最近、スマホをいじっていると。
どうでもいいニュースが入ってくる。
粗品と宮迫の争いがそうだ。
後輩の挑発をスルーした松本人志、粗品のケンカを買って自爆した宮迫博之…露呈した“芸人の格”の違い|日刊ゲンダイDIGITAL
www.nikkan-gendai.com 元雨上がり決死隊・宮迫博之(54)の地上波復帰がまた遠のいたようだ。反社会的勢力の主催パーティーで闇営業を行っていたことなどを理由に謹慎処分となり、その後、宮迫は2019年7月19日に吉本興業から契約を解消された。現在はYouTubeを中心に活動しているが、4月12日放送の「酒のツマミになる話」(フジテレビ系)で、霜降り明星・粗品(31)が、宮迫を呼び捨てにしつつ、「芸人なのに『YouTuberおもろい』って言っているヤツ、めっちゃ嫌いで」「先輩じゃないっすよあいつ。もう辞めてんから」と猛批判した。
俺が少しお笑い好きゆえ、GoogleのAIとかが勝手に提示してくるんだろうか?
で、いちお笑いファンとして、粗品については前々から思っていたことがあったので、記事として書いておこう。
まず思うのはだな…。
粗品って、何が面白いの?
ということだ。
もし、この記事を偶然読んでくれた人がいたら、粗品のおすすめのネタとか面白いyoutubeの動画を貼ってほしいと思うけどよ。
もちろん、俺も粗品で笑ったことは、数えるぐらいはあるとは思う。
ひな壇での他の芸人とのやり取りや、静岡のホテルに泊まった時に偶然観た「霜降り明星のあてみなげ」等のロケとかでな。
ただ、宮迫を否定できるほど面白くはないし。
また、宮迫に限らず誰かを「おもんない」と断ぜられるほどには面白くない。
そのためお笑いファンとしては、そういった他の芸人に対する無礼な態度を取る粗品の言動を見聞きするだけで不愉快になる。
「お前そこまで言えるほど面白いの?」って話よ。
一体、粗品の何が面白くなくて、不愉快なのか。
なるべく客観的に語りたいと思うので以下、トピックごとにその理由を提示していきたいと思う。
1.定型的なツッコミと喜怒哀楽のダイナミズムの弱さ
まず、霜降り明星の粗品が今の地位にいるのは「M-1グランプリ2018」の優勝があるだろう。
で、いくつかネタも観たことはあるが。
漫才「新学期」【霜降り明星】1/100
霜降り明星の漫才で、俺は笑ったことはほとんどない。
クスリ笑いぐらいならあるかもだが。
なぜ、霜降り明星の漫才は笑えないかというと。
粗品のツッコミにおいて、感情の起伏が小さすぎる
のが、大きな理由であると考えられる。
例えば上記のネタだと。
ツッコミの緩急がワンパターンで、表情や手のポーズもほぼ一定で、せいやの「変な生徒」の大喜利みたいになってしまっている。
そして喜怒哀楽の表現も弱く。
ブラマヨ吉田やサンドイッチマン伊達のツッコミや。
昔、ドリームマッチで観た、ココリコ田中とさまーず三村の漫才のような。
ツッコミが不快感を高めていき、ボケとともにヒートアップしていくような展開もない。
その大きな理由が、おそらく粗品の手の決めポーズだ。
このツッコミが、漫才から抑揚を奪ってる。
オリエンタルラジオの武勇伝のように、どこでツッコミを入れるのかわかりやすくて見やすいから、令和に流行ったのだろうか?
