルサンチマンは、当サイトで語っている「壱ノ型:ストレス共有化」だな。

口にはせずとも「あなたとは同乗したくない」というメッセージを受け取り、ストレスを感じてしまった。
だったらこのストレス、自分で溜め込むか?いや、俺だけ溜め込むなんてフェアじゃねえぞ。
俺の自尊心を傷つけたあんたにもストレスを背負ってもらう、という一連の心理的規制が無意識に瞬時に行われ、山内はエレベーターの再同乗を考える。
それにより、自尊心への攻撃を加えた加害者女性にも、ストレスを与えることになる。
結果、ストレスが共有化され、自らのストレスが希釈され、軽減する。

だから山内は別にサイコパスなんかでもないし、この再同乗の行動を考えることは、異常でもない。
自分に偏ったストレスを希釈するためのマインドフルネスであり、傷ついた自尊心を取り戻すためのルサンチマンの実践よ。

自分が受けたストレスを、相手にも与えて、偏りを希薄にする程度に留まる場合はまだいい。
さらに悪いケースがある。

「何かうまくいかないことがあるものだから、ある人物がついに腹を立てて絶叫する。『世界も何もかも滅びてしまえ!』このおぞましい感情は次のような推論による嫉妬心の頂点である。自分が「或る物」を持つことが出来ないのだから、世界に「何物も」持たせない!世界もなくなってしまう「べき」だ!」
ニーチェ『人間的な、あまりに人間的な』)

ルサンチマンが機能しない場合、タナトスに寄っていく。
例えばストーカー犯罪。
それを象徴的に示す歌でもある中西保志の「最後の雨」という曲がある。

本気で忘れるくらいなら
泣けるほど
愛したりしない
誰かに盗られるくらいなら
強く抱いて 君を壊したい

引用元:中西保志「最後の雨」

この曲、フィクションの世界だとはいえ、令和になった時代だと、バッシングされそうな歌詞内容だよな。

自分のものにならないのであれば、君を壊してしまいたい、というのは身勝手で許されない行為だというのが道徳的にも法規範的にも通説だろうよ。

この中西保志の曲は、もはや彼女を否定するルサンチマン(奴隷道徳)によって諦めることもできず、秩序から逸脱したディオニソス的な行動を取ろうとしていることが伺えるよな。
ディオニソス、の説明についてはこのサイトが詳しい。

designth.blog27.fc2.comだからルサンチマンが大事なんだと、このサイトでは語ってる。ルサンチマンの実践によって、秩序や平和が維持される。

山内の発言、実際に行っていないにせよ、同乗拒否からの再同乗の話によって、女性は恐怖や不快感を覚えたかもしれない。
山内は、自分がストレスを受けたからといって、それを女性にも鏡のようにリフレクションさせるような再同乗という行為を意識することなく、一人で溜め込むべきだったかもしれない。

だが山内も人間よ、それを抑えきれないときだってあるんだよ。

そして、山内のエレベーターでの行為と中西保志の「最後の雨」は、同一線上にある。

山内が過去のツイートで「レ〇プされる思われたんかなぁ。上にあがって、また一階に降りてきたエレベーターに僕がまだ乗ってたらどんな顔したんやろなぁ。」と述べているように、二人きりのエレベータで暴力的事件に発展する可能性はゼロじゃない。
それゆえ、ルサンチマンによる抑圧が機能しない場合、中西保志の曲にある「壊したい」というような、現実的な暴力の実践に発展してしまう恐れがある。

さらに実際に、暴力が現前してしまうケースがある。
映画「半地下の家族」のギテクだ。
(以下、ネタバレ注意)

ラストシーンで、キム・ギテク(ソン・ガンホ)はパク・ドンイク(イ・ソンギョン)を刺した。

刺した理由は、色々と他のサイトでも考察されているが、ドンイクがオ・グンセ(パク・ミョンフン)の体から鍵を取る際、半地下の臭いを感じて、それを嫌悪し自らの鼻をつまみ、侮辱の表情を浮かべた。

このシーンは、エレベーターで女性に同乗拒否される事態と、非常に似ている。

どちらも、目の前の人間に対する不快感を、それぞれ「同乗拒否」「鼻をつまむ」という具体的な行動で、表明してしまっている。

もちろん、エレベーターで同乗拒否された程度の侮辱では、別に映画のラストシーンみたいな行為にまでは至らないだろうよ。
だけど映画では、娘のキム・ギジョン(パク・ソダム)が絶命するかもしれない極限状態だった。
にもかかわらずドンイクは、ギテクやギジョンと同じ半地下の住人であるグンセの死体を、まるで他人のペットが放置したケトン(犬の糞)を拾う時のような表情を浮かべた。

これはギテクに対する最大限の侮辱だ。
ドンイクは、命の危機に瀕した半地下の住人のことをまるで顧みない非人道的行為を行ったんだ。

許すわけにいかない。半地下の住人だって人間だ。物じゃないし、犬の糞じゃない。
娘の尊厳を取り戻すため、こいつの存在を認めるわけにはいかない。
理性が機能しないほどの怒りに駆られた。
道徳的規範や社会の法規範なんかで抑えることはできない。
「半地下で生活して、古い切り干し大根や煮出した布巾みたいな臭いはするかもしれないけど、家族みんな笑顔で食べていければ幸せじゃない」みたいなルサンチマンでも抑えることはできない。
娘は死に瀕し、自分を納得させていた社会的道徳やルサンチマンは既に瓦解してしまっているんだから。

だから、エレベーターで同乗拒否をした女性と、「半地下の家族」で鼻をつまんだドンイクは、程度の差こそあれ「相手の自尊心にダメージを与える」という点で共通しているし。
それに対しての反応も、山内とギテクで共通している。
山内はストレスの共有化というルサンチマン的な実践、ギテクはルサンチマンで抑えられない衝動的行為によって、尊厳の回復を試みた。

中西保志も、あの曲が現実なら、ギテクと似たような結果になっていたかもしれない。

あと、エレベーターに乗ってきた女がどういう女だったかによっても、自尊心が傷つくダメージに差が出るかもな。

昔好きだった女性や好みのタイプの女性等、自分の理想の同一化対象に近い場合、ダメージは大きいし、それに対する反応も大きくなる。
ギテクもドンイクと、仕事を通じて信頼関係を作れそうだった。
要望にも応えていたし、一緒にドンイクの息子の誕生日をサプライズで祝うほど友情を深め、互いに共感し、同一化していたと思っていた。
でも結局は、臭いケトンの扱いだ。勘違いだったんだな。
娘が死んでも、人間的な扱いしてくれなかった。

尊厳を取り戻すという点で、山内も映画のギテクも、別にサイコパスでもないし、人間の行動としてあり得る。

だから山内の炎上っていうニュース見出しは何か、違和感あるんだけどね。