逆寅次郎のルサンチマンの呼吸

独身弱者男性が全集中して編み出した、人間の無意識にあるもの全てを顕在化する技を伝授します。

「今日の仕事は楽しみですか」「月曜日のたわわ」の広告に嫌悪感を抱くのは間接的に差別されているから

鬼滅の刃の無限列車編、面白いよな。
映画で観て、テレビ版でも観返した。

その中のシーンで、ネタバレになるけど「下弦の壱」眠り鬼・魘夢(えんむ)の血鬼術で、竈門炭治郎の一行が眠らされるだろう。
そんで、炭治郎は夢の中で、必死に抵抗して、もう一人の自分から告げられるよな。

起きろ...起きろ...起きろ!攻撃されてる!夢だ!これは夢だ!目覚めろ!そうか そうだ 俺は 汽車の中だ!起きて戦え!戦え!戦え!

と。ただこの「起きろ、攻撃されている」というのは、現実にも起きている。
つまり、

夢を見ながら死ねるなんて幸せだよね

と、魘夢が言うように、人間は起きながらにして夢を見せられている。
また、夢の外側に無意識の領域があるっていう話もあったけど。

utamonogatari.jpこれも正しい。眠っていないときも、無意識には影響が及んでいる。
夢の中に出てきたのは、求めている自己の同一化対象、「対象a」だ。

喫茶店で店員同士がイチャイチャしていると腹が立つ理由をジャック・ラカンの概念で解説でも話したが、炭治郎の場合は家族が惨殺される現実とは別の、家族の皆が生きて仲良く暮らしている自分。
善逸の場合は禰豆子と共に過ごす自分、伊之助の場合は友を家来にして意気揚々と活躍する自分。

そんな風に誰しも、自分の理想像というのは形成されているし、それが夢に出てきたりするのはフロイトが言う「夢は願望充足である」みたいな話で、古くから議論されてたりするよな。
まあフロイトの「夢分析」はしっかり読んでないからさておき、その夢に出てくる"願望"ってのは、どのように形成されるか。

それは生物学的アプローチ、医学的・精神分析的なアプローチ、哲学的アプローチなど諸々あると思うが、自分は生物学や医学はあまり詳しくないので、哲学的な話で進める。

願望の形成は、決して自意識で自然発生するとかではなく、外の世界の影響を多分に受ける。
人間同士のコミュニケーションのみで発生するわけではなく、イデオロギー装置による精神への干渉によっても行われている。
この記事は後者、イデオロギー装置という無機物が人間に及ぼしている影響についての話。

既に「悪意のある排除アートと悪意はないが間接的に精神的攻撃を行う排除オブジェ」でも話したけどな。

iine-y.com一見すると何の変哲もない無機物からも、人間の精神は影響を受けている。
だが、それは無意識の領域にしか及んでおらず、意識には及ばないケースが多々ある。

例えば、この椅子。

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これは日暮里駅の東口にあった。
この石で作られた椅子、とも言えないかもしれないが、アンチ・ユニバーサルデザインの排除オブジェでもある。
まず、ここで寝られないようにするため、長さを短くしている。
さらに表面をデコボコにすることで、座り心地を悪くしている。
雨が降ると表面に水が溜まる。「要塞都市LA [ マイク・デイヴィス ]」で、スプリンクラーでホームレスの段ボールを濡らすのと同様に、雨の力を存分に利用して、水はけを悪くする。
ホスピタリティとして座る場所を提供するが、長居はされたくないし、寝床にもされたくない」という思惑を現実化させたようなオブジェだ。
つまり椅子から、攻撃を受けている。
自分がホームレスになっていないから気付かないだけで、利用者を選別している。
この無機物は差別というイデオロギー的実践を行っていることだ。