俺は全然、面白いと思わない。
この有名なお笑いサイトに記載されていた「単独のボケと単独のツッコミがあるだけ」という感じだ。
ナインティナインの笑いについて / 芸人批評
例えば、ダウンタウンのボケとツッコミのコンビネーションは、
1+1が3にも4にもなり、時には10にも20にもなると言われるのに対し、、
ナイナイのボケとツッコミのコンビネーションは、
あくまでも、1+1は2であるという事。それ以下でもそれ以上でもない。
だから、ナイナイからは、”コンビならではの笑い”というのが見られない。
ただ、単独のボケと単独のツッコミがあるだけだと私は感じる。
その単独感は、粗品の定型的な手の決めポーズによってより際立つ。
ボケとツッコミがお互いにヒートアップし、シームレスに物語が展開されていくドラマ性が乏しく、まるでリズム芸みたいな漫才になっているから、面白くないと感じてしまうんだろう。
一方、粗品が「おもんない」と否定した、クロスバー直撃だが。
霜降り粗品の〝おもんない発言〟に渡邊センスが反応か 事情説明し謝罪「許してくり」 | 東スポWEB
この二人の漫才は断然、霜降り明星の漫才よりも面白いし、俺は笑った。
大阪よしもと漫才博覧会「クロスバー直撃」
前野のボケの面白さを、渡邊が引き出してる。
渡邊は別に、漫才が進むとともに不快感を高めたり怒ったりはしないが。
控えめなツッコミであるがゆえに、前野のボケが引き立っている。
ワードセンスやネタの中身もいい。
「あ~~~~ないねっ!」と、前回の記事で語った、ベルクソンが言う「繰り返し」(天丼)も巧みだ。
単に同じボケをするというわけではなく。
繰り返しの度に、変化していくボケと、前のボケや物語との連続性もあって、面白い。
そして渡邊が定型的なツッコミをしないがゆえに、ネタに嘘臭さがなく、リアリティがある。
しかし世間は、霜降り明星の方を面白いと評価しているのか?
再生回数を観ると、霜降り明星の漫才は100万回を突破しているが、クロスバー直撃の方は1万回もいってない。
皮肉だよなぁ。
クロスバー直撃の漫才の方が、笑えるし、視聴する価値があると思うんだけど。
先のトピックで示したように、霜降り明星の定型的な手のポーズ、それによってドラマ性が欠如する話はしたが。
まだ、霜降り明星の漫才に足りないものがある。
それは「リアリティ」だ。
このリアリティの保持に一番、敏感なのは、松本人志だ。
松ちゃんは、現実と虚構の境界を曖昧にし、シームレスに笑いの世界に誘うのに長けた芸人といえる。
それは以前の記事でも散々、語った。
オリラジ中田に惑わされるな!松本人志の笑いがなぜすごいのかという点とザ・セカンドにも必要だった理由をZ世代の若者でもわかるように解説する
よゐこのように、タクワンを頭に乗せたり、突飛な行動をいきなり取ったりはしない。
よゐこの笑いについて / 芸人批評
美容院コントにて(美容師:濱口さん、お客:有野さん)
●美容師:「今日はどういったふうにいたしましょう?」
●お客: 「たくわんにして」
と言って、有野さんはふところから本物の「たくあん」を取り出す。
そして、美容師の濱口さんは、「え…?」と言いつつ、
そのたくあんを有野さんの頭に乗せる。
端的に言うと、松本人志を形容するために使われる「シュール」というのは、言葉足らずだ。
換言すれば「現実から虚構、ボケの世界に、嘘くさくなくフェードインしていく笑い」が、松本人志のネタにはある。
リアリティを保持しながら、笑いを創っていく。
決して、カットインではない。
一方、霜降り明星の粗品のツッコミはどうだ。
決めポーズで「はい今、面白いツッコミしました」と、わかってしまう。
このカットインによって、リアリティが崩れる。
説明臭い、メタ目線が強すぎるツッコミだ。
説明するのではなく、ボケ役に対する面白さや違和感や不快感等を、ツッコミは共有化させて、客の感情移入を促すのがいいツッコミだと思うんだけどな。
細田守監督で例えるなら。
粗品のツッコミは、終盤で家族愛をベラベラと言語化してしまった「未来のミライ」みたいな感じだ。
名作の「サマーウォーズ」とは違う。
また、最初のトピックで、霜降り明星の漫才における粗品は、感情の起伏や喜怒哀楽に欠けていると述べたが。
しかし、別に喜怒哀楽が激しくなくても、面白い漫才はある。
先に、ナイティナインの漫才を軽く否定する記事を紹介したが。
個人的には、昔観たナイナイの漫才は、霜降り明星よりも面白い。
それは霜降り明星の漫才よりも、ナイナイの漫才は「リアリティ」と「没入感」があるからだ。
リズム芸のように、変に決めポーズみたいなのを入れたりしない。
まるで、先輩と後輩の日常会話の延長線上のように、話が展開されていく。
だから、漫才にリアリティと没入感が生まれる。
金属バットもそう。喜怒哀楽は激しくなくても、道端で兄ちゃん同士が喋っているのを覗いてみたら、めちゃくちゃ面白いみたいな感じだ。
両コンビとも、霜降り明星の漫才より、松本人志も重視するリアリティを保持してる。
だから粗品がザ・セカンドに出演する芸人達を否定するニュース等を読むと、ものすごい違和感と不快感を覚える。
粗品が松本人志〝提言騒動〟のTHE SECONDに毒づく「成功してないやつらの大会」 | 東スポWEB
霜降り明星の漫才は、ドラマ性やリアリティや没入感に欠け、そんなに面白くないんだからな。
3.ダウンタウン浜田雅功が否定する自己陶酔に浸ってしまっている
先の、笑いにおいてリアリティを重視するのは、松本人志だけじゃない。
浜田雅功もそう。
これは印象的なシーンだったので、俺は詳しく覚えてる。
確か2011年の6月5日放送の『爆笑!大日本アカン警察』だった。
この回の放送は、ダウンタウンとナイティナインが数十年ぶりに共演するということで、俺も楽しみに録画していたんだよ。
で、実際に対面してからのトークはもちろん、面白かったが。
それに至る前に紹介された、浜ちゃんのエピソードだったかな、それが非常に興味深い内容だった。
品川庄司の庄司に対して。
庄司が何か、手にアクセサリーを付けてたみたいで。
それを見た浜ちゃんが…
ツッコミがそんなんつけんな!
と、怒ったらしいんだ。
そしてもう1つ、これは別の番組か。
キングオブコント2008で。
「2700」という、音ネタが得意なコンビがコントを披露した。
会場のウケはそこそこだったかな?
どっちか忘れたが、ネタをやり終えた後「楽しかった~」という発言をしたんだよ。
そしたら浜ちゃんは…
本番ちゃうかったらドツいてるぞ
と、にやけながらも苦言を呈していたんだよ。
この2つのエピソードから、俺は「そうか!」と、浜ちゃんの芸人としてのスタンスに気付いたのを覚えてる。
つまりこれは「芸人の二枚目化に対する警鐘」よ。
芸人はやっぱり、笑わせてなんぼ。
その芸人が、客を笑わせることを忘れ。
好き勝手なネタをやって、ウケようがウケまいが「楽しかった~」とナルシシズムに浸ってるってのはね、どやねん?
自分が楽しんでどうする!?