こっちのベンチの方は露骨でわかりやすいな。

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東武東上線柳瀬川駅のホームにあるベンチだ。
ベンチを寝床にされないよう、取っ手を付けている。
ベンチで寝る人が出て、ホームからの転落事故が起きないようにするため」と、表面上は人道的な理由を掲げることはできる。
だが本当は、ベンチ寝ることができれば、逆に転落事故は減るだろう。
だってベンチで寝られるんだから。
ベンチで寝ることはできず、座る事しかできない。
泥酔した場合も、横に寝れたらどれだけ楽か。
座り心地が悪く姿勢を強制されるベンチによって、そこに留まらずホームをふらつく可能性は上がるだろうな。

他にも、攻撃をしている無機物はありと溢れる箇所にある。
去年、話題になった品川駅のデジタルサイネージ広告とかな。

togetter.comこれに不快感を感じた人は多いだろうよ。露骨すぎるからな。
ではこの広告の意図はなんだったか、この説明がわかりやすい。

dual-work.com「はい、楽しみです」っていう人を増やしたいって話か。
しかしこの広告に嫌悪感を抱く人が多かったということは、攻撃性がかなり強いってことだ。

「仕事は楽しくあるべきだ」「仕事を好きになるべきだ」という価値観の礼賛。
稲盛和夫の「働き方」とかも、仕事というものを金銭を得るための手段としてだけでなく「仕事を好きになりましょう」「夢中になりましょう」ということの重要性等を説いてたな。

それがムカつくんだって話だよな。

楽しくないなら「仕事を楽しもう」「夢中になろう」というポジティブなメッセージを伝えなかったのかもしれないんだけど。
そもそも「仕事を楽しもう」「夢中になろう」という仕事好き人間の主体化の促進が、ニートや働いていない人間、そして仕事は好きではないが食べてくために仕方なく行っている人間を、間接的に差別してることになってるんだよ。
だから嫌悪感を抱いた人が多かっただろし、主体化に応じない人間を「攻撃している」とも言える。

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これはヤマダ電機の店内のPOPだ。
「君の笑顔が、パパとママを名カメラマンにする」という掲示
一見すると、家族の思い出を残すビデオカメラの販売メッセージだが。
家族がいない人、結婚できない人、子どもがいない人への攻撃にもなっている。
「攻撃」という風に、意識的には感じないかもしれない。
でも無意識に、精神に影響は及んでいる。
特にこの恋愛や家族的活動を促進・礼賛する無機物は、ありとあらゆる現場にあふれてる。
それはアルチュセールが言うように、家族的AIEとしての役割を果たし、社会生産活動の再生産に寄与するからだ。
もちろん最近は、ソロがマイノリティではなくなって来ているため、敢えて攻撃せずに寄り添ってお金を落としてもらおうという意図の広告もあるけどよ。

www.ana.co.jpこのCMでも、一人を被写体にした女性客が映ってるからな。

だが圧倒的に、資本主義社会の発展に寄与する異性愛、家族的イデオロギー装置の方が溢れている。
先のANAのリンクの動画に流れていたのも、単身の女性客が映るのは一瞬で、ほとんどは恋人や子連れ家族、熟年夫婦などのグループだし。
ANAオザケンがBGMで流れてるCMとかもそう、BEAMの恋をしましょう、もそうだ。
そうやってイデオロギーを実践できない人間は、無意識に差別という攻撃を受け続けていく。

こういう無意識への攻撃を「ステルス差別」と定義することにして、その「ステルス差別を顕在化する」のが、ルサンチマンの実践にもなる。
知らず知らずのうちに差別されている。
それが羨望、嫉妬、怒り等のネガティブな感情の源泉になる。

www.huffingtonpost.jp「月曜日のたわわ」の広告に不快感を感じるのは、巨乳を審美的価値として崇める男性が多い現実を突き付けるとともに、巨乳ではない女性への間接的な差別にもなってる理由もあるだろうよ。

そんな風に、ありとあらゆる広告や無機物が「実は差別を行っている」ことを把握し、自身の精神に影響を与えていることを認識・顕在化させることで、自分が何に嫉妬し、怒り、コンプレックスを感じて自己嫌悪に陥っているかも詳らかになり、それに対処するルサンチマン(奴隷道徳)が生み出せるかもしれない。

これをルサンチマンの呼吸の漆ノ型「ステルス差別の顕在化」として、広めていきたいな。