と、浜ちゃんが怒ってるように思えたんだ。
なので庄司が、腕にアクセサリーしているのに怒ったのも。
「笑わせる」という芸人魂を忘れ、自己愛に浸っているようで、許せなかったじゃないかと思ってね。
そしてこれも、リアリティの話につながる。
「楽しかった~」ってのはいわば、自己陶酔した状態。
漫才やコントにおけるリアリティの保持から逸脱する、自分本位な行為だ。
アクセサリーも異物。
物語の世界観に観客を没入させるには、小道具でもない限り、目立つハイブランドのアクセサリーは不要だ。
そして、本題の霜降り明星の粗品だが。
彼もどこか、自己陶酔している部分を感じる。
左腕に、高そうな金時計もしていたしな。
宮迫、クロスバー直撃、ザ・セカンド…等、彼は大した根拠も提示せず「おもんない」と、否定する。
まるで自分はものすごく面白いと言わんばかりのように。
そんな粗品の方こそ、観ていて面白いと思わないけどな。
4.Youtuberや一般人への差別意識
粗品はYoutuberを「おもんない」と言う。
霜降り・粗品がまた暴言…超人気YouTuberを名指しで「YouTubeの中で1番おもんない人ら」― スポニチ Sponichi Annex 芸能
この日、ゲスト出演したカップルYouTuberが尊敬する人物として登録者数467万人を超える超人気YouTuber「スカイピース」の名前を挙げ「中学生の頃からずっと好きだったんです!」と熱弁した。これを聞いた粗品は「『スカイピース』ってさ、俺あんま分からんけどさ、YouTubeの中で1番おもんない人らちゃうの?」と、また“暴言”を放っていた。
また、「一般人の方」というように、一般人は面白くないといった物言いをする。
だが、それを示す具体的な情報や客観的事例の提示が見受けられないので、全く共感ができない。
と、宮迫が素人だから、という理由でオファーを断っているが。
これも理由になってない。
そもそも、お笑いは別に「芸能人だから」だとか、「Youtuberだから」「素人だから」といった、概念や先入観や偏見が先行するものではない。
それは既に、松本人志が「ワールドダウンタウン」や「働くおっさん人形・劇場」等で提示している。
野見隆明vs浅見真一(前編)
野見さんが一人で大晦日を過ごす映像なんてのはな、これも…すごいわ。
独身の中年男性に宿る、哀愁と可笑しさをエンターテインメントにしてるんだ。
その笑いには、嘲笑だったり、「自分は結婚できてよかったな」という安心感や愉悦も含まれている、いわば悪性の笑いでもある。
最近よく話題に出る弱者男性論も、この松本人志のコンテンツを少しアカデミックにした感じだろう。
弱者男性とフェミニズム(『弱者男性1500万人時代』を読んで)|シバエリ
本当に弱者男性をどうこう、なんて考える人はほとんどいない。
「弱者男性」は「差別」されているのか? 社会から“排除”されてきた「低学歴中年男性」の支援に必要な視点 | 弁護士JPニュース
本当に助ける気持ちを持ってるやつなんて皆無よ。弱者男性論は単なる金儲けの手段。「自分だけじゃないんだ」という安心感を低所得者や独身非モテに供給するだけ、弱者男性は死ぬまでその言説で自分を慰撫して終わり
2024/05/24 20:43
年食って、金もなく、モテず、結婚できない、KKO(キモくて金のないオッサン)には、人々に笑い(嘲笑)や、(見下すことによる)安心感や愉悦を与えるポテンシャルや、シャーデンフロイデ的なエンタメ性があるんだな。
少し話が逸れたが、本題に戻ると。
粗品は何年か前に「人志松本のすべらない話」に出演していて、松本人志をヨイショするような発言をしていたが。
実際はおそらく、松本人志の笑いをそんなに観てきていないし、大してリスペクトもしていない気がする。
じゃなければ、一般人は面白くないみたいな発言なんて、出ないだろうよ。
素人に出せる面白さ、素人にしか出せない面白さを発掘した松本人志だったら、安易に素人を腐す発言はしないだろう。
第7世代の若い芸人だから、さんまと中村珠緒の「スーパーからくりテレビ」のご長寿早押しクイズとかも、知らないのかもしれないな。
例えるなら粗品は、マカーみたいなもんだな。
アップルが出す製品は何でもいいと妄信し、買い続ける情弱信者と同じだ。
本来、プロダクトそれ自体の機能や性能の良し悪し等で判断して購買すべきなのに、「とりあえず新しいiPhoneだから買う」というように。
テレビやYoutubeといった、フォーマットに関係なく。
「芸能人か一般人か?」「プロか素人か?」といった先入観、いわば権威によって、おもんないかそうでないかを、乱暴に判断してしまっている。
「みんな持ってるから」「カッコいいから」という安直な理由、シェアNo.1という権威に寄りすがり、アップル製品をなんでも買うマカーのようにな。
誰がやっているかよりも、面白さってのは、企画やネタの中身それ自体よ。
別にダウンタウンだから面白い、とかじゃない。
たまたまテレビ観て、面白かった漫才やコントが、ダウンタウンだった。
ちゃんと中身を観て、判断して、ファンになった人が大多数だ。
だが、粗品は中身をちゃんと確認した上で「Youtuberおもんない」「素人集団でしょ」と判断しているのか否か、疑念が残る。
先入観や偏見しか提示しておらず、具体性に欠けている。
また、翻って粗品の動画は面白いかというと、そんなに面白いとは思えない。
それを、次のトピックで話すか。
5.緊張と緩和のメリハリの無さ
粗品が宮迫を腐す時、かわいそう、かわいそう、と言いながら。
笑みがこぼれてしまっている。
YouTuber宮迫博之が5年ぶりのテレビ出演白紙になった件について語る粗品
宮迫のモノマネも、似ていないし、キンタローやハリウッドザコシショウのような誇張やカリカチュアも弱いゆえ。
ただ宮迫が地上波に出演できなかったことを腐すだけ、「人の不幸を嗤う嫌なやつの話」に終始してしまってる。
おそらくはこの粗品の1人賛否は、
ただぁ!
からの世相斬り、ツッコミ、悪口、嘲笑などが、笑いどころなのかもしれないが。
事前にクスクスと笑みがこぼれることで、「既に弛緩した状態」で、ダラダラと話をしてしまっている。
千葉テレビと刑務所の距離の近さに関するくだりは、ちょっと面白かったけどな。
一方、宮迫の方はというと。
粗品の件について
こっちはやっぱ、面白いw
粗品の動画と比較すればよくわかるが、緩和からの緊張のキレ、これが全然、宮迫の方が上回っている。
しかも小栗旬のたとえツッコミや、顔芸まで入れている。
この「緊張と緩和」は、落語家の桂枝雀が、笑いを構成する重要な要素として提示したものだが。
前回の記事でも紹介したから、詳しい話は割愛する。
そして、粗品の緊張と緩和が、宮迫より劣っている理由は。
「メリハリがない」という点だ。
緩和(かわいそう…)の時点で笑ってしまっているゆえ、そこからの緊張に、意外性がない。
緊張(ザマアミロー!)に至る前に、本気で悲しむような素振りだったり、残念な雰囲気を出して、緩和をしっかりときめる必要があった。
一方、宮迫は、緩和(怒ってないですよ)という大人な雰囲気をしっかりと醸し出したうえで、緊張(こら~!おい~!!)という怒りの行動をした。
そして顔芸の面白さも入れている。
マニュアル自動車で例えると。
粗品のトークは、ギアを3速から5速にしただけなのに対し。
宮迫は、ギアを1速から5速へと、しかもそれをベルクソンが言う笑いの構成要素である「繰り返し」(天丼)を行い、その1速と5速の激しい運動の中にさらに表情の変化まで加えているため、緊張と緩和の密度が圧倒的に違う。
まあ芸歴の差もある。
若い粗品にここまでの緩急を生み出すことが出来ないのは、仕方ないかもしれない。
ただ、その宮迫の面白さを客観視して、リスペクトすることすら出来ない粗品は、やはり傍からみると傲慢に見える。
ヒカルが粗品に対して言った「宮迫さんの方が100倍面白いやろ」という意見も頷ける。
辞めた先輩だろうが、素人だろうが、ちゃんと中身を見て判断する度量や謙虚さがあれば、もっと面白くなる気がするんだが。
古いアメトーク等を見て、思わないのだろうか。
宮迫のいじりやボケ、芸人を活かすネタフリや、場回しの技術は、かなり高い。
粗品以上に。
どこか粗品はな…自分への強い自負心、それが溢れすぎて、笑えない部分がある。
6.関西人に多い「俺おもろいやろ?マウンティング」をしてしまっている
粗品の言動を見聞きすると、思い出す。
20代の時だったか、俺がEXCELSIOR CAFFEで、カポーティを読んでいると。
隣の大学生らしき客が、汚ねえ関西弁でこう言いやがった。
「あいつ笑いわかってへんわ~」って。
俺は思ったね…調子に乗んな、この関西人!
そして、俺はあいつの味方だ…ってな。
「笑い」って別に、ステータスじゃねえだろ?
そりゃもちろん、笑いを金に還元しているプロは、すごいだろうけど、てめえはタダの大学生だろうが?
どうせ普通に就職活動して、サラリーマンになるんだろうが?
だからお前の笑いは、枝豆の皮、フライドチキンの骨、あとタコ焼き作ってる時の、タコ焼きになりきれず溢れてしまった小麦粉の焼きカスと同等。
と、言いたくなったね。
そんでね、たまに上京して何年も経つのに、関西弁直さない人いるでしょ?
何なの?
いや多少訛りが残るのはいいとしても、何でその、未だコテコテなの?って思ったり。
それはマジね、FBI心理捜査官として、数々のプロファイリングで事件を解決することを夢見て勉強してきた俺から言わせてみればね、「集団同一視」というメンタリティに近い。
「これを身につけること」「この言葉を使うこと」によって、何かの一員になれる。
そう、仲間入りしたいんだろうが?
「面白いやつ」として、関西弁を喋ることで、一員になった気になっている。
そして、見下すんだ。
「面白くないやつ」を敵視したり軽蔑することで、相対的に自らの市場価値を高める。関西弁を使い続けることで、「面白いやつら」の集団に属した気分になり、そして「あいつ笑いわかってへんわ~」 と、マウンティングだ。
これは個人的な意見であまり客観性がないかもしれないが、粗品からはその関西人の雰囲気がプンプンと漂っている。
実際、大阪出身だし、関西弁も使い続けているしな。
7.まとめ
以上、「なぜ粗品は面白くないか?」について、いちお笑いファンとして、なるべく多角的に分析してみたが、どうだろうか。
一般人だから、素人だから、Youtuberだから…ってのは、漫才やコントのネタや、ロケや漫談の面白さと、本来は関係ない先入観に過ぎない。
にも関わらず、粗品はその謎の価値観や先入観を持ち出し、具体的な根拠やケースも提示せず、悪口を言っているだけに終始している。
じゃあそんなビッグマウス吹くほど面白いの?と、霜降り明星の漫才や、彼のフリップ芸や、すべらない話のトークや、Youtubeの動画を観ても、ほとんど笑えなかった。
でも売れているし、人気があるのは、なぜなのだろうか?
マーケティングか?事務所の力か?運か?
単にアラフォーのオッサンである俺が面白くないと思うだけで、若い子とかには面白いのだろうか。
粗品の人気は、たとえるなら。
昔、20代の時にオリエンタルラジオの武勇伝を観て、俺は全然面白くなかったが。
好きだったバイトの子が「おもしろいよねー」と、共感を求められたが全く同意できないその感覚や疎外感に近い。
本当に面白い芸人が評価される社会になることを願ってる。
例えば、
あれみた?#134「まさかのゴミ屋敷!?R-1王者の現在の生活に迫る!」
で紹介されていた、東京踏ん張り兄さんたち。
狭いワンルームで、カップラーメンを食い続けて、バイトで食いつないでいるが。
霜降り明星の漫才よりも面白い漫才を見せてくれる、クロスバー直撃が売れる日が来ることをね。